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2012年12月12日水曜日

心臓バイパス手術始末記(2012年9月―11月) by 堀伸樹

心臓バイパス手術始末記(2012年9月―11月)by 堀伸樹

-1989年6月に狭心症(冠状動脈1本が詰まる)でカテーテル治療、その後3ヶ月
ごとに通院、今度は冠状動脈3本とも詰まり、心臓バイパス手術で1ヶ月半入院、
手術の成功で寿命が少し長くなったか?、暫くは謹慎が必要に、無理はできずー

① 2012年9月始めに心臓カテーテル検査のために2泊3日で虎ノ門病院に入院し、検査を受けたら、心臓に血液を送る冠状動脈の一部が長い部分で細くなっており、一種の内科的手術である『ステント(カテーテルによって金属製の網で詰まった部分を拡大して維持しようとするもの)』では回復できないので、バイパス手術が必要であると宣告された。結局、9月18日(火)に入院することとなった

② これまでの経緯

・ 1989年(平成元年)3月末に、出張したニューヨークのホテルである朝早く、胸が痛くなって飛び起きた。痛みはすぐ直った。

・ 帰国後、朝、髪のシャンプーで両手を上げて髪を掻いたり、通勤のために駅まで自転車でこぎ始めると胸が痛くなり、止めるとすぐ痛みはなくなったが、だんだんひどくなっていった。

・ 安静心電図では異常はないが、階段上りの負荷心電図では検査時間3分間のところ2分で痛くなり我慢できないようになった

・ 結局、6月4日の北京・天安門事件の直後に虎ノ門病院に入院し、カテーテル検査により、3本の冠状動脈のうち、1本が殆ど詰まっていることが分かり、その数日後に『バルーン(風船)』によって詰まった部分を70%まで拡大し、痛みはなくなって回復した(バルーンの20%程度は、再狭窄する可能性があり、半年後の12月に再入院してカテーテル検査を受けたが、幸いにもその恐れはないとされた。カテーテル検査は、腕(付け根かひじ)の動脈から挿入した細い管のカテーテルで心臓近くまで伸ばし、造影剤などによりビデオを撮るもの)

・ その後は、20年以上にわたって3カ月おきに通院し、血液をさらさらにする薬などの服用で、特に問題なく推移してきた。(2009年6月末に完全リタイアした)

・ 2010年ごろに久しぶりにカテーテル検査を受けたが、様子を見ようという結果となった(検査を行った医師は、検査直後に何かした方がいいように話したが、その後の専門医チームによるカンファレンスにより様子見となった模様。ホッとしたことを思い出す)

・ ところが、最近この数ヶ月で、早足で歩くと胸が少し痛くなることがたまにあり、それを医師に言ったら、またカテーテル検査をすることになり、上記の結果となった次第である。ただし、20年以上前と異なり、胸が全体で痛くなることは全然ない。そのまま過ごしていると、いずれ心筋梗塞や心不全となるのか?

・ カテーテル検査は、合計4回受けたが、最初は腕のひじからだったが、最近は腕も付け根からとなり、カテーテルもかなり細いものとなっているようだ

・ ただし、最近数ヶ月は、両足が朝などパンパンに張れて気になっていた

・ 専門医によるコンファレンスで各種の検査データを下に個々の患者に対する処置が決定されるようだ

③ 入院後の経過(手術まで)

・ 9月17日に出発し、当日は上野に泊まり、翌18日朝に虎ノ門病院に入院した。(新館4階の432-3(6人部屋、部屋代は無料、窓際のベッド)

・ 大体3メートル×4メートルのスペースで天井まであるカーテンによりほぼ個室状態となる。患者同士の会話は殆どないようだ。患者は、医師・ナースとの会話以外は見舞い客と行うか?患者は殆ど高齢者のようだ。小型テレビがあり、1000円カードを挿入すると1000分だけイヤホンで視聴可能となる。(大体2日でテレビ・カード1枚を購入)1989年入院当時は、就寝時にはカーテンを引いたが、日中はカーテンを開けていたので、患者同士で会話があった。当時、10日ほどの入院で同室者は延べ12人ほどで、殆ど60台以上のようで、私は50歳で一番若い部類だった。

・ 担当医師は3人でうち一人は女医さん(研修中で30歳前後?)だったが、その後若い男性医師と交代した。面倒を見てくれるナースは入れ替わり立ち代わりで、合計8人ぐらいか。担当ナース(金木さん)は30台後半?でやや小太り。恐らくチームによるシフト制(日勤、夜勤)で各ナースは3,4日ごとに現れる。夜勤は一人。

・ 手術は、10月10日頃という話であったが、結局10日に実施されることになった。外科の日程いかんであり、確定後、外科の医師が来るようになった。やはり3人ぐらいが担当する模様であり、うち女性医師(小林さん、30台前半?で人懐っこい)が毎日来るようになった。患者の手術に対する不安を解消することも目的の一つか?いつも何か聞きたいことはないかと言われる。1週間ごとか?「部長回診」があり、ぞろぞろやってくる。部長らしい中年の医師が「どうですか」と声をかけて終わり。大学病院では、教授回診か?

・ 入院後は、毎日2つぐらいの検査があり、頭や内臓のMRI,CT、レントゲン、心電図や採血も何回か行った。体温、体重、血圧、血糖値の検査は毎日3回行う。検査が終われば、3回の食事を食べるだけ。(体重は、パジャマ・スタイルで大体58キロ強を維持している。深夜に500ccのボトルの水を飲んだ後測定し58.60キロで、すぐトイレに行った後再び計ったら58.30キロに低下した)

・ 外出・外泊は、担当医師の許可がそのつど必要で、ナースを通じてお願いしなければならず、厄介だ。結局、これまで4回ほど外出し、10月5日(金)に1泊で翌日戻りで入院後始めて自宅に戻った(祝日の8日(月)まで自宅で過ごすことも可能であるが、手術前なので早く戻ることにした)

・ 10月5日(金)午後3時頃に出発したが、最初は足が重たかったが、次第になれてきた。地下鉄・日本橋駅でおり、丸善書店に寄り、上野経由で勝田行き(すべての普通車が座席一杯なため、グリーン車:750円に乗り、天王台駅からは、タクシー(710円)で帰着した。グリーン車は快適だが、乗車券:620円より高い。(グリーン券はスイカで駅の販売機で購入、乗車後、車両の天井でかざすだけで登録されるー始めて経験した。グリーン車の乗車は2回目) ・ 心臓手術は、月水金に行われる模様。手術に関する危険(殆ど可能性はないとのことであるが)に関して4種類ほどのペーパーに署名させられた(本人分が渡される)。

・ 午後9時半に消灯になり、翌朝6時に部屋の照明が付くので、その間は物が読めない。手元まで照らせるランプはあるが、誰もつける人は殆どいないので、読書などは不可能だ。早寝で深夜2-3時などに1階に下りて誰もいない中で本など読んでいたが、ナースに見つけられて、上に上がってくれと言われ、4階の談話スペースで一部照明をつけて読んだりしたが、ここでは時々ベンチで寝ている者がいるときがある。早朝の時間をどう過ごすか、厄介だ。ポケット・ラジオを持ってきたが、面白い番組があればいいが(NHK第一放送の対談番組など)

・ 手術の際の輸血用に、2度(9月20日、27日)、自己血液採血(400cc)を行ったが、回復には1週間程度かかり、採血後の3日程度は貧血で厄介だった。3日目あたりが一番ひどいようだ。体全体で血の気が不足している感じで、外出時もゆっくり歩いた。採血と同時に200ccの食塩水を点滴で補うが、それではとても足りないようだ

・ 土日は検査もなく、体重(1日1回)、体温、血圧、血糖値の測定だけ。もう3回目だ。

・ 食事(私の場合、低カロリー・減塩食)は、ナースなどがベッドまで運んでくれ、食べたら、移動可能な棚に自分で返す。大体、鳥か魚のメインディッシュと野菜の煮付けなどのおかずで、味と量はまあまあ。大食いの人は物足りないか?

・ ドクターとナースの水準は多分高いようだ。1989年当時に、虎ノ門病院は、ドクターのシステム、ナースのシステム、設備や管理システムの3つが良くできているという印象だった。当時、五反田のNTT逓信病院は、設備は一流だろうが、ドクターのシステムはバラバラという印象だった。多分、虎ノ門は一貫してよく管理され、逓信病院は医師の出身大学などが多様で、企業病院中心であり、バラバラに管理されていたのではないかと当時思っていた(こういう見方が成り立つかどうかは、まったく自信なし)

・ ただし、虎ノ門病院は、医師・ナースとも患者に対して、やや上から目線のようだ。外出許可など、お願いする、認めてやるという感じ。優良病院のため、同質的で世界が狭いか?

④ 手術 ・ 結局、心臓に血液を送る冠状動脈3本の全部が詰まっており、カテーテルによる「内科的手術」(内科の医師が行う)では困難なため、心臓バイパス手術(外科)をすることになった ・ 10月10日(火)の手術日には、朝8時に手術室に入室し、9時ごろ手術開始で呼吸マスクをつけられて「ゆっくり深呼吸してください」と言われ、すぐ意識がなくなり、気が付いたら、午後5時ごろ集中治療室(CCU)のベッドに移されていた。手術は、麻酔医師を含めて、5,6人の医師とナースで行われたようだ。8時間の手術はどう行われたのか?人工心肺も使われたらしい

・ CCUは5日間おり、24時間監視体制の下に置かれたが、ナースが歩いたり、夜も照明が残って、やや落ち着かなかった。治療と栄養補給のため点滴が行われ、導尿管で垂れ流し、大便はそのつどナースに頼んでビニール状のものをあてがって行った。手術後数日間は殆ど食べることはなかったので(点滴で栄養を取る)、ガス(おなら)を催すと、何度もガスを連発し、気が引けた。多分、3つのCCUベッドが並んでいたようだが、壁にさえぎられており、よく分からず。 ・ 脈拍、心電図、酸素の血中濃度測定の装置が胸に取り付けられ、無線でナースステーションの作業スペースと結んでおり、寝返りで電極が外れるなど、何かあるとアラームが鳴るのか、ナースがすっ飛んできた。

・ 手術後、胸にいつも痛みとかゆみがあるようになり(痛みはひどくはないが、常時、違和感がある)、退院した今でも残っている。あと何ヶ月か残るようだ。(個人差があるとのこと)

・ 2日後の12日夜に不思議な夢を見た。何かに追っかけられて、必死になって逃げ回り、気が付いたら目が覚めていた。極彩色の世界で、都会の街路だったり、海だったり、宇宙だったりした。心臓手術で体が大変な異常状態だったからか。その後は、このような夢は見ていない。その後で見る夢は、いつものように白黒であった

・ 術後暫くの間(数日)、鼻の両穴につける形で、酸素が補充された

・ 手術後、足の腫れは殆どなくなった

⑤ 一般病棟へ

・ 手術後6日目に一般病棟に戻り、2週間以上過ごした。食事もかゆからご飯に変わり、それに伴い、点滴も外され、胸の測定装置も外された

・ 手術の2週間後の24日にカテーテル検査を受けて、冠状動脈の状況などが確認され、順調に回復していると言われた。検査は、左足の付け根の動脈に穴を開けて、カテーテルを心臓部分に送って、造影剤で心臓の機能状況を把握する形で行われ、1時間ぐらいかかり、さらに血止め作業のため1時間ぐらいかかった。その後6時間ほど左足は固定された。この検査で最終的に退院が決定された模様。心臓の筋肉などに異常はないとのこと

・ 手術後1週間は、感染や炎症防止のため、抗生物質の点滴投与を朝夕2回受けた

・ 点滴装置が外されてから、トイレなど自由に歩きまわれるようになり、部屋の照明が暗い早朝には,1階のベンチに行って、乱読をするようになった。外出したかったが、許可が必要で結局行わなかった

・ リハビリは、リハビリ療法士さん(30代の男性)により手術後すぐに始まり、退院前日まで続いた。手術後当初は、ベッドの上で足のマッサージや屈伸程度で終わったが、点滴が外れると4階通路の歩行(1周:100メートルを3周)、その後は地下1階のリハビリ室で足腰の屈伸、自転車漕ぎ(10分、1秒:1回転で600回)を合計20分以上行った。リハビリ室では、各種の器具を使って、老若の男女(若者は殆どいない)の患者が療法士の指導を受けて、階段(4段)を上ったり、歩く練習などを行っていた。リハビリは、いずれ社会復帰?できるという希望となり、有難たかった。リハビリで自信ができたにもかかわらず、外に出ると、すぐ疲れ、ゆっくり歩いてようやく帰宅できた。気持ちだけでは、思うようにならず。

・ 自動販売機で、カロリーオフ(ゼロ)の清涼飲料水(レモン水や低カロリーのキリン・メッツ・コーラなど)をよく買って飲んだ

・ 低カロリー食のため、体重は2キロ程度減った(入院時の58キロ台→56キロ台へ)ー退院後も毎日体重を計れと言われた

・ 結局、1ヵ月半の入院生活となった(手術前:22日、手術後:23日)

・ 11月3日午前に退院したが、すぐ疲れて、結局、上野近くのホテルに昼頃に行き泊まってしまった。歩く練習はリハビリでしたが、まだまだ回復していないことが分かった次第

・ 入院費は、9月分(13日)、10月分(31日)、11月分(3日)の合計で、約27万円-保険で幾ら戻ってくるか

・ 退院前日に主治医から注意事項を家族とともに聞いたーゆっくり歩け。自転車は数週間後から乗れ。回復までに3ヶ月ぐらいかかる。あわてるな。風呂はつかるぐらいにしろ。重い物は持つな。階段はできたら避けよ。無理はするな ・ 退院前日に『負荷自転車こぎ』をやり、医師の監視の下で体力検査が行われたー呼吸マスクをつけ、自転車をこぐが、最初の4分間は負荷なしで、その後は負荷が少しずつ課され、強くなっていく。次第に呼吸と足が苦しくなってゆき、10分ほどでドクターストップとなった。脈と呼吸が収まるまで数分を要した。私は1分間で脈拍120回までは運動していいと言う結果となった

・ 手術による傷跡は、首のしたからへその上まで20センチほどあり、痛みとかゆみとなって残っている。いつまで続くか

・ 暫くは、最寄りの駅までの往復(約1.6キロでいつも自転車を利用)はタクシーによる必要がある(我が家には自動車はない。歩くのは面倒)

⑥ その他の感想など

・ 手術は、3年前の左ひざの人工関節置換手術(1ヶ月、慈恵医大柏病院)と今回で2回目(この後、海外旅行の自動検査機で必ず引っかかり、女性係員により検査器により頭から足まで調べられるようになったー多分、金属が左ひざにあるのだろう)

・ この間で世界や日本で起こったことーオスプレイ配備のすったもんだ、尖閣諸島に関する日中間のトラブル、沖縄の駐留米軍問題、米国大統領選挙(投票日:11月6日)、日本の政界の与野党対立と野田民主党内閣のよく分からない対応、衆議院の解散はいつか、石原都知事の辞職と橋下・大阪市長による新党結成の動き、シリア内戦(停戦協定はすぐ破棄へ)、中国のリーダー交代(11月8日から共産党大会)をめぐる不可解な動き、尼崎の複雑な家族状況による10人近い殺人事件、浪速のユーモア作家の藤本義一氏(79歳)の死去

・ みのもんたの『朝ズバ』(TBS、5時半―8時半)、テレ朝(5チャンネル)の一連の報道番組(6時ー10時)、NHKニュースなど、暇つぶしをしてきた。

・ NHKの朝ドラ(8時から15分)の『純と愛』は、ぜんぜん面白くなく、余り見なくなった。最近では一番つまらないのではないか。ストーリーと主演俳優(男女)の両方であるが、多分出演俳優のせいではないだろう。朝ドラはいつもはリタイア後の楽しみであったが。 ・ 入院した9月18日は、60年以上前の柳条湖事件の記念日で中国では「屈辱の日」となって、野田首相による尖閣諸島の国有化の発表(9月11日?)以来、中国各地で反日運動が恐らく政府主導で行われ、ピークに達した頃であった。しかしその、翌日には、反日暴動はぴったり終了した。日中関係は、今や最悪の状態だと言われている。日韓関係も任期少ないイミョンバク大統領の不自然な竹島訪問後ギクシャクしている。最近、汚職や腐敗による嫌疑で大統領の親族の逮捕が続いている。

・ 米国大統領選挙で、オバマ現大統領(民主党)とロムニー共和党候補の戦いはどうなるかーロムニーが当選した場合、対日関係を含む外交戦略はどうなるか

・ 胸の痛みでうかうかすると前屈みになりそうなので、できるだけ背筋を立てるようにしている(椅子に座る時に、しりを深く座り、背中を背もたれにつけるなど)

・ 内科と外科ー手術前は内科中心(循環器)であったが、手術に際し、外科の所管となり、当面は外科医の指導下にあるが、一段落すると内科に戻るらしい。内科と外科の役割分担や相互関係(協調と競争)、医師・看護師の気質の違いなどどうなっているか(外科は、「切った張った」があるので決断力を問われ、さっぱりしている?)

・ 病院は、本館(外来棟)と新館(病棟)に分かれ、後者は13階で3-12階の各フロアは病気別の構成となっている。4階は循環器センターとなっており、内科と外科にまたがっているようだ。その他の階では、呼吸器センター、消化器内科、消化器外科、肝臓内科、脳神経外科などとなっている。各階は同じ構成となっているようで、中央部にナースセンターがあり、付随して作業スペースがあり、幅3メートルの通路を挟んで病室が東西南北に並んでいる(6人部屋、4人部屋、二人部屋、個室などー6人部屋だけ無料か?)各階に、7,80人の患者、10数人の医師、数十人のナースがいるのか(人数はまったくの当てずっぽう)

・ 体調が回復するためには、数ヶ月の期間がかかりそうだー来年初めまでおとなしく謹慎するか?(元気になったら、どこへ行こうか)

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