About pictures/当ブログ内の写真について/당 블로그내의 사진에 대해서

Most of the pictures in this blog are taken by my camera, yet some of them were downloaded from the website of the hiking club. If you click any pictures, they become the original size.

当ブログ内の写真の大部分は筆者のカメラで撮影したものですが、一部、山岳会の共有写真からダウンロードしたものを含みます。すべて、各写真をクリックすれば、元のサイズに拡大します。

당 블로그내 사진의 대부분은 필자의 카메라로 촬영한 것입니다만 일부 산악회 공유 사진으로부터 다운한 것도 포함합니다. 모두 각 사진을 클릭하면, 원래 사이즈에 확대합니다.
ラベル 堀伸樹、旅行、国外 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 堀伸樹、旅行、国外 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2014年6月5日木曜日

大連(旧満州)3日間街歩き雑記帳(2014年5月22日―25日)

大連(旧満州)3日間街歩き雑記帳(2014年5月22日―25日)

-中国は広い、人も多い、街はごちゃごちゃ、活気がある、大気汚染(北京ほどではないが)、広い自動車通りを横断するのは大変、物価は日本の3分の1?(1元:約16円、数年前は14円台)、中国は1つの閉鎖的世界か!、中国人はそこで歴史的に激しい競争を展開して来た、性悪説で結果重視、実利的、建前より常に本音?親しくならないと余り他人に気を使わない?1970年代末以来の一人っ子政策に伴う人口構造の歪みは将来何をもたらすか、日本からの最近の投資の急減、イノベーションの必要などから対日関係を緩和しようとするが、表面では絶対に譲らないだろう-

(行程)

・ 5月22日―成田発:9時半、大連着:11時半(日本時間:12時半)(大連:3泊)

・ 5月25日―大連発:13時、成田着:16時50分

① 1月末に香港に行き、3月中旬にベトナムのホーチミンシティに行き、次はどこへ行くか

・ 北京を申し込んだが(3泊12万円)、大気汚染が心配になり、キャンセルして、旧満州の大連3泊個人プラン(85000円、往きだけホテルへ送ってくれる)に切り替えた。旅行代理店によると、北京や上海はPM2.5など大気汚染のため観光客は殆どいないようだった。出張者も仕事が終わるとすぐ帰国するとのこと

・ ホテルの格で料金が変わるが、「ラマダプラザ・ホテル」を選んだのは正解だったー駅前で、最近の貧乏旅行では最高のホテル(JTB出版の「タビトモ「大蓮」、1000円+税でもベストの一つとなっている」

・ 大連には実は1回行ったことがあった。1990年5月に唯一のアジア出張でシンガポール、香港、北京をまわった際に、北京空港が黄砂のために閉鎖され、夜10時頃だったか大連空港に着陸した。外資系ホテルのホリデイ・インに泊まったか?翌日朝、バスで空港に向かったが、窓から見える風景が4,50年前の植民地時代という感じでビックリしたことをかすかに覚えている。中国経済の発展著しく、今や昔の話のようだ

② まず大連(人口:250万人、大連都市圏:600万人)へ

・ 成田空港の両替所で、10500円ほどで、300人民元と50ドル(何かのため)に替えた(1元=約16円、数年前は14円台、この数年で円安が進展した)

・ セブン銀行ATMで手持ち現金3万円(限度額)を下ろしたー何かのため

・ 身体検査はいつものように入念に

・ 22日午前9時半:成田発で11時50分:大連空港着、機内はほぼ満席、搭乗時間は3時間弱

・ しかし、入国手続き後ロビーに出たが、出迎えの人が見つからず、何度もうろうろしていたら、中年の男につかまり、付きまとわれ、結局、タクシーで行くことにした。ごまかされて200元を払い、その男はタクシーをつかまえて、運転手に多分60元(約1000円)を支払い、行ってしまった(空港からホテルまでのタクシー代は60元)

・ 出迎えが見つからなかったので、空港ロビーのコーヒー屋(上島珈琲)で45元(約700円、高いこと!)のブレンドコーヒーを呑んだ。顧客は日本人ばかり?その店で「辛」と大きく表示された大き目のカップラーメン(メニューにある)を食べる人もいた

・ タクシー(左ハンドル)で約30分乗り、1時半ごろホテルに着いたータクシー料金は、最初の3キロ:10元、その後1キロ当たり:2元(30台のいかつい男の運転手は、ケータイで声高に話しながらハンドルを握っていた)

・ 10階の部屋に入って間もなく、20代前半ぐらいの日本語ができる女性が来て、空港に出迎えに行ったが見つからなかったと言われた。私は、出迎えられる場合にHISの旗を持っているのに見当たらず、何回か探したと答えたが、結局、ホテルまでのタクシー代として60元を返してくれた。結局、損害は140元(約2200円)ということに

・ その午後、大連駅周辺など1,2時間の街歩きを2回行なった。

・ 大連は、地図で見ると、仙台の北の緯度であり、東京より2,3度低い感じ

③ タウン・ウオッチング

・ 大連駅―ホテルから徒歩数分で大連駅に行ったが、遼東半島の先端にある終着駅となっており、中国各地への列車が発着しているようだ。駅の周辺は雑貨店、食料品店、食堂などがごちゃごちゃ並んでいる。駅舎は古い建物で、駅の切符売り場など、暗く、大勢の人が列を作っていた。

・ ホテルから北へ数分上り坂を歩くと、駅の建物が正面に見える「希望広場」に行き、何度も見た。中間は窪んだ形となっており、200メートルぐらい離れているか。横長の駅舎に「大蓮」の大きな2文字が数十メートル置いて見えた。また、駅前広場や周辺のビル群を一望できた

・ ホテルからでも、街に出ても、5,600メートル?先あたりからビルなどがぼやっと見えるようになる。大気汚染や霧もあるのか。それより遠いとよく見えない

・ それでもマスクをつけている人は殆ど見かけなかったー北京などとは大気汚染のレベルが違うからか?

・ 主要な自動車通り(片道3車線以上)は「路」で、それを横断するような広い通りは「街」となっていた。「中山路」、「友好路」、「人民路」、「天津街」、「勝利街」など

・ 広い通りを横断するのは、やはり大変だったー歩行信号が赤でも歩行者は構わず自動車の波を左右に見ながら少しづつ渡って行く。さすがに自動車は赤信号では止まっている。信号がない通りも多い。交差点でなくても人は巧みに渡って行く。私は、他の人と一緒に横断するようにしていた。警官も注意などしない

・ ベトナムのホーチミンシティでは、バイクの海だったが、大連では、バイクや自転車は殆どなく、大小の乗用車、トラック、バスが突っ込んでくる。特にバスが恐かった。3回ぐらい、バスに引っ掛けられそうになった。そのまま真直ぐ行くと思ったら。急に左折したり。警笛もよく鳴った。

・ 新聞雑誌、日用品を売る売店(キオスク)などは、ホテルの近くの売店を除き、見当たらなかった。ホテルで「チャイナ・デイリー(国営新聞の人民日報の英語版、1.5元、約25円)」を見たが、ホテル所有となっており、また、ホテルの売店では新聞等は売っていなかった

・ 日本のコンビニ、街の両替店(香港などは少し歩くとぶつかる)、本屋などは見当たらなかった

・ 仕方がないので、ホテルで両替したが、1万円で588元となったー成田空港:5000円強で300元、大連空港:5000円:247元、合計2万円で1135元で1元あたり17.3円(大連空港では、多分若い店員が計算を間違えたようだ。文句を言わなかったので、後の祭り)1元=約17.3円とは、やはり円安が進んでいるようだ

・ それでも街の物価は安く、3分の1ぐらいの感じか?

・ 貧乏旅行では、ホテルの朝食バイキングで1日分の栄養を取った。客の大半は日本人や外国人のようで、おかゆ、バターをぬったフランスパン、様々な肉・魚料理、野菜サラダ、果物などを適宜選んで楽しんだ。かゆは、ねぎや各種の薬味を加えて食べた。コーヒーはいまいち。ブラジルのリオデジャネイロのホテルで飲んだコーヒーは世界一の珈琲生産国で、うまかった。うどんもあったようだ。

・ よく街の飲食店「飯店」があったが、ラーメンが1.5元など。

・ ホテルの日本料理屋「江戸前」で「天ぷらうどん定食(50元、約800円)を食べたが、天ぷら野菜(4種類)、ぎょうざ(3個)、茶碗蒸し、煮物、海産小皿、アイスクリームと食べきれなかった(日本では、倍以上か?)

・ 料理など、サービス料やチップはないので、請求額だけ支払えばいいー欧米では、チップやサービス料が加算される。ホテルの「ベッドサイドチップ」は毎日10元

・ 路上の物売りーさくらんぼ(幾つものざるに入れて歩いている)、各種の小物雑貨、野菜など(天秤棒を担いだおばさん、おじさんが街を歩いたり、路上で売っている。路上で新聞を売っているおばさんがいたが、種類は少なく、部数も少ない。結局、「チャイナ・デイリー」はホテルを含めて、どこでも買えなかった。また、「大連観光地図(5元、日本ではその何倍にもなるだろう)」を一部ずつ手に持って歩行者に声をかけていた。乞食のおばさんが皿を前に路中に坐っていたりする。

・ 自動販売機を見かけたが、コカコーラの中びん:3元(50円)、大瓶:3.5元(60円)

・ 映画館があったが、映画あたりの入場料は30元(約500円)となっていた

・ エスカレーターは右立ち(日本は左立ち。海外では右立ちが多い?)

・ 自動車通りの交差点に広場があり、「友好広場」、「中山広場」、「民主広場」、「人民広場」、「勝利広場」、「希望広場」などーホテルから徒歩20分ぐらいで中山広場に行ってみたが、直径200メートルぐらいの楕円状の公園になっており、周囲の道路を自動車がグルグル走っていた。

・ 食料品店で、アルコールを買って、ホテルでちびちびしたービルの普通缶(チンタオビールなど):8元、ロング缶:12元、一般に酒類のアルコール濃度は高いようだ(四川省産の「火爆?」39度、250CC:6元、52度:10元、安いこと!)52度の強い地酒がたくさん並んでいた。サントリーのウイスキー(ダルマ)が228元、シーバスリーガルが318元、やはり輸入ウイスキーは高い

・ ホテルを出ると、天津街があり、様々な雑貨店や、お土産店、飲食の屋台などが並んでおり、店員が次々と声をかけてきた。日本人のカモが来たからか?多分、私は外国のどこでも日本人と見られてきた。少し歩くと道が広くなり、ショッピングセンターとなる。「新世界・百貨(ニューワールド・デパートメントストア)9時半―21時半』などがあり、衣料品などの高級専門店が並び、ブランド物が高い価格で売られていた。

・ KFC(ケンタッキー・フライド・チキン)、マクドナルドなど、あちこちに見られた。

・ 駅ビルのKFCに入ってみたが、殆ど若者や小さい子供をつれた家族連れなどで、高齢者は殆どいなかった。コーヒー:8元、パフェ入りアイスコーヒー:12元(これを頼んだ)150人ほどの広い店では、カウンターから離れた道路側では、何も注文しないでテーブル(2人掛け)に腰掛けてケータイなどいじっている者もいた。時間調整か?見回りの店員も特に注意せず。

・ 若い女性が腰掛けてケータイをかけている向かいの椅子に男が来て断りなしに坐ってしばらくのちに出て行った

・ 「全部10元の店」(一種の雑貨屋)が幾つかあったー「百円ショップ」の中国版か

・ ユニクロも大連に4店ある。また、吉野家がショッピングモールにあった。街では見かけなかった。ローソンも見かけた

・ 代表的な商業銀行である「中国銀行」はあちこちにあり、ATMは、他の銀行も含めて、24時間利用可能となっていた。

・ ホテルのテレビは、30チャンネル以上あり、CCTV(中国国営放送)の英語版、NHK国際放送、CNNが並んでおり、これらを見ていた。NHK国際放送は、海外にいる日本人向けに編集されており、番組によっては、日本国内と同時に視聴できる(ただし、中国では1時間前となる。帰国する日の朝8時からNHKの政治番組(日本:9時開始)で中国問題を取り上げた番組を見た。(「花子とアン」も見た)―タイ・クーデター、ウクライナ問題、ウルムチ爆破事件、韓国の大型のフェリー船(セウオール号)の転覆事故と韓国政府の対応の問題などが短い滞在中に報道されていた。日本はなんと平和な国家!?しかも成熟社会から緩やかに衰退していく

・ ホテルのメイドは、すれ違うと「ニーハウ」と笑顔で声をかけてきたが、「ニーハウ」と応じた

・ 合計10回以上、すぐ疲れる足を引きずって、街歩きを楽しんだ。ごちゃごちゃ、ごみごみ、人が多い。よく人とすれ違う。店員などは自分たちの会話に忙しく、客に声をかけることなどない。道路も舗装が十分修復されていないところも多く、また、段差があったりするので、要注意だ。よく知らない外国で怪我などしたくない。

・ 一般的には顔つきもキツイ。親しくなれば別であるが、知らない同士は冷淡か?他人のことは気にしない

・ 人々が歩く速度は日本人ほどセカセカしない感じ。私ぐらいの身長の人も多く、余り気にならない。高身長の男女も見かけたが、少ないか?

・ 日本人-性善説とプロセス重視。中国人-性悪説で結果重視(中国人はまず疑う)日本人:観念的、中国人:実利的という見方はどう考えたらいいか ・ 人口構成(中位年齢『人口の真ん中の年齢』)は、中国(35歳程度)は日本(45歳)とベトナム(23歳)の中間にあるか

・ 新聞雑誌・書籍、テレビから街の表示に至るまですべて漢字。ある程度見当がつくのは有難いが、簡体字などで分からない場合がある。日常的に何千字か1万字以上必要か。かな漢字併用の我々は有難い?

・ 宿泊したラマダホテルのスタッフは、親切で日本語ができる人もおり、日本人客が多いからだろう。一般には日本的「おもてなし」など殆どないだろう

・ 40キロ離れた日露戦争(1904-05年)の戦地・旅順に行こうと思ったが(バスで1時間強、片道:15元)、ガイドでは、現在も軍港であり、行ったり撮影禁止の場所があるので、1人で行かない方がいいとあったので、断念した。旅順には、203高地、水師営会見所旧跡(1905年1月に戦いに勝った日本の乃木希典とロシア軍のステッセル将軍が会見した)、関東軍司令部跡などがある

④ 感想など

・ 中国は広い。道も広い。行けども行けども街は広がっている。

・ 人も多い。人の流れも尽きない

・ 中国自体が閉鎖的な世界なのだろうかー13.5億人と世界人口5人の1人は中国人だ

・ 殆どの中国人は、今後も国内で生活を完結して生涯を終わるだろうー中国人にとっては、中国的世界がすべてだろう(その世界の中で地域と地域、グループとグループ、人と人が争ってきたのだろう。そのやり方を海外でも主張し始めたのか?)

・ 言論や表現の自由がなく、新聞やテレビなどで国営中心であり、共産党独裁下で政府の宣伝しか報道がなければ、人々の平均的関心はそれに支配されるのではないか。

・ 日本などの外国に対して強い主張をするのは、基盤が十分に確立していない政権としては当然かもしれない。習近平体制は、現在政権闘争の真っ只中にあるという見方がある

・ 中国経済の急速な発展から、中国の人々の「世界の中心であると言う中華意識」は高まっているか?それが対日意識にも反映しているだろう(1840年アヘン戦争以来1949年中華人民共和国建国までの植民地時代の屈辱を晴らしたい)

・ インターネットやSNSの普及は著しいが、政府が認めない反共産党的な情報に対する規制・削除と掲示の競争が極めて盛んとなっている

・ 政府規制のテレビや新聞・雑誌で反日的報道が行なわれれば、多くの中国人は間違いなくそれを信じるだろう。

・ 日本企業は、発展する中国経済への進出の強化と時に暴発する反日運動の影響を比較考量して、中国進出を検討せざるを得ない状況にある。日本企業が中国市場から東南アジア市場に転換すれば、米国や欧州企業が乗り込んでくるだろう。現在、名目GDPでは、米国:15兆ドル、中国:8兆ドル、日本:6兆ドルであるが(世界合計:70兆ドル)、物価などを考慮した購買力平価ベースでは、米国と中国は殆ど差がないと見られている

・ 1970年代末以来の一人っ子政策により、生産年齢人口の減少が始まる一方、2020年代には2000万人以上の若い男性が配偶者を見つけられない時代を迎えようとしている。このような人口構造の歪みが、中国の経済と社会にいかなる影響を生ずるか

・ 外国に行くと、日本人と日本社会の良さが分かってくる「この時代の日本に生まれて幸せだった」-テレビによると、中国人も実際に日本に来ると印象がかなり変わるようだ。平均的には、各国の人々は民族的、歴史的、社会的理由などから、自国が一番いいと思うだろう。

⑤ NHK番組「中国問題(専門家討論)(25日朝9時放送)

・ 中国は経済成長鈍化で、対外的に強硬に出る可能性がある

・ 習近平体制はまだ国内で権力を確立していない-権力闘争下にある

・ 中国とロシア(ウクライナ問題を抱える)は、現在は実利的に結びついているが、長期的結合の可能性は低い

・ 今回の中国との緊密化は、中国よりロシアの方がメリットが大きいだろう

・ 中国は力の空白ができると、必ず出てきて、確保し、絶対に譲らない

・ 米国軍が1992年にフィリピンから撤退したら、中国は南シナ海に進出している

・ 中国では、政治は経済の上にある。政経分離などない

・ オバマ米大統領が今回のフィリピン訪問で米軍駐在を再開することで合意したが、中国は先陣を切って南シナ海やフィリピン領海に進出しているー中国は米国の反応を見ている

・ 米国・日本・アセアン諸国は、対中国戦略で協力する必要がある

・ 軍事費で、米国:6000億ドル、中国は毎年10%程度で増加し、現在2000億ドルとなっている。2030年頃には中国は軍事費で米国を抜く可能性があるが、軍事システム全体では、米国の優位は揺るがないだろう

・ 中国政府は、対日関係の緩和を考えている-日本からの投資が急減、イノベーションの必要(中国の構造改革の必要)、ただし、表面では日本に絶対に譲らない

2014年5月30日金曜日

ベトナム・ホーチミン市貧乏小旅行記(2014年3月14日~18日)

ベトナム・ホーチミン市貧乏小旅行記(2014年3月14日~18日)

-ベトナム人(人口:9000万人、1人あたりGDPは2000ドル以下)は若く、活発で、陽気で楽天的か、猥雑でもあるか?街はバイクの海、ホーチミンの肖像が紙幣のほか至るところに、しかし共産党独裁の社会主義社会で等しく貧しく、様々な非効率、教育水準が低い感じ、競争はどうか、閉鎖的で国際的に孤立している可能性、タイ(6600万人、6000ドル)と何が違うのか、80年代に中越戦争を戦った中国との関係はどうなっているか-

(行程)

・ 3月14日(金):午後5時25分成田発(全日空)、10時過ぎ:ホーチミン着(日本時間は15日午前零時、搭乗時間: 6時間半、ホーチミン市に3泊)

・ 3月17日(月):午後11時5分ホーチミン発(機内泊)

・ 3月18日(火):午前7時過ぎ成田着(6時間)

・ HIS上野営業所で注文、航空運賃:9万円、ホテル代(3泊):1.8万円、雑費:1.3万円(約250万ドン)、合計:13万円

・ 通貨の「ベトナムドン」は10万ドンが570円程度、1万ドンが57円、末尾の3桁「000」は殆ど要らない。デノミネーションをやってはどうか。絶えず幾らになるかをいつも考える必要がある。ただし、圧倒的に円高であり、安く押さえることができた

・ 紙幣だけー10万ドン札、5万ドン札、2万ドン札、1万ドン札、5000ドン、2000ドン、1000ドン(約6円)

-すべてに独立の父のホーチミンの肖像がある、コインは無い?

① 1月末に香港3泊旅行したのち、次はシンガポールと考えたが、2012年6月に行っており、ベトナムに久しぶりに行くことにした。ホーチミン(旧サイゴン)には過去2回、首都ハノイには1回行った記憶がかすかにあるが。殆ど覚えていない。自転車の嵐だったか、バイクの海だったか。

② 成田空港では、例によって全身を手持ち検査機で男性係員からなめるように検査された。少し不愉快になった。タイ航空のカウンターでは、タイ人の老若男女の観光客がひしめいていた。円安の進展で日本に来易くなったからであろう。5時40分に離陸し、6時ごろ水平飛行に移り、6時半に食事となり、エコノミーは洋食と和食の選択で、和食を選んだ。

牛肉と豆腐がメインで、量は私にはまあまあだが、大食いにとっては物足りないだろう。それでも、日本の航空会社のエコノミーの食事は、欧米の航空会社に比較するとかなり良いだろう。窓側の2席が使えたが、横になるのが窮屈で寝るのに往生した。

搭乗率は6割程度か。現地時間10時過ぎ(日本は15日午前零時)に、タンソンニュット国際空港に着陸した。この空港は、1960年代のベトナム戦争において米軍機の発着でよく報道されていた。この戦争は、欧米資本主義陣営対ソ連の社会主義陣営の冷戦ではなく、南北に分裂させられたベトナム人の独立戦争にほかならなかった。

それでも1990年代には米国とベトナムは和解している。成田空港の両替所で、5000円:48ドルと3000円:59万ベトナムドンにとりあえず両替した。後に市中の両替所で5000円を両替したら102万ドンだった。やはり、現地が一番効率がいい。計算書はくれず、紙幣をもらって終わり。両替所は街のあちことにある。

③  10時半ごろ、入国手続き(カウンターは、「オール・パセンジャーズ」となっており、ベトナム人も外国人も同じ扱いとなっている)を終えてロビーに出たら、大勢のベトナム人がひしめいていた。

まだホーチミン空港は広くないようだ。飛行機も着陸後すぐターミナルに着いた。香港空港では、香港人、中国人・台湾人、外国人に分かれていた。この時間では、バスを見つけられそうに無いので、タクシーを捜そうと歩き始めたら、すぐカモが来たと次々と声をかけられた。

若者についてタクシーに乗ったら、すぐ空港を出るときに料金がいると言われたように思い、タクシーから下りてまた戻り、今度は「タクシー・スタンド」の表示のあるスペースで探した。乗ったタクシーは、暗闇の中を走って行き、なかなかホテルに着かないので、不安となり、どこへ行くのかと何回か聞いたが、この方向だというばかりだったが、結局30分後に、ドンコイ通りのボンセン・ホテルに11時ごろ到着した。

20万ドンの請求で30万ドン(1700円程度)を渡した。いろいろあったので。夜遅く空港に着くと、ホテルまでのタクシーが心配となっている。インドネシアの首都ジャカルタに行った時も、夜11時だったか出迎えてホテルに届けてくれる人が見当たらず、結局、声をかけてくれた人に言うままに頼んだら、当初は20ドルのはずが40ドルにしてくれという話になったか?厳寒の東京から厚いジャンパーで来たが、早速スーツケースにしまって、半そでワイシャツと半そでシャツに着替えた。汚れてもすぐ洗濯できる。

④ ホテル比較によると、ボンセン・ホテルは二つ星(1泊6000円)で、隣のシェラトン・ホテルは五つ星で3泊4.8万円(1泊:1.6万円)でえらい違い。まあ、貧乏旅行では二つ星で結構。部屋はまあまあ。

日本のビジネスホテルという感じ。ドンコイ通りは都心部の中心にあり、ホーチミン市の代表的な観光スポットにも比較的近いようだが、今回は観光スポットはどこへも行かず。結局、1日に数回ホテルから1-2時間のタウン・ウオッチング(街歩き)を繰り返した。ボンセン・ホテル・サイゴン「ベトナムのホスピリティ(おもてなし)のスピリット(精神)」毎朝のベッドサイド・チップは1ドル札を置いておいたが、メイドさんにはベトナムドンよりこの方がいいだろう?

⑤ まず、コンビニを見つけて、缶ビールを確保する

・ ホテルに近くで「サークルK」を見つけて、缶ビールと韓国酒「ジンロ」を購入した。ベトナム産ビール「333」は 12500ドン(ホテルの冷蔵庫では35000ドン)、札幌ビール:22000ドン(150円程度)、アサヒ:28000、タイガー(タイビール):17000.

・ 特にジンロ(360CC 、19度)は、68000ドンで400円程度。これは韓国で買うのと同じ、日本では3倍ぐらいとなる。ツーツー呑める。また、韓国酒の「マッコリ(500CC )」65000ドンだった。やっぱりジンロの方がいい。

・ サークルK はあちこちにあった。他に「ファミリーマート」があり、サークルKより整備されていた。ファミリーマートには「お握り」があり、「ハンバーグお握り」を買ってみたが、卵焼きとハンバーグがパンの間に挟まっていたが、うまくなかった。サンドイッチ(野菜やツナ、ハム、卵)もあり、これは日本と同じであり、2組4枚:200円程度で数回これで食事をすませた。ベトナム米は有名。外国のコンビニには、大体「お握り」はない。

・ レストランで海鮮炒めご飯を食べたが、小さい海老などでまあまあだった。15万ドンでやや高かった。ベトナム米は、日本人からすれば 余りうまくないか?炒めてあればごまかせるか。

・ 歩いた限りでは、ユニクロ、無印良品、マクドナルド、ローソン、セブンイレブンなどは見つからなかった。

・ ホテルから15分ほど歩くと、サイゴン川があった。川幅100メートル以上か、右から左にゆったり流れていた。

・ クルマは右側通行。エスカレーターも右側、タクシーのハンドルは左で、その右側にスーツケースを抱えて乗り込んだ

・ 通行人は、半そで、半ズボン、サンダル、ゴム草履など

⑥ やっぱり街路はバイクの海だった

・ 広い通りを大勢のバイクが駆け抜けていく。信号はあったりなかったり。合間にバスや自動車や自転車が走る。人口構成から見て30台以下の男女がバイク乗りの中心だろう。1人乗り、二人乗り、3人乗り、まれに4人乗り(たぶん親二人が小さい子供2人を抱えて)で、皆ヘルメットを被り、すいすいと行ってしまう。

・ 若い女性のバイク乗りも多い。すましてちょこんと乗っている。

・ よく事故にならないのかと思う。交通警官などいない

・ 交差点で信号が青に変わると、数十台のバイクが一斉に走りだす

・ 広い通りを歩行者が横切るのは容易でない。たえず右を見て、左を見て、様子を見て、バイクの嵐の一段落したタイミングで、右手を挙げながら何とか渡る。いわばバイクとクルマと歩行者のアウンの呼吸といった所。おかげで首と反射神経の運動にはなった。

・ バイクのメーカーは確認できなかったが、多分日本製が多いだろう

・ 主要な市内の移動手段はバイクなのだろうか

・ ある広い交差点で5分程度見ていたが、数百台か千台以上のバイクが縦横左右に通っていったようだ

・ 救急車のサイレンは日本と同じだった。警察車のサイレンはフランスと同じ?

・ 所々に、旧フランス領に基づくフランス語の表示が残っていた

・ バスのドアは開けっ放しのものがあった。窓はすべて閉まっていた。以前は、バスは窓もドアも開けっぱなしだったように記憶する。バスは、人が乗ったと同時に走り出す。

⑦ 街頭の物売りが多い

・ 靴磨きの若者―街を歩いていると何度も靴を指して磨こうかと何回も声をかけられる。10代前半の男の子だろう。すべて断ったが。朝8時頃に街で何人かの靴磨きがこれから出動すると言った状況に出くわした

・ 新聞売りのおばさんードンコイ通りは外国人向けのホテルが多いためか、フィナンシャルタイムズなどを路上に広げて売っていた。しかも一部ずつ。フィナンシャルタイムズを買ったら10万ドン(570円)だった。日本では600円。ベトナムでは300円程度であり、その差がおばさんの思いがけない収入になったかもしれない。その後そこを通ると、よく声をかけられた。

・ 宝くじ売りーよく分からず

・ 若い物売りの男性や女性―バッグや財布、眼鏡、ライターなどを首から数十個つけた横長のゴム板をぶら下げて持ち歩いて売って歩く。重いだろうに。

・ 野菜売りー天秤棒を肩に担いだおばさんが左右のかごにサツマイモなど各種の野菜を入れて歩いていた。

・ よくバイク乗りがカモを探しているようで、すぐ声をかけてきた。

・ これらは非効率だろう。

⑧ よく声をかけられた

・ 「お兄さん、元気」とか「お父さん、どこへ行く」、「お父さん、行かないで。何しましょう」、「ハロー、お兄さん、乗らない」、「お父さん、お早う」とか声をかけられたー前に乗るスタイルの人力車、バイク運転手など

・ 日本人だと分かるらしいー私はこれまで中国人や韓国人と間違われたことはない。

・ 時々、日本人の若者グループや高齢者夫婦とすれ違った

・ また、欧米人とベトナム女性のカップルともすれ違ったように思う

・ また、夜の散歩中に女性の写真を示して若い男から勧誘されたようなこともあった。

⑨ ベトナムは若い国

・ テレビなど見ていると、若者向け番組だらけだった。ホテルのケーブルテレビは、合計80チャンネルで、4割ぐらいがベトナム放送で残りが外国放送だったか。CNN、BBCのほかフランス、インド、中国、韓国などのほか、映画、スポーツ、ダンス、音楽などの専門放送チャンネルだった。日本語放送はなし。すべて若者向けのようで高齢者向け番組などなし。

・ ただし、テレビの報道番組はまったく単調の模様―全く議論の中身は分からないが、何十年も前の日本の報道を見るような感じだった。政治の討論会?で発言者をただ写しているだけ。要するに、共産党独裁の社会主義国家の報道とはこういうものか?

・ ホテルで、「ベトナム・ニュース」(唯一の英字新聞?タブロイド版)が無料でもらえたので、拾い読みしたが、国内ニュース中心だった。ベトナムはまだ閉鎖的であり、対外関係まで関心が無いのではないかと思っている次第

・ その記事で、5-17歳の175万人が働いており(その人口の9.6%)、バー、建設、ワークショップだと言うものがあった。また、赤ん坊の人身売買チームを警察が検挙したニュースなど。

・ 政府が民間航空を促進しようとしたが、2社が資金・運営で問題があり、撤退することとなり、外資の導入を検討すると言う記事があった

⑩ ベトナムは暑い

・ 朝8時ごろから気温はぐんぐん上がる。

・ 日中は30度、いやもっと上昇するだろう、真昼には歩きたくない。ただ、汗は余りかかない

・ 「ナンバーワン・カフェ」で、カフェラテ:68000ドン(約400円)でしのぐ。日本と同じ味。最近、日本でも通常のコーヒーよりカフェラテを飲むようになっている。

・ 午後5時ごろから、しのぎやすくなってくる

・ 場所を聞いて、タクシーでホーチミンの鉄道駅に行ってみた。みすぼらしい感じで、待合室には冷房は無く、市井の男女たちがいるだけで、豊かな人はいないようだった。

・ ホーチミン・首都ハノイ間の鉄道距離は1750キロ、2日半、90万-110万ドン(6000-8000円)、1日10便となっている。夜7時にホーチミンを出発し、3日目の朝3時50分にハノイに到着する。多分、裕福な人々は航空便を利用するだろう

・ 日曜の夜に散歩に出て、直径50メートルぐらいの池で噴水のある所に言ったら、噴水は止まっていたが、暗闇の中で若いカップルばかりだった。高齢者などおらず。

⑪ タクシーが便利

・ 市内鉄道は無く、唯一の公共交通機関であるバスは使い方が分からないので、もっぱらタクシーを利用した

・ タクシーはメーター式で2万ドン(120円)から開始し、例えば、空港からホテルまで30分以上乗って、行きは20万ドン(1200円)、帰りは15万ドン(1000円)程度で、それにチップを足した。

・ 市内で、タクシーを頻繁に使ったが、チップ込みでも日本の最低料金の710円など払ったことはない

・ 大目のチップを加えると運転手はさっと降りて、ドアを開けてくれる

・ ホーチミン市の都心部の地図は、日本でエージェントからホテルの周辺図をもらって行ったが、現地の大きな本屋で聞いたら、ホーチミン市の全体の地図は無く、旅行代理店で聞いても無いとの事だった。どうなっているのか?

・ ベトナムの本屋に、「ヒロヒト」という昭和天皇の伝記のベトナム語版(表紙に昭和天皇の古い儀式の写真が掲載されている)が、シンガポールのリークアンユー元首相やマレーシアのマハティール元首相の伝記と並んでいた。本屋は9時には開店していた。

・ ただし、タクシー運転手の教育水準が疑問に思ったことがある。「タックス・プラザ(国営百貨店)」へと言ったが、分からず、英語の簡単な地図でここだと示したが、なかなか分からなかった。多分、タックス・プラザの英語式発音がベトナム人の発音と違ったのだろう。それでも地図の見方が良く分からないようだった。同じ経験をもう一回した

・ ドラエモンの看板があった。KARAOKEも。

⑫ いたるところにある非効率

・ 飲食店などでお釣がすぐもらえないときが何回かあったー暫く待っていた(計算ができないのか)

・ 街路の物売りや、いい若者の靴磨きなど。国家ぐるみでもっと教育に取り組んではどうか

・ 共産党しか政党が無く、長期にわたる社会主義政権の結果なのだろうか。それとも国民性が関係しているのか。今や共産党独裁政権は中国、ベトナム、北朝鮮しかない

・ このままでは、ベトナムの経済的発展について悲観的になってしまう

・ マレーシア、タイ、インドネシアと比較して、ベトナム、ラオス(約700万人)、カンボジャ(約1500万人)は経済的に遅れてしまうかも知れない。最貧国のミャンマーにも抜かれてしまうか?(ミャンマー(約6300万人、1人当たりGDP:900ドル以下)は東南アジアと南アジアを結ぶ戦略的位置づけにある)

・ ベトナムは地理的にも戦略性はないか? ・ ベトナム人は閉鎖的なのかも知れないー国内中心のマインドとなっている?政治的経済的に対外的に活動する段階になっていない。

ベトナム語の影響があるか(ベトナム国内だけしか通用しない?独特のアルファベットとなっている)

・ 国際的に見て、ベトナムは孤立しているのではないかー中国との関係はどうなっているか(1980年代に両国は中越戦争を戦っている)

・ べトナムの国軍は政治においていかなる位置づけにあるか。

・ まず教育レベルの向上に全力を挙げて取り組んではどうかー10年後、20年後に効果が現実のものとなるだろう

・ ベトナムの現状について、やや否定的な感想になっているが、それだけ発展の余地は高いであろう。

⑬ 17日のホテルのチェックアウト(正午)から成田便(午後11時)までどう過ごすか

・ 東南アジアから日本に戻るとき、よくこういう経験をする。タクシーで2時ごろ空港に行ったら、全日空のカウンターは午後9時からということでそれまで時間をどう過ごすか。結局空港へは2回往復した。

・ タクシーを使って幾つか回った後、カフェなどで時間を過ごし、7時過ぎに空港に着いて、また時間をもてあました後、9時にチェックインした。

・ 街には土産物屋が多く、特に手織りのバッグや財布などが多く売られていた。しかもベトナムドンに対する円高のため、極めて安い。(ドルやユーロに対して円安になっているが)雑貨のお土産を幾つか買い物をした。50米ドルの女性用バッグのほか、お土産5品で合計100ドル余で日本的感覚では2-3倍するだろう

・ 帰国して東京の寒さにビックリし、胃がむかむかし1日ほど食欲が無くなったが、何とか回復した

⑭ ホーチミン(1890-1969年)

・ ベトナムの革命家、政治家。植民地時代からべトナム戦争まで、ベトナム革命を指導した。

・ 初代ベトナム民主国家主席、ベトナム共産党中央委員会首席歴任

・ 晩年には、南北のベトナム人から「ホーおじさん」と呼ばれ親しまれた

・ ホーチミンの肖像は紙幣だけでなく、あちこちにあった

(参考)

・ 面積:32.9万平方キロ

・ 人口:9170万人(2013年)

・ 首都:ハノイ

・ 民族:キン族(越人)86%、53の少数民族

・ 言語:ベトナム語

・ 宗教:仏教、キリスト教、カオダイ教

・ 政体:社会主義共和国

・ 政党:共産党が唯一の政党

・ GDP:1700億ドル(2013年)

・ 1人あたりGDP:1896ドル

(歴史)

・ 1884年:フランスの保護国となる

・ 1930年:ベトナム共産党結成

・ 1941年:日本軍が南北仏印進駐

・ 1945年:ベトナム共産党ホーチミン主席が「ベトナム民主共和国独立宣言」

・ 1946年:インドシナ戦争

・ 1973年:パリ平和協定の締結、米軍は撤退

・ 1976年:南北統一、国名:「ベトナム社会主義共和国」

・ 1981年:日本と外交関係樹立

・ 1995年:米国と国交正常化、

・ 1995年:ASEAN(東南アジア諸国連合、1964年発足)に正式参加

・ 2007年:WTO(世界貿易機関)に正式参加

2014年4月23日水曜日

140129「4年ぶりの香港旅行(2014年1月29日ー2月1日)」

4年ぶりの香港旅行(2014年1月29日~2月1日)

―1997年本土復帰後16年でどう変わったか、本土は習近平体制に移行、「1国2制」は?民主的で自由な香港は昔の思い出になりつつある。街は暖かく、若く、カラフル、騒々しい、円は香港ドルに対して2012年:10円が現在15円になっている、それ でも物価は日本の3分の1程度?―

① 思い立って、香港(人口:750万人)に3泊旅行した

・ 1月29日キャセイ・パシフィック航空:成田発9時10分、香港着13時25分(時差は1時間、日本時間:14時25分)

・ 帰りは、香港発15時20分、成田着20時15分

・ HISで申し込み、航空運賃:7万円、ホテル代(3泊):2万円、合計:9万円

・ 他に、25000円を香港ドルに両替して現地の経費に当てた(1ドル=約15円)

・ 目的―香港から、日本、中国、アジア、世界のトレンドを見たい(いつも同じだが、結果は殆どなしーでも旅行のインセンティブになる) ・ 2012年10月の心臓バイパス手術の前に行った7月:シンガポール、8月:欧州(フランクフルト、スイス・チューリッヒ)旅行以来の海外旅行

・ 成田・香港間は約3,000キロメートル

・ 私については、身体検査は綿密に行なわれるー左ひざに代替関節(多分金属が入っている)があり、必ず引っかかるため。他の人々はすいすいと終わるのに。

・ 行きは4時間45分、帰りは3時間半(偏西風のせいか?)

② 両替で、中国人民元と香港ドルで差がついていた

・ 米ドル:106円、ユーロ:144円、人民元:18.72円、香港ドル:15.66円、韓国ウオン:0.1105円

・ 2012年8月―香港ドル:10.2円(香港ガイドに記載)ずいぶん円安になった

・ 円安があらゆる外国通貨に対して進んだことと、人民元と香港ドルの差が大きくなったので一寸ビックリしたー以前はそれほど差がなかったのに(中国による香港支配が進んだためか?)

・ まず成田空港で、4700円を300香港ドルに両替したー1ドル=15.7円

・ 香港空港では、1万円が704ドルとなったー1ドル=14.2円(やはり何%か違う)

・ 泊まったホテルの両替―1万円:680ドル、1ドル=14.7円(使わなかった)

③ ホテルへ行くー「リーガル・リバーサイド・ホテル(麗豪酒店)」

・ 香港空港から地下鉄で最寄の駅まで行ったが、多分悪戦苦闘だったー帰りは、駅のガイドに教えてもらったが、ホテルの近くの駅から空港駅まで4回の乗換えをした(合計2時間足らず)

・ 「客室主任(カストマー・センター)」が駅にあり、何度か聞きに行った。向うは中国語で身振りを交えて教えてくれるが、よく分からないことが多い。

・ 香港の地下鉄は、四通八達しており、非常に便利だが、我々には使いこなすのは容易でない。都心部を除けば、地上を走る。「港湾鉄道事業」

・ 駅内の乗換えでも、指示(乗り換える路線の終着駅による)に従って、かなり歩く場合がある

・ でも多分一番安いー帰りにホテルから空港エクスプレスが出る駅まで10ドルだった(65歳以上で5ドル券で行けた)空港エクスプレスは60ドル。結局、ホテルから空港までの合計料金は約1000円。

・ ホテルは、最寄りの「沙田(シャティン)駅」から約100メートルの橋を渡った高層マンション群の住宅街近くにあった。結局、駅への往復はタクシーを使ったが、片道25ドル(チップ込み)で、往復750円程度だった(毎日これを1回利用した)

・ 橋はホテルから見えていたが、もう歩く気にはならなかった(駅まで橋を渡って15分ぐらいで歩いて行けただろう)

・ ホテル(ダブルベッド)は結構だった―多分1泊2万円以上を約7000円で利用できたのだろう(多分、HISに配布されたのが3日分が丁度余っていたのか)

・ リーガル・ホテルとしては、他に市内で2つあり、優良ホテルにランクされていた

・ ベッドサイド・チップは、毎朝10ドル(約150円)置いた。ある日、朝チップだけ取られて、メイドが午後に掃除にやってきたことがあり、OKといって断ったことがあった。チップは誰かが一括して回収しているのか?

⑥ 香港の街の印象

・ ともかく暖かい―東京が12度・7度の日で、香港は22度・16度ぐらいある(オーバーやコートは要らない)

・ 歩く人々の年齢が10歳ぐらい若い感じ

・ 本土の中国人と香港人との区別は分からない。

・ 最近の報道では、毎年5000万人の本土からの観光客が香港を訪れており、急速に増加しているようだー時々、中国人らしい観光客団体を見たように思う

・ 2月1日から旧正月のシーズンに入り、中国全体が観光熱に沸いているようだ

・ 日本の百貨店としては、「そごう(崇光百貨、SOGO)」と「香港・西武」があり、そごう(16階ぐらいある)は1月31日だけは午後1時開店(通常は10時開店)でその時に居合わせたが、大勢の人々が店の前に集まり、何人かが獅子舞などをやっているようだった。結局、1時半近くに入場できた。閑散とした「そごう」の柏店とはえらい違いだった。西武にも行ってみたが、見つからなかった。

・ 「恭賀新年」のポスターをよく見かけたが、「旧正月(ルナー・ニュー・イヤー)」が買い物やレジャーなどのブームとなっているようだ―旧正月は40日間に及ぶホリデーか?(36億のトリップ(旅行)、2.6億人が鉄道旅行、1日300の臨時列車の予測がある)

・ 「セブン・イレブン」があちこちにあった―他の日系コンビニは歩いた限りでは見かけなかった。「サークルK」はあった。品ぞろいはいまいち。見た限りでは、サンドイッチはあったが、お握りはなかった。サンドイッチ(卵やかになど)を何回か朝食用に買ったが、2枚2組のセットで10-15ドルぐらいー日本の半分ぐらい?

・ セブン・イレブンで、レジで多分袋が要るかどうか聞かれて、よく分からないでうなずくと、ビニール袋に入れてくれて、あとで領収書を見たら「政府環境徴費」として0.5ドル(7円)が取られていた。[歓迎来臨 7-ELEVEN]

・ 英字新聞として「サウス・チャイナ・モーニング・ポスト(南華早報)」(9ドル)があり、毎日買っていた。タブロイド版で、分析などはそれほど詳しくないのではないか?

・ 飲料水の自動販売機(500ミリリットル、コーラなど)があり、大体4-5ドルで、日本の半分かー日本ほどの自動販売機はない

⑦ 中国の国境にある「深せん(シェンチェン)」に行こうとしたが、失敗した

・ 国境の駅まで28.50ドルで30分もかからなかった。電車の車中から、両側に高層マンション群があちこちに丘や緑の間に散在していた。

電車は、一等車と二等車からなる

・ 電車内で、本やケータイなどを見ている人の割合は少ない

・ 駅に「客室中心」という顧客サービスセンターがあり、自動販売機で切符が買えないと何回か文句を言いに行ったが、中国語が思うようにならず。

・ 国境検査(入出国検査で両側にある)があり、香港・マカオ住民、中国本土人、台湾人、外国人の別となっている。外国人だけは検査官が行ったが、その他は自動検査機を通る場合があったか。国境検査官の写真入ポスターがあり、「文明使者」とあった。(29名うち女性12名)

・ 「中国公民(チャイニーズ・ナショナルズ)」も身分証明書?に何か押してもらっていた

・ 結局、国境のビル内の通路で50メートルぐらいの橋を越えると、中国本土となる

・ 「深せん」から電車で幾つかの駅の「市民中心(シティ・センター)」に行こうとしたが、うまく乗車カードが買えない。香港の地下鉄は、自動販売機で、地図上の行きたい駅を押すと、料金が表示され、コインや紙幣を入れるとプラスチックカードが出てきて、これで改札を入出することになる。降りてしまうと、カードは手元に残らない

・ 以前に「市民中心」に行ったことがあった。1980年頃より中国で最初に発展したのが、深せんなど広東省だった。10年前頃だったか。高層ビルが建っていたが、人通りはまだ少なかったような印象がある。今ではどうか。

・ 駅ビルの売店で「ギネス・ビール缶」(6.8%、330ミリリットル)を12ドル(約150円)で購入し、腰かけてチビチビ。後で近くの売店で別の缶ビール(サンミゲル)を買ったが、香港ドルだとして2倍取られた(それでも10ドル)。

・ 書店があったので入ってみたが、英語の棚は殆ど英語の学習書(中国語による)しかなかった。

・ 「肯徳基」はケンタッキー・フライド・チキンのポスターで、例のおじさんがこちらを見ているという次第。わびしそうな店だったので、入らず。

・ 子共の多い家族連れが多い―祖父母、両親、叔父・叔母、子供など?(日本では、核家族中心だろう)

・ 中国における家族の絆は強いのではないか

・ 日本ほど親と子供の間の年齢は離れていない感じー日本では、平均の第一子は両親とも30歳頃となっている。日本より早く結婚して、一人っ子を育てるのか?ただし、香港は一人っ子政策の対象ではなかったか(少なくとも1997年7月1日の本土復帰までは)

・ 駅のトイレに入ってみたら、大は和式、小は並んでやるタイプで、水が流れていた

・ 中国では、男に生まれるのと、女に生まれるのとどちらがいいか?日本では、女の方が今は楽しいという調査結果があるようだ。一般的に、発展中の国では、男に生まれた方がいいのか?

⑧ その他の観察

・ 紙幣は、同じ金額(100ドル、50ドル、20ドル、10ドル)でも発行元とデザインが違っているものがある―上海香港銀行、中国銀行など ・ コインの裏はすべて同じ花となっているー国花か?

・ 香港でも今年は「馬年(イヤー・オブ・ザ・ホース)』―「竜馬精神」、「福馬迎春」、「馬倒成功」(紀元前に馬で駆けつけて戦争に勝った皇帝がいたらしい)、「馬年夫婦」

・ 昨年は「蛇年」-ヘビよりウマの方がいいか?

・ 地下鉄などで、すぐ割り込まれる、乗車券の自動販売機でもたもたしていると、誰かが助言してくれる、電車でさっと席を譲ってくれる、席が空いたら素早く座る必要がある

・ 何千年にもわたって、中国では、生存競争が激しいのであろう。 ・ ホテルのロビーがあるフロアは「ゼロ階」 ・ エスカレーターは「右立ち」 ・ 中国酒は30度で強く、種類も多い―米ばかりでなく、ヘビ、鹿、シイタケなど様々(160、250ミリリットルで10-20ドル)甘いものもある ・ ガイドによると「飲料水は、水道の水でなく、ミネラルウオーターを飲め」ホテルの部屋にミネラルウオーターが毎日2本配布された ・ 料理屋で、「上海ヌードル」というのがあったので、頼んだら、日本風の「シャンハイ」の発音では伝わらなかった。メニューで指してようやく注文できた―メンは1ミリぐらいで味はまあまあ(75ドル)

・ 漢字が一緒なのは有難い―ただし、見当がつく程度

・ 「的士(タクシー)」は20ドル(約300円)から

・ コンビニなどで、「出前一丁」などのカップラーメンがたくさん積み上げられていた。

・ 「スターバックス」があちこちにあり、「カフェラテ・スモール」は27ドル(日本:230円)で安くない。「マクドナルド」もあった(入らず)

・ 5セント・コイン(約7円)は地元の人にとっては大事かもしれない―物価が安いので(日本の3分の1ぐらいか?)

・ コインが貯まると、ポケットに入れた小銭入れが重くなってしまう

・ 日本人と中国人はどう違うか―1人ひとりとして、全体として、対外的結束力、一体感はどうか

・ 街を歩く人の3人に2人ぐらいは、日本人と間違えることはなさそうだ?(主として、顔つきで)

・ 「オバマ:奥巴馬」―すべて漢字。誰がいつ決めるのか?

・ 気温の予測―香港:22度・16度、東京:11度・7度

・ ホテルのテレビで日本関係はNHK国際ニュース(英語)だけ。ホテルによっては、NHKなどの日本語放送もあるだろう

・ ドアを開ける―「推(プッシュ、押すとき)」、「挽(プル、引くとき)」

・ 地下鉄の駅―コンコース:「大堂」、プラットフォーム:「月台」

・ 曜日―星期一(シンチーイー):月曜日・・・星期六:土曜日、星期日:日曜日

・ 身長では、特に引け目なし(私の身長:157センチ、往年より3センチ低下した)-出張したとき、身長が高い英国やドイツなどで気になったが、フランス、スペイン、イタリアなどラテン諸国では、我々程度も歩いており、ホッとしたことがある

・ 日本の料理屋があり、寿司盛り合わせ(58ドル、合計8個)を食べたが、小さく、若者だったら、二食は必要だろう。サンマの塩焼きは38ドル(約550円)で高い

・ そごうの16階に本屋があり、多くの書籍は日本関係で、「週間ダイヤモンド」が定価の2.5倍ぐらいだった。

・ 香港のエスカレーターの速度は速い―どんどん動く(シンガポールでもそうだった)日本でも昔は速かったが

・ 1月31日の午後に、沙田駅前の広場で、フィリピン人?などの出稼ぎメイドの女性たちが幾つかのグループで4,50人集まって会話したり飲食していた。多分、旧正月で外出を認められたのだろう。スカーフを被ったイスラム女性も見かけたが、やはり出稼ぎなのか

⑨ 香港の本土復帰後の位置づけの変化

・ 著名な中国専門家の富坂聡氏の近著「中国の論点」(角川新書、2014年1月)によると、香港は1997年の本土復帰前から中国化が進められて、国際的に民主的で自由な都市という以前の印象はかなり失われて来たようだ(香港の復帰自体は、サッチャー英国政権との間で1980年代に合意されていた)

・ 復帰後の香港政府の責任者は歴代、北京政府によって任命されている

・ 2017年に香港首長は公選される予定であるが、自由な立候補が可能かどうか、時期が近くなると、問題になるだろう

・ 登正平・国家主席は、台湾に準じて、復帰後「一国二制」を50年間維持して、民主的制度を維持すると約束したが、それが守られなかったと言えよう

・ 中国の巨大国営企業が香港経済になだれ込み、返還前に中国企業による香港支配が確立し、香港は経済的に落ち込んでしまった。むしろ中国大陸の方が経済発展で世界の注目を集めるようになってきた。

・ その後、香港はそれまで様々な内外の資本によって支えられてきたが、その後は中国一本にシフトしていった。

・ 香港の人々は、従来、大陸に比べて高度に民主化され、教育水準も生活水準も自分たちの方が上だと考えていたのが、今やカネにモノを言わせて押し寄せる大陸の人々によって脅かされるようになっている

・ 香港で言論の自由が脅かされているという反体制派の無料新聞が配られていたー中国共産党の宣伝、検閲、メディアが良心を失う、広告の中止など。

⑩ 考えたこと

・ 平気で人がぶつかる、遠慮がない、常に自己主張する、妥協しない、相手が引くとすぐ割り込んでくる、しかし席を譲り、困っていると助けようとする―多分、人間関係の微妙なルールがあるのだろう

・ 「法による統治」でなく『人による統治』-規則もいつも同じように適用されない

・ 日本人は、「性善説でプロセス重視」であるが、中国人は「性悪説でまず疑ってかかり、結果重視」であると言われている

・ 結局、中国人は歴史的に国内でそのように暮らしてきたのだろう

・ 中国人は、国内の経済的発展を行なって成功し、自信をつけて、国内でやってきたやり方をそれを対外的にも及ぼそうとしているのかも知れない。

・ 政治的民主化はまだ改革の著についていないと言えよう。ただし、中産階層の増加とともに、インターネットやケータイなどの情報通信技術の発展に伴い、2010年代の後半頃より民主的な改革の機運が生ずるだろう。

・ 一方、中国では、30年以上に及ぶ一人っ子政策から、生産年齢人口の減少が間もなく始まり、いずれ一人っ子が両親とその祖父母たちの合計6人を支えなければならなくなる。その人口構造の矛盾が社会や経済に重大な影響を生ずる時代に直面することになろう。

・ 日本としては、最大の貿易相手国であり、中国経済の発展に協力しながら、東南アジアやインドなどを含めた、アジア規模で経済的進出を強化すべきであろう

・ その場合、中国人の性癖について十分考慮・対抗していく必要であろう―性悪説と結果重視にも

2012年12月4日火曜日

120626 久しぶりのシンガポール旅行記by 堀伸樹(2012年6月26日―7月1日)

[堀伸樹氏寄稿] 「久しぶりのシンガポール旅行記」(2012年6月26日―7月1日)

ー観光抜きの貧乏旅行、紀伊国屋書店歩き、クアラルンプルにバスで往復、赤道直下、 若い国、多人種国家(互いに交わらない、中国系中心のシンガポール、 マレー系優位のマレーシア、あとはインド系と少数民族)、発想の転換を求めて―

(旅程)

・ 成田発(シンガポール航空):6月26日(火)21時10分(機内泊)

・ シンガポール着:27日(水)2時40分着(日本時間:3時40分)(シンガポール泊)

・ シンガポール発(長距離バス)28日(木)12時、クアラルンプル(マレーシアの首都)着17時(クアラルンプル泊)

・ クアラルンプル発(長距離バス)29日(金)11時半、シンガポール着4時半(シンガポール泊)

・ シンガポール発(シンガポール航空)30日(土)23時55分

・ 成田着7月1日8時(帰宅)

・ 費用―交通費(シンガポール往復):6万円、シンガポール・クアラルンプル往復:約4000円)、ホテル代(シンガポール4泊:2万円、クアラルンプル1泊:1.5万円)

以上合計:約10万円)

① 昨年秋に香港を歩いた後、体調不安(時々頭がぼっとして不安になる、加齢のためか?)で控えていたが、脳の検査で特に異常はないことがわかったので、思い立って、海外旅行社HIS手配で4年ぶりぐらいにシンガポールに行ってみた(1週間前に予約し、航空便のEチケットとホテル予約クーポンを2日後に受け取った)

② シンガポールは、赤道直下(北緯1度)で成田から5500キロ、空路約7時間(片道)で往復できる。人口510万人(600万人の千葉県より少ない、同様な香港の人口は700万人)、面積は東京23区程度の都市国家となっており、人口一人当たり国内総生産(GDP):49300ドルと日本や欧米諸国など先進国並みの経済水準となっている。非常に効率的となっており、物価は日本の3分の2以下、特に交通費は非常に安い。非常に快適

③ 人口の7割は中国系、マレー系、インド系が各1割の構成となっており、マレーシア(人口の6割弱がマレー系、2.5割が中国系、9%程度がインド系)から1965年に独立した。(大戦後、英国は労働党政権下で植民地を廃止し、その数年前にマレー連邦として独立したが、シンガポールは若いリークアンユーのリーダーシップにより自立した。2002年にクアラルンプルにJICA(国際協力事業団)により派遣されたときに、街などでマレー系(マレー語、イスラム教)、中国系(中国語、仏教)、インド系(ヒンズー後、ヒンズー教)グループ(家族など)が交わらず別々に見かけたのでびっくりしたことがある(共通語は、マレー語、英語)ハイヤーの中国系運転手はうちでは中国語を話すといっていた。また別のマレー系運転手は、我々を送っていく途中で礼拝の時間になると迷わず、車を止めて車を出て礼拝をしていた(イスラム教の聖地のメッカの方向に頭を地につける)人種や肌の色だけでなく、言語、宗教まで違うと、人々が交わることは困難だろうか。島国で同質的な日本人にとっては想像できない世界のようだった。多分それは今でも変らないだろう

④ 成田空港の両替店で、シンガポールドル:68円、米ドル:83円で合計4万円を両替した(米ドルは何かのときに使うため)空港内の中華料理屋で飲んだ冷酒は、成田産で高かったが、味はいまいちだった。出国手続きの身体検査機では珍しく引っかからなかった(いつもはベルがなって女性の検査員が手持ちの検査機で探られてようやくOKとなるー右ひざの関節に代替関節が埋め込まれているから?)シンガポール・エアラインの機内はほぼ満席だった。9時過ぎに離陸して水平飛行になってから、すぐ食事となり、国際食と日本食のうち日本食を希望した(少量のそばがついている)大してうまくない。小食なので量は十分だが、元気な若者はどうか

⑤ シンガポール空港には早朝3時前に到着し、まだ早いので空港内をぶらぶらして時間をつぶし、電車を乗り継いで降りた後、何度も簡単な地図を示して聞いてようやく9時過ぎにホテルに着いたーシンガポールの中心地でなく多分貧しい地域のようだった。1泊5000円程度では中心部を外れてしまう(外資系の高いホテルは別としても1万円程度のホテルにすべきだったか)ホテルの周辺は、貧しい中国系やマレー系、インド系など?の老若男女があまりきれいでない風采で歩いていた。結局、最寄の電車駅(MRTと呼ばれている,駅名は「KALLANG,加冷」)まで1キロぐらいを何度も往復して電車に乗り中心部などを歩き回った。駅までの途中は食堂や様々な店が軒を連ねている。マッサージ店などが声をかけてきた。HISの簡単な資料では、この地域は公認の赤線地帯だそうで、金曜日の夕方にそれらしい若い女性が何人か街角で見かけた。電車の駅ではチケットの自動販売機があり、画面の地図上で行き先の駅のボタンを押すと、カードが出てくる。必ず1シンガポールドルの保証金が付加され,使った後に1ドルが戻ってくる仕掛けとなっている。(カードを自動改札でかざすスタイル)それでも10駅ぐらいまで実質1-2ドル(70円―130円程度)ぐらいですんだ。電車に乗るつどカードを買ったが、一枚で何度も乗れるタイプのカードもあったようだ。タクシーを利用したが、ホテルから中心部まで15分以上でチップ込みで8ドル(600円以下)ですんだ。電車の路線は4系統ぐらいあり、乗りこなせると便利。バス(1階、2階建て、トロリー)も四通八達であるが,どこでも使いこなせていない

⑥ 泊まったホテルは「ホテル81」という名称で周辺にいくつも「ホテル81」が見かけた。1泊5000円で、バスはなくシャワーだけ。テレビも日本語番組はほとんどなし。これまで泊まった多くの外国のホテルでは、NHKの海外日本人向け番組を視聴することがあった。香港(1時間遅れる)などでは,NHKの8時の朝ドラを7時に見ていた

⑦ 気温は、到着の際は27度であったが、早朝のことであり、日中は30度以上と暑い。大体曇っており、雨が降ることは殆どなかったが、クアラルンプルから帰る途中で、急に土砂降りとなり、バスの窓にたたきつけたが数分後には雨は上がっていた。対向車は水しぶきをはねて走っていた(スコールに始めて出くわした)

  朝6時はまったく暗く、7時近くにようやく明るくなる。夜は6時ごろに暗くなるか

⑧ 街角の観察あれこれ

・ 町の表示は、英語、中国語、マレー語(アルファベット)、日本語の4つ(例―TOILET, 洗手伺、TANDAS、お手洗)

・ 自動販売機は非常に少ないー飲み物など少しは見かけたが

・ ファーストフードはマクドナルドが多い、吉野家はあったか

・ コンビニは、セブン・イレブン中心(地元の雑貨屋は多いだろう)

・ 英文週間雑誌のエコノミストー日本:1200円、シンガポール:約800円

・ コンビニで買ったギネス/ロング缶(500CC ,6.8%)―7.2ドル(500円以下)

・ 空港などの両替屋は、中国系銀行と、マレー系銀行が並んでおり、後者のカウンターはベールをかぶったイスラム女性が両替しているー6月27日の為替相場(シンガポールドル、買うとき、売るとき、米ドル:1.301,1.251、ユーロ:1.662,1.583、100日本円:1.632、1.570,100人民元:20.85,19.67 ・ 中国人は、住民か観光客か見分けがつかないが、中国からの若者中心の観光団体はあちこちで見かけた

・ 街の中華料理屋は、店員、顧客ともほとんど中国人のようだー安い店で食べたロスト・チキン・ヌードルは4.5ドル(約300円)、日本では500円ぐらいか

・ どこに行っても、中国系店員は無愛想、目つきがきつい、売ってやるという感じ、「いらっしゃいませ」、「ありがとうございます」などなし、店員同士は笑いあうー香港でも経験した

・ 駅などのエスカレーターは、左側に立ち、急ぐ人は右側を歩くー日本と同じ、旧英連邦国は同様か?米国など普通は多分逆になっている(クアラルンプルも同じ)

・ MRTのプラットフォームでは、電車がつくとホーム側のドア(胸ぐらいの高さ)が開いて、すぐに電車のドアが開くー東京メトロの丸の内線が同じ)

・ 車内はほとんど広告がないー広告があった車両もあったが、ひとつの車内は1社の広告だけ?

・ 駅内などのエスカレーターの速いことーどんどん上下していく(日本のエスカレーターは高齢化に伴い、今ではゆっくりしている)荷物など持っているとあわてる

・ 電車の到着も発車もホームでは何のアナウンスもなく、静かに到着し、人々が乗り降りし、黙って電車は動き出す(欧米でも同じであり、駅のアナウンスは日本だけだろう?)

・ 車内の優先席(リザーブド・シート)が多く、車両の端の2席づつと中央の7席のうち両側の2席づつ(いずれも両側)が指定されて、色が違っている。ただし、乗客はあまりこだわらないようだ。日本でも同じ。ただ、高齢者などが席を譲られることは日本より多いようだ(優先席には、障害者、妊婦、子供連れ、高齢者のシルエットが表示されている)

・ 車内には、「禁煙:1000ドル、飲食:500ドル、燃える可能性があるガス・液体物:5000ドル」が表示されている

・ シンガポールの街や車内は清潔で、チリなど落ちていない。

・ 電話番号―警察:999番、救急:995番

・ 銀行の営業時間―月ー金:9.30-15.30、土:9.30-11.30

・ 金融中心地のラッフルズ・プレイスには、東京銀行・三菱UFGの表示があった

・ タクシーは、初乗り運賃:3ドル(約200円)、0.22ドル(15円)ずつ増える

・ 高島屋の中に紀伊国屋書店があり、英語書籍の量と質では、日本の書店(丸善、紀伊国屋、八重洲ブックセンター)の洋書売り場は比ではない(英語が中心であるが、中国語、日本語のセクションがある。日本の書籍の価格は、値段の3倍ぐらいとなっている)

・ 本の購入などで、クレジットカード払いが多いが、サインでも暗証番号でもいい場合もあるが、たまに暗証番号を要求され、うろ覚えのため、うまくいかず、現金払いとなったことがあった(できたらサイン払いがいい)

・ 街の飲み屋で飲んだ「ラッフルズ」というロング缶ビール(500CC ,4.5%)は4.2ドル(300円以下)でやや甘くまあまあ、「ハルビン・ビール(大瓶、600CC)」は6ドル。ほかに、「チンタオ(青島)ビール」、「タイガー・ビール」『ハイネッケン・ビール』『カールスバーグ・ビール(1883年以来、オランダ・アムステルダム』など。各社のビールは一種種類だけ。通常の缶ビールとロング、瓶ビールなど(日本のビールはキリン、アサヒなど各社が幾つかのビールを販売している

・ 街を走る自動車(乗用車、トラック)には、トヨタ、日産、三菱、いすずなどが多い

・ 住宅街を歩く男女とも、カジュアルな軽装が多い―下着と上着だけ。サンダル履きもいる。半ズボンやジーパンも(電車内でも同じ)ビジネス街は違うだろう

・ 何かを聞くときは、同じ言葉(つたない英語なので)を2回繰り返すといい

⑨ 代表的な新聞の「ストレーツ(海峡)・タイムズ」の記事から

・ 「1845年以来」の新聞―シンガポールでは時々創設時期が記載されている(マレーシアでは、『ニュー・ストレーツ・タイムズ』)

・ 海峡とは、マラッカ海峡のことであり、100キロ離れた対岸はスマトラ島(インドネシア)であり、日本にとって中東からの石油のきわめて重要な輸入ルートとなっている(日本の石油の消費・輸入量の90%以上)

・ 外国人と永住を認められた者は、来年から元来のシンガポール人に対して公立学校(大学を含む)授業料が引き上げられる(教育省)「シンガポーリアン・ファースト」

・ インターネットによるソーシャル・ネットワークの発展と影響を考慮して、性教育の開始をこれまでの13歳ぐらいから11歳ぐらいに早める(教育省)「両親が中心」

・ シングテル(シンガポール最大の電話会社、日本のNTTに相当する}のCEO(女性、49歳)は4.9億シンガポールドル

・ タイ(一人当たりGDP::5300ドル)とマレーシア(9700ドル)の「ミドル・インカム・トラップ(中所得国のわなー高所得国:15000ドル以上になかなかなれない)」の理由ー英語の能力が低い(技術水準が高まらない、)所得の再分配政策が続いている(労働と資本の効率的な利用を阻害している)、政治エリートは権力の維持に汲々としている(タイのインラック首相(女性)とマレーシアのナギブ・ラザック首相は来年総選挙であり、再選は保証されていない)

⑩ クアラルンプル(マレーシアの首都)行き

・ 前回(4年前)は、散歩中にさびしい地域を歩いていたら、マレー鉄道の終着駅にぶつかり、思い立って日本の田舎の鉄道のような電車(一日4便しかない)で8時間以上乗って300キロ以上離れたクアラルンプルに行った(2000円以下)翌日は空路シンガポールに戻った(1万円)このときもマレー系中心?のスラム街の中にホテルがあった(先進的なシンガポールにもこんな地域があるのかと当時びっくりした)

・ クアラルンプルには、2002年に2週間ずつ4回(合計2ヶ月)滞在し、農村インターネット・センター開設の報告書の作成を手伝ったことがある(国際協力企業の「日本工営」中心)―マレーシアのブロードバンド促進の提言を厚かましく英語で書いた(イントロ部分を執筆)

・ その際、毎回40万円ぐらいもらったが(日当とホテル代)、半分以上余った(ホテル代と食費も何分の1かですむので)

・ クアラルンプル(KL)行き(320キロ以上)の長距離バスの発着場所を聞いて、MRTで出かけて2日がかりで往復したー行き:28シンガポールドル(約2000円)、帰り:45マレ-シア・リンギ(約1300円)

・ 30分程度走って出国手続きを行い、本土との海峡の橋を渡ってマレーシア側の入国手続きの後、バスはひたすら高速道路を北上した。乗客はほとんどマレー系などのようで、豊かな中国人は飛行機で飛ぶだろう。途中の道路などの表示はすべてマレー語だけで、中国語の表示はない。マレー語はアルファベットを使うがなにもわからない(ベトナム語、タイ語、ミャンマ-語、ヒンズー語はそれぞれの字体を持っている)

・ 両換えしたら、100シンガポールドルは244リンギ(逆算すると、1リンギ:27.5円、1シンガポールドル:66円)

・ バスは時速80-100キロぐらいで飛ばし、景色はまったく単調。クアラルンプル近くで「プトラジャヤ」「サイバージャヤ」の表示を見たが、これはブロードバンド時代の情報通信技術の発展をマレーシア政府(マハティール政権:1981年-2003年)-が国策として促進する地域を示している(以前は華々しかったが、今はどうなっているか)

・ 到着後、まず高架モノレールでどこからでも見えるペトロナスタワーを目指した。タワー近くの駅で下りたが、食堂を含む商店街が雑多な感じでどう行っていいか分からず、結局タクシーを拾ってタワーに行った(タワーを示すのに、タワーを指差して、二本の腕を高くつき上げて運転手に行くように頼んだ)高架モノレールも古くなっており、10年前は2系統であったのが、4系統ぐらいになっているか。高架の窓からから街の風景がよく見える

・ クアラルンプルでも紀伊国屋書店(高層ビルのペトロナス・ツインタワー(高さ400メートル以上)の下部にKLCC (クアラルンプル・シティ・センター)があり、その中の伊勢丹内に紀伊国屋がある)に行った。やはり洋書が多く、いつも歩き回ってきた。2002年の派遣中もホテルから高架モノレールに乗って何度も往復した。KLCCは巨大ショッピングセンター(4階と地階)であり、様々な欧米などの高級ブランドが軒を連ねており、最初は巨大さにびっくりした。若者男女があふれている。米国や日本のショッピングセンターの何倍かの規模だったので。その後訪れたタイのバンコック中心部の「ワールドセンター」や近くの「サイアム(タイのこと)・パラゴン(最高の意味)」のショッピングセンターはさらに大きくなっていた(サイアム・パラゴンに紀伊国屋があった?最近の政争でこのあたりで数年前に爆破騒ぎを生じた)

・ 本棚には、マレーシアの経済的発展をリードしたマハティール元首相(1925年生まれ)関連の分厚い書籍や「マレーシア・ビジョン2020」などが並んでいた。ちなみに、シンガポールの紀伊国屋では、シンガポールの奇跡を実現したリークアンユー元首相(1923年生まれ)関連の本が並んでいる

・ タクシーに以前の常宿の「リージェント・ホテル?」(自信はない)といったら、「パシフィック:リジェンシー・ホテル」に連れて行かれ、下りたが、レセプション・カウンターの女性の言いなりで475リンギ(約15000円)のスイートルームに泊まる羽目となった(調理台、4人がけテーブル、ツインベッド、リビング、バス(風呂)など)33階の最上階のカフェーレストランはプールつきで、薄いウイスキー水割:30リンギ(約900円)で早々に引き上げた。バイキング・スタイルのホテルの朝食でいつも1日分の栄養をとる(コーヒーがうまかった。通常、ホテルのこの種のコーヒーはうまくない。4年前に行ったブラジルのホテル以来のうまさーブラジルはコーヒーの最大輸出国)栄養はもういらないので、その後の食事は飲み物中心で済ます。高級ホテル?なので、食事前にテレビでNHK 朝ドラの「梅ちゃん先生(堀北真希主演)」(8時に始まる)とその後の『アサイチ』を7時から見た。また、その日の天気予報で、東京:25度、北海道(札幌など):30度とあったのでびっくりした。30年以上前に札幌に勤務したが、気温が東京と逆転することなど考えられなかっただろう

・ 朝9時過ぎにホテルをチェックアウトして、多分タクシーを拾うところを歩いて坂道を下ったら、ペトロナスタワーが見えたのでその方向で歩き、紀伊国屋に行った後、何度も聞いてようやく長距離バスターミナルを見つけた。11時半に出発し、4時半にシンガポールに戻った。乗客は合計7人で、私以外はインド系?の家族のようであった。また、狭い海峡を挟んで出国手続き(マレーシア)、入国手続き(シンガポール)を繰り返して、帰着した。途中で数分の土砂降りのスコールを経験した。休憩はなく(行きは1回休憩があった、トタン屋根の大きな建物の中で多数の飲食店と雑貨屋が並んでいた)、途中でインターチェンジもなく、ただ走るだけ

・ マレーシアー人口:2900万人。毎年2%人口が増えている。多産系であり、街で5人の子供(男女)をつれた若い夫婦を見かけた(イスラム人口は現在世界で15億人以上であるは、2050年にはキリスト教人口(20億人)を超えて30億人に達すると予測されている(世界人口ー現在:70億人、2050年:90億人以上) マレーシアでも、子供が2,3人以下の中国系人口の割合は低下している

・ イスラム教徒が多く、アルコール飲料がない飲食店があるー厳格なイスラム教国では、アルコールが禁止されていることがある

⑪ 帰国へ

・最終日の30日(土)の12時前にホテルをチェックアウトし、シンポール航空機に乗るまでの12時間をどう過ごそうかと考えながら、MRTに乗り、乗換駅でパスポートを忘れたことに気がついた。あわててホテルに戻り、部屋に戻ったら、パスポートとEチケット(旅行で一番大事な)を入れた首からぶら下げるタイプの白い小型袋を1時間後に見つけることができた。ほっとした。こんなことは始めて。重くなった?スーツケース(若ければたいした重さではないが)を抱えてホテルに往復してくたびれてしまった。 部屋はそのままだった

・ そのまま、再びMRTでチャンギ国際空港に2時間以上遅れて着いた。空港内の移動車でターミナル3に移り、2階の『SAKAE SUSHI』で野菜重(8.99ドル、炒めた各種の野菜にたれをかけたもの、日本ではあまり聞かない)と『七笑(木曽)』という日本酒(6.29ドル)を飲食した。回転寿司もあった

・ 空港内の大きな出発時刻表の対地(17時30分―20時50分)―チェネイ、ジャカルタ、バンコック、ムボックス、ペナン、プノンペン、プケッと、スラバヤ、バリ、クアラルンプル、レンバイ、香港、ホーチミン,チェンドウ、メタン、アブダビ、トリバンドラム、バンガロール、ハイデラバード、ダッカ、コーチン、メイル、などアジア各地の主要都市が並んでいる(この時間帯では、日本行きなし!)

・ 20米ドルを両替―24.9シンガポールドル

・ 帰国したら、まだ小沢問題が離党、除名などでテレビ・報道で大騒ぎ(向うの新聞では、小沢元代表は『パワー・ブローカー(権力の仲介者)』と評されていた

⑫ 感想-とりとめもなく

・ ともかく何もなく帰れて幸いだったーシンガポール往復とクアラルンプル行きを含めて(すぐくたびれる足を引きずって歩いて。我慢して歩いていると足がふっと軽くなることがある)

・ 面白そうな本(英語)をいくつか買ってきた-「世界の神話に関するビジュアル・ヒストリー(ナショナル・ジオグラヒック発行、480ページ))、「オリンピック・ゲームをいかに見るか(ペンギン、400ページ)』『SASサバイバル・ガイド(コリンズ、超小型本、384ページ)』「10の言葉による中国論(ダックワース、225ページ)」「日本旅行ガイド(ワテンション)」「セックス・スキャンダル(オバマなど歴代の米国大統領、タイガー・ウッズなどのスポーツマンなど、566ページ』『ネクストワールド(オサム・テヅカ漫画の英語版)』など(少しは読むか)

・ 発想の転換が図れるので、可能な限り、まだまだどこかへ行きたい-貧乏・安旅行で

・ 外国の新聞や雑誌は、国際的視点が豊かであり、井の中の蛙風の日本のものより、表現も含めて、多様な見方に触れる機会が多い(ただし読むのが容易でないことが多い)

・ 「もったいない」「おもてなし」などは、日本独特だろうー外国では聞いたことはない

・ 帰国して、安い居酒屋のホッピー(ビール風味の焼酎)やレモン・サワーを楽しんでいるーこの種のアルコールは外国では見られない。しかし、地酒などは間違いなくそれぞれあるだろう。ノンアルコール・ビールなどはシンガポールで見なかったが,既に輸出されているかもしれない

・ シンガポールの権威主義的政治体制はどうなっているのか。リーシェンロン首相(、1952年生まれ、2004年に首相就任、リークアンユーの息子)に対して批判できるのか。総選挙は透明、公正に行われているのか。言論、集会、報道の自由、人権の保護、知的財産権保護などはどうなっているか。よく分からなかった。(香港は7月1日に本土復帰15周年を迎えたが、経済的には融合が進んでいるが、政治的には香港人は人権を尊重せず、強権的な北京政府に対して極めて批判的になっていると報道されている)

2011年12月15日木曜日

111031-1104 香港からの眺め、堀伸樹

香港からの眺め(2011年10月31日(月)―11月4日)

― 最も近い外国、ごちゃごちゃ、効率的、人のことは気にしない、物価は3割以上安いか、1997年中国復帰、一国二制(50年)、言論やビジネスの自由は維持、人口:700万人
(なかなか増えない)、中国はどうなるか ―

① 香港(人口:700万人、中国の人口の0.5%、1997年7月に英国から中国返還))は過去に少なくとも3回行ったことがある―1人当たりGDP(香港:3.5万ドル、中国:4000ドル強、日本:4万ドル)
・ 初めて行ったのは1990年5月に出張でシンガポール・香港・北京の順番で訪れたが、出張目的はなんだったか(欧米には数十回出張したが、アジアはこの1回だけ―欧米の通信の規制緩和に関心があったためで、アジアは日本より遅れていたので)
・ 時差は、日本より1時間遅い(日本の12時は香港の11時)
・ 北京では、ホテルの窓から朝見下ろしたら、通勤のための自転車の海であった。1989年6月4日の天安門事件の直後で、ビルの多くの建設などが中止されていた。現在の中国の発展はとても思いもよらなかった。
・ パスポートを見たら、2010年4月に香港に個人旅行で行ったーその前に1回か
・ 今回の費用は12万円(ホテル4泊。空港・ホテル送迎を含む)
・ 成田・香港間は3000キロー名古屋南部、和歌山、高知、鹿児島を経て、台北、東シナ海、南シナ海(南中国海)から香港空港へ(キロは「公里」)
・ 香港は「アジアのナンバーワン都市」を自称―ビジネスなどの規制(金融など)が世界で最も少ない(シンガポールとともに)
・ 面積は東京23区程度(人口:800万人以上、香港より100万人以上多い)
・ 温度(ある日)―香港(最高:28度、最低:22度)、東京(22度、14度)
・ 電話の国番号ー香港:852、日本:81、韓国:82
・ 香港ドル:12円(2006年:14.7円)-中国人民元(現在11円、2006年:14.5円)

② 成田発:9時15分で香港着:12時40分(日本時間は13時過ぎ)のキャセイ・パシフィック航空(JALと共同運航、「ワンワールド・グループ」)は、搭乗率は半分以下
・ 成田空港の身体チェックは入念だったー最近は必ずひっかかる(左ひざの人口関節置換手術のためスティールがあるため)
・ 10時過ぎにもう食事―シーフード・カレーご飯でまあまあ(ウイスキー水割りを2杯) 今日の栄養はこれで取る
・ 行きは4時間15分、帰りは4時間以下(搭乗率-行き:半分以下、帰り:満席近く)
・ 入国手続きで、200-300人が何列も並んで25分ぐらいでようやく終了し、ロビーに出たら、東武トラベルの旗を持った大柄の鄧(とう)さん(60歳台?、日本語は1990年頃に神戸で学んだ)を見つけた。すぐ手配したバスでホテルに(乗客は我々だけ)40分で到着 
・ その間に注意事項―自動車に要注意(信号を守らない、突っ込んでくる)、水道の水は飲むな、ホテルのミニバーは高い(コンビニで安く買える)、貴重品は部屋の金庫に
・ セブン・イレブンがホテルの4ブロック先にあった(あちこちにセブン・イレブンがある)
・ 香港ドル(「元」とも言う、以下「ドル」)ー約12円(成田で買った値段、1.95万円で1600ドル)、香港の街の交換所で買ったら1万円が960ドル(ただし、領収書なし)結局、3万円を両替しただけ、1中国人民元:約11円(香港ドルのほうが少し安い)
・ 香港では、テレビからレストランやら何から、表示はすべて漢字だけ、場合により英語表示があるだけ

③ ホテルは「リーガル・オリエンタル・ホテル(富豪東方酒店)』(Regalは、「王の、壮麗な』の意味)市内に外に4つのリーガル・ホテルがある」
・ 前に泊まったことがあるようだー周辺を歩いたら思い出した(デジャビ、既視感)
・ 5階の「547」の部屋で3ベッドーTV、バス・トイレつき、窓なし、まあまあ快適
・ 大体、朝NHK国際放送の朝の連ドラ「カーネーション』を7時(日本では8時)に見て、朝の散歩に出かけて戻り、その後2回程度街歩きをした
・ 周辺は、ごちゃごちゃした商店街が続き、あらゆる商店が並んでいたー食堂、雑貨屋、酒店、占い、小鳥屋、動物病院、足マッサージ、アパートの1階は商店でも上の階は住宅で窓には洗濯物が干してある、外の地域の近代的なマンションとは異なる
・ ホテルで電車の最寄り駅を聞いたら、20分歩く必要があり、タクシーで行けといわれたーホテルから最寄の「旺角(モンコック)駅」まで何回もタクシー(20分以上)で行ったが、50ドル(600円)前後だった
・ ホテルの最上階の14階に「スカイ・ラウンジ」」いうバー・レストランがあり、上から香港市内が眼下に見渡せたー広大な敷地が残っており、以前の啓徳空港の跡地であった(1990年訪問時に発着した記憶がある)その向こうに海を挟んで高層マンション群が見えた。ウイスキー水割りが1杯:75ドル(900円)で高い?半分以上が展望代か?)
・ 周辺には,タイ料理屋やイスラム料理屋もあった

④ 交通事情
・ 電車は10路線ぐらいあり、中心部は地下鉄であるが、郊外部分では地上を走っているー1駅乗ったら2ドル(25円)、4駅乗ったら4ドル(50円)、中心部から中国国境まで乗ったら38ドル(460円)だった
・ 2階建てバスが広い自動車通りを走っており、利用の仕方が分からず、結局乗らなかったーほかに16人乗りの小型乗り合い自動車(運転手1人だけ)が狭い通りで方面別に走っており、ホテルからモンコックまで6.5ドル(75円)で後半はよく利用した。手を上げると乗り場でなくても止まり、降りる際、乗客は事前にその旨を告げると止めてくれる。
・ このように交通費は極めて安いー都市国家で狭い地域に多くの人が集中的に住んでいるので効率的だからであろう(同様なシンガポールでも交通費は極めて安かった)

⑤ 物価
・ ビールー缶ビールが7ドル(80円)、ロング缶が9ドル程度で、日本の半分以下。アイルランドの黒ビールの「ギネス」缶(うまかった)が9ドルなど。キリン一番絞りが15ドル。街の食堂で「青島(チンタオ)ビール(633cc)」を頼んだら16ドル(190円)
・ ビールは殆ど外国産。日本ビールは少し高め。日本産ビールは税金対策と競争で極めて多種類で旨い。ハイネッケン(オランダ)は昔からあるが殆ど変わっていないのではないか)
・ 街の安食堂の定食が30―50ドル(360―600円)程度で、量が多く、小食の私は半分残してしまった(「豚肉入りうどん」があり、干からびた豚びくとうどんは食べきれない)
・ ガイドは、日本の物価より3割安いと言っていたが、交通費や食費など日用品はもっと安いだろう、

⑥ 中国との国境の大都市「深せん(SHENZHEN、人口:200万人以上)」行き
・ 2日目の11月1日に、電車で国境に行き、出国・入国手続きを経て、深せん(広東省)に行ってみた。電車が地下から地上に出たら、100メートルぐらいの川を挟んで対岸に深せんの高層ビル群が目に飛び込んできた
・ 途中の社中からもあちこちに高層マンション群が見られた
・ 500香港ドル札を人民元に交換したが460元ぐらいとなったかー人民元札はすべて毛択東の顔となっている
・ 中心部から40分ほどで終着駅に着き、出国手続きの後、川の上の長いビルの回廊を歩いて向こう側に渡ると中国側の税関があり、入国手続きを済ませてビルの外に出た
・ 香港のごちゃごちゃに比べて、近代化され、高層ビルが並び、道路も広く、人通りも余裕がある
・ 地下鉄で3つ目の中心部の「会議中心(コンファレンス・センター)駅」で降り、地上に上がったら、商店街があり、駅近くの【カルフール】という巨大なショッピング・モールを歩いたー地下街、1階、2階の3階構成となっており、高級商店街とレストランが並び、数百メートルか、歩ききれないで引き上げた(カルフールはフランスの小売チェーンでいかなる関係があるか。カルフール自体は最近、日本市場から撤退している)
・ 昼近くで、男女のグループが近くの職場から次々と昼食?のためにカルフールに集まってきた
・ 深せんは中国が1970年代末に開放改革戦略に転じてから、経済特区として広東などとともに中国で最初に発展を遂げた経緯がある
・ その先に「少年宮」という駅もあった

⑦ アモイ行きは中止(11月3日)
・ 旧ポルトガル植民地であったアモイは香港とともに中国に返還され、現在「特別行政区」として「一国二制」として、50年間は従来どおりの自治を認められている。特に、香港は英国植民地時代と同様に言論や行動の自由が認められており、中国本土における人権問題など(1989年6月の天安門事件関連などー当時は返還前)で最近でも抗議デモも行われてきた
・ ホテルから電車を乗り継いで「香港駅」に行き、そこからアモイ行きフェリーターミナルにタクシー(20ドル、2キロぐらいか)で11時ごろに着いた。15分おきにアモイ行きフェリーが出ているようであったが、往復300ドルで、12時過ぎのフェリーになるようなので諦めた。(手持ちの香港ドルが少なくなってきた)
・ アモイは今や、米国のラスベガスを上回る世界一のギャンブル都市になったと言われている
・ 1998年にラスベガスに出張で行ったことがあるが(ケーブルテレビ会社の年次全国大会があったので。マイクロソフトのビル・ゲイツが基調演説をやり、ケーブルTVを持ち上げていた),泊まった巨大な「ホテル・ニューヨーク」の1階にスロットマシーンが並び(幅100メートル、長さもそれぐらいか、その向こうにもギャンブル機器が並んでいた。びっくりした。ホテルの2-4階は1960年代のニューヨークの町並みが構成され、当時のキャバレーやレストランなどが再現されていた。宿泊はその上の階にあった。外にもそれぞれテーマを持ったホテルが並んでいた(エジプトのピラミッド型のホテルなど)

⑧ 街歩きの印象
・ 電車や街を歩く人々はやはり若いー高齢者もいたが、数は少ないー中位年齢(人口の真ん中)日本:45歳に対して、中国は33歳ぐらいか(総務省「世界の統計2011」)
・ 駅のエスカレーターでは、右側にたち、急ぐ人は左側を歩く(日本と反対―上り下りではすぐ右に立つどうしが顔を合わせる形となる。日本は左どうしなので距離がある)
・ 駅など階段が深い場合があり、合計で100段以上となり、足が疲れたーエスカレーターがどこかにあるかもしれないが
・ 歩行中(歩行者も信号を守る人と守らない人があるー日本と同じ)は、自動車に要注意―信号は守らない、直前まで減速しない、どんどん突っ込んでくる
・ 人も道路ですれ違う際にぶつかる、余り気にしない、
・ 店員は愛想がない、売る気が感じられないことがある、サービスが悪い(少なくとも日本の店と比較して)
・ 目つきがきつい、笑わない、無表情-よく知り合えば変わるか?
・ ざっくばらん、気取らない
・ 電車の中で立っていたら、小さい女の子から「パパ、パパ」と呼ばれ、振り向いたら、座席を譲られた。多分、そのお母さんが娘の座席を譲らせたものだろう。「サンキュー」といって座らせてもらった、後ろからだったので、外国人とは知らなかったかもしれない
・ 電車で、高齢者が乗ってくると、座席をすぐ譲る若者も多い
・ 電車内は日本より冷房されているー日本は電力節減のため今年は余り冷えていないので
・ 食堂のメニューが読めないー写真入の場合は指で指して注文する(少しましなレストランでは英語が併記されている)
・ 背広やスーツは少ない感じ(ビジネス街は歩かなかった)-男女とも着ているのはカジュアルな感じ(半そでが殆ど)
・ マクドナルド、スターバック・コーヒー、吉野家(牛丼)、セブン・イレブン(コンビニ)などがあちこちにあるー居酒屋の「和民」もあった
・ 「日本城(Japan Home Center)」のショップがあちこちにあり、入ったら日本製の雑貨屋であり、殆ど中国製のようであった
・ 日本人は他人を気にするが、中国人は他人を気にしないー日本人は小さい頃から「空気」を読むことを教えられて育つが、中国人は「空気」など読まないそうだ
・ ホテルの近くに「クーローン(九龍)・シティ公園」があり、中高年の男女のグループが太極拳の運動をゆっくりやっていた。また、ランニングを楽しんでいた
・ 空港の書店で、急逝したスティーブ・ジョブズの写真入の伝記(中国語版)が既に積みあがっていた。2011年刊行のミャンマーの民主化リーダーのアウンサン・スーチーの伝記(英語、400ページ強)を2400円程度で買ってきた(日本では2500円たった)
・ ちょっと行った繁華街に「香港西武」などがあり、高級ブティックなどが何階にもわたって軒を連ねていた
・ 滞在中はギリシャ債務危機問題が報道(TVなど)の中心であったー日本に帰ってきたら、オリンパス経営、TPP(汎太平洋経済連携)参加問題

⑨ テレビ
・ ホテルのTVチャンネルは、中国と香港関連が半分で、残りは外国チャンネル?
・ 中国は国営の中央電子台(CCTV-中国語、英語チャンネル)
・ 外国チャンネルー米国(CNN)、英国(BBCワールド)、フランス、ドイツ、イタリア、オーストラリア、日本(NHK国際放送ー外国滞在日本人向け)、韓国(アリラン、英語の字幕がある)、インド
・ NHKの次が韓国の「アリラン(arirang)―日本植民地時代を描いた映画のタイトルで歌がある「アリラン、アリラン、アラリーヨ・・・」(北朝鮮でも広く歌われている)」をよく見た(英語か韓国語の場合も英語の字幕がある)番組の合間に「アリラン」というささやくような声が音楽とともに流れて印象的であった(アリラン・ニュース「世界のための韓国、韓国のための世界」)
・ 最初はあちこちのチャンネルを見ていたが、結局、内容が分かるNHK番組だけを見るようになる

⑩ 新聞
・ 英字新聞は、「サウス・チャイナ・モーニング・ポスト(8ドル、100円)」という香港の新聞と中国政府の国営新聞(人民日報)の英語版の「チャイナ・デイリー(6ドル、75円)」香港版
・ サウス・チャイナ(本紙、ほかにシティ、ビジネス、スポーツ・文化、広告が別とじで付いている、全体で5,60ページか?)ー香港、中国、その他の世界が同じ割合(分かりやすいがやや軽い感じ)
・ チャイナ・デイリー(本紙、スポーツ・娯楽の2つ)-外国の総合新聞と同じ格調は高いようだ、ただし、政治記事はまったく面白くない(中国政府の主張どおりなので)

⑪ 人口問題
・ 最近発表された国連予測では、世界人口は70億人に達し、2050年には93億人になると予測しているー中国の人口(現在:13.4億人、2025年:13.9億人、2050年:13億人)、インドの人口(現在:12.3億人、2025年:14.6億人、2060年:17億人・ピーク)
・ これについて「サウス・チャイナ・モーニング・スター」が特集記事を組んだ
・ 香港政府(現在:710万人)は人口:1000万人を目指しているようだが、女性の合計・特殊出生率(女性が平均して生涯に生む子供の数)が1程度(世界平均:2.2ぐらい)であり、移民がないととても目標を達成できないー人口規模を維持するには、2.07ぐらいの合計・特殊出生率が必要
・ 中国も1970年代末からの一人っ子政策により人口構造のゆがみの問題を生じているー中国の生産年齢人口(15-60歳)は2015年から減少を開始するほか、男の子の割合が多いため(女の子が間引かれるため)、2030年頃には結婚相手を見つけられない男性が数千万人に達すると予想されている。また、将来、高齢者が増えるとこれをサポートする生産年齢人口の割合が少なくなる(子供の二人目は罰金を払わなければならない)
・ 一人っ子政策の見直しが言われているが、緩和されたとしても、大学までの教育コストが高いため、2人以上の子供を持つかどうかは難しいかもしれない
・ 中国の60歳以上の人口は現在1.7億人であるが、2070年には3.4億人と倍増するであろう
・ 世界の平均寿命は、1950年代初めの48歳から現在68歳となっている