141219 Welcome Marta and BJ to Japan Odaiba [お台場오다이바], Tokyo
Guests: Marta (Ukrainian) and BJ (Korean)
Sightseeing Place: Odaiba [お台場오다이바]
Course: Haneda Airport – Tennōzu Isle – Odaiba – Shimbashi –Ofuna
The guests are the couple who offered my accommodation whenever I visited Korea in 2014.
Now it is their turn to visit Japan. Unfortunately, we could not offer our house for their stay, so I introduced a nearby hotel in Ofuna where my house is located.
It is necessary for Marta to get Visa beforehand, even though it was a short stay for sightseeing.
So I started taking procedures for the visa application almost two months ahead.
Happily she got the visa and I went to see them at Haneda Airport at 2 pm on Dec. 19.
We took a monorail from the airport to Tennōzu Isle. There we changed to the subway to go to Odaiba.
There are artificial beach in Odaiba, and well-facilitated trail for walk.
There is a replica of the Statue of Liberty sent by French Government.
It is much smaller then the one in NY (11 m vs 46 m, 9 t vs 225 t), yet it is nice to see the statute in Tokyo.
It was just Christmas season, and we also enjoyed seeing extra decorations including “crown-like” monument made of glasses.
We had a short break at a coffee shop at a Star bucks at AQUA CiTY ODAIBA.
I originally plan to take them to “Oedo Onsen Monogatari(大江戸温泉物語)” a complex of spars in Odaiba. But it was not their taste, so I skipped this plan and went to their hotel in Ofuna.
The name of the hotel is “Fresa Inn Ofuna” and it is very close to Ofuna Station (a couple of minutes on foot).
After check-in, we went out for dinner. They wanted to have “Ramen” so I took them to “Yokohama Ramen” near Ofuna Station.
They liked the taste of “Yokohama Ramen”, but it contained too much calory for me who is diabetic.
It was a bit surprise for me that all service staff members at the ramen shop were Chinese, including the sheff. So it is internationalization even in Ofuna.
I went home after the dinner, leaving the young couple to enjoy the 1st night in Japan for themselves.
PS: Ukraine reminded me several things. Among them, one of the greatest “Yokozuna” wrestlers “Taiho (大鵬) Koki” was a son of Ukrainian father.
It is described as follows in Wikipedia:
https://en.wikipedia.org/wiki/Taih%C5%8D_K%C5%8Dki
Kōki was born on the island of Sakhalin (Karafuto Prefecture) to a Japanese mother Kiyo Naya and an ethnic Ukrainian father Markiyan Boryshko who had fled the Bolshevik Revolution.
However, he is regarded as having come from Teshikaga, Hokkaidō, where he moved to as a child after the Soviet Union took control of Sakhalin in 1945.
While on a sumo tour to the Soviet Union in 1965 he tried to locate his father, but without success.
Taihō was the first of three great yokozuna who all hailed from Hokkaidō, the most northerly of the main islands of Japan, and who among them dominated sumo during the 1960s, 1970s and 1980s.
The others were Kitanoumi and Chiyonofuji.
https://www.youtube.com/watch?v=uqWPWvhDPkY
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分類:観光案内(Sightseeing Guide)
同行者:BJ(Korea)、マルタ(ウクライナ)
観光地:東京・お台場
コース:羽田~天王洲アイル~お台場~新橋~大船
私が訪韓するたびに、彼らのアパートに泊めてくれる国際カップルが訪日した。ご主人はイケメンの韓国人、奥さんはウクライナから来た西洋美人のマルタだ。
彼らのアパートはオウン洞のハンピアパート群の中で訪韓の度に宿泊させてもらいいつも感謝している。
そんな二人が、今回は訪日する。ウクライナと日本の間では、観光で訪れる場合でもビザが必要だ。
ご主人のBJは不要だが、ウクライナ人のマルタのビザの申請には招く側の私の方に要求される手続きがけっこう手間がかかった。
1か月以上前から準備してようやくビザがおり、訪日が実現した。
この日、午前中に胃がんの検診を済ませ、いったん帰宅してから再度、大船駅へ行き、横浜で京急に乗り換えて羽田空港へ向かった。
JL92便はほぼ定刻通り2時に到着しており、マルタとBJはすでに出口を出て私を待っていた。
羽田空港からのモノレールで天王洲アイルで地下鉄に乗り換え、台場で下車してお台場に向かった。
彼れらのスーツケースは1個だけだったが、コインロッカーには入らず、BJが引きながら歩いた。
ゆったりとした散歩で、海岸から自由の女神を経由してアクアシティのスターバックスで休憩した。
このコースは写真スポットが多く、楽しい。ちょうどクリスマスのシーズンで、それなりの演出も楽しめる。
その後、これまでの韓国人のゲストが楽しんだ大江戸温泉に行こうとしたが、マルタは温泉は苦手だというので、急遽方向を変えて、新橋へ出た。
新橋からJRで大船に向かい、フレッサインへチェックインした。
その後、駅前通りの横浜ラーメンでラーメンを食べたが、なんと従業員4人がすべて中国人で、店主も中国人だということだった。
日本のラーメンは高カロリーで糖尿病を病む私にはワーストの部類に入る食べ物だが、来訪者には根強い人気がある。
彼らも気に入ったようで、これはこれでよかった。私はここで別れ、かれらは日本初めての夜を大船で楽しんがことであろう。
PS:私が少年時代の相撲界のヒーローで、昭和の大横綱と言われた大鵬幸喜の父親がウクライナ人であったことは最近知った。
以下、ウィキペディアから引用する。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%B5%AC%E5%B9%B8%E5%96%9C
大鵬の父、マルキャン・ボリシコ(Маркіян Боришко, 1885/88年 - 1960年11月15日)は、帝政ロシア時代のウクライナ東部ハリコフ県出身でサハリン州(樺太)に在住したウクライナ系ロシア人である。(Wikipedia)
1940年(昭和15年)に、ロシア革命後に樺太へ亡命したウクライナ人のコサック騎兵隊将校、マルキャン・ボリシコの三男として、樺太の敷香町(現・ロシアサハリン州ポロナイスク)に生まれた。敷香町は当時日本領だった南樺太に位置するため、外国出身横綱には数えない。
出生の直後に激化した太平洋戦争によってソ連軍が南樺太へ侵攻してきたのに伴い、母親と共に最後の引き揚げ船だった小笠原丸で北海道へ引き揚げることとなった。最初は小樽に向かう予定だったが、母親が船酔いと疲労による体調不良によって稚内で途中下船した。
小笠原丸はその後、留萌沖で国籍不明の潜水艦(ソ連の潜水艦との説がある)から魚雷攻撃を受けて沈没したが、大鵬親子はその前に下船していたため辛くも難を逃れた(三船殉難事件)。その点、同じく焼け跡世代でありながらも戦火とは無縁の山形の自然で伸び伸びと育った柏戸とは対照的である。
北海道での生活は母子家庭だったことから大変貧しく、母親の再婚によって住吉姓に改姓した。その再婚相手の職業が教師だったことから学校を毎年異動していたこともあり、しばらくは北海道各地を転々としていた。あまりの貧しさから大鵬自身が家計を助けるために納豆を売り歩いていた話は有名である。
再婚相手とは大鵬が10歳の時に離婚したため、大鵬は納谷姓に戻った。 中学校卒業後は一般の同世代の若者と同じ中卒金の卵として北海道弟子屈高等学校の定時制に通いながら林野庁関係の仕事をしていたが、1956年(昭和31年)に二所ノ関一行が訓子府町へ巡業に来た時に紹介され、高校を中途退学して入門した。
入門時に母親から反対されたが、親子で相撲部屋を見学した時に所属力士の礼儀正しさを見た叔父が母親を説得した。後年、巡業で振る舞われたちゃんこに感銘を受けていたことも入門の動機として明らかになっている。
I like hiking very much. I used to go hiking with a Korean hiking club named “AhToSan.” This blog introduces mostly my hiking activities in Korea and Japan, and Sydney in Australia. As of January 2020, I live in Sydney suburb. I go Blue Mountains and bush walk in Sydney area. 私は2003年から2014年まで韓国の大田(テジョン)に住んだ日本人である。11年間、週末は主に「アトサン山岳会」に参加した。14年4月に帰国したが、2020年以降はおもにシドニーで暮らし、時折、日本へ帰国する程度である。したがって最近の記事はSR(Sydney Report)としてブルーマウンテンのトレッキングを中心に書いている。
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Most of the pictures in this blog are taken by my camera, yet some of them were downloaded from the website of the hiking club. If you click any pictures, they become the original size.
当ブログ内の写真の大部分は筆者のカメラで撮影したものですが、一部、山岳会の共有写真からダウンロードしたものを含みます。すべて、各写真をクリックすれば、元のサイズに拡大します。
당 블로그내 사진의 대부분은 필자의 카메라로 촬영한 것입니다만 일부 산악회 공유 사진으로부터 다운한 것도 포함합니다. 모두 각 사진을 클릭하면, 원래 사이즈에 확대합니다.
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