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2011年8月24日水曜日

080320「心臓バイパス手術50日間入院体験記」by 内田登美雄

心臓バイパス手術50日間入院体験記
(「腎友平塚」平成20年3月15日号掲載)

心臓血管の名医、最新鋭の医療機器、
手厚い院内ケアが三拍子揃って
手術成功、現役へ復帰!


共腎会 事務局長 内田登美雄


今年、1月18日平塚共済病院(HKH)に入院して、1月24日心臓冠動脈のバイパス手術を受けました。手術は成功し50日間の入院生活を終え、3月7日退院し、今、日常生活に向かって自宅療養中です。現役に復帰できる喜びを噛み締めています。手術、治療、介護、リハビリに携わっていただいたHKHのみなさまに感謝の気持ちでいっぱいです。

冠動脈バイパス手術に至る過程
私は、2000年12月、HKHで透析導入して以来、今年で維持透析8年目に入りました。実は、透析を導入した当初から、慢性腎不全と動脈硬化(異所石灰化 – 10年以上の歳月を経て動脈の壁が厚くなる症状。その結果、血液の通りが狭くなる「狭窄(狭まったり詰まったりする症状)」が起こる)による狭心症が同時進行していました。加齢とともに動脈硬化は少しずつ進行していきます。

狭心症とは、心臓を覆う冠動脈の一部が狭窄し、透析患者に多い合併症の一種です。私は、しばしば心臓に突き刺さるような胸痛に襲われ、その度に常備しているニトロペン(冠動脈の血管を広げる舌下錠)を服用しては痛みを和らげていました。

この7年間、何度かHKHの循環器科でカテーテル治療(狭窄した冠動脈数ヶ所にステント<筒状の金網>を留置して血管を広げる治療)を受けてきました。しかし、遂に、2007年の12月初め、循環器の主治医である梅澤滋男先生から「もはやカテーテル治療では、これ以上冠動脈の狭窄の治療はできません。残されている解決方法は一つ。冠動脈の血管を繋ぎ合わせるバイパス(外科)手術しかありません」と宣告されました。

12月7日、心臓血管外科の石川智啓先生(私のバイパス手術の執刀医)と面談して、1月24日にバイパス手術を受けることが決まりました。1月21 日の夜、先生は、私たち家族を前に、「手術内容の詳細」について手書きをしながら解説してくれました。リスクが伴う手術の部分については、私たちが納得いくまで懇切に説明してくださいました。先生の丁寧な説明により心配と不安を払拭して、すべてを医師団に任せてバイパス手術を受ける心境に至りました。

手術の日程が決まってから一ヶ月ほどは、私自身も、インターネットを活用して、HKHの「心臓血管外科」ホームページを精読する一方、「心臓(冠動脈)バイパス手術」のウェブサイトを検索し、書籍を読んで予習を続けました。大げさに聞こえるかもしれませんが、「医師に命をあずける」手術ですから「備えあれば憂いなし」の気持ちで手術に臨む準備をしました。

役に立った参考書の一つは、「心臓は語る」(南淵明宏著、PHP新書)でした。南淵医師は、神奈川県大和市にある大和成和病院の心臓外科部長です。この本は、心臓病のことやバイパス手術のことを素人にもわかりやすく解説しています)。

予習の過程で分かったことは、厚生労働省の統計によると、2006年の心臓病死亡者数は 17万3000人で、その中、心筋梗塞や狭心症など「虚血性心疾患」で亡くなる人は7万5000人、さらに心臓病予備軍は166万人いるそうです。

手術前、輸血に備えて「400ccずつ3回に分けて1200ccの自己血を貯血しませんか?」という提案を受けました。これは、輸血による感染症や合併症の可能性を考えると他者血より自己血の方が安全だからです。しかし、HKH透析センターの医師は「短期間に1200 ccもの採血をすれば、透析患者は貧血に陥るのが必至」と心配され、「自己血貯血」に異を唱えられました。

私は、迷った末、HKHの心臓血管外科の高橋政夫部長に問い合わせメールを発信しました。直ちに回答メールが返信されてきました。メールには「透析患者さんには自己血貯血は行っていません。内田さんのバイパス手術は、心臓を拍動させたままオフポンプ(後述)で行うことができると思います。内田さんの場合、ヘモグロビンが10以上ありますから無輸血で行える可能性があります」という励ましのアドバイスが記されていました。

まだ直接面談もしていない高橋医師が、私の「電子カルテ」を調べ、迅速にメールを送ってくれたのです。この朗報に私の不安は払拭されました(実際、手術は、予告通り、「オフポンプ」と「無輸血」で行われました)。

実際の手術
1月24日(木)のバイパス手術は、HKHのA病棟10階の心臓専用手術室で行われました。午前9時から4時間30分あまり要したことを後から知らされました。手術中は全身麻酔で行われましたので、私は、まったく意識も記憶もありませんでした。

手術には、高橋、石川、畠田3人の心臓血管外科医師の他、清水麻酔医師、数名の看護師と臨床工学技師(ME)の方々が立ち会いました。(二人のMEは、日頃、透析センターでお世話になっているスタッフでした)。

バイパス手術は、冠動脈(1~2mmの細い血管)が詰まったり細くなったりしている所の先に新しい血管を繋ぎ縫い合わせる、まさに神業の手術です。手術では胸の真中の胸骨を縦に25cm ほど切開します。HKHでは、ほとんどの患者を対象に「心拍動下で冠動脈バイパス手術(オフポンプ CABG)」が行われるそうです。

この手術では、高橋先生が開発した「ドーナツハートスタビライザー」という最新鋭の器具を使って、心拍動下で(人工心肺を使わずに心臓を動かしたまま)心臓表面の一部のみを固定して安全に吻合(血管の縫い合わせ)が行われます。

この手術の最大の利点は、「手術と合併症の危険性が1%」という高信頼性にあるといわれています。脳梗塞などの合併症を起こす危険が格段に低いということです。私の場合、手術は比較的短時間で行われ輸血も不要でした。HKHでこのバイパス手術を受けた患者さんの中には、男性92歳、女性88歳の高齢患者の方々がいて、手術後、元気に社会復帰されているそうです。

私の手術では、バイパス手術に使う血管(グラフトと言います)として次の2本の血管が使われました --- ① 左内胸動脈(左側の肋骨の内側にある動脈)。この動脈は「神様が与えてくれた最良のバイパス用の血管」だと言われています。② 左脚(内腿)の静脈(大伏在静脈)。この2本のグラフトを使って、狭窄している冠動脈を迂回し、血管の3ヶ所を接合するバイパス手術が行われました。

手術後、石川医師が、貫通した(手術が成功した)バイパスをコンピュータ・ディスプレイ上に立体カラー画像で示しながら解説してくれました。高橋医師は、そのプリント画像の傍らに、使用した2本のグラフトとその縫い合わせ部分を色別に手書きで示してくれました。このバイパス手術のコンピュータのカラー画像と手描きの絵は、私の宝物になりました。


手術後の経過
手術直後の4日間は、集中治療室(ICU)で、昼夜兼行で、看護師の方々が治療、看護、身の回りの世話をしてくれました。その後回復が進むと、個室を経て4人病室へと順次移動しました。ここでも、昼間と夜間、スタッフのみなさんに配慮の行き届いたお世話をしていただきました。

ICU では、2人の看護師に、ありがたいサービスとケアをしていただきました。藤元康成看護師は、私の手が使えない4日間、「私の7年間の透析記録ノート」に「血圧、脈拍、体温」の数値を代筆記録してくれました。目黒あゆみ看護師は、私が連日の便秘で苦しんでいる間、排便ができるよう昼夜を問わず快く介助をしてくれました。

50日入院していた A病棟2階の看護師の方々には、日々、検診、注射、投薬、各種検査や身の回りのケアでお世話になりました。下田美和看護師長(昨年までHKHの透析センター看護師長)以下20数名の看護師さん、室内をいつも清潔に保ってくださったスタッフの方々、減塩の透析食を調理してくださった病院食堂の方々に心からお礼を申し上げます。

HKH医療の4大特徴
手術後、それまで未経験だった4つのすぐれた医療サービスをHKHで実体験することができました。一つ目は「最新鋭の医療機器と設備」、二つ目は「電子カルテと院内情報ネットワークの威力」、三つ目は「きめ細かい医師の回診」、四つ目は「心臓リハビリテーションの役割と意義」です。

手術中に使われたオフポンプ関連の設備や機器が最新鋭の医療機器については前述しましたが、驚異的だったのは、「マルチスライス CT(コンピュータ断層撮影装置)」でした。2年ほど前に導入されたというこのCTは、患者に身体的負担(痛み)を課さずに短時間で、心臓など検査部分を精緻なカラー立体画像で撮影再生できる装置です。

このCTを導入している病院は、まだ少ないと聞きました。このCTのおかげで、従来バイパス手術後に行っていた入院を伴うカテーテル造影検査が不要になりました。

今回、手術の前後で(患者があまり気づかず)大活躍していたのが、「電子カルテと院内情報オンライン・ネットワーク」です。これは、HKH内において「時空を超えて」医師同士、また他のスタッフとの間で、全患者の最新医療(治療や検査や投薬など)の情報や医療歴をリアルタイムで(瞬時に)伝達・交信できる院内コミュニケーション機能です。

この院内通信ネットワーク機能のおかげで、医師は、各患者のレントゲン、CT、エコー(超音波)、心電図や血液検査結果などの情報を、いつでも病院中に設置されているコンピュータ端末から即座に把握し診断を下すことができます。病棟や透析センターの看護師も、常時、患者の「今時点」の体調をコンピュータに入力して、院内ネットワークを介して送信し続けています。

これは、患者にとっても、ありがたいシステムです。常に更新されている自分自身の最新医療情報を把握できる(教えてもらえる)からです。血液検査などは、採血後1.5時間ほどで結果を知ることができます(私は、低下していたヘマトクリットの最新検査値を把握し貧血状態が変化していくプロセスを知ることができました)。

手術を担当してくださった高橋、石川、畠田の3先生は、手術の前後、ほとんど毎日3人揃って回診に来てくれました。退院する日まで、3先生は、患者の状態をチェックしながら冷静で温かい励ましのアドバイスを与え続けてくれました。術後は、循環器の主治医である梅澤先生も毎日回診してくださり、循環器の立場から、胸水、不整脈、貧血、炎症症状、微熱などの術後の問題を診断・治療してくれました。透析センターの田中仁美医師も、手術後の経過を追跡しながら、透析担当医師の立場から適切な医療をしてくれました。

入院中体験したもう一つのHKHのすばらしいシステムは「心臓リハビリテーション」です。2年ほど前に始動したこの院内施設は、心臓手術を終えた患者が一日も早く体力(心肺能力と脚力)を回復し社会(現役)へ復帰するためにサポートするセンターです。従来、手術後の入院患者は病室で起居する生活が中心でした。

このセンターが設置されたのは「足が第二の心臓であること」を認識し「心臓手術後の患者を病室から開放する活動」を支援するためです。そのためには、① 狭心症や心筋梗塞などの手術後に進行する動脈硬化を抑制し心臓病の再発を予防すること、② 脚力を強化(脚の筋肉を回復)することです。

リハビリは、院内の廊下の歩行訓練から始まり、足先に錘(負荷)を着けて脚を上下に運動する訓練、そして、「エルゴバイク」という負荷を懸けた自転車漕ぎへと続きます。二人の専属トレーナー(與座薫さんと比地岡亮介さん)が中心になって患者一人一人に親身に対応してくれました。今も、二人の若きリハビリ医療のペシャリストは、患者の心肺と脚力が一日も早く回復するよう、終日支援活動をしています。

心の支え
入院中の50日間、不安や身体的な辛さは多々ありました。それぞれの試練を乗り越えられたのは、多くの方々の支えがあったからです。一番大きかった支えは、HKH(病院)関係者の献身的な治療と介護です。手術と術後のケアを担当してくださった心臓血管外科の3医師、循環器の梅澤医師、透析センターの田中医師に心から感謝いたします。

バイパス手術を体験された透析患者仲間からの情報とアドバイスは貴重でした。特に私より3ヶ月前にバイパス手術をした透析の先輩の加藤忠義さんと、鎌倉在住で2004年「透析者と家族が元気になる本」を著され、しかも私と同じ「オフポンプ方式」でバイパス手術を体験された堀澤毅雄さんからの体験談は、有益な「傾向と対策」になりました。私の透析の恩師である大塚幸子看護師は、メールを通して適切なアドバイスや温かい励ましの言葉を送ってくれました。

さらにありがたかったのは、手術後、平塚市腎友会の松永康雄事務局長と、共腎会(HKH透析センター患者会)の神尾一郎代表代行が、連日、入れ替わりに病室を訪れて「患者会活動」の最新動向を教えてくれたことでした。

私が指導している英語教室、大学、私塾の受講生、学生、塾生や、英会話グループの仲間や友人からの見舞いや便りも心を癒してくれました。

入院中、嬉しかった出来事
入院中、一番嬉しかったことは、やはり、すばらしい名医とスタッフの方々との一期一会です。

さらに「透析」「循環器」「心臓血管外科」の三拍子揃った病院に通院・入院できたことの幸運!その病院(HKH)が地域の中核病院として平塚市に存在している有難さが身を持って実感できました。

多くの入院患者が「量や質」で不満を言う「病院食」も、私の場合、朝昼晩「透析食」を配膳してもらったおかげで食事(塩分・水分)管理を徹することができました。大体、快眠、快食、快便もでき、中2日でも透析間の体重増が2㎏を越えることはありませんでした。退院後もこの食習慣を続けていくつもりです。

一週間以上も入浴できなかった後のシャワーは快適でした。病棟では「ウォッシュレット」トイレが使えたことで、常時清潔感を保つことができました。暖房の行き届いた病棟・病室で、今年の冬は、寒さ知らずで過ごすことができました。

思いがけなくも50日間の長い入院生活になりましたが、病院内外の多くの方々の献身、善意、友情に支えられて退院できたことを、何よりも嬉しくありがたく思っています。

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手術が終わって5日目(1月29日)の夜、NHKテレビの歌謡番組で、門倉有希が「人形の家」(1960年代弘田三枝子が歌って一世を風靡した歌)を、彼女独特のハスキーな声で切々と歌い上げていました。病室で独りその熱唱を聴きながら、頬から涙が伝って落ちました。歌の最後の台詞が「私はあなたに命をあずけた」だったからです。

その時、私は、バイパス手術を担当してくださった3人の医師 --- 高橋政夫先生、石川智啓先生、畠田和嘉先生 --- 一人一人の顔を想い浮かべていました。3医師は、私が「あずけた命」を、バイパス手術を通して救ってくださったのです。

2011年8月22日月曜日

110709 Mt. Shibutsu (2,228m) 尾瀬・至仏山

Hiking Date: July 9 (Sat), 2011, Cloudy after fine weather

Destination (mountain):Mt. Shibutu, Oze

Hiking course: Miharashi (Oze Lodge – Ozegahara – Yamanohana – Mt. Shibutu – Hatomachi Pass

Partner: Mr. Masno

I got up at 4 a.m. When I went out to see the Oze Field before the sunrise, I happened to see Mr. Iwami whom I drank with last evening. He was from Fukushima with a couple of his friends. I told him that I would visit my relatives in Fukushima after this trip.

[Oze Lodge, 尾瀬小屋、오재산장]

Oze Field before the sunrise was fantastic. It was a fine day and I could see Mt. Shibutsu across the field over the morning fog.

The breakfast time was at 6 a.m. It tasted very good, so that I had another helping of rice.

[Mt. Shibutsu and Oze Field, 至仏山と尾瀬ヶ原、지불산과 오재가하라][The breakfast at the lodge, 山小屋の朝食、산장의 아침식사]

They also prepared lunch box with two rice ball. It cost 800 yen. I thought it was a bit expensive considering the amount and quality, but I could not help it. It was above 1400 m, altitude.

[An alpine flora, "Takanebara" or "rose on the high mountain", 山小屋の前の庭に咲いていたタカネバラ(高嶺薔薇),고산식물 다카미네(高嶺) 장미]

I went to Hinoemata Lodge to see Mr. Mano. He came out just at 6:30 a.m., but he decleared that he would not climb Mt. Shibutsu. It was too tight schedule for him to climb Mt. Shibutsu and come down to Hatomachi Pass by 2:30 p.m.

[Mr. Mano in front of Hikoemata Lodge, 桧枝岐小屋の前の真野氏、히노애마타 산장 앞에 서있는 마노씨]

So, I decided to climb Mt. Shibutsu alone. I walked with Mr. Mano until near Ryugu Lodge. Then I said good bye and hurried to Mt. Shibutsu.

I overpassed the mother and her daughter whom I saw the previous day. After taking their pictures, I gave my email addresss, but they did not give me an email. So I could not sent them the pictures.

[A mother and a daughter whom we saw previous day, 前日、下山路で会った母娘、전날, 하산로에서 만난 어머니와 딸][The Numajiri River at Oze Field, 沼尻川、느마지리 천]

I enjoyed seeing a lot of alpine flora, esp. Drosera rotundifolia (the common sundew or round-leaved sundew), a carnivorous plant.

[Drosera rotundifolia (the common sundew or round-leaved sundew), a species of sundew, a carnivorous plant, 食虫植物「モウセンゴケ(毛氈苔)」끈끈이주걱]["Nikko Kizuge, a kind of Hemerocallidaceae,「ニッコウキスゲ」または「ゼンテイカ(禅庭花), 원추리과의 꽃」[A pond in Oze Field, 尾瀬ヶ原の池塘、오재가하라의 지당(池塘)]

At the same place, I saw a small mother duck having really little ducklings in the pond. They were really cute!

[A mother duck and her ducklings、母ガモとそのコガモたち、어머니 오리와 그 새끼오리들]

[Lysichiton camtschatcense or "Mizubasho", ミズバショウ(水芭蕉), 미주바죠우]

I arrived at Yamanohana Lodge at 8:30 a.m. So I walked across the Oze Field (about 6 km) for 2 hours.

I could use the free toilet at Yamanohana Lodge. I bought a small pack of milk with 200 yen there. After a short break, I began climbing Mt. Shibutsu.

[The guidpost at Yamanohana, 「山の鼻」の道標、야마노하나의 이정표]

I took this route with my highschol friend about 30 years ago. So I tried to recall my memory about him and the hike, but I remembered only a little.

[The entrance of the trail leading to the top of Mt. Shibutsu, 至仏山への登山路入口、지불산에의 등산로 입구]

From the middle to the top of Mt. Shibutsu, it was consisted by special rock called “Serpentinite.” It was difficult to glow big trees on these rocks, so the big tree area stopped at the middle of the mountain. These rocks were also slipperly so I had to climb carefully.

[Mt. Hiuchi and Oze Field, 燧ケ岳と尾瀬ヶ原、히우치산과 오재가하라][Rhododendron, シャクナゲ(石楠花),"샤크나개" 꽃][Serpentinite, 蛇紋岩,사문암(뱀 모양 무늬 바위)]

I could see Oze Field and Mt. Hiuchigatake clearly unitl the middle of the mountain. Then it became cloudy, or I came into the cloud. I arrived at the top of Mt. Shibutsu before noon, yet I could not see Oze Field, or mountains around the field there.

[A kind of chickweed, ハコベの一種、별꽃][An alpine flora, Chinguruma, 高山植物「チングルマ」고산식물 "친구르마"]["Hakusanchidori & edelweiss,ハクサンチドリ(白山千鳥)とエーデルワイス、"하크산치도리"와 에델바이스][The snow remaining near the top of Mt. Shibutsu, 至仏山の頂上付近に残る雪、지불산 정상 부근에 남아있는 눈][An alpine flora, "Shinano Kinbai"高山植物「シナノキンバイ(信濃金梅), 고산식물 "시나노킨바이"]
[At the top of Mt. Shibutsu, 至仏山山頂にて、지불산 정상에서]

So, I did not stop at the top of Mt. Shibutsu and I continued to hike along the ridge. I arrived at another peak, called Mt. Shoshibutsu at noon. Yet, I did not skip lunch and hurried to the destination.

[An alpine flora, "Iwakagami" 高山植物[イワカガミ(岩鏡), 고산식물"이와카가미"]

[The signpost of Oyamasawa water-supply point, オヤマサワの道標、오야마사와의 이정표]

I came down to Hatomachi Pass at 1:10, more than 1 hour before the bus left. I ate my lunch quickly before I arrived at the destination. But I could not see Mr. Mano there.

[The signpost of Hatomachi Pass, 鳩待峠の道標、하토마치고개의 이정표]

Later he told me that he arrived there before noon, and took a good rest with bath at one of the lodges there.

I was satisfied with my 6.5 hour hike to Mt. Shibutsu. Mt. Mano and I went to Tokura together, but we took buses from there to Tokyo, because he went to Tokyo station while I went to Shinjuku.

I arrived at Shinjuku station at 7:30, and using Shinjuku Line, I came back to Ofuna at 8:35 p.m.

It was my 40th hike for this year.

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登山月日:2011年7月9日(土) 快晴のち曇り、夕方一時雨

登山地:尾瀬、至仏山

登山コース:見晴し~尾瀬ヶ原~山の鼻~至仏山頂~鳩待峠

同行者:真野氏

朝4時起き。食事前に外へ出ると昨夜いっしょに盛り上がった岩見さんから挨拶された。彼は福島から仲間数人と尾瀬に来た、やや年上のハイカーだ。

尾瀬ヶ原には朝霧がたちこめてファンタスティック。また、山小屋の前の庭にはきれいなタカネバラが咲いていた。

[Mt. Shibutsu and Oze Field, 至仏山と尾瀬ヶ原、지불산과 오재가하라][An alpine flora, "Takanebara" or "rose on the high mountain", 山小屋の前の庭に咲いていたタカネバラ(高嶺薔薇),고산식물 다카미네(高嶺) 장미]

食事は6時からでついついお代わりをしてしまう。弁当は白米のおにぎり2個。これで800円はHighway robbery!”だと思うが、まあ、山小屋の営業費用を考えれば600円の500cc缶ビール、800円の生ビールともども仕方ないか。

さて、6:30に桧枝岐小屋で真野さんと合流。しかし、会うなり真野さんは至仏山に登るのはあきらめると言う。彼は昨日の昼食の御礼か、食べかけのハムとゴマ豆腐を私にくれた。これはありがたくもらった。

[Mr. Mano in front of Hikoemata Lodge, 桧枝岐小屋の前の真野氏、히노애마타 산장 앞에 서있는 마노씨]

真野さんとは竜宮小屋の前で別れ、尾瀬ヶ原を急いで進んだ。竜宮と牛首の間で昨日の母娘二人連れに追いつき、写真を撮って私のメールアドレスを渡した。

[A mother and a daughter whom we saw previous day, 前日、下山路で会った母娘、전날, 하산로에서 만난 어머니와 딸]

途中、様々な高山植物の写真を撮りながら進んだが、なかでも食虫植物のモウセンゴケは我ながらよく撮れた。また、この付近の池塘では小型のカモが生まれたばかりに見える雛を連れているのを見つけた。

[Drosera rotundifolia (the common sundew or round-leaved sundew), a species of sundew, a carnivorous plant, 食虫植物「モウセンゴケ(毛氈苔)」끈끈이주걱][A mother duck and her ducklings、母ガモとそのコガモたち、어머니 오리와 그 새끼오리들][Lysichiton camtschatcense or "Mizubasho", ミズバショウ(水芭蕉), 미주바죠우][A pond in Oze Field, 尾瀬ヶ原の池塘、오재가하라의 지당(池塘)]

さて、山の鼻には8時半に到着。見晴から竜宮小屋を経由して山の鼻までの約6kmを2時間で歩いたことになる。

山の鼻小屋はトイレが無料できれいだ。全くお金を払わないのは気が引けて、牛乳1パック200円を買って飲んだ。ここまでちょうど1万歩。

山の鼻から至仏に登るのも30年ぶりだろうか。樹林帯を過ぎると滑りやすい蛇紋岩で歩きにくい。今回は抜かされることはなく5パーティほど追い抜いて進んだ。山腹から頂上にかけては高山植物の宝庫である。また、振り向けば尾瀬ヶ原の向こうに燧ケ岳が見える。

[A kind of Gentiana scabra (or Japanese gentian), コケリンドウ、태용담(苔竜胆)][Mt. Hiuchi and Oze Field, 燧ケ岳と尾瀬ヶ原、히우치산과 오재가하라][An alpine flora, "Hakusan-chidori,高山植物の「ハクサンチドリ(白山千鳥), 고산식물인 "하크산 치도리"][Rhododendron, シャクナゲ(石楠花),"샤크나개" 꽃]

至仏頂上が近づくにつれ雲が出て来て、頂上は展望なし。また多くの登山者でごったがえしていた。頂上の石標では、若者のグループの写真を3台のカメラで撮ってあげた。また、私のデジカメのシャッターも押してもらった。

[The snow remaining near the top of Mt. Shibutsu, 至仏山の頂上付近に残る雪、지불산 정상 부근에 남아있는 눈][At the top of Mt. Shibutsu, 至仏山山頂にて、지불산 정상에서]

食事をしているパーティも多かったが、ここも俎嵓手前のケルン部分と同様、たいへんな虫の数。食事はしないで先に進み、小至仏山頂に12時に到着した。ここでも食事はせず、下山を急いた。

[An alpine flora, "Iwakagami" 高山植物[イワカガミ(岩鏡), 고산식물 "이와카가미"]

頂上からやや下がったお花畑付近から雲が晴れ、尾瀬ヶ原も、鳩待ち峠もよく見えた。オブチ沢では飲み水を補給した。鳩待ち峠まであと1km地点で握り飯を出して食べた。

[A flower on the down-trail, 下山路で見た花、하산로에서 본 꽃 ]

鳩待峠には集合時間1時間前の1:10に着いた。いつもの休憩所に入り500cc500円の一番搾りを買い、真野さんにもらったハムをつまみにして飲んだ。

[Hatomachi Pass, 鳩待峠、하토마치 고개]

真野さんは昼前に峠に着き、風呂のある山小屋の部屋を1500円で借りて休憩していたと言う。

戸倉へのバスは2時15分には出発し、戸倉で方面別に分かれて大型バスに乗った。真野さんは東京駅なので111号、私は新宿なので112号。

帰路は以前と同様、沼田の土産物屋で休憩。さくらんぼやバームクーヘンの試食をして、立派なきゅうり4本を100円で購入した。

その後、雷鳴・稲妻・夕立もなんのその、一路池袋・新宿へ。都心が近づくにつれ快晴となり、雨の心配はまったくなかった。

新宿駅には7時半到着。7:45の湘南新宿ライン逗子行きで大船には8:35頃到着した。

今回の登山は今年40回目の登山となる。

Tomio_Twitter 110109-110115

#100: 1月15日 GLOCALHIRATSUKA UCHIDA TOMIO 「多忙は怠惰の隠れ蓑」 --- 現代(都会)人は、毎日、忙しい、忙しいと言いながら、人生の大事な仕事をサボってやしませんか?この30年、自戒の言葉です。

#99: 1月14日 GLOCALHIRATSUKA UCHIDA TOMIO すべての躾は、「九つ言葉 と十二文」になって表れると思います。言葉と文章に人格が表れる、ということですね。日本語でも英語でも他の外国語でも、そしてツイッターでも ..... RT @hatsuming: 江戸の躾「三つ心、六つしつけ、九つ言葉、十二文、十五理」日本人の品格形成

#98: 1月14日 GLOCALHIRATSUKA UCHIDA TOMIO 元気で長生きしている患者として三つの知恵があります。一つは、自分の病気についてよく学ぶこと。もう一つは、主治医と主看護師を持つこと。両者は、親身に相談にのってくれます。さらに大切なことは、医療や看護や制度によって生かしていただいている自覚と感謝の気持ちを持ち続けることです。

97: 1月13日 GLOCALHIRATSUKA UCHIDA TOMIO すでに、全国に、数百名の<直人>が登場して善行を施しているのに、国のトップの<直人>は、身内の世話に追われている。政治家の仕事が、「民に善事を尽くすと」いう本業を忘れているのではないか?

#96: 1月13日 GLOCALHIRATSUKA UCHIDA TOMIO 今朝放送のNHK ラジオ番組。有馬理恵さんが演じる「釈迦内柩唄(しゃかないひつぎうた)」。戦時中、中国人が日本に強制連行され、秋田県花岡で重労働を課せられ、蜂起した花岡事件が背景。火葬場の家業を引き継ぐふじ子の思いを描いた物語。水上勉作。もう一度じっくり聴いてみたい。

#95: 1月11日 GLOCALHIRATSUKA UCHIDA TOMIO 英語版は次の通りです: "Killing two birds with one stone." "If you run after two hares, you'll catch neither."RT @GLOCALHIRATSUKA: 「一石二鳥」「二兎追う者は一兎も得ず」

#94: 1月11日 GLOCALHIRATSUKA UCHIDA TOMIO 「福袋」って、英語で何と言う?いろいろな言い方があるでしょうが、簡単に、"lucky bags" でどうでしょう?詳しくは、今朝配信された<2パラグラフで英字新聞を読もう!>をご覧になってみてください。→http://bit.ly/f51YPo

#93: 1月11日 GLOCALHIRATSUKA UCHIDA TOMIO 野風増は、父は息子とカラオケで唄いたい歌ですが、息子は恥かしがって唄いたがりません。でも、その息子が父親になると、どうしようもなく自分の息子と唄いたくなる歌です。三世代、爺父息子、で唄えたら最高ですね。RT @s_nagaya_: お前が 二十歳になったら~酒場で二人で 飲み

#92: 1月10日 GLOCALHIRATSUKA UCHIDA TOMIO 今朝の米ツーソンでの射殺事件に対し、オバマ大統領が、迅速に見舞いツイッターを発信している。さすがアメリカ、さすがオバマ大統領!速い!日本だったらどうであろうか?然し、銃規制無き米国の暗部が、またも、表面化してしまった。RT @BarackObama: I ask all .

#91: 1月9日 GLOCALHIRATSUKA UCHIDA TOMIO 「一石二鳥」と「二兎追う者は一兎も得ず」。どちらも<1>と<2>という数字が入っている有名な諺ですね。それぞれ、英語では何と言うでしょうか?英語力をつけたい方は、諺を日本語と英語で言えるようにしたら、いかが?日英どちらのコミュニケーションでも、必ず、役立ちますよ。

Tomio_Twitter 110106-110109

#90: 1月9日 GLOCALHIRATSUKA UCHIDA TOMIO 二人の直人、どちらが、強きを挫き、弱きを助けているでしょうか?マスコミの使い方は、どちらが上手いでしょうか?新聞やTVに顔が露出している政治家と覆面の篤志家、どちらが善行を働いているでしょうか?人心を掌握しているのは、どちらでしょうか?管直人と伊達直人、どちらが偉いでしょうか?

#89: 1月8日 GLOCALHIRATSUKA UCHIDA TOMIO この二つのポストとは、どういうポストですか?役職の名前と内容を教えていただけますか?RT @itoyutaka: 平塚市には天下りはなく再任用なのだそうだ。議会で天下りと認めたポストが2つあり、副市長が行くようレールがひかれている。こんな事が、いつまで許されるのか!

#88: 1月8日 GLOCALHIRATSUKA UCHIDA TOMIO 今、価値観は、グローバルでローカル、紙一重。最近半月ほどツイッターをやっていて、勝手に付けた自分のアカウント名、よかったなあ、と思っています。外国、国内、地元、近隣、様々なツイッターを自由自在に読めるから。多様性(diversity)が、ツイッターの最大特徴と再確認しています。

#87: 1月8日 GLOCALHIRATSUKA UCHIDA TOMIO 「政治家自身が英語ができて、国際舞台できちんと主張したり、友人関係をつくっていったりするのが、ほんとうの外交になってくるだろうと思います」出典<英語とわたし/河野太郎(岩波新書)>。RT @GLOCALHIRATSUKA: 小澤征爾、松本亨、河野太郎、3人とも自分が志す道を歩んで


#86: 1月7日 #85: GLOCALHIRATSUKA UCHIDA TOMIO 同感!逆説的に言えば、目標が不明で、英語が上達した人は稀有です。小澤征爾、松本亨、河野太郎、3人とも自分が志す道を歩んでネィティブを圧倒する英語力の持ち主になりました。RT @masatokanzaki: その2点に加えて「英語で何をしたいのかが曖昧」という原因も大きいです。

#84: 1月7日 GLOCALHIRATSUKA UCHIDA TOMIO 健康のありがたさは病気になってから分かります。RT @masason: 山は登らざれば高さわからず、川は渡らざれば深さわからず。

#83: 1月6日 GLOCALHIRATSUKA UCHIDA TOMIO The correct words & spellings are: "fermented soybeans," and they're "Natto". See a dictionary. RT @hatsuming: What is "farmented beans"?

#82: 1月6日 GLOCALHIRATSUKA UCHIDA TOMIO
英語の学習熱が、今も異常なほど高いですね。高い割には効果が上がっていないようです。なぜか?原因は二つ。継続力と集中力の欠如です。英語は、毎日15分、365日学習すれば、必ずモノになります。はい、毎日です。TOEIC 800 点以上取得した人たちは、この継続と集中の実践者です。

#81: 1月6日 GLOCALHIRATSUKA UCHIDA TOMIO
患者は、自分の病態を自分で調べるべきです。病院(医師)の診断が、必ずしも正解、親切でないことがあるからです。患者は、充実した検索ソフトを使って、自ら、病気の因果関係について詳しく調べることができます。患者が、自分の病状について医師と質疑応答し議論もできる時代が到来しています。

2011年8月18日木曜日

110708 Mt. Hiuchigatake (2356m) 燧ケ岳(ひうちがたけ)

Date: July 8 (Friday) Rain in the morning, then fine

Destination: Mr. Hiuchigatake (2,356m)

Course: Ohshimizu – Sanpei Pass – Lake Oze – Chozo Lodge – Choei Shindo – Manaitagura – Shibayasugura – Miharashi Shindo – Miharashi

Partner: Mr. Mano

["Mizubasho", ミズバショウ(水芭蕉, 미즈바쇼우)

I went to Oze with Mr. Mano again, just like last year. But this time, we took a course from Ohshimizu, and stayed at Miharashi for a night, and took a bus from Hatomachi Pass to return.

I saw Mr. Mano at YCAT in the evening of July 7. We went to Ikebukuro from Yokohama just like last year. Mr. Mano paid 2000 yen more for two seats while I took only one seat. We arrived at Ohshimizu at 4:55 a.m. on July 8.

When we arrived at Ohshimizu, it was raining a little bit. While we were walking toward Ichinose Point, it cleared up.

[The bus arrived at Oshimizu, 大清水に到着したバス、오시미즈에 도착한 버스]

Last time when I walked this course, it was about 30 years ago. I was hiking with one of my highschool day friend, Watanabe. I could walk through Ichinose and came to Sampei Pass rather easily. It took about 2 hours from Ohshimizu to Sampei Pass.

[At Sampei Pass, 三平峠にて、산배이 고개에서]

From Sampei Pass, the trail became wooden paths. As we walked through the swamp area, a lot of small insets began attacking my feet. They were gnats which bit my skin. I regreted that I did not wear spats that day.

["Hakusan chidori" and "Nikko kizuge", ハクサンチドリとニッコウキスゲ"하크산치도리"와 "니코기스게(원추리과)]

We arrived at Chozo Lodge at 7:50. Kikko and I stayed at this lodge during our honeymoon in 1970. This time Mt. Mano and I just passed this lodge and headed for Choei Shindo trail.

[Chozo Lodge,長蔵小屋、초조고야][Eriophorum vaginatum L. (Hare's-tail Cottongrass) and wooden trail, ワタスゲと木道, "와타스게" 와 나무길][Iris with dew, 雨に濡れたアヤメ、비에 젖은 붓꽃]

Choei Shindo trail was not steep, but muddy. There were many insets such as black flies, and gnats. We had lunch near the top of the mountain; Manaitagura. There was a mass of snow there.

[Monotropastrum humile、ギンリュウソウ(銀龍草)、은용초][On the way to the top,頂上への道で、정상에 가는 길에서]

When we arrived at Manaitagura, it was almost 1 p.m. There were several people at the peak. We talked 4 or 5 young men. It seemed that they were having lunch there.

[Lake Oze from the top, 頂上から見た尾瀬沼、정상에서 본 "오제느마"]

Mt. Hiuchigatake has twin peaks. One is Manaitagura and the other is Shibayasugura. When I climbed in June, 2008, there was much snow in the mountain, and I slipped at the steep slope. There was snow at the same slope this time, too. Yet amount of snow was much little than that time. Therefore, no difficulty to climb the mountain this time.

[Paris Japonica (kinugasaso), キヌガサソウ(衣笠草), 키누가사초][The heavy mass of snow near the top, 山頂付近に残る雪、산 정상 부근에 남아있는 눈]

[At the top of Hiuchigatake, 燧ケ岳山頂にて、히으치가타개 정상에서]

There were a few hikers in the trail. On the way down to Miharashi, we met only two hikers; a mother and a daughter. We walked together for about 30 minutes. Then we came to Miharashi before 4 p.m.

Mr. Mano and I registered the lodge separately. He stayed at Hinoemata Lodge, while I stayed at Ozegoya Lodge. After checking in separately, we took bath, and had beer on the telace of Ozegoya Lidge.

[The dinner table at the lodge, 山小屋の夕食、산장의 저녁 식사]


I could use a twin room alone. It was quite comfortable.

This was my 39th hike for this year.

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登山月日:2011年7月8日(金)
登山地:燧ケ岳
登山コース:大清水~三平峠~尾瀬沼~長蔵小屋~長英新道~俎嵓~柴安嵓~見晴新道~見晴し
同行者:真野氏

7月7日(木)夜行バスで尾瀬へ向かう。20時にYCATで真野さんに合流。池袋には10時半ごろ到着。11時には池袋を出発して戸倉経由大清水に向かった。真野さんは2000円追加して二人分シートを確保。私はそれをしなかったので他人が隣にすわり、いつもの通り浅い眠りのまま尾瀬へ。

7月8日(金)雨後晴れ。戸倉へ4時に到着。30分ほど車内待機後、鳩待ち峠組(18人×2)が下りた後、大清水へ5時5分前到着。8人が下りた。降りるときに予め注文をしておいた弁当を受け取った。

[A lunch box, お握り弁当、주먹밥 도시락][At the entrance of the trail at Oshimizu, 大清水登山口にて、오시미즈 등산로 입구에서]

真野さんが準備に手間取り、5時10分ごろ出発。途中、女性3人組と話をしたが、ペースが合わず、先を歩いた。

大清水から一ノ瀬までは林道で、途中、乗用車が3台止めてあった。一ノ瀬から三平峠まではいちおう山道で、谷川沿いの快適なトレッキング。思ったよりもなだらかな勾配で1時間ほど進むと樹林の中の木道に出て、三平峠の看板があった。

[Ichinose Lodge, 一ノ瀬休憩所, 이치노새 휴게소][At Sampei Pass, 三平峠にて、산배이 고개에서]

このコースはおそらく20代の初期に高校の同級生(渡辺)を案内して登った時以来だと思う。三平峠を過ぎてからは樹林の中の木道を左手に尾瀬沼を見ながら進む。

すでに湿原地帯に入り、多くの花々が目につく。しかし、同時にぶよの大群が私の毛糸の靴下に飛び込んで私の両足に噛みつく。これが痛い。手で毛糸の上からはたいても、もぐりこんだぶよは除くことができない。真野さんは長ズボンの上にスパッツをしているのでまったく被害はない。次回からは長ズボンとスパッツは必需品だ。

[Iris between wooden trails, 木道の間に咲くアヤメ、나무길 사이에 피는 붓꽃]["Hakusan-chidori" an alpine flower, ハクサンチドリ、"하구산 치도리"(고산신물)]

長蔵小屋には7時50分に到着したが、ここから長英新道に入る分岐点が分からず、沼山峠方面へかなり進んでから引き返し、正規の分岐点に到達したのは8時40分だった。

長英新道は勾配が緩やかだが水はけがわるく、泥道が続いた。途中、真野さんが用意したきれいに剝いたリンゴとキウイの果物を食べたが、少しでも立ち止まると虫たちが襲ってくる。途中で長ズボンに履き替えてからはだいぶ虫の攻撃をさえぎることができるようになった。

長英新道の上りが本格化するにつれ真野さんが遅れ気味になった。展望が開ける尾根に出た時は20分程度差がついた。ここは4年前の6月、逆コースで降りてきた場所で、ケルンがあり、天然のベンチがあり、尾瀬沼も見える良い地点だったが、虫が大量にいてとても食事ができる雰囲気ではなかった。

[Monotropastrum humile、ギンリュウソウ(銀龍草)、은용초][After the lunch, 昼食後、점심식사후]

結局、ケルンから俎嵓に向かってさらに進んだ展望の良い雪渓のわきで昼食にした。喜久子が作ったポテトサラダと食パンを分け合って食べたが真野さんは食欲がなく、私が食パンもサラダも3分の2ほど食べた。

[The peak of Hiuchi, 燧ケ岳、히으치가타개]

そしていよいよ燧ケ岳登頂。まず俎嵓(2346m)に登り、男4人のパーティと少し話をして、写真もとってもらったりした。次に俎嵓を下り、柴安嵓に登った。

[At the top of Hiuchi (Manaitagura)、俎嵓(まないたぐら)にて、마나이타그라에서]

四年前にアイゼンとスティックを使いながらも滑落した部分には今も雪が残っていた。柴安嵓にはたぶんわれらと同年配のアロンハイカーがいて写真撮影を頼まれた。我々もこれ幸いに撮影を頼み、良い写真が撮れた。

ここからの下りは、4年前苦労して登ったコースで、途中、母と娘のパーティに追いつきしばらく話をした。彼女らは長蔵小屋を朝出て、今夕は竜宮に泊まり、明日は至仏に登ると言う。母親がたぶん我々と同年配で、足元がふらついていた。真野さんもかなり足に来ていたようで、この親子連れよりはややましだが、かなりペースが遅くなり、見晴らしに着いたのは午後4時だったから、9時間コースを11時間で歩いたことになる。

真野さんが予約した小屋は桧枝岐小屋で、私が予約した尾瀬小屋のすぐ前だった。それぞれチェックインを済ませて風呂に入ってから尾瀬小屋のテラスでビールを飲んだ。

[Mt. Mano at Ozegoya, 尾瀬小屋の真野さん、오째산장의 마노 씨]

食事は5時半からで、隣に座った男3人組と盛り上がったようだが、あまり記憶に残っていない。部屋は二人用の相部屋の一人使用で、快適。コインロッカーを使ったが便利だ。夕食後は直ちに寝たから、およそ10時間寝たことになる。

今回は今年39回目の登山。