「定年後-50歳からの生き方、終わり方」(楠木新、中央公論社新書、
2017円4月、著者は1954年生まれ、「会社が嫌いになったら読む本」、
「サラリーマンは、二度会社を辞める」、「知らないと危ない、会社の裏
ルール」など好著あり)
― 日本社会では、「定年」制度があり、1000人以上の会社では、9割の社員は「60歳」、6%程度の社員は「65歳以上」になると辞めなければならない、60歳で引退するのは早い、定年制度は終身雇用と年功序列賃金に基づくものであり会社として経営を維持するために必要となっている、しかし自営業では定年はない、定年後も継続雇用制度(再雇用)を適用している場合もある、ただし、勤務条件は通常かなり低下する、前期高齢者(65-74歳)と後期高齢者(75歳以上)ではライフサイクルが異なる、定年の60歳から74歳までの黄金期間をどう過ごすか、自由時間が増えるので趣味を持つ、米国では定年制はない(雇用における年齢差別禁止法)、定年後はお金が一番心配、イキイキした人は2割未満、高齢者のトリップ(移動)は10年で2倍、誰もが一人ぼっち、悠々自適は75歳以上の後期高齢者で、「亭主元気で留守がいい」、経済優先から人生優先へ、日本人の平均寿命―男:80.5歳、女:86.8歳、退職後も社会と間接的につながる、在職中に専門性を磨く、高齢者の定義を現在の「65歳以上」から「75歳以上」に変えてはどうか(65-74歳は「准高齢者」)、高齢になっても社会の一員として生きる、定年後の目標は「いい顔」で過ごすこと ―
① 人生は後半戦が勝負
・ 自由にできる8万時間
・ 75歳までの「黄金の15年」
・ 50代からの助走で大丈夫
・ 「いい顔」で死ぬために
・ 終わりよければすべて良し
・ 定年後に待ち受ける「現実」を明らかにし、真に豊かに生きるためのヒントを考える
② 経済的な余裕だけでは足りない
・ 某氏は、高校卒後同じ会社で40年働いて、60歳以後も働くつもりだったが、定年退職の数ヶ月前に、会社から、週3日の勤務で、労働時間は週に20時間という条件を示されて、驚いた
・ 特に、嘱託のため社会保険が付与されないことに驚いた。
・ 彼の会社では、60歳以降に雇用延長する社員を2つに分けて、上位層には給与は下げてもそれなりの対応をするが、そうでない社員は社会保険が付与されない嘱託扱いとなる
・ また、仕事の内容も、店舗の応援要員で仕事の繁簡や社員の休暇で働く場所が変わった
③ ライフプラン研修とおりにはいかない
・ 社員が50代になると、定年後に向けて社内で「ライフライン研修」が少なくない。労働組合がセミナーを主催していることもある。内容は以下の4点であろう
・ 受け取る年金額をきちんと計算して老後の資産を管理すること
・ 今後長く暮す配偶者と良好な関係を築くこと
・ これから老年期に入るので自分の体調面、健康にも十分に配慮すること
・ 退職後は自由な時間が生まれるので趣味を持たなければならない
・ 多くの会社の就業規則では、定年は60歳であり、まだまだ体力、気力、経験もあって、引退するには全然早すぎると言えるだろう
・ 対象者は、これから社会人になる新人社員でなく、40年近く組織で働いてきた人間なのである
④ 全員が合格点
・ 定年制を定めている1000人以上の企業の割合は95.4%、「60歳」とする企業が90.4%、「65歳以上」が6.7%である。全体としてはほぼ60歳となっている(就業規則に記載されている)
・ 定年年齢も55歳から上昇して、1998年(平成10年)以降に60歳定年制が義務化された。
・ 定年制度は、おかしいという見方がある―60歳になったら強制的に会社を辞めなければならない。60歳は引退するには早すぎる。働く意欲と能力がある人を一律にやめさせることは合理的ではない。今後の高齢化社会を考えると、社会的にも損失であろう」
・ 個人の自立的人生設計のために、定年はなくすべきだ
・ 自営業では定年はなく、米国においても「雇用における年齢差別禁止法」によって、年齢を理由とした雇用差別は禁止されている。「定年は当たり前の制度ではない」
・ 当たり前ではない定年制度が、個々の社員の意欲に合致せず、人材活用の面からも合理的でなく、社会経済的の問題があるにもかかわらず、当然のように運用されてきたのか
・ 企業も、60歳以降でも働く社員にどういう仕事を付与するかも各社で検討されている
・ 定年を必要とする理由は企業内の年功的な賃金体系によるものであり、給与が、社員が若いときには、貢献度より低い賃金を払い、中高年になるとその差分を追加して支払っている。この結果、定年が必要になってくるというものである
・ また、定年までは解雇されないという雇用保障の側面がある
・ 働いている間は、自分のライフステージとキャリアステージの両方を会社が面倒を見てくれたが、定年以降はそれらが全く期待できなくなる
⑤ 定年後の雇用延長
・ 2013年に改正高年齢者雇用制度が施行されて、企業は3つのどれかを選択しなければならなくなった―定年の引き上げ、継続雇用制度の導入、定年の定めの廃止
・ 大半の会社は、雇用継続制度(再雇用)の導入で対処している
・ ただし、定年前の勤務条件が延長されるわけではない―役職はなくなり、契約も一年後との業務委託契約となり、報酬も大幅に削減されたりする。定年前の3割水準という場合もある
・ 仕事も補助的な作業や、単純な作業を割り当てられることもある
・ お金のことが一番心配―老後の生活の不安、「老後破産」医療費や介護の心配
・ 年金財政と同様に、介護保険の収支もきびしくなっている
・ 生命保険文化センター「生活保障に関する調査」(2016年)-夫婦2人の老後日常生活費:月額22.0万円、25年間で6000万円、65才以上になって受け取る標準的な厚生年金額:22.0万円(これに退職金や企業年金などを加えると、最低限の生活費は何とかなるだろう)
・ 投資のリスクには注意―安全性を前提に分散投資をしてはどうか
⑥ イキイキした人は2割未満?
・ 「半年経つと立ち上がれない」-定年退職後の生活のリズムをいかにつけるか(会社を退職した当時は、開放感は予想以上だった)
・ 曜日の感覚がなくなる、手帳を見ることが少なくなった
・ 36年間の会社生活を終えて、定年で退職したが、開放感は残っていたが、同時に会社からの拘束や仕事上の義務などの中に自分を支えていたことがあったことに気がつき始めた。
・ 会社員は自分で工夫しなくても、会社が自然と「オン」と「オフ」のスイッチを切り替えてくれる―始業、昼休み、終業のチャイム、同僚と一緒のランチなど
・ 退職に伴い、36年間の生活リズムが崩れだし、遅く起きる生活習慣に移行する。一方、学生時代は宵っ張りの生活だった
・ 退職した後も、会社員当時の夢を多く見るようになったのは不思議な感じだった。
・ 名前を呼ばれるのは、病院だけ―家族からは「お父さん」と呼ばれ、電話やファクスも自分宛には来ない
・ 同じ通勤電車、同じ仕事、同じ同僚、変わらないランチ、それをあと5年も続けることが嫌になり、定年退職を選択したが、それらが懐かしくなってきた
・ どのような人が、「いつ」、「どのような目的で・交通手段で」「どこからどこへ」移動したかについて行った「パーソン・トリップ調査」によると、男性の「自宅-通勤」は、25歳~59歳までは27%から31%でほぼ変わらないが、60歳~64歳では20%、65歳から69歳では11%と激減する。定年退職の影響が表われている。女性では、「自宅-通勤」は、25歳から29歳で26%と最も高く、30歳から59歳までは15%~19%となっている。60歳から64歳で10%、65~69歳で5%と激減する
・ 高齢者(65歳以上)のトリップ数は2008年には10年前に倍増しており、高齢化社会の進展がうかがえる
・ また、調査では、非高齢者の代表交通機関は鉄道であるが、高齢者では自動車などに取って代わられる。仕事を辞めた高齢者が自宅近くで活動する例が多いのだろう
・ スポーツクラブは大盛況―住宅地域に近いターミナル駅にあるスポーツクラブは、開館の9時には長い行列ができる。男性、女性を問わず高齢者が並ぶ姿は壮観だ。午前中は高齢者が中心となっている。午後になると、主婦など女性が見えるようになり、夕刻以降は仕事帰りの若い男女が目に付く
・ 一方、図書館では、開館後、高齢者の間で読みたい新聞の取り合いになったりする
・ ショッピングセンターなどでも、高齢の男性が増えている
⑦ 定年退職者を探せ
・ 証券会社は、投資運用や相続税対策などで相談するために、多くの年配者が訪れていた
・ 60歳過ぎの定年退職者は、まだ若いそうだ。
・ 昼間の映画館やカラオケ店でも1人で来る男性が多いようだ。理髪店でも10時開店直後は高齢者の男性が多い
・ 誰もが一人ぼっち―定年退職者の特徴(退職後の「居場所がない」)
・ クレーマーは元管理職が多い―多分、退職後の高齢の男性が店の店員などにクレームをつけている場合が多い。その場合、苦情を言うのは元管理職が多いようだと推定される
・ 60代の高齢者の話―「元気な人は同期の1割5分」元気な人は、教育関係に取り組んでいる、若い人に役立つことをやっている、若い頃の自分をもう一度取り戻している、会社以外の仕事にかかわってきた
・ 悠々自適は似合わない―退職で自由になった時間をどうすごしていいかわからない人は少なくない。「毎日やることがなくて困っている」、一番自由な今が一番しんどい」、「家で居場所がない」、「暇になったのにあせる」、「嫌な上司もいないよりマシ」
・ 「このままの毎日が続くと思うと、「自分の人生は何だったのか」と思うことがある」
⑧ 亭主元気で留守がいい
・ 日本人男性は世界一孤独?-仕事以外の日常生活において、友人や同僚とスポーツや教会、文化的サークルや活動に参加した経験に関するOECD調査によると、日本人男性の場合、「殆どない」が17%で一番高い部類となっている(OECD平均:7%)
・ 日本人男性は、定年退職とともに仕事だけでなく人間関係も失うことになる―「定年後、日本人男性は世界一孤独となる」
・ 退職後は、名刺も役に立たなくなる
・ 会社は天国?-60歳で退職して引退するのは少数派だ。会社に行けば、人に会える、昼食を一緒に食べながらいろいろ情報交換できる、若い人とも話ができる、出張は小旅行、接待は遊び、歓迎会、送別会など。遊び仲間、飲み友達もできる、会社のお金でゴルフもできたりする、規則正しい生活となる。上司がしかってくれる、会社は家以外の居場所となる。
・ 家族が手を焼いている定年退職者は少なくないようだ―妻にあれこれ言ったり、テレビも独占したりする
・ 主人在宅ストレス症候群―夫の在宅によってもたらされるストレスが主な原因となる主婦に発生する様々な疾患(うつ病、高血圧、ぜんそく、十二指腸潰瘍、キッチンドリンカーなど)
・ 経済優先から人生優先へ
⑨ 「黄金の15年を輝かせるために
・ 役職と定年後は相関しない―
・ ライフサイクルで考える―「論語」の中で、孔子は「15歳で学問を志し、30歳で独り立ちし、40歳で迷うことがなくなり、50歳で天命を理解し、60歳で人の意見を素直に聞けるようになり、70歳で思いのままに行動をしても人の道を踏み外すことがなくなる」
・ 定年後は3段階―平均寿命、平均余命、健康寿命
・ 厚生労働省による2014年の平均寿命―男性:80.50歳、女性:86.83歳(男女とも毎年少しずつ伸びている)
・ 60歳の男性の平均余命:23.56歳(85歳前まで)、女性:28.68歳(90歳近く)
・ 健康寿命(健康で活動できる期間)―男性:79.55歳の平均寿命に対して70.42歳(不健康期間:9.13年)、女性:86.30歳に対して73.62歳(12.68年)しかし、健康期間はもう少し長いのではないか
・ 男性の3つのパターンー2割弱の男性は70歳になるまでに健康を損ねて亡くなるか介護が必要となる。7割の男性は75歳頃から徐々に自立度が落ちていく。残りの1割の男性は90歳近くまで自立を維持する。女性は9割近くが70歳半ばから衰えていく、男女とも後期高齢者に該当する70台半ばから徐々に自立度が落ちてくる
・ 従って、「65-74歳の前期高齢者」と「75歳以上の後期高齢者」とは、ライフステージが変わると言っていい
・ 「日本老年学会」は、2017年に、高齢者の概念を75歳以上に見直し、65-74歳は「準高齢者」と変えるように提案している
・ 本書では、「定年後」は60歳―74歳までを主な対象としている
・ 身体が健康であれば自分が目指すものに挑戦し、悠々自適は75歳以上の後期高齢者になってから考えたらどうか
・ 本当の黄金期間は定年退職後の60-74歳までの15年間だ―8万時間(11時間×365日×15年)
⑩ 社会とどうつながるか
・ 「重い夫婦、軽い夫婦」―クルーズツアーに乗っていたある奥さんは夫と一緒は耐えられないという感じだった。軽い夫婦の夫は、まだ組織で働いているとか事業をしていた。重い夫婦の夫は会社を退職して家でゆっくりしている人が多かった
・ 社会と間接的につながる―会社員は、会社を通じて社会と間接的に向き合って、書類を作成するなどして、給料をもらっている。一方、個人事業主は直接社会とつながっている。
・ しかし、退職すると、社会とのつながりがなくなってしまう。ただし、このことを認識している人は極めて少ない。
・ ニーズがつかめない―在職中に専門性を磨いておくことが、退職によって社会とのつながりがなくなることに対する唯一の対策だろう。
・ 定年後の60歳から74歳までは、自分自身を縛るものが少なく、活力を持って動ける「黄金の15年」である。人生後半戦の最大のポイントであり、自分らしいものを見出したい。
⑪ 定年退職後の仕事の例
・ メーカーの部長職→美容師
・ 生保会社の部長職→保健分野の大学教授
・ 総合商社の営業マン
・ 鉄鋼会社の社員→蕎麦うち職人
・ 電機メーカーの管理職→高校の校長
・ 小学校教師→市議会議員
・ 損害保険会社の社員→トマト農家
・ 市役所の職員→大道芸人
・ 薬品会社の人事担当役員→セミナー講師
・ 石油会社の社員→翻訳家
・ メーカーの営業マン→墓石販売
・ 通信会社の社員→提灯職人
・ スーパーの社員→NPOの職員
・ 地方公務員→ 耳かき職人
・ 得意なことに軸足を移す
・ 「60歳から始める小さな仕事」-古本屋、蕎麦屋、パン屋、リフォーム店、葬儀屋、役者、僧侶、漁師、タクシー運転手、通訳・翻訳家、花農家など
・ 定年後に仕事をしたい人は、会社にいる40台ぐらいから、市場調査をしたり、商売のやり方を考えておく必要がある。会社員人生の後半である40代後半や50台から助走を始めるのが、スムーズな定年後につながる
・ 子供の頃の自分に立ち返る―小さい頃からものづくりが大好きで、手作りの模型飛行機などを作っていた電機メーカーの社員が、定年後の「リフォーム屋」で優れた仕事をしている例がある。
・ 会社員のときに身につけた知識や技量を定年後に生かす
・ 高齢になっても社会の一員として生きるようにしたい
⑫ 居場所を探す
・ 「定年退職後は、自分の活動の場、居場所は地域になる」ーこれは、定年後のことを頭でしか捉えていない
・ 例えば、停年退職者どうし農園で協力しながら、農作物を作るなど
・ 同窓会に出ると、脳が活性化される―50代になると同窓会が増えるが、昔の記憶をよみがえらせるので。また、会社以外の世界を知る機会となる、
・ 「居場所」―地域での活動、都市の中での農園での活動、大学院での学び、田舎に帰る、など。自分で見つける
・ 家族はつらいよ―「お父さんと居るのが私のストレス」、家族も年を取る
⑫ 「死」から逆算する
・ 定年後は逆算型生き方
・ 還暦のときに行われた高校の同窓会では、すべてのクラスで物故者がいた。定年後に何が起きても不思議ではない
・ 「生が終われば死も終わる」
・ 60歳の定年退職者は「元気で働ける年齢を74歳」とするなら、また、「残りの人生が30年あるなら」、死を意識してそこから逆算して自分の未来を考える
・ 「最後に食べたいもの」―最後の昼食は豚マン、「お袋のおにぎり」(ジャイアント馬場)
・ 「良い顔」で死ぬために生きている―定年後の目標は「いい顔」で過ごすこと。
I like hiking very much. I used to go hiking with a Korean hiking club named “AhToSan.” This blog introduces mostly my hiking activities in Korea and Japan, and Sydney in Australia. As of January 2020, I live in Sydney suburb. I go Blue Mountains and bush walk in Sydney area. 私は2003年から2014年まで韓国の大田(テジョン)に住んだ日本人である。11年間、週末は主に「アトサン山岳会」に参加した。14年4月に帰国したが、2020年以降はおもにシドニーで暮らし、時折、日本へ帰国する程度である。したがって最近の記事はSR(Sydney Report)としてブルーマウンテンのトレッキングを中心に書いている。
About pictures/当ブログ内の写真について/당 블로그내의 사진에 대해서
Most of the pictures in this blog are taken by my camera, yet some of them were downloaded from the website of the hiking club. If you click any pictures, they become the original size.
当ブログ内の写真の大部分は筆者のカメラで撮影したものですが、一部、山岳会の共有写真からダウンロードしたものを含みます。すべて、各写真をクリックすれば、元のサイズに拡大します。
당 블로그내 사진의 대부분은 필자의 카메라로 촬영한 것입니다만 일부 산악회 공유 사진으로부터 다운한 것도 포함합니다. 모두 각 사진을 클릭하면, 원래 사이즈에 확대합니다.
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2017年10月19日木曜日
2017年10月18日水曜日
「この時代の日本に生きて―昭和10年代生まれ(70-80歳)の場合」by Nobuki Hori堀伸樹著
「この時代の日本に生きて―昭和10年代生まれ(70-80歳)の場合」
堀伸樹
―戦争末期、復興期、高度成長時代、安定成長時代、長期低迷期、我々世代は20世紀から21世紀にわたり、昭和と平成にかけて、かなりの経験をした、戦後復興で活躍した昭和一けた世代と日本人の新しい局面を開いた団塊の世代の間で我々地味な世代はどうだったか? 比較的幸せだったか(個人にもよるだろう)、我々世代はよく働いたか、日本人の国民性―同質的、経済水準や教育水準・民度は高い、島国根性、優れたリーダーは現れない、多様な議論やコミュニケーションが少ない、第3の開国(明治維新、戦後の復興に次ぐ)に向けていかに閉鎖性を打破するか、グローバリゼーションの進展において主体的にどうすべきか、2020年代以降のアジアや世界の発展にいかに貢献するか―
① 我々は、昭和10年代生まれ(1935-45年)であり、昭和一けた世代(80代)と戦争直後の「団塊の世代(昭和22-25年:1947―1950生まれ、いまや65歳以上)」の中間にある。その後は50代(1955-65年生まれ)、40代(1965-75年生れ)の時代となる。それぞれの世代は、日本のこれまでの発展に対していかなる感慨を持っているか
② 1939年生まれの私の場合、戦争の思い出は殆どないが、終戦の1945年4月に兵庫県芦屋市立山手小学校に入学し、終戦直前の8月5日夜に阪神地方に空襲があり、母に手を引かれて近くの親戚の防空壕に避難したかすかな記憶がある。借家の50メートル先までの地区は焼夷弾で焼かれた。終戦の日(8月15日)の記憶はない。また、戦前以来の軍事教育の記憶もない
③ 日本の殆どの都市は、連合軍の爆撃によって破壊され、惨憺たる状態だった。内外の300万人以上の日本人が死亡したと見られる。そこから日本の戦後の復興が始まった
④ 戦争が終わって平和となり、その直後、昭和22年から25年頃までベビーブームとなり、いわゆる「団塊の世代」が登場した。我々の同期(同じ年に生まれた人の数)は約200万人だが、彼らは250万人だった(現在20代の世代では120万人,今では100万人,今後どんどん減っていくだろう。主要な出産年齢の20歳―40才過ぎの女性の数が次第に減っていくので)米国などで、戦後「べビ―ブーマー時代」はもう少し長く続いたか
⑤ 小学校で二部授業の記憶はない、3年生までは芦屋、4年生は東京都杉並区上高井戸、4年生から中学卒業までは埼玉県浦和市だった。みんな貧乏で、子供たちは勉強中心だった。午後3時半ごろ学校から帰ると、日が暮れるまで、近所の子供たちと遊んでいた。塾などなかった。私は6年生までガキ大将だった。メンコ遊びで負かして、小さい子達からメンコを奪ったことがある。学校の給食は、駐留軍支給のコッペパン中心だったか、記憶は定かでない(父は、結核のため、昭和23年に私が10歳のときに亡くなった)
⑥ 1950年(昭和25年)6月に朝鮮戦争が勃発し、3年以上戦闘が行われた。いったん、韓国軍は南部の大都市プサン近くまで追い詰められたが米軍の介入により巻き返し、その勢いで北朝鮮軍を中国国境まで追い詰めたが、今度は中国軍(義勇軍という名目)の参加により押し返され、結局、38度線前後でにらみ合う形で、休戦協定が結ばれた。その間に、日本企業や経済は韓国や米軍に対する軍用品や日用品購入による「朝鮮特需」に恵まれ、復興のための大きな機会を得た。
⑦ 当時は、第2次大戦後の冷戦体制の真っ只中だった。戦争直後から、欧米の資本主義自由主義連合とソ連圏の共産主義・社会主義体制との覇権争いが始まっていた。ソ連(スターリン)は1945年5月のナチス・ドイツ崩壊に伴い、ポーランドまで圏内に納めていた(冷戦は1990年代初めのソ連圏崩壊まで続いた)
⑧ 日本経済は、復興期を経て、1955年(昭和30年)頃から高度成長期を迎へ、年率約10%で経済成長していった。労働者が働けば、企業が成長し、国が発展した。幸せな時代だった。高度成長は、第4次石油ショックが起こる1973年(昭和48年)まで続いたと記憶する。日本経済は1968年に西ドイツを抜いて、自由主義諸国第2位の経済大国となった。1990年代初めにソ連圏が崩壊してから日本は世界第2位の経済大国となり、最近、中国に抜かれるまでその地位を維持してきた。資源のない極東の島国で、日本人はよくやってきたと言えようか?
⑨ 我々は、ともかく勉強中心だった。安定した大企業に就職するためにできるだけ評価の高い高校や大学に合格するのが、終始一貫した目標だった。私は1958年(昭和33年)に大学に何とか合格したが、教養学部1年半と経済学部2年半で何を勉強したか、よくわからない。文系のうち、法学部は憲法、民法、商法、訴訟法、国際法、労働関係法、産業別法、外国法(英米法、フランス法、ドイツ法など)など法律と条文、政策、裁判と判例が明治時代以来の蓄積があり、学ぶべきことは多々あるのに対して、経済学部の場合は、経済原論、財政学、金融論、国際経済学など担当する教授によって方法論や内容は異なり、確立していないような感じだった。法学と経済学との本質的違いではなかろうか?(ともかく、「経済学部は遊んでも卒業できる」と言われているが、今でもそうか?)当時は、大学卒は同期の2割程度だったが、現在は5割強となっている。今では懐かしい思い出だ
⑩ 我々世代までは、(特に男は)仕事中心だろうが(朝から晩まで夢中で働く)、団塊の世代以後は、仕事・家庭・レジャーのバランス中心だろう。現在の現役・若者世代はどうだろうか。要するに、我々世代は適当な相手と結婚して子育てにはげむことを求められていたのだろうか。それでも大半の男女は比較的幸せだっただろう?労働者が働き、企業が成長し、国家が急速に発展していたから。経済が成熟・低迷し、個人主義が中心の現在では考えられないか
⑪ 日本経済が70年代に石油ショック(1973年に中東の石油産出機構が原油価格を1バーレル当たり2ドルを一挙に8ドルに引上げた)を契機に、安定成長時代(年率4%程度)に移行してから、歴史的転換期の1989年(平成元年)まで日本に何があったのか?グローバルな動向にうまく対応したのか。内向き日本の欠点が働いたのか。世界第2の経済大国であるのに!いつでもリーダーシップ、責任を取りたがらない?(我々はでしゃばらない―国内でも世界でも)
⑫ 高度成長時代に就職した我々は幸せだった。私は1962年(昭和37年)に電電公社(現NTTグループ)に入社したが、初任給は当初16100円であったが、春闘の妥結により4月に遡って17800円となった。その後も、4月に定期昇給し、春闘によりベースアップして、昇格もあり、給料はどんどん?上がっていった。当時はそんな時代だった。有難い春闘はいつまで続いたか。当時は、終身雇用制、年功序列賃金、企業内組合が労使関係の3点セットだった。非正規雇用など聞いたことがなかった。経済成長のおかげだった。我々は末端でともかく働いた。半ドンの土曜日がすべて休みになったのはいつだったか。我々はひたすら働いたか、他にすることがなかったので?
⑬ 日本経済の転換期となったのは、1985年9月22日に先進5カ国(米英独仏日)によって結ばれた「プラザ合意」だったのではないか。米国経済は戦後世界で圧倒的な存在であったが、欧州諸国や日本経済の急速な復興により、相対的に弱体化し、ドル相場の位置づけの問題が重大化していた。ドルに対して円は戦後極めて弱かったが、経済発展とともに円高基調となり、輸出競争力も増していった。1971年には、1ドル=360円から308円に切り上げたが、その後さらに円の競争力は強くなっていった。そこで、プラザ合意(ニューヨークのプラザ・ホテル)により、円高の方向が合意され、1年後には170円、2年後には120円に引上げられた。(この結果、日本の円ベースの国内総生産(GDP)は殆ど変わらないのに、ドルベースでは世界有数となり、1人あたりGDPでは世界最大の部類となった。これからバブル崩壊まで一部日本人の思い上がりを生ずることとなった。我々は40台だった)しかし、これに伴い日本からの輸出が困難となり、輸出企業の多くは海外、特に東南アジアに生産拠点を移していった。国内製造業の空洞化が始まった。一方、日本企業の進出に伴って、東南アジア諸国の経済発展の契機となったと考えられる(私は9月20日に成田空港をたって2週間の米国出張を行ったが、行く前に1ドル:240 円でドルを買ったが、帰国後残ったドルを円に変えたら、1ドル=220円となって、損する結果となった)
⑭ 次は激動の1989年(平成元年、私は50歳)
・ 昭和天皇(1901年生れ)の逝去―1月7日に昭和天皇が亡くなり、63年に及ぶ昭和時代が終わった。平成の時代が始まった。天皇は12月末から危篤状況だったので驚かなかった。(盛岡の駅構内を朝7時頃に散歩していたときにアナウンスで知った)
・ 6月4日朝に中国で北京・天安門事件が起こった。春頃から学生による民主化運動が始まっていた。ソ連のゴルバチョフ書記が中国を訪れ、民主化を中国政権と話し合っていた。これに反発した実力者の鄧小平・元総書記が軍隊による学生の弾圧に踏み切ったのだと見られている。数百人が殺されたと発表されているが数千人との説もある。天安門事件は今でも中国ではタブーだ(インターネットでは論議を呼んでいるようだが。私はその数日後に虎ノ門病院に入院し、カテーテル検査を受けた結果、心臓に血液を送る冠状動脈が詰まっているのでその部分を拡大する一種の内科的手術を受けた。)
・ 夏頃から、東欧諸国では民主化をめぐる人民運動が盛んとなっていった。特に、東ドイツの民衆が社会主義の同盟国であるハンガリーに抜けて、その西ドイツ国境に押し寄せ、西ドイツへの旅行の自由を求めた
・ この結果、東ドイツの国境警備隊の連絡不十分もあり、11月9日深夜に「ベルリンの壁の崩壊」が生じた。ベルリンの壁は1961年に築かれ、西側と東側を数百キロに渡って分断していた。壁構築まで数百万人(東ドイツ人口の6分の1)が東から西へ自由と豊かさを求めて避難していた。東ドイツ市民はこっそりテレビで毎日豊かな西ドイツの街や人々の繁栄を見て我慢ならなくなったのだろう(私はドイツ出張の際に当時の西ドイツの首都のボンから西ベルリンに飛び、日曜日に東ベルリン・バスツアーに参加したことがあったが、東ベルリンの商店街は貧しく、人通りも少なく、青空だけが印象に残った。繁華な西ベルリンとはえらい違いだった。壁の崩壊と東西ドイツ人の交流状況は、自宅のテレビで見ていいた)
・ これに伴って、ソ連圏諸国の民主化が進展し、次々にソ連圏を離れ、冷戦体制は90年代初めに崩壊した
・ 世界は、90年代以降のグローバリゼーション時代を迎える
・ この後、国際競争力を強化するため、日本企業は雇用弾力化のための規制緩和・制度改革もあり、非正規雇用(派遣社員、アルバイトなど)が次第に増加していった
⑮ 中国共産党は、日本支配の後、国共内戦を経て、1949年10月に勝利して、中華人民共和国を建国した。今日で67年になる。1970年代末から、登正平の改革・開放戦略により経済成長戦略を取り、30年以上にわたり、高成長を維持してきた。2008年頃には日本を抜いて、米国に次ぐ世界第2の経済大国に躍り出た。中国は、最近では、周辺諸国に対する覇権主義的態度を隠さなくなっており、必ずしも国際ルールを遵守しないこともある。中国人にとっては、19世紀のアヘン戦争の敗北から1949年の中華人民共和国建国までの約1世紀が欧米諸国や日本による侵略が非常に屈辱的な記憶となっているのだろう
⑯ 日本経済は、90年代初期までのバブル時代の後、バブル崩壊後の長期にわたるバブル崩壊時代(「失われた10年(ロスト・ディケード)」も3回目?)となっている。もう働き者の現役世代は、我々よりあとの世代になっている
⑰ 我々世代は、1995年から2005年にかけて60歳となり、定年を迎え、数年後には完全退職し、第2の人生時代を迎えている。ただ、日本が日米同盟の下でとりあえず「一国繁栄主義」を貫くことができた90年代まで発展できたことは我々世代(昭和10年代生まれ)が働く上でとても幸いであったと考えるかどうか?ともかく50歳ぐらいまでは、グローバリゼーションの影響は少なかったと言えよう。
⑱ しかし、仕事中心だった我々世代は退職後、何を目標として余生を生きるか?欧米では、50歳頃を過ぎると、できるだけ早く退職して、自分の人生をいかにエンジョイするかを目指すと言われている。日本人はどうか。仕事以外に何があるか?今や、リタイア後90歳ぐらいまでいかに生きるかが問われる時代となっている。生産年齢人口も減少しており、退職年齢も60歳から65歳、さらに延ばされる状況にある。
⑲ 日本が発展した後に成人した40代以下の世代(我々世代の子供たち)では、社会や経済は停滞の印象しかないのだろうか。彼らに自分たちと日本の明るい将来展望と夢はあるのか。グローバルな時代において日本と日本人はどうあるべきか。現在の日本の若者は成熟の時代において従来の集団主義から自分中心の個人主義に移行しているのだろうか(ある意味で当然かもしれない。成熟した国において、働く自分と企業の発展と国家の成長を結びつけることができる時代ではないだろうー我々の若い時代のように)
⑳ 先輩である「昭和一けた世代(戦後復興で活躍した)」と後輩の「団塊の世代(日本人の新しい局面を開いた)」のハザマで、昭和十年代生れの我々世代は、それなりに地味にがんばってきたといえようか?今や後期高齢者ともなり、何を目標として生きるか(目標など要らないか)
21 世界の覇権国から見て、18世紀がフランスやオランダの時代、19世紀が英国の時代、20世紀が米国の時代であったとすれば、21世紀はアジアの世紀になると言われている。とりわけ、中国(人口:約14億人弱)とインド(約12億人強、いずれ中国を抜くと予想されている)、東南アジア(約6億人)が経済発展を維持し、世界経済の過半を占めると見られている。成熟し、国力が徐々に衰退していく日本は「アジアの時代」においていかなる役割を果たすべきか?閉鎖的な国民性を内外に向けて開放するためにどうすべきか。キャリアを形成できない非正規雇用問題にいかに対処すべきか(総雇用に占める非正規雇用の割合は現在約4割(女性では半分以上)と推定されているが、もっと増える可能性も指摘されている)
22 極東の島国で、資源もなく、それでも明治維新以来、日本は米国・英国・フランス・ドイツなどと並ぶ、いわば列強の位置づけとなり、経済的にはこれまでそれなりによくがんばってきたと言えるか?現在でも、香港、シンガポールという島国を除けば、1人あたりGDP(国内総生産)では、アジアでは、まだ圧倒的である(円高・円安いかんで揺れるが、現在、日本は約4万ドルであるが、中国は7000ドル、インドは2000ドル程度である。中国政府は2020年までに1人当たり1万2000ドルの実現を目指しているが、どうなるか)
23 冷戦時代の終了後、グローバリゼーションの時代となり、政治、経済、社会、文化などのあらゆる面で、国際的結びつきは強まっている。イデオロギーの対立から、民族、人種、宗教、移民・難民問題などが、国際的紛争の中心となっている。国家間の対立や戦争から国内外のグループ間の対立・争い・テロ行為に移行している
24 2016年11月に行われた米国大統領選挙で、ドナルド・トランプ(70歳、共和党)という型破りのビジネスマンが「アメリカ・ファースト」を掲げて予想に反して当選し、雇用中心の保守主義の政策を展開しようとしている。世界的に見ても、自国中心の保守主義が進展する動きが始まりつつある。英国の「ブレグジット(EU離脱)」やフランスなどの移民・難民排斥運動など。中国やロシアなど権威主義の大国が国際情勢に対していかなる影響を持つか
25 しかし、政治、社会、文化などの面では、日本は国際的に見ると世界をリードする存在ではないだろう―同質的であり、他人も自分と大体同じように考えていると思い、コミュニケーションや議論が少ない。日本人同士であればとりあえず相手を疑わない「性善説」を取っている国は日本人しかないのではないか。日本以外では、まず相手を疑ってかかる「性悪説」が主流であろう。日本では、平均的な民度(教育水準、規律、勤勉など)は高いが、卓越したリーダーは殆ど現れない(ランクが上がるごとに調整型のリーダーしか残らない)また、人口減少が始まり、高齢化も進展しており、65歳以上の高齢者は総人口の27%(3300万人以上)を占めている。(2050年には、高齢者比率は38%となると予想されている) 高齢化の問題は、やがて他の主要国でも現実化すると予想されており、日本はその課題解決モデルとなることも考えられる。日本は、将来、アジアや世界の経済や社会の発展にいかに貢献するか
堀伸樹
―戦争末期、復興期、高度成長時代、安定成長時代、長期低迷期、我々世代は20世紀から21世紀にわたり、昭和と平成にかけて、かなりの経験をした、戦後復興で活躍した昭和一けた世代と日本人の新しい局面を開いた団塊の世代の間で我々地味な世代はどうだったか? 比較的幸せだったか(個人にもよるだろう)、我々世代はよく働いたか、日本人の国民性―同質的、経済水準や教育水準・民度は高い、島国根性、優れたリーダーは現れない、多様な議論やコミュニケーションが少ない、第3の開国(明治維新、戦後の復興に次ぐ)に向けていかに閉鎖性を打破するか、グローバリゼーションの進展において主体的にどうすべきか、2020年代以降のアジアや世界の発展にいかに貢献するか―
① 我々は、昭和10年代生まれ(1935-45年)であり、昭和一けた世代(80代)と戦争直後の「団塊の世代(昭和22-25年:1947―1950生まれ、いまや65歳以上)」の中間にある。その後は50代(1955-65年生まれ)、40代(1965-75年生れ)の時代となる。それぞれの世代は、日本のこれまでの発展に対していかなる感慨を持っているか
② 1939年生まれの私の場合、戦争の思い出は殆どないが、終戦の1945年4月に兵庫県芦屋市立山手小学校に入学し、終戦直前の8月5日夜に阪神地方に空襲があり、母に手を引かれて近くの親戚の防空壕に避難したかすかな記憶がある。借家の50メートル先までの地区は焼夷弾で焼かれた。終戦の日(8月15日)の記憶はない。また、戦前以来の軍事教育の記憶もない
③ 日本の殆どの都市は、連合軍の爆撃によって破壊され、惨憺たる状態だった。内外の300万人以上の日本人が死亡したと見られる。そこから日本の戦後の復興が始まった
④ 戦争が終わって平和となり、その直後、昭和22年から25年頃までベビーブームとなり、いわゆる「団塊の世代」が登場した。我々の同期(同じ年に生まれた人の数)は約200万人だが、彼らは250万人だった(現在20代の世代では120万人,今では100万人,今後どんどん減っていくだろう。主要な出産年齢の20歳―40才過ぎの女性の数が次第に減っていくので)米国などで、戦後「べビ―ブーマー時代」はもう少し長く続いたか
⑤ 小学校で二部授業の記憶はない、3年生までは芦屋、4年生は東京都杉並区上高井戸、4年生から中学卒業までは埼玉県浦和市だった。みんな貧乏で、子供たちは勉強中心だった。午後3時半ごろ学校から帰ると、日が暮れるまで、近所の子供たちと遊んでいた。塾などなかった。私は6年生までガキ大将だった。メンコ遊びで負かして、小さい子達からメンコを奪ったことがある。学校の給食は、駐留軍支給のコッペパン中心だったか、記憶は定かでない(父は、結核のため、昭和23年に私が10歳のときに亡くなった)
⑥ 1950年(昭和25年)6月に朝鮮戦争が勃発し、3年以上戦闘が行われた。いったん、韓国軍は南部の大都市プサン近くまで追い詰められたが米軍の介入により巻き返し、その勢いで北朝鮮軍を中国国境まで追い詰めたが、今度は中国軍(義勇軍という名目)の参加により押し返され、結局、38度線前後でにらみ合う形で、休戦協定が結ばれた。その間に、日本企業や経済は韓国や米軍に対する軍用品や日用品購入による「朝鮮特需」に恵まれ、復興のための大きな機会を得た。
⑦ 当時は、第2次大戦後の冷戦体制の真っ只中だった。戦争直後から、欧米の資本主義自由主義連合とソ連圏の共産主義・社会主義体制との覇権争いが始まっていた。ソ連(スターリン)は1945年5月のナチス・ドイツ崩壊に伴い、ポーランドまで圏内に納めていた(冷戦は1990年代初めのソ連圏崩壊まで続いた)
⑧ 日本経済は、復興期を経て、1955年(昭和30年)頃から高度成長期を迎へ、年率約10%で経済成長していった。労働者が働けば、企業が成長し、国が発展した。幸せな時代だった。高度成長は、第4次石油ショックが起こる1973年(昭和48年)まで続いたと記憶する。日本経済は1968年に西ドイツを抜いて、自由主義諸国第2位の経済大国となった。1990年代初めにソ連圏が崩壊してから日本は世界第2位の経済大国となり、最近、中国に抜かれるまでその地位を維持してきた。資源のない極東の島国で、日本人はよくやってきたと言えようか?
⑨ 我々は、ともかく勉強中心だった。安定した大企業に就職するためにできるだけ評価の高い高校や大学に合格するのが、終始一貫した目標だった。私は1958年(昭和33年)に大学に何とか合格したが、教養学部1年半と経済学部2年半で何を勉強したか、よくわからない。文系のうち、法学部は憲法、民法、商法、訴訟法、国際法、労働関係法、産業別法、外国法(英米法、フランス法、ドイツ法など)など法律と条文、政策、裁判と判例が明治時代以来の蓄積があり、学ぶべきことは多々あるのに対して、経済学部の場合は、経済原論、財政学、金融論、国際経済学など担当する教授によって方法論や内容は異なり、確立していないような感じだった。法学と経済学との本質的違いではなかろうか?(ともかく、「経済学部は遊んでも卒業できる」と言われているが、今でもそうか?)当時は、大学卒は同期の2割程度だったが、現在は5割強となっている。今では懐かしい思い出だ
⑩ 我々世代までは、(特に男は)仕事中心だろうが(朝から晩まで夢中で働く)、団塊の世代以後は、仕事・家庭・レジャーのバランス中心だろう。現在の現役・若者世代はどうだろうか。要するに、我々世代は適当な相手と結婚して子育てにはげむことを求められていたのだろうか。それでも大半の男女は比較的幸せだっただろう?労働者が働き、企業が成長し、国家が急速に発展していたから。経済が成熟・低迷し、個人主義が中心の現在では考えられないか
⑪ 日本経済が70年代に石油ショック(1973年に中東の石油産出機構が原油価格を1バーレル当たり2ドルを一挙に8ドルに引上げた)を契機に、安定成長時代(年率4%程度)に移行してから、歴史的転換期の1989年(平成元年)まで日本に何があったのか?グローバルな動向にうまく対応したのか。内向き日本の欠点が働いたのか。世界第2の経済大国であるのに!いつでもリーダーシップ、責任を取りたがらない?(我々はでしゃばらない―国内でも世界でも)
⑫ 高度成長時代に就職した我々は幸せだった。私は1962年(昭和37年)に電電公社(現NTTグループ)に入社したが、初任給は当初16100円であったが、春闘の妥結により4月に遡って17800円となった。その後も、4月に定期昇給し、春闘によりベースアップして、昇格もあり、給料はどんどん?上がっていった。当時はそんな時代だった。有難い春闘はいつまで続いたか。当時は、終身雇用制、年功序列賃金、企業内組合が労使関係の3点セットだった。非正規雇用など聞いたことがなかった。経済成長のおかげだった。我々は末端でともかく働いた。半ドンの土曜日がすべて休みになったのはいつだったか。我々はひたすら働いたか、他にすることがなかったので?
⑬ 日本経済の転換期となったのは、1985年9月22日に先進5カ国(米英独仏日)によって結ばれた「プラザ合意」だったのではないか。米国経済は戦後世界で圧倒的な存在であったが、欧州諸国や日本経済の急速な復興により、相対的に弱体化し、ドル相場の位置づけの問題が重大化していた。ドルに対して円は戦後極めて弱かったが、経済発展とともに円高基調となり、輸出競争力も増していった。1971年には、1ドル=360円から308円に切り上げたが、その後さらに円の競争力は強くなっていった。そこで、プラザ合意(ニューヨークのプラザ・ホテル)により、円高の方向が合意され、1年後には170円、2年後には120円に引上げられた。(この結果、日本の円ベースの国内総生産(GDP)は殆ど変わらないのに、ドルベースでは世界有数となり、1人あたりGDPでは世界最大の部類となった。これからバブル崩壊まで一部日本人の思い上がりを生ずることとなった。我々は40台だった)しかし、これに伴い日本からの輸出が困難となり、輸出企業の多くは海外、特に東南アジアに生産拠点を移していった。国内製造業の空洞化が始まった。一方、日本企業の進出に伴って、東南アジア諸国の経済発展の契機となったと考えられる(私は9月20日に成田空港をたって2週間の米国出張を行ったが、行く前に1ドル:240 円でドルを買ったが、帰国後残ったドルを円に変えたら、1ドル=220円となって、損する結果となった)
⑭ 次は激動の1989年(平成元年、私は50歳)
・ 昭和天皇(1901年生れ)の逝去―1月7日に昭和天皇が亡くなり、63年に及ぶ昭和時代が終わった。平成の時代が始まった。天皇は12月末から危篤状況だったので驚かなかった。(盛岡の駅構内を朝7時頃に散歩していたときにアナウンスで知った)
・ 6月4日朝に中国で北京・天安門事件が起こった。春頃から学生による民主化運動が始まっていた。ソ連のゴルバチョフ書記が中国を訪れ、民主化を中国政権と話し合っていた。これに反発した実力者の鄧小平・元総書記が軍隊による学生の弾圧に踏み切ったのだと見られている。数百人が殺されたと発表されているが数千人との説もある。天安門事件は今でも中国ではタブーだ(インターネットでは論議を呼んでいるようだが。私はその数日後に虎ノ門病院に入院し、カテーテル検査を受けた結果、心臓に血液を送る冠状動脈が詰まっているのでその部分を拡大する一種の内科的手術を受けた。)
・ 夏頃から、東欧諸国では民主化をめぐる人民運動が盛んとなっていった。特に、東ドイツの民衆が社会主義の同盟国であるハンガリーに抜けて、その西ドイツ国境に押し寄せ、西ドイツへの旅行の自由を求めた
・ この結果、東ドイツの国境警備隊の連絡不十分もあり、11月9日深夜に「ベルリンの壁の崩壊」が生じた。ベルリンの壁は1961年に築かれ、西側と東側を数百キロに渡って分断していた。壁構築まで数百万人(東ドイツ人口の6分の1)が東から西へ自由と豊かさを求めて避難していた。東ドイツ市民はこっそりテレビで毎日豊かな西ドイツの街や人々の繁栄を見て我慢ならなくなったのだろう(私はドイツ出張の際に当時の西ドイツの首都のボンから西ベルリンに飛び、日曜日に東ベルリン・バスツアーに参加したことがあったが、東ベルリンの商店街は貧しく、人通りも少なく、青空だけが印象に残った。繁華な西ベルリンとはえらい違いだった。壁の崩壊と東西ドイツ人の交流状況は、自宅のテレビで見ていいた)
・ これに伴って、ソ連圏諸国の民主化が進展し、次々にソ連圏を離れ、冷戦体制は90年代初めに崩壊した
・ 世界は、90年代以降のグローバリゼーション時代を迎える
・ この後、国際競争力を強化するため、日本企業は雇用弾力化のための規制緩和・制度改革もあり、非正規雇用(派遣社員、アルバイトなど)が次第に増加していった
⑮ 中国共産党は、日本支配の後、国共内戦を経て、1949年10月に勝利して、中華人民共和国を建国した。今日で67年になる。1970年代末から、登正平の改革・開放戦略により経済成長戦略を取り、30年以上にわたり、高成長を維持してきた。2008年頃には日本を抜いて、米国に次ぐ世界第2の経済大国に躍り出た。中国は、最近では、周辺諸国に対する覇権主義的態度を隠さなくなっており、必ずしも国際ルールを遵守しないこともある。中国人にとっては、19世紀のアヘン戦争の敗北から1949年の中華人民共和国建国までの約1世紀が欧米諸国や日本による侵略が非常に屈辱的な記憶となっているのだろう
⑯ 日本経済は、90年代初期までのバブル時代の後、バブル崩壊後の長期にわたるバブル崩壊時代(「失われた10年(ロスト・ディケード)」も3回目?)となっている。もう働き者の現役世代は、我々よりあとの世代になっている
⑰ 我々世代は、1995年から2005年にかけて60歳となり、定年を迎え、数年後には完全退職し、第2の人生時代を迎えている。ただ、日本が日米同盟の下でとりあえず「一国繁栄主義」を貫くことができた90年代まで発展できたことは我々世代(昭和10年代生まれ)が働く上でとても幸いであったと考えるかどうか?ともかく50歳ぐらいまでは、グローバリゼーションの影響は少なかったと言えよう。
⑱ しかし、仕事中心だった我々世代は退職後、何を目標として余生を生きるか?欧米では、50歳頃を過ぎると、できるだけ早く退職して、自分の人生をいかにエンジョイするかを目指すと言われている。日本人はどうか。仕事以外に何があるか?今や、リタイア後90歳ぐらいまでいかに生きるかが問われる時代となっている。生産年齢人口も減少しており、退職年齢も60歳から65歳、さらに延ばされる状況にある。
⑲ 日本が発展した後に成人した40代以下の世代(我々世代の子供たち)では、社会や経済は停滞の印象しかないのだろうか。彼らに自分たちと日本の明るい将来展望と夢はあるのか。グローバルな時代において日本と日本人はどうあるべきか。現在の日本の若者は成熟の時代において従来の集団主義から自分中心の個人主義に移行しているのだろうか(ある意味で当然かもしれない。成熟した国において、働く自分と企業の発展と国家の成長を結びつけることができる時代ではないだろうー我々の若い時代のように)
⑳ 先輩である「昭和一けた世代(戦後復興で活躍した)」と後輩の「団塊の世代(日本人の新しい局面を開いた)」のハザマで、昭和十年代生れの我々世代は、それなりに地味にがんばってきたといえようか?今や後期高齢者ともなり、何を目標として生きるか(目標など要らないか)
21 世界の覇権国から見て、18世紀がフランスやオランダの時代、19世紀が英国の時代、20世紀が米国の時代であったとすれば、21世紀はアジアの世紀になると言われている。とりわけ、中国(人口:約14億人弱)とインド(約12億人強、いずれ中国を抜くと予想されている)、東南アジア(約6億人)が経済発展を維持し、世界経済の過半を占めると見られている。成熟し、国力が徐々に衰退していく日本は「アジアの時代」においていかなる役割を果たすべきか?閉鎖的な国民性を内外に向けて開放するためにどうすべきか。キャリアを形成できない非正規雇用問題にいかに対処すべきか(総雇用に占める非正規雇用の割合は現在約4割(女性では半分以上)と推定されているが、もっと増える可能性も指摘されている)
22 極東の島国で、資源もなく、それでも明治維新以来、日本は米国・英国・フランス・ドイツなどと並ぶ、いわば列強の位置づけとなり、経済的にはこれまでそれなりによくがんばってきたと言えるか?現在でも、香港、シンガポールという島国を除けば、1人あたりGDP(国内総生産)では、アジアでは、まだ圧倒的である(円高・円安いかんで揺れるが、現在、日本は約4万ドルであるが、中国は7000ドル、インドは2000ドル程度である。中国政府は2020年までに1人当たり1万2000ドルの実現を目指しているが、どうなるか)
23 冷戦時代の終了後、グローバリゼーションの時代となり、政治、経済、社会、文化などのあらゆる面で、国際的結びつきは強まっている。イデオロギーの対立から、民族、人種、宗教、移民・難民問題などが、国際的紛争の中心となっている。国家間の対立や戦争から国内外のグループ間の対立・争い・テロ行為に移行している
24 2016年11月に行われた米国大統領選挙で、ドナルド・トランプ(70歳、共和党)という型破りのビジネスマンが「アメリカ・ファースト」を掲げて予想に反して当選し、雇用中心の保守主義の政策を展開しようとしている。世界的に見ても、自国中心の保守主義が進展する動きが始まりつつある。英国の「ブレグジット(EU離脱)」やフランスなどの移民・難民排斥運動など。中国やロシアなど権威主義の大国が国際情勢に対していかなる影響を持つか
25 しかし、政治、社会、文化などの面では、日本は国際的に見ると世界をリードする存在ではないだろう―同質的であり、他人も自分と大体同じように考えていると思い、コミュニケーションや議論が少ない。日本人同士であればとりあえず相手を疑わない「性善説」を取っている国は日本人しかないのではないか。日本以外では、まず相手を疑ってかかる「性悪説」が主流であろう。日本では、平均的な民度(教育水準、規律、勤勉など)は高いが、卓越したリーダーは殆ど現れない(ランクが上がるごとに調整型のリーダーしか残らない)また、人口減少が始まり、高齢化も進展しており、65歳以上の高齢者は総人口の27%(3300万人以上)を占めている。(2050年には、高齢者比率は38%となると予想されている) 高齢化の問題は、やがて他の主要国でも現実化すると予想されており、日本はその課題解決モデルとなることも考えられる。日本は、将来、アジアや世界の経済や社会の発展にいかに貢献するか
2017年10月10日火曜日
「不機嫌な長男:長女、無責任な末っ子たち―きょうだい型:性格および コミュニケーション」五百田(いおた)達成著、概要・編集by Nobuki Hori堀伸樹
「不機嫌な長男:長女、無責任な末っ子たち―きょうだい型:性格および
コミュニケーション」(五百田(いおた)達成、ディスカバー社、
2016年11月、著者は作家心理カウンセラー、「察しない男説明し
ない女」シリーズなど)
「仕事、恋愛、結婚、友人・・・あらゆる人間関係に役立つ」、長子: 「きまじめな王様」、末子:「したたかなアイドル」、中間子:「永遠の 思春期」、一人っ子:「マイペースな天才肌」、人間関係に弱い、おせ っかい、価値観が合う、きょうだい構成の意義、まじめ、要領がい い、マイペース、責任感、他力本願、バランス感覚、自分と相手の 性格を比較してつき合う―
① こんなに違う!4つの「きょうだい型」
・ 長子は、A型のライオン。末子は、O型のライオン。中間子は、AB型のカメレオン。一人っ子はB型の猫
・ 長子は、デリカシーがない。末子は、ガッツがない。中間子は、素直さがない。一人っ子は、常識がない
・ 長子は、仕事に成長を求める。末子は、仕事にバランスを求める。中間子は、仕事に人間関係を求める。一人っ子は、仕事にやりがいを求める
・ 長子は、恋人には甘える。末子は、恋人にはそっけない。中間子は、恋人にはわがまま。一人っ子は、恋人には意外と尽くす
・ 長子は、価値観が合う人と結婚する。末子は、気が合う人と結婚する。中間子は、自分を好きな人と結婚する。一人っ子は、自分が好きな人と結婚する
・ 長子は、理想主義で子育てをする。末子は、現実主義で子育てをする。中間子は、博愛主義で子育てをする。一人っ子は、溺愛主義で子育てをする
② 家族はもっとも原始的なコミュニティ
・ 「三つ子の魂、百まで」
・ 人の性格は「きょうだい構成」によって支配されている
・ 長子(ちょうし)―きょうだいの一番上、末子(まっし)―きょうだいの一番下、中間子(ちゅうかんし)―3人以上のきょうだいの長子と末子以外、一人っ子(ひとりっこ)―きょうだいがいない
・ すべての人は必ず、「一人っ子」または「末子」として生まれる。その後弟妹が生まれた場合、暫定で一人っ子だった子は、「長子」、暫定末子は「中間子」へと、きょうだい型は変化する
・ 性格は親・きょうだいとの関係で決まる―おせっかい、まじめ、要領がいい、マイペース
・ ただ1人の子供である「長子」「一人っ子」には、親からの期待や注目、プレッシャーが容赦なく降り注ぐ―そのため、大きく道を踏み外すことはできないし、おおむねまじめな生き方をせざるを得ない
・ 「要領がいいグループ」は、「2番目以降の子ども」―親からの注目や期待が小さく、さらにライバルであり目の上のたんこぶである兄姉がいるという環境で生まれる。空気を読んで器用に兄や姉のまねをし、要領よく利益にありつこうとする性格に育つようになりやすいか
・ 「おせっかいグループ」は、下にきょうだいがいる「長子」「中間子」は、小さい頃から世話を焼くことに慣れているので、大人になっても他人に介入し、面倒を見ようとする傾向がある
・ 「マイペース型グループ」は、下にきょうだいがいないので大人になっても誰かに干渉しようという発想がなく、さらに自分のことも「誰かがやってくれる」と、どこかノホホンとしている
③ きょうだい型を知るメリット
・ 自分では意識していなかった性格、考え方の根っこの部分を知ることができる
・ 親やきょうだいの行動原理がわかり、家族付き合いが楽になる
・ 親や夫、子どもの考え方がわかり、夫婦のやり取り、子育てにも役立つ
・ 恋人や友人、職場の同僚の性格がわかり、コミュニケーションが円滑となる
④ きょうだい型」別性格と相性
・ 長子―責任感と自尊心の強い生まれながらの「王様」。仕事は末子、結婚は長子同士がうまくいく
・ 末子―ノリと愛嬌でしたたかに人生を謳歌する「アイドル」。相性がいいのは末子同士、一人っ子にはイライラすることも
・ 中間子―繊細で複雑で感受性が強い「永遠の思春期」。誰とでもうまくやっていけるが、中間子同士の恋愛には要注意
・ 一人っ子―人間関係オンチでマイペースな、いわば「帰国子女」。ラクなのは、一人っ子同士、世話焼きの長子との相性もいいか
⑤ 長子 ・ 「最も親に愛されている」 自尊心ときょうだいへの責任感
・ 多くの親が「結局、一番目の子が一番可愛い」と告白する
・ 長子のときは、妊娠、出産、ハイハイの様子、七五三、入学式と何百枚と写真を撮るが、中間子では数十枚に減り、末子に至ってはほぼゼロになる
・ 責任感が強く、面倒見がいい。自尊心が強く人に任せられない。ボーっとしていて人の気持ちに鈍感
・ 人を支配しコントロールしようとする傾向もあるか
・ おおむね鷹揚でボーっとしている
⑤ 末子
・ サービス精神と社交性に溢れた「アイドル」
・ 末子は家庭内で「アイドル」的存在。幼い頃はもちろん、大人になっても家族みんなに可愛がられ、かまわれ、いじられる存在
・ 甘え上手で他力本願、要領がよくてしたたか、ノリがよく享楽的
・ 末子には、長子のように、しっかりしなくちゃという責任感やプライドは生まれない
・ 末子たちは口をそろえて、「きっと誰かが何とかしてくれる」という他力本願的な心情
・ いつもピリピリしている長子を「大変そう」と横目に見ながら、末子は楽しい毎日を謳歌しようとする吟遊詩人
・ 相性がいいのは末っ子同士、一人っ子にはイライラすることもある
・ 末っ子同士で仕事をするのは要注意、末っ子お得意の「誰かが何とかしてくれる」が発揮され、誰も舵を取らず、一向に仕事が進まなくなる危険性がある
⑥ 中間子
・ 長子と末子のハーフであり、「中間管理職」的存在
・ 中間子の性格を現すキーワードは「思春期」-十代の中高生のように、他人が自分をどう思っているかが気になるし、周囲の人間関係も気になる。些細な言動に一喜一憂しては、クヨクヨしがちになる
・ 繊細な八方美人、優れたバランス感覚、考えすぎの目立ちたがり屋
・ 妹や弟と一緒にいるときは「上」として扱われ、兄や姉と一緒にいるときは「下の子」として扱われ、コロコロ役割が変わるので、自然とバランス感覚が養われる
・ 誰とでもソコソコうまく付き合える器用さを持っている
・ 一家団欒のときに、放っておくと自分の話はしてもらえない、何でも一番の長子と愛玩される末子との間で、親の関心を引くのは容易ではない
・ 人間関係にめっぽう強い「人づきあいのエキスパート」
・ 誰とでもうまくやっていけるが、中間子同士の恋愛は要注意-双方ともに、駆け引きや相手を試すような行為に走ってしまい、台無しになる可能性がある
・ 中間子は、空気を読むことに長けていて、相手に合わせるのが得意、その分、我慢を重ねて、ストレスをため込む傾向がある
⑦ 末子
・ ゆるぎない親の愛情を受けて、マイペースで素直人間に
・ きょうだいがいないので、「長子、末子、中間子グループ」とは全く異なる価値観を持って大人になる
・ さながら、「兄弟がいる人たちの国」に迷い込んだ帰国子女のような存在
・ 世間の常識にとらわれず独自のルールで行動する「マイペース」「自分勝手」
・ マイペースで常識にとらわれない、自分の興味関心に忠実、人間関係オンチ
・ 人づきあいは苦手だが、自分の興味関心へのエネルギーは絶大
・ 一人っ子の感覚で最もユニークなのは、他人との距離感―きょうだいとおもちゃを奪い合ったり、一緒になって親に刃向かったりしたことがないので、とくに同年代の人間との関係の築き方に慣れていない
・ 人間関係の細かなニュアンスを体得しないまま大人になったため、人づきあいそのものが苦手
・ ラクなのは一人っ子同士、世話好きの長子との相性もあるか
・ 真逆の性格である中間子とは、仕事の面で補完し合えるといい効果が生まれる
⑦ 更なる特徴
・ 進路―長子は、道を切り開く。末子は、ラクな道を行く。中間子は、道に迷う。一人っ子は、わが道を行く
・ 価値観―長子は、やるべきことをやる。末子は、やれそうなことをやる。中間子は、みんながやらないことをやる。一人っ子は、やりたいことだけをやる
・ 欠けているもの―長子は、デリカシーがない。末子は、ガッツがない。中間子は、素直さがない。一人っ子は、常識がない
・ 決断―長子は、よく考えて決断する。末子は、人に決断してもらう。中間子は、決断を先延ばしする。一人っ子は、よく考えずに決断する
・ ピンチ―長子は、ピンチにもろい。末子は、ピンチに見て見ぬ振り。中間子は、ピンチに張り切る。一人っ子は、ピンチに気付かない
・ チャンス―長子は、チャンスに気付かない。末子は、チャンスに浮かれる。中間子は、チャンスにしり込みする。一人っ子は、チャンスをつくる
・ 仕事やキャリアに求めるもの―長子は、成長を求める。末子は、ワークライフバランスを求める。中間子は、人間関係を求める。一人っ子は、やりがいを求める
・ チームワーク―長子は、自分がやるべきだと思っている。末子は、誰かがやってくれると思っている。中間子は、誰かがやるべきだと思っている。一人っ子は、自分のことだけやりたいと思っている
・ 打ち合わせ・会議―長子は、嫌われても言うべきことは言う。末子は、おいしいところを持っていく。中間子は、場の空気を優先する。一人っ子は、ぜんぜん違う話をする
・ 注意される・叱られる―長子は、「自分が悪かった」と反省する。末子は、「自分のせいじゃない」と開き直る。中間子は、「何で自分だけ」といじける。一人っ子は、「・・・!」とパニックとなる
・ 褒められる―長子は、「私なんてまだまだ」と謙遜する。末子は、「自分はすごい」と増長する。中間子は、「裏があるのでは」と深読みする。一人っ子は、「・・・!」と動揺する
・ 友達づきあい―長子は、頼られたい。末子は、甘えたい。中間子は、八法美人。一人っ子は、一方美人
・ 金銭感覚―長子は、人のために金を使いたい。末子は、人のお金を使いたい。中間子は、お金にシビア。一人っ子は、お金に無頓着
・ 恋愛―長子は、恋人には意外と甘える。末子は、恋人には意外とそっけない。中間子は、恋人には意外とわがまま。一人っ子は、恋人には意外と尽くす
・ 実家との関係―長子は、実家にちょくちょく顔を出す。末子は、実家にダラダラ居座る。中間子は、実家から距離を置く。一人っ子は、実家から結局離れられない
・ 子育て―長子は、理想主義。末子は、現実主義。中間子は、博愛主義。一人っ子は、溺愛主義
参考:五百田達成(いおた・たつのり) Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E7%99%BE%E7%94%B0%E9%81%94%E6%88%90
「仕事、恋愛、結婚、友人・・・あらゆる人間関係に役立つ」、長子: 「きまじめな王様」、末子:「したたかなアイドル」、中間子:「永遠の 思春期」、一人っ子:「マイペースな天才肌」、人間関係に弱い、おせ っかい、価値観が合う、きょうだい構成の意義、まじめ、要領がい い、マイペース、責任感、他力本願、バランス感覚、自分と相手の 性格を比較してつき合う―
① こんなに違う!4つの「きょうだい型」
・ 長子は、A型のライオン。末子は、O型のライオン。中間子は、AB型のカメレオン。一人っ子はB型の猫
・ 長子は、デリカシーがない。末子は、ガッツがない。中間子は、素直さがない。一人っ子は、常識がない
・ 長子は、仕事に成長を求める。末子は、仕事にバランスを求める。中間子は、仕事に人間関係を求める。一人っ子は、仕事にやりがいを求める
・ 長子は、恋人には甘える。末子は、恋人にはそっけない。中間子は、恋人にはわがまま。一人っ子は、恋人には意外と尽くす
・ 長子は、価値観が合う人と結婚する。末子は、気が合う人と結婚する。中間子は、自分を好きな人と結婚する。一人っ子は、自分が好きな人と結婚する
・ 長子は、理想主義で子育てをする。末子は、現実主義で子育てをする。中間子は、博愛主義で子育てをする。一人っ子は、溺愛主義で子育てをする
② 家族はもっとも原始的なコミュニティ
・ 「三つ子の魂、百まで」
・ 人の性格は「きょうだい構成」によって支配されている
・ 長子(ちょうし)―きょうだいの一番上、末子(まっし)―きょうだいの一番下、中間子(ちゅうかんし)―3人以上のきょうだいの長子と末子以外、一人っ子(ひとりっこ)―きょうだいがいない
・ すべての人は必ず、「一人っ子」または「末子」として生まれる。その後弟妹が生まれた場合、暫定で一人っ子だった子は、「長子」、暫定末子は「中間子」へと、きょうだい型は変化する
・ 性格は親・きょうだいとの関係で決まる―おせっかい、まじめ、要領がいい、マイペース
・ ただ1人の子供である「長子」「一人っ子」には、親からの期待や注目、プレッシャーが容赦なく降り注ぐ―そのため、大きく道を踏み外すことはできないし、おおむねまじめな生き方をせざるを得ない
・ 「要領がいいグループ」は、「2番目以降の子ども」―親からの注目や期待が小さく、さらにライバルであり目の上のたんこぶである兄姉がいるという環境で生まれる。空気を読んで器用に兄や姉のまねをし、要領よく利益にありつこうとする性格に育つようになりやすいか
・ 「おせっかいグループ」は、下にきょうだいがいる「長子」「中間子」は、小さい頃から世話を焼くことに慣れているので、大人になっても他人に介入し、面倒を見ようとする傾向がある
・ 「マイペース型グループ」は、下にきょうだいがいないので大人になっても誰かに干渉しようという発想がなく、さらに自分のことも「誰かがやってくれる」と、どこかノホホンとしている
③ きょうだい型を知るメリット
・ 自分では意識していなかった性格、考え方の根っこの部分を知ることができる
・ 親やきょうだいの行動原理がわかり、家族付き合いが楽になる
・ 親や夫、子どもの考え方がわかり、夫婦のやり取り、子育てにも役立つ
・ 恋人や友人、職場の同僚の性格がわかり、コミュニケーションが円滑となる
④ きょうだい型」別性格と相性
・ 長子―責任感と自尊心の強い生まれながらの「王様」。仕事は末子、結婚は長子同士がうまくいく
・ 末子―ノリと愛嬌でしたたかに人生を謳歌する「アイドル」。相性がいいのは末子同士、一人っ子にはイライラすることも
・ 中間子―繊細で複雑で感受性が強い「永遠の思春期」。誰とでもうまくやっていけるが、中間子同士の恋愛には要注意
・ 一人っ子―人間関係オンチでマイペースな、いわば「帰国子女」。ラクなのは、一人っ子同士、世話焼きの長子との相性もいいか
⑤ 長子 ・ 「最も親に愛されている」 自尊心ときょうだいへの責任感
・ 多くの親が「結局、一番目の子が一番可愛い」と告白する
・ 長子のときは、妊娠、出産、ハイハイの様子、七五三、入学式と何百枚と写真を撮るが、中間子では数十枚に減り、末子に至ってはほぼゼロになる
・ 責任感が強く、面倒見がいい。自尊心が強く人に任せられない。ボーっとしていて人の気持ちに鈍感
・ 人を支配しコントロールしようとする傾向もあるか
・ おおむね鷹揚でボーっとしている
⑤ 末子
・ サービス精神と社交性に溢れた「アイドル」
・ 末子は家庭内で「アイドル」的存在。幼い頃はもちろん、大人になっても家族みんなに可愛がられ、かまわれ、いじられる存在
・ 甘え上手で他力本願、要領がよくてしたたか、ノリがよく享楽的
・ 末子には、長子のように、しっかりしなくちゃという責任感やプライドは生まれない
・ 末子たちは口をそろえて、「きっと誰かが何とかしてくれる」という他力本願的な心情
・ いつもピリピリしている長子を「大変そう」と横目に見ながら、末子は楽しい毎日を謳歌しようとする吟遊詩人
・ 相性がいいのは末っ子同士、一人っ子にはイライラすることもある
・ 末っ子同士で仕事をするのは要注意、末っ子お得意の「誰かが何とかしてくれる」が発揮され、誰も舵を取らず、一向に仕事が進まなくなる危険性がある
⑥ 中間子
・ 長子と末子のハーフであり、「中間管理職」的存在
・ 中間子の性格を現すキーワードは「思春期」-十代の中高生のように、他人が自分をどう思っているかが気になるし、周囲の人間関係も気になる。些細な言動に一喜一憂しては、クヨクヨしがちになる
・ 繊細な八方美人、優れたバランス感覚、考えすぎの目立ちたがり屋
・ 妹や弟と一緒にいるときは「上」として扱われ、兄や姉と一緒にいるときは「下の子」として扱われ、コロコロ役割が変わるので、自然とバランス感覚が養われる
・ 誰とでもソコソコうまく付き合える器用さを持っている
・ 一家団欒のときに、放っておくと自分の話はしてもらえない、何でも一番の長子と愛玩される末子との間で、親の関心を引くのは容易ではない
・ 人間関係にめっぽう強い「人づきあいのエキスパート」
・ 誰とでもうまくやっていけるが、中間子同士の恋愛は要注意-双方ともに、駆け引きや相手を試すような行為に走ってしまい、台無しになる可能性がある
・ 中間子は、空気を読むことに長けていて、相手に合わせるのが得意、その分、我慢を重ねて、ストレスをため込む傾向がある
⑦ 末子
・ ゆるぎない親の愛情を受けて、マイペースで素直人間に
・ きょうだいがいないので、「長子、末子、中間子グループ」とは全く異なる価値観を持って大人になる
・ さながら、「兄弟がいる人たちの国」に迷い込んだ帰国子女のような存在
・ 世間の常識にとらわれず独自のルールで行動する「マイペース」「自分勝手」
・ マイペースで常識にとらわれない、自分の興味関心に忠実、人間関係オンチ
・ 人づきあいは苦手だが、自分の興味関心へのエネルギーは絶大
・ 一人っ子の感覚で最もユニークなのは、他人との距離感―きょうだいとおもちゃを奪い合ったり、一緒になって親に刃向かったりしたことがないので、とくに同年代の人間との関係の築き方に慣れていない
・ 人間関係の細かなニュアンスを体得しないまま大人になったため、人づきあいそのものが苦手
・ ラクなのは一人っ子同士、世話好きの長子との相性もあるか
・ 真逆の性格である中間子とは、仕事の面で補完し合えるといい効果が生まれる
⑦ 更なる特徴
・ 進路―長子は、道を切り開く。末子は、ラクな道を行く。中間子は、道に迷う。一人っ子は、わが道を行く
・ 価値観―長子は、やるべきことをやる。末子は、やれそうなことをやる。中間子は、みんながやらないことをやる。一人っ子は、やりたいことだけをやる
・ 欠けているもの―長子は、デリカシーがない。末子は、ガッツがない。中間子は、素直さがない。一人っ子は、常識がない
・ 決断―長子は、よく考えて決断する。末子は、人に決断してもらう。中間子は、決断を先延ばしする。一人っ子は、よく考えずに決断する
・ ピンチ―長子は、ピンチにもろい。末子は、ピンチに見て見ぬ振り。中間子は、ピンチに張り切る。一人っ子は、ピンチに気付かない
・ チャンス―長子は、チャンスに気付かない。末子は、チャンスに浮かれる。中間子は、チャンスにしり込みする。一人っ子は、チャンスをつくる
・ 仕事やキャリアに求めるもの―長子は、成長を求める。末子は、ワークライフバランスを求める。中間子は、人間関係を求める。一人っ子は、やりがいを求める
・ チームワーク―長子は、自分がやるべきだと思っている。末子は、誰かがやってくれると思っている。中間子は、誰かがやるべきだと思っている。一人っ子は、自分のことだけやりたいと思っている
・ 打ち合わせ・会議―長子は、嫌われても言うべきことは言う。末子は、おいしいところを持っていく。中間子は、場の空気を優先する。一人っ子は、ぜんぜん違う話をする
・ 注意される・叱られる―長子は、「自分が悪かった」と反省する。末子は、「自分のせいじゃない」と開き直る。中間子は、「何で自分だけ」といじける。一人っ子は、「・・・!」とパニックとなる
・ 褒められる―長子は、「私なんてまだまだ」と謙遜する。末子は、「自分はすごい」と増長する。中間子は、「裏があるのでは」と深読みする。一人っ子は、「・・・!」と動揺する
・ 友達づきあい―長子は、頼られたい。末子は、甘えたい。中間子は、八法美人。一人っ子は、一方美人
・ 金銭感覚―長子は、人のために金を使いたい。末子は、人のお金を使いたい。中間子は、お金にシビア。一人っ子は、お金に無頓着
・ 恋愛―長子は、恋人には意外と甘える。末子は、恋人には意外とそっけない。中間子は、恋人には意外とわがまま。一人っ子は、恋人には意外と尽くす
・ 実家との関係―長子は、実家にちょくちょく顔を出す。末子は、実家にダラダラ居座る。中間子は、実家から距離を置く。一人っ子は、実家から結局離れられない
・ 子育て―長子は、理想主義。末子は、現実主義。中間子は、博愛主義。一人っ子は、溺愛主義
参考:五百田達成(いおた・たつのり) Wikipedia
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議論を楽しむために(アトランダムに) ―後期高齢者となった我々世代は、もはや何もおもんばかることなく、 しかも時間は無限にあり?- written by Nobuki Hori堀伸樹
議論を楽しむために(アトランダムに)
―後期高齢者となった我々世代は、もはや何もおもんばかることなく、
しかも時間は無限にあり?-
堀伸樹著
・ この時代の日本に生きて幸せだったか―我々、現役・若者世代?、個人として、世代として
・ 日本と日本人の長所と短所-例えば、日本人は常に他人がどう考えているかに気を使う
・ 2020年代以降の日本の国家ビジョン―アジアと世界の中でいかに位置づけるか。それに基づいていかなる政策を展開すべきか ・ もはや、日本は一国繁栄主義ではやっていけない―どうすべきか
・ 日本人は多様な議論とコミュニケーションが不足している―以心伝心、他人も自分と大体同じ考え方だと考えている、沈黙は金、出る釘は打たれるなど
・ 日本は今後、アジアと世界にいかに貢献すべきか
・ 日本にはどうして優れたリーダーが現われないのか―ランクが上がるごとに調整型の人物が中心となる
・ 日本人の閉鎖性をいかに打開すべきか―日本では、なぜ多様な人材が育たないのか
・ 極東の小さい島国でよくここまでやってきた!―江戸時代以来の教育の重要性によるものだろうか(これからも教育は一番重要だろう。しかし、従来のような、特に高等教育では、優れた人材は育たないのではないか。初等・中等教育は確立されていると考えるが―60年前の記憶に基づいて)
・ イスラム教徒の数は現在、世界で16億人(世界人口の23%)であり、20年後には30億人(35%)に達すると予想されている(ピュー研究所)―あまり縁のない我々は、イスラム国やイスラム教徒といかに付き合うべきか
・ 世界で騒ぎを起こしている「イスラム国(IS)」の若者たちは、イスラム教の教えとは合致しないという見方がある―問題は、先進国における難民・移民の置かれた差別状況によるものと見られている(宗教の問題を含めて)
・ それぞれ一神教のキリスト教徒とイスラム教徒の間で行われる紛争はどうなるのか―多宗教の存在を認め、しかも無宗教が多い日本人には想像がつかない
・ 日本では?「男より女に生まれたほうが楽しい」という見方についてどうか
ていないので、旧日本軍が20世紀前半にアジア大陸で犯した国際的犯罪について実感がない(加害者はすぐ忘れるが、被害者は何世代も忘れないのかもしれない。将来、中国と韓国の経済が日本を追い越したと感じられるようになれば、問題は少なくなるか?)
・ 非正規雇用の増加の問題にいかに対処すべきか―全体で4割を超えており、女性では半数以上となっている(キャリアが形成されず、一生非正規労働で終わる可能性が高いー結婚・出産・育児が困難となるなど、日本経済の成長のマクロ的観点からも重大な問題であろう)
・ 国内総生産(GDP)の240%に達する国家債務という根本的問題をいかに処理するのか―日本経済に対する信頼が一たん失われると、金利が一挙に跳ね上がる可能性がある ・ 同質的な日本では、総無責任体制の傾向があり、誰も責任を取りたがらない?(常に責任があいまい―どうしてこうなるのか)
・ グローバリゼーションが進展し「アジアの世紀」といわれる21世紀において、人口減少と高齢化が進む日本は、特に若者・現役世代をいかに育成すべきか
・ 70代後半からの生きる目標は何か―個人として、世代として
・ 年金問題はどうなるのか―我々世代は何とかもらえるが、将来世代は十分な手当てをもらえないかもしれない
・ 最近の国際情勢をどう捉えるべきか―米国のトランプ大統領の就任や「ブレグジット(英国の欧州連合離脱)」やフランスなどで近く行われる選挙など、ナショナリズムや保護主義的動きの拡大をどう見るか?こういう国際的風潮において、人口減少・高齢化が進展し始めた日本は2020年代以降、どう対処すべきか。過去の世界史で同様な状況が起こったことはあったのか。日米関係はどうなるか。米中関係はどうなるか?「Gゼロ(戦後世界情勢を仕切ってきた米国のような存在がなくなった状態)」はどのように展開するのか。
・ 世界がグローバル化を拡大しているのに、日本の若者が内向きになっていると言われている。
・ 日本が将来当面する総合的、組織的、戦略的問題にいかに取組むべきか、という検討がどうして行なわれないのか―やはり議論が少なすぎる
・ われわれ高齢者(投票率が高い)だけでなく、もっと若者・現役世代の主張が経済政策などに反映されるべきだろう
・ 最近、街で見かける老若の男女一人ひとりの幸福を密かに願うようになった―もうあまり先はないので!
・ この時代の日本に生きて幸せだったか―我々、現役・若者世代?、個人として、世代として
・ 日本と日本人の長所と短所-例えば、日本人は常に他人がどう考えているかに気を使う
・ 2020年代以降の日本の国家ビジョン―アジアと世界の中でいかに位置づけるか。それに基づいていかなる政策を展開すべきか ・ もはや、日本は一国繁栄主義ではやっていけない―どうすべきか
・ 日本人は多様な議論とコミュニケーションが不足している―以心伝心、他人も自分と大体同じ考え方だと考えている、沈黙は金、出る釘は打たれるなど
・ 日本は今後、アジアと世界にいかに貢献すべきか
・ 日本にはどうして優れたリーダーが現われないのか―ランクが上がるごとに調整型の人物が中心となる
・ 日本人の閉鎖性をいかに打開すべきか―日本では、なぜ多様な人材が育たないのか
・ 極東の小さい島国でよくここまでやってきた!―江戸時代以来の教育の重要性によるものだろうか(これからも教育は一番重要だろう。しかし、従来のような、特に高等教育では、優れた人材は育たないのではないか。初等・中等教育は確立されていると考えるが―60年前の記憶に基づいて)
・ イスラム教徒の数は現在、世界で16億人(世界人口の23%)であり、20年後には30億人(35%)に達すると予想されている(ピュー研究所)―あまり縁のない我々は、イスラム国やイスラム教徒といかに付き合うべきか
・ 世界で騒ぎを起こしている「イスラム国(IS)」の若者たちは、イスラム教の教えとは合致しないという見方がある―問題は、先進国における難民・移民の置かれた差別状況によるものと見られている(宗教の問題を含めて)
・ それぞれ一神教のキリスト教徒とイスラム教徒の間で行われる紛争はどうなるのか―多宗教の存在を認め、しかも無宗教が多い日本人には想像がつかない
・ 日本では?「男より女に生まれたほうが楽しい」という見方についてどうか
ていないので、旧日本軍が20世紀前半にアジア大陸で犯した国際的犯罪について実感がない(加害者はすぐ忘れるが、被害者は何世代も忘れないのかもしれない。将来、中国と韓国の経済が日本を追い越したと感じられるようになれば、問題は少なくなるか?)
・ 非正規雇用の増加の問題にいかに対処すべきか―全体で4割を超えており、女性では半数以上となっている(キャリアが形成されず、一生非正規労働で終わる可能性が高いー結婚・出産・育児が困難となるなど、日本経済の成長のマクロ的観点からも重大な問題であろう)
・ 国内総生産(GDP)の240%に達する国家債務という根本的問題をいかに処理するのか―日本経済に対する信頼が一たん失われると、金利が一挙に跳ね上がる可能性がある ・ 同質的な日本では、総無責任体制の傾向があり、誰も責任を取りたがらない?(常に責任があいまい―どうしてこうなるのか)
・ グローバリゼーションが進展し「アジアの世紀」といわれる21世紀において、人口減少と高齢化が進む日本は、特に若者・現役世代をいかに育成すべきか
・ 70代後半からの生きる目標は何か―個人として、世代として
・ 年金問題はどうなるのか―我々世代は何とかもらえるが、将来世代は十分な手当てをもらえないかもしれない
・ 最近の国際情勢をどう捉えるべきか―米国のトランプ大統領の就任や「ブレグジット(英国の欧州連合離脱)」やフランスなどで近く行われる選挙など、ナショナリズムや保護主義的動きの拡大をどう見るか?こういう国際的風潮において、人口減少・高齢化が進展し始めた日本は2020年代以降、どう対処すべきか。過去の世界史で同様な状況が起こったことはあったのか。日米関係はどうなるか。米中関係はどうなるか?「Gゼロ(戦後世界情勢を仕切ってきた米国のような存在がなくなった状態)」はどのように展開するのか。
・ 世界がグローバル化を拡大しているのに、日本の若者が内向きになっていると言われている。
・ 日本が将来当面する総合的、組織的、戦略的問題にいかに取組むべきか、という検討がどうして行なわれないのか―やはり議論が少なすぎる
・ われわれ高齢者(投票率が高い)だけでなく、もっと若者・現役世代の主張が経済政策などに反映されるべきだろう
・ 最近、街で見かける老若の男女一人ひとりの幸福を密かに願うようになった―もうあまり先はないので!
2015年4月22日水曜日
Silver Senryu Karuta:シルバー川柳かるた(ポプラ社、2013年、投稿に基づく)編集:堀伸樹
シルバー川柳かるた(ポプラ社、2013年、投稿に基づく)編集:堀伸樹
あ:歩こう会アルコール会と聞き違え
い:入れ歯抜け孫の茶碗へホールイン
う:動かないエレベーターや押し忘れ
え:LED使い切るまで無い命
お:起きたけど寝るまで特に用もなし
か:改札を通れずよく見りゃ診察券
き:喜寿だけど恩師の前では女子高生
く:食っちゃ寝て豚ならとっくに出荷済み
け:ケータイの返事しようと葉書出し
こ:恋かなと思っていたら不整脈
さ:三時間待って病名『加齢です』
し:辞世の句なかなか出来ぬと長生きし
す:少ないが満額支払う散髪代
せ:絶滅種俺もそうかと慌てだし
そ:その昔恐竜見たかと問う曾孫
た:誕生日ローソク吹いて立ちくらみ
ち:注目を一身に受け餅食べる
つ:つまずいたふと見た床に段差なし
て:定年で田舎戻ればまだ若手
と:年かさねもう食べられぬ豆の数
な:なれそめを初めて聞いた通夜の晩
に:二世帯を建てたが息子に嫁が来ぬ
ぬ:濡れ落ち葉妻の仕分けにおびえる日
ね:年金の扶養に入れたい犬と猫
の:脳のシワ顔に出てると孫が褒め
は:墓参り『下見ですか?』と尋ねられ
ひ:ひ孫孫名前混乱全部言う
ふ:振り返り犬が気遣う散歩道
へ:へそくりの場所を忘れて妻に聞く
ほ:ボランティアするもされるも高齢者
ま:孫の声二人受話器に頬を寄せ
み:三月前教えた将棋で孫に負け
め:目には蚊を耳には蝉を飼っている
も:物忘れ昔からだと負け惜しみ
や:約束は『生きとったらな』の但し書き
ゆ:指一本スマホとオレをつかう妻
よ:妖精と呼ばれた妻が妖怪に
ら:来世も一緒になろうと犬に言い
り:リハビリと足腰鍛え膝痛め
る:留守電にゆっくりしゃべれとどなる父
れ:冷蔵庫開けてびっくりリモコンが
ろ:老後にと残した夢も夢のまま
わ:ワシ3高 血圧・血糖・尿酸値
を:遺言を二度も書いたがこの元気
ん:おばあちゃんまだまだげんきでいてほしい
(LED : 発光ダイオード)
あ:歩こう会アルコール会と聞き違え
い:入れ歯抜け孫の茶碗へホールイン
う:動かないエレベーターや押し忘れ
え:LED使い切るまで無い命
お:起きたけど寝るまで特に用もなし
か:改札を通れずよく見りゃ診察券
き:喜寿だけど恩師の前では女子高生
く:食っちゃ寝て豚ならとっくに出荷済み
け:ケータイの返事しようと葉書出し
こ:恋かなと思っていたら不整脈
さ:三時間待って病名『加齢です』
し:辞世の句なかなか出来ぬと長生きし
す:少ないが満額支払う散髪代
せ:絶滅種俺もそうかと慌てだし
そ:その昔恐竜見たかと問う曾孫
た:誕生日ローソク吹いて立ちくらみ
ち:注目を一身に受け餅食べる
つ:つまずいたふと見た床に段差なし
て:定年で田舎戻ればまだ若手
と:年かさねもう食べられぬ豆の数
な:なれそめを初めて聞いた通夜の晩
に:二世帯を建てたが息子に嫁が来ぬ
ぬ:濡れ落ち葉妻の仕分けにおびえる日
ね:年金の扶養に入れたい犬と猫
の:脳のシワ顔に出てると孫が褒め
は:墓参り『下見ですか?』と尋ねられ
ひ:ひ孫孫名前混乱全部言う
ふ:振り返り犬が気遣う散歩道
へ:へそくりの場所を忘れて妻に聞く
ほ:ボランティアするもされるも高齢者
ま:孫の声二人受話器に頬を寄せ
み:三月前教えた将棋で孫に負け
め:目には蚊を耳には蝉を飼っている
も:物忘れ昔からだと負け惜しみ
や:約束は『生きとったらな』の但し書き
ゆ:指一本スマホとオレをつかう妻
よ:妖精と呼ばれた妻が妖怪に
ら:来世も一緒になろうと犬に言い
り:リハビリと足腰鍛え膝痛め
る:留守電にゆっくりしゃべれとどなる父
れ:冷蔵庫開けてびっくりリモコンが
ろ:老後にと残した夢も夢のまま
わ:ワシ3高 血圧・血糖・尿酸値
を:遺言を二度も書いたがこの元気
ん:おばあちゃんまだまだげんきでいてほしい
(LED : 発光ダイオード)
2012年12月29日土曜日
「相田みつを(1924-1991年)」の名言
つまずいたっていいじゃないの 人間だもの
しあわせはいつもじぶんのこころがきめる
うばいあうとたらないけれど わけ合うとあまっちゃうんだなあ
いいことはおかげさま わるいことは身から出たさび
外灯というのは人のためにつけるんだなあ わたしはどれだけ外灯をつけられるだろう
トマトの苗にいくら肥料をやってもさあ メロンはならねんだなあ
七転八倒つまずいたりころんだりするほうが 自然なんだな 人間だもの
どのような道を歩くとも いっぱいに生きればいいぞ
あとじゃできないんだよなあ 今のことはいましかできぬ
歩くから道になる 歩かなければ草がはえる
自分の心のどん底が納得しているか そこが大事
かねが人生のすべてではないが あれば便利 なければ不便 便利のほうがいいなあ
親切という名のおせっかい そっとしておくおもいやり
ビリがいるから1位がある
やれなかったか やらなかった どちらかな
夢はでっかく 根はふかく
アノネ がんばらなくてもいいから 具体的に動くことだよね
毎日すこしずつ それがなかなかできねんだなあ
(栃木県生まれ、著者手書きの名言集がほかに多数ある、1984年に出版された「にんげんだね」(文化出版局)はミリオンセラーとなる、有楽町駅前の東京国際フォーラムの地下一階に「相田みつを美術館」があるー入場料:800円、シニア:500円)
しあわせはいつもじぶんのこころがきめる
うばいあうとたらないけれど わけ合うとあまっちゃうんだなあ
いいことはおかげさま わるいことは身から出たさび
外灯というのは人のためにつけるんだなあ わたしはどれだけ外灯をつけられるだろう
トマトの苗にいくら肥料をやってもさあ メロンはならねんだなあ
七転八倒つまずいたりころんだりするほうが 自然なんだな 人間だもの
どのような道を歩くとも いっぱいに生きればいいぞ
あとじゃできないんだよなあ 今のことはいましかできぬ
歩くから道になる 歩かなければ草がはえる
自分の心のどん底が納得しているか そこが大事
かねが人生のすべてではないが あれば便利 なければ不便 便利のほうがいいなあ
親切という名のおせっかい そっとしておくおもいやり
ビリがいるから1位がある
やれなかったか やらなかった どちらかな
夢はでっかく 根はふかく
アノネ がんばらなくてもいいから 具体的に動くことだよね
毎日すこしずつ それがなかなかできねんだなあ
(栃木県生まれ、著者手書きの名言集がほかに多数ある、1984年に出版された「にんげんだね」(文化出版局)はミリオンセラーとなる、有楽町駅前の東京国際フォーラムの地下一階に「相田みつを美術館」があるー入場料:800円、シニア:500円)
「日本の底力―未来はここにある キーワードは創・潔・寧・緻・結・極」
(アエラ2012.12.31、日本人と外国人の発言から、長所と短所は何か)
① 「創」―初めて作り出す。始める。創意、創造、独創
・ 「ものづくり界のイチロー、出でよ」
・ 日本のアニメは最高にクール。料理でも「たこ焼き」なんてどうやって思いつくの?
・ ハンバーガーをライスバーガーにするなど外国の食文化をうまく取り入れている
・ 「針不要なホチキス」や「消せるボールペン」など文房具のオリジナリティに感服
・ 低価格で優れた商品がある。「100円ショップ」にびっくり
・ 「ほんとうに作りたいものをわがままに作る」
・ 「自分の周りを少しずつ改良していくアイデア」
・ 日本のテレビ番組や本は素晴らしい
・ トイレの便座から機械や車に至るまで独特の発明がある
・ 世界の料理の長所を尊重しつつ、アレンジしている
・ 「ハイテクと伝統文化の共存」
・ 48人もいるアイドル・グループがあるのがすごい
・ 日本のアニメは皮肉が利いた独特のユーモアがある。マンガも私たちを違う世界に連れて行ってくれる
・ 寺や神社と高層ビルが共存する街並みはクリエーティブ
・ 模倣から出発し、独創的なものを造る
② 「潔」―汚れがなく清らか。清らかにする。心や行いがけじめ正しい。清潔、高潔、廉潔
・ 「日本のサブカルチャーを世界に伝えたい」
・ コスプレをビジネスにして国境を越える
・ 行く先々、全てがきれい
・ 約束の時間に2分遅れただけで謝られて、びっくりした
・ エスカレーターや駅のホームの整列など、あらゆるところで秩序が保たれている
・ 「新幹線劇場では毎日、「奇跡の7分」が上演されているー新幹線が東京駅に到着してから出発までに平均して12分しかない。乗り降りに5分、清掃時間は7分しかない。そのわずかな時間に22人のグループが清掃をやり抜いている。1両約100席を1人で清掃する
・ 「無責任なことは、決してしない」
・ 「思いやり」や「誠実さ」は日本の強みだ
・ 「誰にも迷惑をかけない人が多い」
・ ラッシュの時でも整然と列を作ることに驚いた
・ 利己的でないことが素晴らしい
・ 「日本人がいれば何事もスムーズに行くので安心できる」
・ 一生懸命、誠実に仕事に取り組んでいる
・ 道や公共の場所にごみがない
・ 礼儀正しく、小さな出会いでも大切にしてもらえた
・ 「きれいな国」であること
③ 「寧」―安らかに落ち着いている。ねんごろ。安寧,丁寧
・ 「自分の自慢話を耽々と語ったりせず、人の身になって考えることが出来る」
・ バスに忘れ物をしたとき、運転手がわざわざ届けてくれた
・ 「質の高いパズルを世界中の人に届けたい」
・ 「売り手よし、買い手よし、世間よし」の哲学が息づくー「社員の人間性尊重」の経営方針は「顧客の満足」につながる
・ サービスの質の高さは、緻密な仕事ぶりに通じる
・ 「年齢に関係なく多くの人が親切」
・ 「おもてなしの心にいつも感動」
・ いけばなの高い芸術性に感銘
・ 病院以外では待たされない
・ 知り合いが片道6時間かけて車で空港に送ってくれた
・ お釣りを両手で返してくれた
④ 「緻」―きめが細かい。行き届いてくわしい。緻密、精密
・ レストランの入り口にある料理のレプリカが本物のように見える
・ 国際試合に監督として行ったときに、大会の運営が完璧だった。わずかな時間の無駄もなかった
・ トレンドを敏感にとらえ、メークや着こなしに生かしている女性が多い
・ 「日本のテーマパークは趣向が凝らされている」
・ 段取りがよくて、物事がスムーズに進む
・ 緻密な計画力
・ 無印良品は機能的でシンプルなものの代表だ
・ 「エンジニアが細部までこだわっている」
・ 注意深く,時間通りに物事を進める
・ 座椅子が典型だが、細かいところへの気配りが出来る
・ 会社が倒産寸前であったが、日本人の社長はまず、我々外国人に給料を払った
⑤ 「結」―結びつける。組み立てる。構造物・組織体を造る。バラバラのものを1つにまとめる。結合、団結
・ 「草の根スクラムが道開く」-日本の底力を支えるのは草の根の一人ひとりだ。1人では困難でも人々が結びつくことで可能となる。自分の道を極めることで新しい地平が開けてくる
・ 阪神・淡路大震災が起った際、大津市に住んでいた。被災者の秘めた力と威厳を目の当たりにし、心打たれた ・ 「リストラに負けず、仲間と再挑戦」
・ 2011年3月、東北で大地震と津波に遭遇。水中で身動きできなかった私たち家族は底に居合わせた日本人に救助された。冷静さを失わず、必死に私たちを助けてくれた果敢な行動に感服。混乱の渦中でも外国人の私たちに気を使い、励ましの言葉をかけてくれた。彼らがいなければ、私たちはいま生存していない。(ドイツ人弁護士)
・ 「助け合いの精神があり、家族の絆が強い」
・ 日本の友人たちは素晴らしいもてなしをしてくれる
・ 「東日本大震災で団結して困難な状況を乗り切ろうとした
・ サービス業の人の接客態度が素晴らしく、プロ意識を感ずる
・ 謙虚さに頭が下がる。3.11でも互いに助け合っていた
・ 日本は閉鎖的でなく心を開いてくれた
・ 「気合」や「心」を重視するのは長所であり短所 ・ 「平等を重視すると言う日本社会は世界に誇るべきもの」
・ 夜の外出でも、一人旅でも安心していくことが出来る
・ スペイン語にない「頑張る」と言う言葉が印象的だ
・ 自動販売機がずらりと並んでいる。省エネの余地がある
・ 高品質と低価格のユニクロの成功
・ 子供たちだけの集団登校は安全で信頼しあう社会の象徴
・ 日本の音楽やマンガに興味を持ち、留学することが楽しみ
・ パチンコ屋などのカオス的な場所と寺院などの静寂の空間を同時に体験できる
・ 東京のような大都会でも犯罪が少なく安全だと言うことに驚き
・ 「日本を思い出すたび、心から日本人になりたい!」
⑥ 「極」―いちばん上等であること。また、そのものやそのさま。普通の程度をはるかに超えている。最良、極上 ・ 何でも知りたがってなんでも試す。スシが100種類以上あるのはその証拠
・ 日本帝国海軍が外国製の軍艦に画期的な改良を施して、よりすぐれた性能にしたことに圧倒された
・ コンビニで何も買っていないのに「ありがとうございました」と言われ驚いた
・ ゼロから黙々と築いていく強靭な魂がある
・ 「ぶれずにものごとを追求する学者的な精神に感心した」
・ 仕事で探究心が強く、厳格さを感じる
・ ビジュアルに、とことんまで凝る料理は、日本ならでは
・ 2-3ヶ月で新製品が次々と開発されるのはすごい
・ 品質を保つために、費用や時間を惜しまない
・ 料理、音楽などで常に革新を目指し改善を続けている
2012年12月23日日曜日
特別報告「インド―目標はより高く」(エコノミスト2012.9.29)
特別報告「インド―目標はより高く」(エコノミスト2012.9.29)
―人口:12億950万人、1人あたりGDP:1329ドル(2012年3月)
通貨:1インドルピー:1.70円(2012.12.13)―
(主要なポイント)
・ インドの人口は若く(中位年齢:25歳、日本:45歳、中国:35歳)、2020年代半ばには、中国を抜いて世界第一の人口大国となるだろう
・ 経済成長はピークの10%から低下すると予想されるが、5%か3%か?(インドの経済構造は特異である(GDPベース)ー農業:20%、工業:20%、サービス業:59%、ただし農業は就業者数の半分を占める)
・ インドの政治家は根本的改革に積極的に取り組もうとしていない(次期総選挙は2014年半ばであり、80歳のシン首相は交代するであろう。ただし、次期首相の候補であるラウル・ガンジー(42歳)がなるかどうか不明)
・ 出現し増大する中間層がインドの政治と経済を変革できるか(中間層は新しいカーストだ?)
・ 内外からの投資をいかに促進するかが経済改革の鍵である
・ インド人の3分の2(8.3億人)が農村に居住しており、都市化して繁栄を拡大できるか(中国では、人口の半分が都市に住んでいる)
・ アジアの2大国であるインドと中国は、国境紛争問題を抱えるが、競争と協調関係にある。インド政府も従来の長期的な内向き政策から開放的な外交政策に転じつつあり、米国や西欧諸国、東南アジア諸国との関係を強化している。
・ インド人はこれまで、公共心に乏しく、他人に与える影響や環境問題などに配慮することは少ない。賄賂の授受や税金の不払いも当たり前。個人としての責任感に乏しい。これらは文化(カースト制度により人々が分断されてきた)、宗教、宿命論、巨大な人口の存在などが理由であろう
・ しかし、将来次第に豊かになり、教育水準も改善され、中間層の拡大などと民主主義の推進から、必要な規制、基準やルールが整備され、公共心も向上していくことになろう
① 目標は高く
・ インドの政治家はもっと大胆にならなければならない。大改革を行わないとインド
・ の将来はしぼんでしまう
・ 世界の人口の6分の1はインド人であり、間もなく世界最大の国になるだろう
・ 過去10年の高い経済成長の結果、リテラシー(識字能力)は急速に向上し、より多くの女の子が学校に行き、携帯電話が普及し、インド経済は2兆ドル規模に達し、世界第10位となった。
・ 若く(中位年齢:25歳)、人口増加が著しいので、2020年代半ばには、中国を抜いて世界一になると予想される。1人あたり所得が上昇し、農村の貧困も減少し、舗装道路が拡大し、ポリオ(小児麻痺)は根絶されるだろう。
・ 次の総選挙は2014年半ばに行われるが、マンモハン・シン首相は80歳なので政治の世代交代は必至である
・ 経済成長は、ピークの10%から5%程度にダウンするか?-世界経済は弱く、石油価格は上昇している(インドは石油の80%を輸入し、消費者に多大の補助を行っている)
・ しかし、国内問題も多いー外国人も国内の人々も投資を阻害されている、財政赤字は財務危機を起こしかねない、通貨ルピーの弱体、2014年を超えてインド政治・経済はさえない状況が続くか?
・ インドの政治家が統治を行っていない。政権は根本的改革を行おうとしていない。国会を支配する与党の「統合進歩同盟(UPA)は、低迷してきた。「改革に取り組まない首相」と「そわそわする王朝党首のリーダー:ソニア・ガンジー」は改革を阻んできた。
・ さらに、中央と地方の政府官僚は、英国殖民統治以来の保守的システムに安住してきた。「免許」による時代は終わっただろうが、インド経済はまだ政府によって支配されているようだ。
・ 政治家は今年の夏の大規模停電に責任を負うべきだーインド北部の6億人が2日に渡り停電を余儀なくされた。問題は石炭公社独占、国営鉄道、国営電力など。
・ インドの最初の経済改革は1991年の貿易収支危機からであり、今や第2の大改革が必要ではないか。
・ 外国からの投資は2011年の470億ドルのピークから今年は67%にダウンし、国内の製造企業も投資に熱心でない。IMF(国際通貨基金)」によると、インドの財政赤字はGDPの約9%に達すると推定されている。
・ 外国からの投資を促進するためにはどうすべきか。外資のスーパーの設立を容易にするか、国内航空会社の買収を可能にするか?こうしたら政治的嵐をもたらすか。
・ 政治家は、大胆になることは望んでいない。経済成長の条件や年金改革を訴えた政党は2004年選挙で負けてしまった。
・ 腐敗とスーパーリッチ(億万長者)に対する民衆の怒りは高まっており、市場改革に関する疑問とが一緒になり、インドの政治家は改革に積極的でなくなっている。
② 政治の変革
・ 全国政党が弱体化し、地方が強くなり、投票者の行動と腐敗がインドの政治を変えつつある
・ インドの政治を予測するのはリスキーだ。投票者がそれを支持するとは限らないからだ。都市の投票者は急速な経済成長を望み、農村は新しい福祉手段を期待する。
・ インドの政治は大きく、騒々しい。数億人の投票者が様々な背景と意見を持ち、市町村レベル、州レベル、全国レベルにわたり、選挙戦を戦う。
・ 次の国政選挙は2014年であるが、シン首相は、以前は清廉潔白のモデルであったが、今ではインド独立以来最も腐敗した政府を率いると言われるようになっている。彼の唱える改革は人々から支持されそうにない。
・ ラウル・ガンジー(42歳、ガンジー家の首相たちの息子、孫、ひ孫である)は党を率いると予想されているが、彼が何をしたいのか、あるいは党や政府を果たして率いることができるかどうか、誰も知らない。誰も彼や母親のソニア・ガンジー(党の総裁)に聞いたものはいない。ただし、ほかに若いリーダーになるものはいないようだ。
・ ガンジー王朝は議会を押さえてリーダーシップを発揮してきた。しかし、地方の王朝が権力と富を強化して、州レベルを超えて上昇しつつある。ガンジー家は地方の基礎を欠いている。「インドでは、ガンジー家族はもはや要らなくなりつつある」
・ 州レベルの政治で学んだ教訓は、政権政党が定期的に交代することにより、ベストな結果を生じてきたことだー公共サービスが改善され、その他の社会的レベル(識字能力、女性の地位の向上、幼児死亡率の低下など)も良くなってきた
・ 地方政党がギャップを埋めている。通常、カリスマを持った者が州の首相となり、外国であれば一国に匹敵する人口と地域を大統領並みの権力を振るって支配する。州がインド全体の公的支出の半分を占めている。州の首相の中に3人の女性がおり、合計で6億人以上に達する。
・ 一部の投票者は、古い政治的枠組みから離れようとしているームスリム(イスラム教徒)、ヒンズー教徒、カースト制など)
・ 新しく出現したグループは中間層の投票者であり、特定のグループに対して行う報酬でなく、実績によって投票する政党を選択する。多くは若く、都市に住み、移動し、民間に勤め、ケーブル・ニュース、ソーシャル・メディア、携帯電話などでよりよく情報を得ている。今は、少数派だが、2014年には1億人の投票者となるだろう。「若いインドはよき政策を求めているー良い仕事と教育」「中間層は、新しいカーストだ。インドの政治で最も喜ばしいこと」
・ インドは今や365個の衛星チャンネルがあり、多くの都市ベースのケーブルテレビがあり、腐敗などの全国レベルの報道に対する広範な反対運動を生み出している
・ インドは、コモディティ・ブームと閉鎖経済から開放経済へのシフトにより、不均衡も拡大している。「我々は財閥を作り出している」「政党に対する監査制度がない」
・ インドで行われている投票は概ねクリーンで正直であるが、キャンペーンの費用は高価であり、汚い。あらゆるものが大きい。衆議院議員の選挙は、平均100万人の投票者が対象となる。
・ インド経済が、政治家が公共財を割り当てるシステムからシフトするようになれば、政治もよりクリーンになるだろうが、それには時間がかかるだろう。
③ 経済-急行(10%の成長率)かストップ(3%)か
・ インド経済は過去10年急成長してきたが、以前の低成長レベルに戻りつつある
・ インドの汽車はゆっくり動くので、様々な乗客を観察できるー病院に通院する、仕事に行く、学生、外国人、地方の人々
・ インドでは、人々は米国と同様に国中を自由に移動できるーこれは中国のように農民が土地から離れると罰せられる国よりベターだ
・ インド人はよく連絡できるようになっている。4200キロの列車移動で615の中継ステーションで携帯電話の信号はどこでも接続される。10年前は9%であったが、今や63%の家庭が電話、普通は携帯電話を持っている。インド人の4分の3は携帯電話でアクセスできる。また、インドの2億4700万世帯(総世帯の3分の2)は電力、半分はテレビにアクセスし、自転車も持っている。自動車は5%に過ぎないが。
・ ある証券会社レポートでは、2010年に4億7000万のインド人が年間収入1000-4000ドルであったが、今後10年で5億7000万人に増加すると予測している。すなわち1兆ドルの市場が創出されることになる。
・ インド経済の成長が今後どうなるかー急成長するとオーバーヒート(過熱)する可能性がある(高いインフレ、食料価格の高騰、道路・港湾・鉄道が一杯になり、停電が常態化し、労働コストが高くなる)
・ インド輸送公社によると、デリー・ムンバイ間(1380キロ)の道路輸送は殆ど3日間かかる(時速21キロ)交通量は年率11%で伸びるが、道路網は4%で拡大しているにすぎない。
・ インドはエネルギーと鉱物を浪費している。1つの対策は石炭の配分の規制緩和だ。巨大で非効率な国営独占の「インド石炭公社(コール・インディア)」の分割民営化など。国営企業はGDPの4%を占めるにすぎない。(中国は3分の1)
・ しかし、インドの政治家は事態を改善する改革に熱心ではない。
・ 貧困救済のための福祉支出はGDPの2.5%であり、大きいシェアではないが、急速に増加している。シン首相の最初の内閣では1.6%に過ぎなかった。
・ 雇用構造の問題―インドは、多くの東アジア及び東南アジア諸国と異なる構造となっている(農業は、労働人口の半分を占めるが、GDPの20%弱となっている。サービス業はGDPの59%、工業が20%程度を占める)
・ 製造業はGDPの15%にすぎず、1960年代と殆ど変わっていない。他の分野と同様に、インドの強固な官僚制度とひどいインフラによって被害を受けている。インドの労働コストは高く、労働法は制限的である。中国の賃金が高まるに伴い、バングラデシュなどの国は移動の対象になるであろうが、労働争議などの問題から、インドはならないだろう。 ・ 製造メーカーは、インドにおける弱いルピーから輸出業者に魅力的となっている。また、インド自体の市場の拡大も魅力となるだろう。しかし、インドの製造業が近い将来大きく飛躍する兆しはないといえよう。
・ サービス業を拡大するためには、インドは大量の熟練労働者が必要となる。
④ 教育―10億人の頭脳
・ ある調査では、インドは2010年で400万人必要な土木技術者が50万人しかおらず、37万人必要な設計技術者が45000人しかいない。
・ 熟練技術者の不足は建設産業だけでない。地方の教育が極めてひどく、また、有能なスタッフを見つけてもすぐ転職してしまう。
・ 一般的に、識字能力があり、訓練され、労働につける人々が不足している。全国の識字率は1991年の52%から74%に向上したが、その後はあまり進捗していない。
・ 教育に関心がないわけではない。新聞の結婚広告では、花嫁・花婿候補は年齢、ルックス、カーストの前に、学歴を述べるものもある
・ 推定では、インド人の40%は私立教育を受けている。また、教育費は生計費の7.5%を占めており、これは中国、ロシア、ブラジルより多い。教育は繁栄への近道だと考えられている。「両親は、教育費に使いすぎだ」
・ 140万の学校のうち約50万が私立であり、3億人の生徒を有する。学童期の子供の97%が登録するが、半分以上が中学校を卒業するまでにドロップ・アウトする。授業の質は様々であり、低いカーストの子供たちに対する差別、教師に対する賄賂など。多くの私立学校は役に立たず、価値のない資格をもらっているようだ
・ インドの国際競争力を高めるためには、学校教育の後の職業訓練やより高い教育である。インドは、2010年代末に25-34歳で2400万人の卒業生を出し、世界の12%を占めると予想されている。インドの高等教育機関の数は26500であり、世界最大である。現在1500万人が登録しており、同年代の人口の14%を占めている。政府は、2010年代末に30%の登録率にしたいと推進中である。学生数を4000万人とするためには、2000億ドル必要になると推定される。
・ インドは、毎年50万人以上の工学部の卒業生を出しており、これはインドの強力な強みとなっている。ただし、学生のうちの雇用可能数は2011年の55000人であり、更なる訓練をしないと3%ぐらいしかIT企業ですぐ使えない。
⑤ 都市―コンクリート・ジャングル
・ インドは主として農村の国であり、来る都市ブームに良く備えているか?
・ 首都デリーの西部のある町は狭い貧弱なレンガの家が並び、ハエが下水の上を飛び、水道がないので、毎日55個のタンクで生活用水が供給される。一部の家にトイレがあるだけ。周辺の地域には50万人のスラム居住者がいる。
・ インドの都市は、多かれ少なかれ、魅力に乏しく、ごちゃごちゃしている。1つの理由は、インドの大半が農村だからである。総人口の3分の2の8億3300万人は64万の農村に住んでいる。農村の投票者は政治的影響力が強いので、多くの公共支出が行われている。農家は補助されたディーゼルを利用してポンプを使い、政府は多くの小麦と米にインフレ化した価格を支払い、それを村の人々には安く分けている。これらは移住を阻害し、また、多くの州で腐敗を促進している。州で管理する食料の44%が「漏れている」と見られている。
・ 村民は、特に低いカーストの人々、女性、宗教などのマイノリティにとってしばしばハードである。村は通常、学校、医療、非生産的労働の場所となっている。
・ 都市化が遅れることは、繁栄も遠のくことである。農家が土地を捨てて工場やコールセンターなどで働くと、殆どの場合、収入と消費が増える。中国では、人口の半分は都市に住んでいる。
・ インドの100大都市に総人口の16%が住み、国民所得の43%に寄与している。スラム居住者もしばしば生産的な製造業や商業に従事している。都市居住者は、現在3億7700万人であるが、毎年500万人ずつ増加している。歴史的に見ると、都市人口の増加は、移住というより自然増によるものである。将来、都市の魅力が増大すると、都市人口がより速く増加し、2050年には倍増するであろう。
・ 幾つかの都市センターは「メガシティ」となり、インドの西部沿岸地域は1つの大都市圏になり、内陸のデリーとその周辺地域は人口6000-7000万人のハブとなるであろう。20年以内に、インドではニューヨークより大きい6大都市圏を持つことになろう(少なくとも1000万人以上)アーメダバード、バンガロール、デリー、ムンバイ、ハイデラバード、チェネイ
・ 既に100万人以上の都市が53ある。幾つかは改善されているが、多くは雑多でうまく運営されていない
・ 2031年には、インドは10万人のプロフェッショナル(設計、工学など都市計画)不足すると予想されている。
⑥ インドの対外関係-余分な装飾はなし
・ インドの対外政策は、質素で、穏当で、一般的に賢明である
・ インドの外交政策は、スローで注意深く行われる
・ 政府は、対外問題を重視していない
・ インド経済は、以前より世界経済と一体化しており、外国貿易はGDPの43%に相当する。20年前は16%にすぎなかった。2011年の貿易総額は7940億ドルであり、特に武器輸入では世界一であり、10%のシェアを占めている。インドは長い間、援助の受入国から急速に供与国に転換している。一方、エネルギー、鉱物、商業的利益をアフリカ、中央アジアなどの展開している。国際グループにも積極的に参加しつつある
・ インド外務省には800人の外交官しかおらず、これは中国の5分の1にすぎず、小さなシンガポールと同じである。デリーの一つの機関が19人の中南米の大使に対応している。水資源や気候変動などの厄介な問題で近隣国と交渉するスタッフは少数である。ダイナミックな企業は政府の援助なく、新しい市場の開拓に取り組む必要がある。ところが、中国の国営企業は安価な信用を利用し、外交により支援されている。(外交官1人当たり人口1000人―米国:16、ドイツ:12、フランス・英国:10、日本:23、中国:321、インド:1341、シンガポール:6)
・ 「インドの国家は、65歳であらゆる点で太りすぎている」ー国境守備隊、関税官吏、外交官、兵士などが少なすぎる。石炭や鉄鋼省に人が集まりすぎている。数十年の内向き状況から、ようやくパキスタンを越える外交問題に取り組み始めた。
・ しかし、中央政府が外交政策をどれだけ掌握しているのか疑問を呈するものがある。州政府が中央政府と違う動きを示す事例があるようだ。
・ 外交政策の関心―米国、中国、近隣地域
・ 対米関係―インドと米国は、巨大で、高価な、宗教的、物質主義的、厄介な民主主義国で、中央政府が強力な地方政府と対峙するという共通性がある。米国は今やインドの武器の最大供給者であり、数百億ドル規模の契約となっている。両国の関心は融合しつつあり、アフガニスタンなどで協力している。インドは、パキスタンを穏健に維持するために、米国にパキスタンとの関係を維持するよう求めている。米国は、インドとの結びつきを重視するようになっており、インドは西欧との関係をより強化している ・ 中国の台頭―中国とインドは結びつきを強化しつつある、特に貿易において。ただし両国は互いに競っている。両国間の貿易は、2000年の29億ドルから2015年には1000億ドルに拡大すると予想されている。また、インドは軍隊の国内の移動性を急速に高めていると指摘されている(10年前に北東地域における紛争国境への移動に2ヶ月かかったが、現在道路の改良により2週間ですむ様になっている)
・ とりわけ、ミャンマーで両国は影響力とエネルギー供給に関して競争している。また、インドはチベットやダライ・ラマ(インドに住む)に関して中国がトラブルを起こさないか懸念している。インド・中国国境で未解決の紛争があり、これは50年前にインドが失った屈辱の国境である。インドは、より強力な戦争抑止力を望み、核搭載可能な長距離ミサイルのテスト発射を行ったが、これは中国の大都市を攻撃可能である。また、国境付近の兵士や航空機を増加している。
・ インドはさらに米国や民主主義国との関係を強化しており、オーストラリアはインドの各プラントにウラ二アムを売却することを発表している。インドは、南シナ海における石油採掘事業にも積極的になってきた。また、インドは日本からの援助と投資の大受け取り国である
・ 周辺地域との関係も改善されつつあり、シン首相はパキスタンがインドを攻撃するテロリストにより厳しく対応するか、貿易の開放でインドの請求に答えれば、パキスタンのパンジャブに自分の誕生日に訪問してもいいと述べている。インドは、国境インフラを改善し、非関税障壁を緩和した。
・ インドの外務省は弱体であるが、以前より改善して運営されるようになっている。インドの外交は、装飾はないが、少なくとも明確な目標を持っている。
⑦ 一般の人々の悲劇―上り坂
・ インド人は豊かになり、教育も改善されたが、もっと公共心を持つべきだ ・ カシミール地方はヒマラヤの麓にあり、氷河のある湖や雪の山頂、広大な緑の原野など素晴らしい展望であるが、パキスタン国境でインドの数千人の兵士が毎夏歩き回って荒し、最近では、観光客が100万人訪れ、道路が混雑し、建設ブームとなっている。
・ カシミールは、インドの残りの地域と同様になりつつあり、豊かでより平和的になってきたが、次第にスポイルされるようになっている。国土の多くの部分も同様である
・ 10年以上前に、50年間に及ぶ急速な人口増加が、環境の悪化をもたらすと警告された。90%の村民が大気汚染に悩まされ(調理中に煙を吸い込む)、都市住民の3分の1もそうなっている。土壌の悪化により農業不適を生じている。そのほか、水不足、川の汚染、地下水のレベルの急速な低下など
・ デリーは、北京と並ぶ地球上で最も汚染された都市のひとつとなっている。
・ ガンジス川は、ヒンズー教徒によって「聖なる川」と考えられ、多くの人々が水浴しているが、製紙工場などの工業・産業廃棄物、化学物資が流れ込んでいる。農家も肥料を捨て、人間の廃棄物も肥大する都市から排出されている。これらは殆ど適切に処理されていない。
・ 成長する経済に対して、規制するルールが少なく、この種の問題を生じている。しかし、インドでは、公共スペースや周辺の自然界に対する義務の感覚が共有されていない。ごみが散乱し、私的資産を公共の土地に拡大し、安全性や環境を損なっている。「一般の人にとって、悲劇的だ」「誰もがそれは他人の仕事だと考えている」
・ ただし、豊かになるに従い、盛んな民主主義が事態を改善するようになるかも知れない。中国のように。しかし、公共財に対する関心を高めるのは容易でない。その理由は、文化(カースト制度により人々が分断されてきた歴史)宗教、宿命論、何よりも圧倒的な巨大人口。
・ 他人に対する配慮のなさは至るところにあるードライバーは赤ランプでも走る、列車に飛び乗る、腐敗も至るところ、賄賂の授受は当たり前、税金も支払わない
・ このような配慮のなさが残っていると、環境問題についても思い浮かばないだろう
・ 「人々は政府が解決してくれると考えている。これはどこでも同様であり、我々には、個人としての責任感はない」 ・ 利他主義の考え方は乏しいーインド人は臓器提供では世界最低の部類であり、富裕なタイクーン(大金持ち)でも慈善活動には熱心でない
・ しかし、事態は変わりつつあるーインド人は宿命論から脱しつつあり、腐敗に対する抗議活動、革新的アイデア(賄賂の詳細を掲示するウエブサイトの出現など)
・ 危機が増大すると(環境、テロリスト、経済的、政治的など)、インドのリーダーと一般の人々寛容とオープンさという価値観を発揮するだろう。インドにおける最近の流行語は、「革新の精神」である。今後5年間はややこしいかも知れない。最近の高い期待はトーンダウンするかも知れない。
・ しかし、将来インドは思い切った飛躍を遂げるかも知れない。強固な成功は、標準が確立し、家庭や都市、学校教育、スポーツなどあらゆる点で品質が改善される時に始めて可能である。そのためには、機能する制度、より責任を持った個人、決定できるリーダーが必要である。一般のインド人も次第に貢献するようになるだろう。わいろを拒み、税金を払い、起業家のように富を蓄積し、環境を大事にするなど。厄介な変革だが、歓迎すべき変革だ。
―人口:12億950万人、1人あたりGDP:1329ドル(2012年3月)
通貨:1インドルピー:1.70円(2012.12.13)―
(主要なポイント)
・ インドの人口は若く(中位年齢:25歳、日本:45歳、中国:35歳)、2020年代半ばには、中国を抜いて世界第一の人口大国となるだろう
・ 経済成長はピークの10%から低下すると予想されるが、5%か3%か?(インドの経済構造は特異である(GDPベース)ー農業:20%、工業:20%、サービス業:59%、ただし農業は就業者数の半分を占める)
・ インドの政治家は根本的改革に積極的に取り組もうとしていない(次期総選挙は2014年半ばであり、80歳のシン首相は交代するであろう。ただし、次期首相の候補であるラウル・ガンジー(42歳)がなるかどうか不明)
・ 出現し増大する中間層がインドの政治と経済を変革できるか(中間層は新しいカーストだ?)
・ 内外からの投資をいかに促進するかが経済改革の鍵である
・ インド人の3分の2(8.3億人)が農村に居住しており、都市化して繁栄を拡大できるか(中国では、人口の半分が都市に住んでいる)
・ アジアの2大国であるインドと中国は、国境紛争問題を抱えるが、競争と協調関係にある。インド政府も従来の長期的な内向き政策から開放的な外交政策に転じつつあり、米国や西欧諸国、東南アジア諸国との関係を強化している。
・ インド人はこれまで、公共心に乏しく、他人に与える影響や環境問題などに配慮することは少ない。賄賂の授受や税金の不払いも当たり前。個人としての責任感に乏しい。これらは文化(カースト制度により人々が分断されてきた)、宗教、宿命論、巨大な人口の存在などが理由であろう
・ しかし、将来次第に豊かになり、教育水準も改善され、中間層の拡大などと民主主義の推進から、必要な規制、基準やルールが整備され、公共心も向上していくことになろう
① 目標は高く
・ インドの政治家はもっと大胆にならなければならない。大改革を行わないとインド
・ の将来はしぼんでしまう
・ 世界の人口の6分の1はインド人であり、間もなく世界最大の国になるだろう
・ 過去10年の高い経済成長の結果、リテラシー(識字能力)は急速に向上し、より多くの女の子が学校に行き、携帯電話が普及し、インド経済は2兆ドル規模に達し、世界第10位となった。
・ 若く(中位年齢:25歳)、人口増加が著しいので、2020年代半ばには、中国を抜いて世界一になると予想される。1人あたり所得が上昇し、農村の貧困も減少し、舗装道路が拡大し、ポリオ(小児麻痺)は根絶されるだろう。
・ 次の総選挙は2014年半ばに行われるが、マンモハン・シン首相は80歳なので政治の世代交代は必至である
・ 経済成長は、ピークの10%から5%程度にダウンするか?-世界経済は弱く、石油価格は上昇している(インドは石油の80%を輸入し、消費者に多大の補助を行っている)
・ しかし、国内問題も多いー外国人も国内の人々も投資を阻害されている、財政赤字は財務危機を起こしかねない、通貨ルピーの弱体、2014年を超えてインド政治・経済はさえない状況が続くか?
・ インドの政治家が統治を行っていない。政権は根本的改革を行おうとしていない。国会を支配する与党の「統合進歩同盟(UPA)は、低迷してきた。「改革に取り組まない首相」と「そわそわする王朝党首のリーダー:ソニア・ガンジー」は改革を阻んできた。
・ さらに、中央と地方の政府官僚は、英国殖民統治以来の保守的システムに安住してきた。「免許」による時代は終わっただろうが、インド経済はまだ政府によって支配されているようだ。
・ 政治家は今年の夏の大規模停電に責任を負うべきだーインド北部の6億人が2日に渡り停電を余儀なくされた。問題は石炭公社独占、国営鉄道、国営電力など。
・ インドの最初の経済改革は1991年の貿易収支危機からであり、今や第2の大改革が必要ではないか。
・ 外国からの投資は2011年の470億ドルのピークから今年は67%にダウンし、国内の製造企業も投資に熱心でない。IMF(国際通貨基金)」によると、インドの財政赤字はGDPの約9%に達すると推定されている。
・ 外国からの投資を促進するためにはどうすべきか。外資のスーパーの設立を容易にするか、国内航空会社の買収を可能にするか?こうしたら政治的嵐をもたらすか。
・ 政治家は、大胆になることは望んでいない。経済成長の条件や年金改革を訴えた政党は2004年選挙で負けてしまった。
・ 腐敗とスーパーリッチ(億万長者)に対する民衆の怒りは高まっており、市場改革に関する疑問とが一緒になり、インドの政治家は改革に積極的でなくなっている。
② 政治の変革
・ 全国政党が弱体化し、地方が強くなり、投票者の行動と腐敗がインドの政治を変えつつある
・ インドの政治を予測するのはリスキーだ。投票者がそれを支持するとは限らないからだ。都市の投票者は急速な経済成長を望み、農村は新しい福祉手段を期待する。
・ インドの政治は大きく、騒々しい。数億人の投票者が様々な背景と意見を持ち、市町村レベル、州レベル、全国レベルにわたり、選挙戦を戦う。
・ 次の国政選挙は2014年であるが、シン首相は、以前は清廉潔白のモデルであったが、今ではインド独立以来最も腐敗した政府を率いると言われるようになっている。彼の唱える改革は人々から支持されそうにない。
・ ラウル・ガンジー(42歳、ガンジー家の首相たちの息子、孫、ひ孫である)は党を率いると予想されているが、彼が何をしたいのか、あるいは党や政府を果たして率いることができるかどうか、誰も知らない。誰も彼や母親のソニア・ガンジー(党の総裁)に聞いたものはいない。ただし、ほかに若いリーダーになるものはいないようだ。
・ ガンジー王朝は議会を押さえてリーダーシップを発揮してきた。しかし、地方の王朝が権力と富を強化して、州レベルを超えて上昇しつつある。ガンジー家は地方の基礎を欠いている。「インドでは、ガンジー家族はもはや要らなくなりつつある」
・ 州レベルの政治で学んだ教訓は、政権政党が定期的に交代することにより、ベストな結果を生じてきたことだー公共サービスが改善され、その他の社会的レベル(識字能力、女性の地位の向上、幼児死亡率の低下など)も良くなってきた
・ 地方政党がギャップを埋めている。通常、カリスマを持った者が州の首相となり、外国であれば一国に匹敵する人口と地域を大統領並みの権力を振るって支配する。州がインド全体の公的支出の半分を占めている。州の首相の中に3人の女性がおり、合計で6億人以上に達する。
・ 一部の投票者は、古い政治的枠組みから離れようとしているームスリム(イスラム教徒)、ヒンズー教徒、カースト制など)
・ 新しく出現したグループは中間層の投票者であり、特定のグループに対して行う報酬でなく、実績によって投票する政党を選択する。多くは若く、都市に住み、移動し、民間に勤め、ケーブル・ニュース、ソーシャル・メディア、携帯電話などでよりよく情報を得ている。今は、少数派だが、2014年には1億人の投票者となるだろう。「若いインドはよき政策を求めているー良い仕事と教育」「中間層は、新しいカーストだ。インドの政治で最も喜ばしいこと」
・ インドは今や365個の衛星チャンネルがあり、多くの都市ベースのケーブルテレビがあり、腐敗などの全国レベルの報道に対する広範な反対運動を生み出している
・ インドは、コモディティ・ブームと閉鎖経済から開放経済へのシフトにより、不均衡も拡大している。「我々は財閥を作り出している」「政党に対する監査制度がない」
・ インドで行われている投票は概ねクリーンで正直であるが、キャンペーンの費用は高価であり、汚い。あらゆるものが大きい。衆議院議員の選挙は、平均100万人の投票者が対象となる。
・ インド経済が、政治家が公共財を割り当てるシステムからシフトするようになれば、政治もよりクリーンになるだろうが、それには時間がかかるだろう。
③ 経済-急行(10%の成長率)かストップ(3%)か
・ インド経済は過去10年急成長してきたが、以前の低成長レベルに戻りつつある
・ インドの汽車はゆっくり動くので、様々な乗客を観察できるー病院に通院する、仕事に行く、学生、外国人、地方の人々
・ インドでは、人々は米国と同様に国中を自由に移動できるーこれは中国のように農民が土地から離れると罰せられる国よりベターだ
・ インド人はよく連絡できるようになっている。4200キロの列車移動で615の中継ステーションで携帯電話の信号はどこでも接続される。10年前は9%であったが、今や63%の家庭が電話、普通は携帯電話を持っている。インド人の4分の3は携帯電話でアクセスできる。また、インドの2億4700万世帯(総世帯の3分の2)は電力、半分はテレビにアクセスし、自転車も持っている。自動車は5%に過ぎないが。
・ ある証券会社レポートでは、2010年に4億7000万のインド人が年間収入1000-4000ドルであったが、今後10年で5億7000万人に増加すると予測している。すなわち1兆ドルの市場が創出されることになる。
・ インド経済の成長が今後どうなるかー急成長するとオーバーヒート(過熱)する可能性がある(高いインフレ、食料価格の高騰、道路・港湾・鉄道が一杯になり、停電が常態化し、労働コストが高くなる)
・ インド輸送公社によると、デリー・ムンバイ間(1380キロ)の道路輸送は殆ど3日間かかる(時速21キロ)交通量は年率11%で伸びるが、道路網は4%で拡大しているにすぎない。
・ インドはエネルギーと鉱物を浪費している。1つの対策は石炭の配分の規制緩和だ。巨大で非効率な国営独占の「インド石炭公社(コール・インディア)」の分割民営化など。国営企業はGDPの4%を占めるにすぎない。(中国は3分の1)
・ しかし、インドの政治家は事態を改善する改革に熱心ではない。
・ 貧困救済のための福祉支出はGDPの2.5%であり、大きいシェアではないが、急速に増加している。シン首相の最初の内閣では1.6%に過ぎなかった。
・ 雇用構造の問題―インドは、多くの東アジア及び東南アジア諸国と異なる構造となっている(農業は、労働人口の半分を占めるが、GDPの20%弱となっている。サービス業はGDPの59%、工業が20%程度を占める)
・ 製造業はGDPの15%にすぎず、1960年代と殆ど変わっていない。他の分野と同様に、インドの強固な官僚制度とひどいインフラによって被害を受けている。インドの労働コストは高く、労働法は制限的である。中国の賃金が高まるに伴い、バングラデシュなどの国は移動の対象になるであろうが、労働争議などの問題から、インドはならないだろう。 ・ 製造メーカーは、インドにおける弱いルピーから輸出業者に魅力的となっている。また、インド自体の市場の拡大も魅力となるだろう。しかし、インドの製造業が近い将来大きく飛躍する兆しはないといえよう。
・ サービス業を拡大するためには、インドは大量の熟練労働者が必要となる。
④ 教育―10億人の頭脳
・ ある調査では、インドは2010年で400万人必要な土木技術者が50万人しかおらず、37万人必要な設計技術者が45000人しかいない。
・ 熟練技術者の不足は建設産業だけでない。地方の教育が極めてひどく、また、有能なスタッフを見つけてもすぐ転職してしまう。
・ 一般的に、識字能力があり、訓練され、労働につける人々が不足している。全国の識字率は1991年の52%から74%に向上したが、その後はあまり進捗していない。
・ 教育に関心がないわけではない。新聞の結婚広告では、花嫁・花婿候補は年齢、ルックス、カーストの前に、学歴を述べるものもある
・ 推定では、インド人の40%は私立教育を受けている。また、教育費は生計費の7.5%を占めており、これは中国、ロシア、ブラジルより多い。教育は繁栄への近道だと考えられている。「両親は、教育費に使いすぎだ」
・ 140万の学校のうち約50万が私立であり、3億人の生徒を有する。学童期の子供の97%が登録するが、半分以上が中学校を卒業するまでにドロップ・アウトする。授業の質は様々であり、低いカーストの子供たちに対する差別、教師に対する賄賂など。多くの私立学校は役に立たず、価値のない資格をもらっているようだ
・ インドの国際競争力を高めるためには、学校教育の後の職業訓練やより高い教育である。インドは、2010年代末に25-34歳で2400万人の卒業生を出し、世界の12%を占めると予想されている。インドの高等教育機関の数は26500であり、世界最大である。現在1500万人が登録しており、同年代の人口の14%を占めている。政府は、2010年代末に30%の登録率にしたいと推進中である。学生数を4000万人とするためには、2000億ドル必要になると推定される。
・ インドは、毎年50万人以上の工学部の卒業生を出しており、これはインドの強力な強みとなっている。ただし、学生のうちの雇用可能数は2011年の55000人であり、更なる訓練をしないと3%ぐらいしかIT企業ですぐ使えない。
⑤ 都市―コンクリート・ジャングル
・ インドは主として農村の国であり、来る都市ブームに良く備えているか?
・ 首都デリーの西部のある町は狭い貧弱なレンガの家が並び、ハエが下水の上を飛び、水道がないので、毎日55個のタンクで生活用水が供給される。一部の家にトイレがあるだけ。周辺の地域には50万人のスラム居住者がいる。
・ インドの都市は、多かれ少なかれ、魅力に乏しく、ごちゃごちゃしている。1つの理由は、インドの大半が農村だからである。総人口の3分の2の8億3300万人は64万の農村に住んでいる。農村の投票者は政治的影響力が強いので、多くの公共支出が行われている。農家は補助されたディーゼルを利用してポンプを使い、政府は多くの小麦と米にインフレ化した価格を支払い、それを村の人々には安く分けている。これらは移住を阻害し、また、多くの州で腐敗を促進している。州で管理する食料の44%が「漏れている」と見られている。
・ 村民は、特に低いカーストの人々、女性、宗教などのマイノリティにとってしばしばハードである。村は通常、学校、医療、非生産的労働の場所となっている。
・ 都市化が遅れることは、繁栄も遠のくことである。農家が土地を捨てて工場やコールセンターなどで働くと、殆どの場合、収入と消費が増える。中国では、人口の半分は都市に住んでいる。
・ インドの100大都市に総人口の16%が住み、国民所得の43%に寄与している。スラム居住者もしばしば生産的な製造業や商業に従事している。都市居住者は、現在3億7700万人であるが、毎年500万人ずつ増加している。歴史的に見ると、都市人口の増加は、移住というより自然増によるものである。将来、都市の魅力が増大すると、都市人口がより速く増加し、2050年には倍増するであろう。
・ 幾つかの都市センターは「メガシティ」となり、インドの西部沿岸地域は1つの大都市圏になり、内陸のデリーとその周辺地域は人口6000-7000万人のハブとなるであろう。20年以内に、インドではニューヨークより大きい6大都市圏を持つことになろう(少なくとも1000万人以上)アーメダバード、バンガロール、デリー、ムンバイ、ハイデラバード、チェネイ
・ 既に100万人以上の都市が53ある。幾つかは改善されているが、多くは雑多でうまく運営されていない
・ 2031年には、インドは10万人のプロフェッショナル(設計、工学など都市計画)不足すると予想されている。
⑥ インドの対外関係-余分な装飾はなし
・ インドの対外政策は、質素で、穏当で、一般的に賢明である
・ インドの外交政策は、スローで注意深く行われる
・ 政府は、対外問題を重視していない
・ インド経済は、以前より世界経済と一体化しており、外国貿易はGDPの43%に相当する。20年前は16%にすぎなかった。2011年の貿易総額は7940億ドルであり、特に武器輸入では世界一であり、10%のシェアを占めている。インドは長い間、援助の受入国から急速に供与国に転換している。一方、エネルギー、鉱物、商業的利益をアフリカ、中央アジアなどの展開している。国際グループにも積極的に参加しつつある
・ インド外務省には800人の外交官しかおらず、これは中国の5分の1にすぎず、小さなシンガポールと同じである。デリーの一つの機関が19人の中南米の大使に対応している。水資源や気候変動などの厄介な問題で近隣国と交渉するスタッフは少数である。ダイナミックな企業は政府の援助なく、新しい市場の開拓に取り組む必要がある。ところが、中国の国営企業は安価な信用を利用し、外交により支援されている。(外交官1人当たり人口1000人―米国:16、ドイツ:12、フランス・英国:10、日本:23、中国:321、インド:1341、シンガポール:6)
・ 「インドの国家は、65歳であらゆる点で太りすぎている」ー国境守備隊、関税官吏、外交官、兵士などが少なすぎる。石炭や鉄鋼省に人が集まりすぎている。数十年の内向き状況から、ようやくパキスタンを越える外交問題に取り組み始めた。
・ しかし、中央政府が外交政策をどれだけ掌握しているのか疑問を呈するものがある。州政府が中央政府と違う動きを示す事例があるようだ。
・ 外交政策の関心―米国、中国、近隣地域
・ 対米関係―インドと米国は、巨大で、高価な、宗教的、物質主義的、厄介な民主主義国で、中央政府が強力な地方政府と対峙するという共通性がある。米国は今やインドの武器の最大供給者であり、数百億ドル規模の契約となっている。両国の関心は融合しつつあり、アフガニスタンなどで協力している。インドは、パキスタンを穏健に維持するために、米国にパキスタンとの関係を維持するよう求めている。米国は、インドとの結びつきを重視するようになっており、インドは西欧との関係をより強化している ・ 中国の台頭―中国とインドは結びつきを強化しつつある、特に貿易において。ただし両国は互いに競っている。両国間の貿易は、2000年の29億ドルから2015年には1000億ドルに拡大すると予想されている。また、インドは軍隊の国内の移動性を急速に高めていると指摘されている(10年前に北東地域における紛争国境への移動に2ヶ月かかったが、現在道路の改良により2週間ですむ様になっている)
・ とりわけ、ミャンマーで両国は影響力とエネルギー供給に関して競争している。また、インドはチベットやダライ・ラマ(インドに住む)に関して中国がトラブルを起こさないか懸念している。インド・中国国境で未解決の紛争があり、これは50年前にインドが失った屈辱の国境である。インドは、より強力な戦争抑止力を望み、核搭載可能な長距離ミサイルのテスト発射を行ったが、これは中国の大都市を攻撃可能である。また、国境付近の兵士や航空機を増加している。
・ インドはさらに米国や民主主義国との関係を強化しており、オーストラリアはインドの各プラントにウラ二アムを売却することを発表している。インドは、南シナ海における石油採掘事業にも積極的になってきた。また、インドは日本からの援助と投資の大受け取り国である
・ 周辺地域との関係も改善されつつあり、シン首相はパキスタンがインドを攻撃するテロリストにより厳しく対応するか、貿易の開放でインドの請求に答えれば、パキスタンのパンジャブに自分の誕生日に訪問してもいいと述べている。インドは、国境インフラを改善し、非関税障壁を緩和した。
・ インドの外務省は弱体であるが、以前より改善して運営されるようになっている。インドの外交は、装飾はないが、少なくとも明確な目標を持っている。
⑦ 一般の人々の悲劇―上り坂
・ インド人は豊かになり、教育も改善されたが、もっと公共心を持つべきだ ・ カシミール地方はヒマラヤの麓にあり、氷河のある湖や雪の山頂、広大な緑の原野など素晴らしい展望であるが、パキスタン国境でインドの数千人の兵士が毎夏歩き回って荒し、最近では、観光客が100万人訪れ、道路が混雑し、建設ブームとなっている。
・ カシミールは、インドの残りの地域と同様になりつつあり、豊かでより平和的になってきたが、次第にスポイルされるようになっている。国土の多くの部分も同様である
・ 10年以上前に、50年間に及ぶ急速な人口増加が、環境の悪化をもたらすと警告された。90%の村民が大気汚染に悩まされ(調理中に煙を吸い込む)、都市住民の3分の1もそうなっている。土壌の悪化により農業不適を生じている。そのほか、水不足、川の汚染、地下水のレベルの急速な低下など
・ デリーは、北京と並ぶ地球上で最も汚染された都市のひとつとなっている。
・ ガンジス川は、ヒンズー教徒によって「聖なる川」と考えられ、多くの人々が水浴しているが、製紙工場などの工業・産業廃棄物、化学物資が流れ込んでいる。農家も肥料を捨て、人間の廃棄物も肥大する都市から排出されている。これらは殆ど適切に処理されていない。
・ 成長する経済に対して、規制するルールが少なく、この種の問題を生じている。しかし、インドでは、公共スペースや周辺の自然界に対する義務の感覚が共有されていない。ごみが散乱し、私的資産を公共の土地に拡大し、安全性や環境を損なっている。「一般の人にとって、悲劇的だ」「誰もがそれは他人の仕事だと考えている」
・ ただし、豊かになるに従い、盛んな民主主義が事態を改善するようになるかも知れない。中国のように。しかし、公共財に対する関心を高めるのは容易でない。その理由は、文化(カースト制度により人々が分断されてきた歴史)宗教、宿命論、何よりも圧倒的な巨大人口。
・ 他人に対する配慮のなさは至るところにあるードライバーは赤ランプでも走る、列車に飛び乗る、腐敗も至るところ、賄賂の授受は当たり前、税金も支払わない
・ このような配慮のなさが残っていると、環境問題についても思い浮かばないだろう
・ 「人々は政府が解決してくれると考えている。これはどこでも同様であり、我々には、個人としての責任感はない」 ・ 利他主義の考え方は乏しいーインド人は臓器提供では世界最低の部類であり、富裕なタイクーン(大金持ち)でも慈善活動には熱心でない
・ しかし、事態は変わりつつあるーインド人は宿命論から脱しつつあり、腐敗に対する抗議活動、革新的アイデア(賄賂の詳細を掲示するウエブサイトの出現など)
・ 危機が増大すると(環境、テロリスト、経済的、政治的など)、インドのリーダーと一般の人々寛容とオープンさという価値観を発揮するだろう。インドにおける最近の流行語は、「革新の精神」である。今後5年間はややこしいかも知れない。最近の高い期待はトーンダウンするかも知れない。
・ しかし、将来インドは思い切った飛躍を遂げるかも知れない。強固な成功は、標準が確立し、家庭や都市、学校教育、スポーツなどあらゆる点で品質が改善される時に始めて可能である。そのためには、機能する制度、より責任を持った個人、決定できるリーダーが必要である。一般のインド人も次第に貢献するようになるだろう。わいろを拒み、税金を払い、起業家のように富を蓄積し、環境を大事にするなど。厄介な変革だが、歓迎すべき変革だ。
2012年12月20日木曜日
「習近平:中国を変えなければならない男」(英エコノミスト、2012.10.27)
「習近平:中国を変えなければならない男」(英エコノミスト、2012.10.27)
-習は今後10年の中国のトップーリーダーとなるが、高い経済成長を維持するため
には政治的経済的改革に至急に取組むべきだ。2020年までの1人当たり所得
の倍増の目標は実現できるか?中間層の増大とインターネットの発展に伴い政治的
民主化はどうなるか。選挙制度(地方レベルと中央政府レベル)は実現するかー
① 習近平(シ・チンピン、59歳)とは誰だ
・ 中国経済は、1992年の改革の急速な成長を遂げ、最近の10年間でGDP(国内総生産)はドル・ベースで4倍に拡大した。また、中国はこの間に世界第5の輸出国から最大の輸出国となっている
・ 世界における中国のステータスも、中級国から米国に次ぐ位置づけとなり、気候変化から金融危機の取り組みにも影響するまでとなり、中国に鉱物を供給するアフリカ諸国から、財政困難な欧州諸国は中国の支出パワーに期待するほどになっている。今や中国は、月に人間を着地させる計画を推進している。共産党機関紙『中国日報』は、過去10年を「中国の輝かしい10年」であるとし、「中国が世界からこれまでに無い関心を集めるようになり、世界からこれまでに無く中国に期待されている」と報じた
・ 新しい社会保障ネットによりすべての中国人の95%は何らかの医療計画でカバーされるようになり(2000年:15%)、世界中で中国はそのステータスと影響力において米国に次いで第2位となっている。また、農村の不安定の原因であった農家に対する税金などは撤廃され、年金(多くないが)もすべての農民に短期間で拡大された。僻地の6-15歳の子供に対して公立学校の授業料は廃止された(これは苦情により都市にも拡大された)
・ 都市も改善されており、政府は巨大な投資を安価な住宅建設に投入し、2015年までに3600万所帯分を建設する計画であり、8000億ドル以上に達すると報じられている。過去5年で正規の雇用の無い都市住民約2.2億人以上が医療保険計画に登録され、農村と同様に基本的な保護が受けられるようになっている。
・ しかし、急速な経済発展の一方で、中国は不均衡、腐敗、環境問題、役人などによる土地の収奪などの脅威に直面している。中間層は、汚染された食料に悩まされ、多くの者は貯金を外国に移し、外国のパスポートを取得しつつある。
「中国は下層の、庶民レベルでは不安定であり,中間層は元気が無く、トップはコントロールできなくなっている」
・ 地方レベルの苦情は今やインターネットなどにより全国レベルに拡大しており、中国のリーダーたちが人々の不満の処理を誤ると、連鎖反応によって「社会的混乱や激しい革命」を引き起こす可能性がひそかに指摘されている
・ 革命を回避するためには、次の10年で変革が行われる必要があり、政府は「政治システムの再編成」が求められている。
・ 習は、普通の人間であると自称し、共産党も大衆を代表すると述べているが、党は中国の市民を納得させる必要があるようだ
② 深呼吸をせよ
・ 習は、第18回共産党大会において、間もなく国家主席となり(現在、国家副主席)、世界最大の人口(13億人以上)を持ち、世界第2の経済大国を統括しなければならない
・ 習は、中国の人々にもう少し権力を認めることから始めることができよう。農地は、現在集団所有であるが、民営化し、農民に所有を認めるべきだ。司法システムは人々の苦情に解答すべきである。農民家族が都市に移住して医療や教育が受けられるように、戸籍制度を段階的に改革すべきだ。
・ 習は、また共産党の持つ権力をゆるめるべきであり、甘やかされてきた国営銀行を競争の波にさらす必要がある。金融市場は経済的信号に対応するものとし、報道の自由は腐敗と戦う手段となるだろう
・ 習は、政府に対する信頼を回復するためには、あえて政治家改革(中央政府が選挙で選ばれるような)に取組むべきだ。台湾でもそのような民主的改革は不可能だと考えられていたが、実現されている。
・ 政治改革により、共産党は裁判所に対応可能となり、表現の自由、政治犯の解放、公職における共産党員の要件の廃止、各省庁における共産党委員会の廃止、宣伝部門による検閲の中止、人民解放軍における共産党の関与の終了をもたらすだろう ・ 中央政府と地方政府における議会でも独立の候補者が認められるべきであり、候補者は投票者に対して自由な発言が認められるべきだ。政府のリーダーは、地方の都市や町を含めて、直接選挙で選ばれるようにするためのスケジュールが設定される必要がある。例えば、5年計画で競争的な直接選挙をまず市町村レベル、次いで県と省レベル、最後に全国レベルで逐次実施するようにしてはどうか。古い共産党指導者にとっては想像困難であるかもしれないが、大胆な改革は党に対する一般の人々の信頼を生み出すであろう。
・ 習は,中国にとって極めて重要な時期に登場することとなり、習が取る政治的選択は誰にとっても重大である。世界は、強力な中国より、弱体で不安定な中国をより恐れているだろう
③ 新しい政権チームはタフな時代に直面するだろう
・ 習は、政府の政策の方向性を「科学的発展観」、『調和ある社会の建設』、『人民を第一』として、誰にとっても公平で、環境に配慮し、維持可能であることを目指すと述べている
・ しかし、人民日報による中国に対する世界からの上記の期待の盛り上がりに対して、中国の人々の関心は別のようだ。ソーシャル・メディア(フェイスブックやツイッターなどは中国ではブロックされているが)が、中国のあらゆる社会階層に著しく浸透しており、特に新しい中間層で顕著である。政府はインターネットに対する検閲を著しく強化しているが、デジタル・メディアはすぐ抜け穴を提供する。これは報道の自由の実現に寄与するかもしれない中国の最大のマイクロブログ・サービスの『中国ウエイボ』は3億以上のユーザーが利用している。ただし、ダブル・ブッキングもあり、3000万人以上が日常的に利用しているが、中国最大の新聞の発行は3-400万部程度である。
・ 中国のマイクロブロガーは、容赦なく不正を追求し、役人の汚職などを攻撃している。これを通じて各地の分散された人々が共通の絆で結ばれるような効果を生じている。地方の不満はこれまでは気づかれなかったが、今では全国規模で論議されるようになっている。役人もしばしばこれによる影響を受けている。マイクロブログで最も広範に行われているコメントは、共産党やその役人たちに対する強い不信であり、中国のリーダーたちも無視できなくなっている。 ・ このような動きは、中国の安定性にとって危険であり、習は、知識層や中間層の増大する懸念に取組む必要があるだろう。公的メディアでも、次の10年は中国にとって、政治的及び経済的に極めて困難な時代となるとしばしば警告している。不満の表面化、頻繁に起る大衆の暴動(数千人規模に及ぶ時がある)、希望をなくす人々の増大、インターネットによる流通など。
・ 中国が『中所得国のわな(ミドル・インカム・トラップ)』による長期的停滞から脱し、引き続いて急速に成長していくためには、次の10年が『経済改革のラスト・チャンス』であると指摘されている。
・ 習も中国経済に関して同様な懸念を有するだろう。世界銀行と中国政府のシンクタンクの共同の報告書も同様な指摘を行い、ミドル・インカム・トラップを回避するためには、広範な経済的改革(重要産業に対する政府の管理の緩和、金融分野を含めて)の必要性を提起している。ただし、突然の経済改革は、財政や金融上の混乱を生じ、社会的安定性を阻害する可能性について警告している
④ 予想されるリスク
・ 左派(より古いスタイルの共産主義を望む)と右派(政治的及び経済的改革を期待する)の両方から、の警告が行われており、左派からは改革による資本主義化の行き過ぎは以前のソ連や東欧諸国などと同様な共産党の崩壊のリスクが強調されている。
・ 右派は、中国における改革の取り組みは不十分であり、人々の怒りの爆発を防止するためには政治的自由化が必要であるとしている。両者とも、腐敗や貧富の格差の拡大などの諸問題の存在については共通している。中国の共産党独裁は、2019年で70年続くことになり、維持できるかどうかの疑問が提起されている
・ 中国の知識層などは、天安門事件後、共産世界に不安定の問題が提起されるようになっている。1992年に行われた改革により計画経済から脱却し、中間層が発展してきた。この中間層は、今や獲得した利益を役人の気まぐれや世界経済の不安定から守りたいと考えるようになっている。また、環境や食料の汚染を気にしている。彼らは、過去10年の二ケタ成長は終わったが、2010年代は中国経済の強力な一ケタ成長を維持したいと期待している。
・ 共産党のあるシニア・メンバーが、過去10年の胡金禱時代は解決したよりもより多くの問題を生じただろうとインターネットで指摘した。党は、『正統性の危機』に直面しており、貧富の格差の拡大や権力を人々に戻したいという期待に十分応えてこなかったことに言及している。この見解は、すぐウエブサイトから削除された。ただし、6600件の書き込みがあった。本人は「自由を強く求め、民主主義のために戦う」ことを明らかにしている。
・ 政府の経済計画機関が70人の学者を集めた会合では、殆どの参加者が至急の改革の必要性とそれがないと『社会的混乱』を生ずる可能性について一致している。
・ 習は、太子党(建国の幹部の子息)であり、極めて慎重だった胡主席より信頼できると見られており、中国の支配層からも支持されている。習は、民間企業側と見られており、彼の亡くなった父もリベラルな背景を持っていると指摘されている。
⑤ 中国共産党第18回大会(2012年11月8日から1週間)(日経新聞11月9日)
・ 「2020年の国内総生産(GDP)と都市・農村の1人当たり収入を10年比で倍にする」-所得格差の縮小、中所得層の拡大、サービス業の育成、国内消費の拡大、社会の公平をめざす税制、を目的とする
・ 農村での収入は都市の3分の1にとどまる
・ 過大な投資に依存した成長モデルは転機を迎えている。労働集約型の産業構造は限界に近づいている。消費主導の成長モデルに転換しなければ、持続的な成長は維持できない
・ 中国の労働人口は、高齢化で数年後には減少に転ずる
・ 2015年までの第12次5カ年計画では7%の控えめな成長率が想定されている。
・ 政治改革では『失われた10年』という評価が行われている
・ 成長のかげりが見えると、共産党独裁にも容赦ない批判が及んでくる
・ 共産党が国民に一党支配を納得させるだけの『経済成長』に代わる価値を提供できるかどうか?
(中国の概要―日本外務省データほか)
・ 面積:960万平方キロ(日本の26倍)
・ 人口:13億人(日本の10倍)
・ 中位年齢(2010年、歳):34.5(日本:45.1、韓国:37.9、米国:36.9)
・ 首都:北京
・ 人種:漢民族(総人口の92%)、55の少数民族
・ 言語:漢語(中国語)
・ 宗教:仏教、イスラム教、キリスト教など
・ 政体:人民民主共和制
・ 建国:中華人民共和国(1949年10月)
・ 国内総生産(GDP):7兆4806億ドル(2011年) 、1人あたりGDP:4382ドル(2010年)
・ 産業構造(GDPベース、2010年)-第1次産業:10%、第2次産業:47%、第3次産業:43%(就業者ベースでは、38%、28%、34%)
・ 経済成長率(2011年):9.2%
・ 物価上昇率:5.4%(2011年)
・ 失業率:4.15%(2010年末)
・ 通貨:人民元(1ドル=約6.3元、2011年末、1元=約12円、現在)
・ 貿易額(2011年、億ドル)-輸出:18986、輸入:17435、合計:36421
・ 外貨準備高(兆ドル、2010年):2.868(世界第1位、第2位は日本:1.063)
・ 主要都市(万人)-上海(950)、北京(730)、香港(678),天津(507)、武漢(449)、広州(415)瀋陽(398)、重慶(393)、南京(282)、ハルピン(267)
・ 在日中国人数:687156人(2010年末)
・ 在留邦人数:131534人(2010年)
・ 人的往来(2010年、万人)-日本から中国へ:373、中国から日本へ:166
-習は今後10年の中国のトップーリーダーとなるが、高い経済成長を維持するため
には政治的経済的改革に至急に取組むべきだ。2020年までの1人当たり所得
の倍増の目標は実現できるか?中間層の増大とインターネットの発展に伴い政治的
民主化はどうなるか。選挙制度(地方レベルと中央政府レベル)は実現するかー
① 習近平(シ・チンピン、59歳)とは誰だ
・ 中国経済は、1992年の改革の急速な成長を遂げ、最近の10年間でGDP(国内総生産)はドル・ベースで4倍に拡大した。また、中国はこの間に世界第5の輸出国から最大の輸出国となっている
・ 世界における中国のステータスも、中級国から米国に次ぐ位置づけとなり、気候変化から金融危機の取り組みにも影響するまでとなり、中国に鉱物を供給するアフリカ諸国から、財政困難な欧州諸国は中国の支出パワーに期待するほどになっている。今や中国は、月に人間を着地させる計画を推進している。共産党機関紙『中国日報』は、過去10年を「中国の輝かしい10年」であるとし、「中国が世界からこれまでに無い関心を集めるようになり、世界からこれまでに無く中国に期待されている」と報じた
・ 新しい社会保障ネットによりすべての中国人の95%は何らかの医療計画でカバーされるようになり(2000年:15%)、世界中で中国はそのステータスと影響力において米国に次いで第2位となっている。また、農村の不安定の原因であった農家に対する税金などは撤廃され、年金(多くないが)もすべての農民に短期間で拡大された。僻地の6-15歳の子供に対して公立学校の授業料は廃止された(これは苦情により都市にも拡大された)
・ 都市も改善されており、政府は巨大な投資を安価な住宅建設に投入し、2015年までに3600万所帯分を建設する計画であり、8000億ドル以上に達すると報じられている。過去5年で正規の雇用の無い都市住民約2.2億人以上が医療保険計画に登録され、農村と同様に基本的な保護が受けられるようになっている。
・ しかし、急速な経済発展の一方で、中国は不均衡、腐敗、環境問題、役人などによる土地の収奪などの脅威に直面している。中間層は、汚染された食料に悩まされ、多くの者は貯金を外国に移し、外国のパスポートを取得しつつある。
「中国は下層の、庶民レベルでは不安定であり,中間層は元気が無く、トップはコントロールできなくなっている」
・ 地方レベルの苦情は今やインターネットなどにより全国レベルに拡大しており、中国のリーダーたちが人々の不満の処理を誤ると、連鎖反応によって「社会的混乱や激しい革命」を引き起こす可能性がひそかに指摘されている
・ 革命を回避するためには、次の10年で変革が行われる必要があり、政府は「政治システムの再編成」が求められている。
・ 習は、普通の人間であると自称し、共産党も大衆を代表すると述べているが、党は中国の市民を納得させる必要があるようだ
② 深呼吸をせよ
・ 習は、第18回共産党大会において、間もなく国家主席となり(現在、国家副主席)、世界最大の人口(13億人以上)を持ち、世界第2の経済大国を統括しなければならない
・ 習は、中国の人々にもう少し権力を認めることから始めることができよう。農地は、現在集団所有であるが、民営化し、農民に所有を認めるべきだ。司法システムは人々の苦情に解答すべきである。農民家族が都市に移住して医療や教育が受けられるように、戸籍制度を段階的に改革すべきだ。
・ 習は、また共産党の持つ権力をゆるめるべきであり、甘やかされてきた国営銀行を競争の波にさらす必要がある。金融市場は経済的信号に対応するものとし、報道の自由は腐敗と戦う手段となるだろう
・ 習は、政府に対する信頼を回復するためには、あえて政治家改革(中央政府が選挙で選ばれるような)に取組むべきだ。台湾でもそのような民主的改革は不可能だと考えられていたが、実現されている。
・ 政治改革により、共産党は裁判所に対応可能となり、表現の自由、政治犯の解放、公職における共産党員の要件の廃止、各省庁における共産党委員会の廃止、宣伝部門による検閲の中止、人民解放軍における共産党の関与の終了をもたらすだろう ・ 中央政府と地方政府における議会でも独立の候補者が認められるべきであり、候補者は投票者に対して自由な発言が認められるべきだ。政府のリーダーは、地方の都市や町を含めて、直接選挙で選ばれるようにするためのスケジュールが設定される必要がある。例えば、5年計画で競争的な直接選挙をまず市町村レベル、次いで県と省レベル、最後に全国レベルで逐次実施するようにしてはどうか。古い共産党指導者にとっては想像困難であるかもしれないが、大胆な改革は党に対する一般の人々の信頼を生み出すであろう。
・ 習は,中国にとって極めて重要な時期に登場することとなり、習が取る政治的選択は誰にとっても重大である。世界は、強力な中国より、弱体で不安定な中国をより恐れているだろう
③ 新しい政権チームはタフな時代に直面するだろう
・ 習は、政府の政策の方向性を「科学的発展観」、『調和ある社会の建設』、『人民を第一』として、誰にとっても公平で、環境に配慮し、維持可能であることを目指すと述べている
・ しかし、人民日報による中国に対する世界からの上記の期待の盛り上がりに対して、中国の人々の関心は別のようだ。ソーシャル・メディア(フェイスブックやツイッターなどは中国ではブロックされているが)が、中国のあらゆる社会階層に著しく浸透しており、特に新しい中間層で顕著である。政府はインターネットに対する検閲を著しく強化しているが、デジタル・メディアはすぐ抜け穴を提供する。これは報道の自由の実現に寄与するかもしれない中国の最大のマイクロブログ・サービスの『中国ウエイボ』は3億以上のユーザーが利用している。ただし、ダブル・ブッキングもあり、3000万人以上が日常的に利用しているが、中国最大の新聞の発行は3-400万部程度である。
・ 中国のマイクロブロガーは、容赦なく不正を追求し、役人の汚職などを攻撃している。これを通じて各地の分散された人々が共通の絆で結ばれるような効果を生じている。地方の不満はこれまでは気づかれなかったが、今では全国規模で論議されるようになっている。役人もしばしばこれによる影響を受けている。マイクロブログで最も広範に行われているコメントは、共産党やその役人たちに対する強い不信であり、中国のリーダーたちも無視できなくなっている。 ・ このような動きは、中国の安定性にとって危険であり、習は、知識層や中間層の増大する懸念に取組む必要があるだろう。公的メディアでも、次の10年は中国にとって、政治的及び経済的に極めて困難な時代となるとしばしば警告している。不満の表面化、頻繁に起る大衆の暴動(数千人規模に及ぶ時がある)、希望をなくす人々の増大、インターネットによる流通など。
・ 中国が『中所得国のわな(ミドル・インカム・トラップ)』による長期的停滞から脱し、引き続いて急速に成長していくためには、次の10年が『経済改革のラスト・チャンス』であると指摘されている。
・ 習も中国経済に関して同様な懸念を有するだろう。世界銀行と中国政府のシンクタンクの共同の報告書も同様な指摘を行い、ミドル・インカム・トラップを回避するためには、広範な経済的改革(重要産業に対する政府の管理の緩和、金融分野を含めて)の必要性を提起している。ただし、突然の経済改革は、財政や金融上の混乱を生じ、社会的安定性を阻害する可能性について警告している
④ 予想されるリスク
・ 左派(より古いスタイルの共産主義を望む)と右派(政治的及び経済的改革を期待する)の両方から、の警告が行われており、左派からは改革による資本主義化の行き過ぎは以前のソ連や東欧諸国などと同様な共産党の崩壊のリスクが強調されている。
・ 右派は、中国における改革の取り組みは不十分であり、人々の怒りの爆発を防止するためには政治的自由化が必要であるとしている。両者とも、腐敗や貧富の格差の拡大などの諸問題の存在については共通している。中国の共産党独裁は、2019年で70年続くことになり、維持できるかどうかの疑問が提起されている
・ 中国の知識層などは、天安門事件後、共産世界に不安定の問題が提起されるようになっている。1992年に行われた改革により計画経済から脱却し、中間層が発展してきた。この中間層は、今や獲得した利益を役人の気まぐれや世界経済の不安定から守りたいと考えるようになっている。また、環境や食料の汚染を気にしている。彼らは、過去10年の二ケタ成長は終わったが、2010年代は中国経済の強力な一ケタ成長を維持したいと期待している。
・ 共産党のあるシニア・メンバーが、過去10年の胡金禱時代は解決したよりもより多くの問題を生じただろうとインターネットで指摘した。党は、『正統性の危機』に直面しており、貧富の格差の拡大や権力を人々に戻したいという期待に十分応えてこなかったことに言及している。この見解は、すぐウエブサイトから削除された。ただし、6600件の書き込みがあった。本人は「自由を強く求め、民主主義のために戦う」ことを明らかにしている。
・ 政府の経済計画機関が70人の学者を集めた会合では、殆どの参加者が至急の改革の必要性とそれがないと『社会的混乱』を生ずる可能性について一致している。
・ 習は、太子党(建国の幹部の子息)であり、極めて慎重だった胡主席より信頼できると見られており、中国の支配層からも支持されている。習は、民間企業側と見られており、彼の亡くなった父もリベラルな背景を持っていると指摘されている。
⑤ 中国共産党第18回大会(2012年11月8日から1週間)(日経新聞11月9日)
・ 「2020年の国内総生産(GDP)と都市・農村の1人当たり収入を10年比で倍にする」-所得格差の縮小、中所得層の拡大、サービス業の育成、国内消費の拡大、社会の公平をめざす税制、を目的とする
・ 農村での収入は都市の3分の1にとどまる
・ 過大な投資に依存した成長モデルは転機を迎えている。労働集約型の産業構造は限界に近づいている。消費主導の成長モデルに転換しなければ、持続的な成長は維持できない
・ 中国の労働人口は、高齢化で数年後には減少に転ずる
・ 2015年までの第12次5カ年計画では7%の控えめな成長率が想定されている。
・ 政治改革では『失われた10年』という評価が行われている
・ 成長のかげりが見えると、共産党独裁にも容赦ない批判が及んでくる
・ 共産党が国民に一党支配を納得させるだけの『経済成長』に代わる価値を提供できるかどうか?
(中国の概要―日本外務省データほか)
・ 面積:960万平方キロ(日本の26倍)
・ 人口:13億人(日本の10倍)
・ 中位年齢(2010年、歳):34.5(日本:45.1、韓国:37.9、米国:36.9)
・ 首都:北京
・ 人種:漢民族(総人口の92%)、55の少数民族
・ 言語:漢語(中国語)
・ 宗教:仏教、イスラム教、キリスト教など
・ 政体:人民民主共和制
・ 建国:中華人民共和国(1949年10月)
・ 国内総生産(GDP):7兆4806億ドル(2011年) 、1人あたりGDP:4382ドル(2010年)
・ 産業構造(GDPベース、2010年)-第1次産業:10%、第2次産業:47%、第3次産業:43%(就業者ベースでは、38%、28%、34%)
・ 経済成長率(2011年):9.2%
・ 物価上昇率:5.4%(2011年)
・ 失業率:4.15%(2010年末)
・ 通貨:人民元(1ドル=約6.3元、2011年末、1元=約12円、現在)
・ 貿易額(2011年、億ドル)-輸出:18986、輸入:17435、合計:36421
・ 外貨準備高(兆ドル、2010年):2.868(世界第1位、第2位は日本:1.063)
・ 主要都市(万人)-上海(950)、北京(730)、香港(678),天津(507)、武漢(449)、広州(415)瀋陽(398)、重慶(393)、南京(282)、ハルピン(267)
・ 在日中国人数:687156人(2010年末)
・ 在留邦人数:131534人(2010年)
・ 人的往来(2010年、万人)-日本から中国へ:373、中国から日本へ:166
2012年12月12日水曜日
心臓バイパス手術始末記(2012年9月―11月) by 堀伸樹
心臓バイパス手術始末記(2012年9月―11月)by 堀伸樹
-1989年6月に狭心症(冠状動脈1本が詰まる)でカテーテル治療、その後3ヶ月
ごとに通院、今度は冠状動脈3本とも詰まり、心臓バイパス手術で1ヶ月半入院、
手術の成功で寿命が少し長くなったか?、暫くは謹慎が必要に、無理はできずー
① 2012年9月始めに心臓カテーテル検査のために2泊3日で虎ノ門病院に入院し、検査を受けたら、心臓に血液を送る冠状動脈の一部が長い部分で細くなっており、一種の内科的手術である『ステント(カテーテルによって金属製の網で詰まった部分を拡大して維持しようとするもの)』では回復できないので、バイパス手術が必要であると宣告された。結局、9月18日(火)に入院することとなった
② これまでの経緯
・ 1989年(平成元年)3月末に、出張したニューヨークのホテルである朝早く、胸が痛くなって飛び起きた。痛みはすぐ直った。
・ 帰国後、朝、髪のシャンプーで両手を上げて髪を掻いたり、通勤のために駅まで自転車でこぎ始めると胸が痛くなり、止めるとすぐ痛みはなくなったが、だんだんひどくなっていった。
・ 安静心電図では異常はないが、階段上りの負荷心電図では検査時間3分間のところ2分で痛くなり我慢できないようになった
・ 結局、6月4日の北京・天安門事件の直後に虎ノ門病院に入院し、カテーテル検査により、3本の冠状動脈のうち、1本が殆ど詰まっていることが分かり、その数日後に『バルーン(風船)』によって詰まった部分を70%まで拡大し、痛みはなくなって回復した(バルーンの20%程度は、再狭窄する可能性があり、半年後の12月に再入院してカテーテル検査を受けたが、幸いにもその恐れはないとされた。カテーテル検査は、腕(付け根かひじ)の動脈から挿入した細い管のカテーテルで心臓近くまで伸ばし、造影剤などによりビデオを撮るもの)
・ その後は、20年以上にわたって3カ月おきに通院し、血液をさらさらにする薬などの服用で、特に問題なく推移してきた。(2009年6月末に完全リタイアした)
・ 2010年ごろに久しぶりにカテーテル検査を受けたが、様子を見ようという結果となった(検査を行った医師は、検査直後に何かした方がいいように話したが、その後の専門医チームによるカンファレンスにより様子見となった模様。ホッとしたことを思い出す)
・ ところが、最近この数ヶ月で、早足で歩くと胸が少し痛くなることがたまにあり、それを医師に言ったら、またカテーテル検査をすることになり、上記の結果となった次第である。ただし、20年以上前と異なり、胸が全体で痛くなることは全然ない。そのまま過ごしていると、いずれ心筋梗塞や心不全となるのか?
・ カテーテル検査は、合計4回受けたが、最初は腕のひじからだったが、最近は腕も付け根からとなり、カテーテルもかなり細いものとなっているようだ
・ ただし、最近数ヶ月は、両足が朝などパンパンに張れて気になっていた
・ 専門医によるコンファレンスで各種の検査データを下に個々の患者に対する処置が決定されるようだ
③ 入院後の経過(手術まで)
・ 9月17日に出発し、当日は上野に泊まり、翌18日朝に虎ノ門病院に入院した。(新館4階の432-3(6人部屋、部屋代は無料、窓際のベッド)
・ 大体3メートル×4メートルのスペースで天井まであるカーテンによりほぼ個室状態となる。患者同士の会話は殆どないようだ。患者は、医師・ナースとの会話以外は見舞い客と行うか?患者は殆ど高齢者のようだ。小型テレビがあり、1000円カードを挿入すると1000分だけイヤホンで視聴可能となる。(大体2日でテレビ・カード1枚を購入)1989年入院当時は、就寝時にはカーテンを引いたが、日中はカーテンを開けていたので、患者同士で会話があった。当時、10日ほどの入院で同室者は延べ12人ほどで、殆ど60台以上のようで、私は50歳で一番若い部類だった。
・ 担当医師は3人でうち一人は女医さん(研修中で30歳前後?)だったが、その後若い男性医師と交代した。面倒を見てくれるナースは入れ替わり立ち代わりで、合計8人ぐらいか。担当ナース(金木さん)は30台後半?でやや小太り。恐らくチームによるシフト制(日勤、夜勤)で各ナースは3,4日ごとに現れる。夜勤は一人。
・ 手術は、10月10日頃という話であったが、結局10日に実施されることになった。外科の日程いかんであり、確定後、外科の医師が来るようになった。やはり3人ぐらいが担当する模様であり、うち女性医師(小林さん、30台前半?で人懐っこい)が毎日来るようになった。患者の手術に対する不安を解消することも目的の一つか?いつも何か聞きたいことはないかと言われる。1週間ごとか?「部長回診」があり、ぞろぞろやってくる。部長らしい中年の医師が「どうですか」と声をかけて終わり。大学病院では、教授回診か?
・ 入院後は、毎日2つぐらいの検査があり、頭や内臓のMRI,CT、レントゲン、心電図や採血も何回か行った。体温、体重、血圧、血糖値の検査は毎日3回行う。検査が終われば、3回の食事を食べるだけ。(体重は、パジャマ・スタイルで大体58キロ強を維持している。深夜に500ccのボトルの水を飲んだ後測定し58.60キロで、すぐトイレに行った後再び計ったら58.30キロに低下した)
・ 外出・外泊は、担当医師の許可がそのつど必要で、ナースを通じてお願いしなければならず、厄介だ。結局、これまで4回ほど外出し、10月5日(金)に1泊で翌日戻りで入院後始めて自宅に戻った(祝日の8日(月)まで自宅で過ごすことも可能であるが、手術前なので早く戻ることにした)
・ 10月5日(金)午後3時頃に出発したが、最初は足が重たかったが、次第になれてきた。地下鉄・日本橋駅でおり、丸善書店に寄り、上野経由で勝田行き(すべての普通車が座席一杯なため、グリーン車:750円に乗り、天王台駅からは、タクシー(710円)で帰着した。グリーン車は快適だが、乗車券:620円より高い。(グリーン券はスイカで駅の販売機で購入、乗車後、車両の天井でかざすだけで登録されるー始めて経験した。グリーン車の乗車は2回目) ・ 心臓手術は、月水金に行われる模様。手術に関する危険(殆ど可能性はないとのことであるが)に関して4種類ほどのペーパーに署名させられた(本人分が渡される)。
・ 午後9時半に消灯になり、翌朝6時に部屋の照明が付くので、その間は物が読めない。手元まで照らせるランプはあるが、誰もつける人は殆どいないので、読書などは不可能だ。早寝で深夜2-3時などに1階に下りて誰もいない中で本など読んでいたが、ナースに見つけられて、上に上がってくれと言われ、4階の談話スペースで一部照明をつけて読んだりしたが、ここでは時々ベンチで寝ている者がいるときがある。早朝の時間をどう過ごすか、厄介だ。ポケット・ラジオを持ってきたが、面白い番組があればいいが(NHK第一放送の対談番組など)
・ 手術の際の輸血用に、2度(9月20日、27日)、自己血液採血(400cc)を行ったが、回復には1週間程度かかり、採血後の3日程度は貧血で厄介だった。3日目あたりが一番ひどいようだ。体全体で血の気が不足している感じで、外出時もゆっくり歩いた。採血と同時に200ccの食塩水を点滴で補うが、それではとても足りないようだ
・ 土日は検査もなく、体重(1日1回)、体温、血圧、血糖値の測定だけ。もう3回目だ。
・ 食事(私の場合、低カロリー・減塩食)は、ナースなどがベッドまで運んでくれ、食べたら、移動可能な棚に自分で返す。大体、鳥か魚のメインディッシュと野菜の煮付けなどのおかずで、味と量はまあまあ。大食いの人は物足りないか?
・ ドクターとナースの水準は多分高いようだ。1989年当時に、虎ノ門病院は、ドクターのシステム、ナースのシステム、設備や管理システムの3つが良くできているという印象だった。当時、五反田のNTT逓信病院は、設備は一流だろうが、ドクターのシステムはバラバラという印象だった。多分、虎ノ門は一貫してよく管理され、逓信病院は医師の出身大学などが多様で、企業病院中心であり、バラバラに管理されていたのではないかと当時思っていた(こういう見方が成り立つかどうかは、まったく自信なし)
・ ただし、虎ノ門病院は、医師・ナースとも患者に対して、やや上から目線のようだ。外出許可など、お願いする、認めてやるという感じ。優良病院のため、同質的で世界が狭いか?
④ 手術 ・ 結局、心臓に血液を送る冠状動脈3本の全部が詰まっており、カテーテルによる「内科的手術」(内科の医師が行う)では困難なため、心臓バイパス手術(外科)をすることになった ・ 10月10日(火)の手術日には、朝8時に手術室に入室し、9時ごろ手術開始で呼吸マスクをつけられて「ゆっくり深呼吸してください」と言われ、すぐ意識がなくなり、気が付いたら、午後5時ごろ集中治療室(CCU)のベッドに移されていた。手術は、麻酔医師を含めて、5,6人の医師とナースで行われたようだ。8時間の手術はどう行われたのか?人工心肺も使われたらしい
・ CCUは5日間おり、24時間監視体制の下に置かれたが、ナースが歩いたり、夜も照明が残って、やや落ち着かなかった。治療と栄養補給のため点滴が行われ、導尿管で垂れ流し、大便はそのつどナースに頼んでビニール状のものをあてがって行った。手術後数日間は殆ど食べることはなかったので(点滴で栄養を取る)、ガス(おなら)を催すと、何度もガスを連発し、気が引けた。多分、3つのCCUベッドが並んでいたようだが、壁にさえぎられており、よく分からず。 ・ 脈拍、心電図、酸素の血中濃度測定の装置が胸に取り付けられ、無線でナースステーションの作業スペースと結んでおり、寝返りで電極が外れるなど、何かあるとアラームが鳴るのか、ナースがすっ飛んできた。
・ 手術後、胸にいつも痛みとかゆみがあるようになり(痛みはひどくはないが、常時、違和感がある)、退院した今でも残っている。あと何ヶ月か残るようだ。(個人差があるとのこと)
・ 2日後の12日夜に不思議な夢を見た。何かに追っかけられて、必死になって逃げ回り、気が付いたら目が覚めていた。極彩色の世界で、都会の街路だったり、海だったり、宇宙だったりした。心臓手術で体が大変な異常状態だったからか。その後は、このような夢は見ていない。その後で見る夢は、いつものように白黒であった
・ 術後暫くの間(数日)、鼻の両穴につける形で、酸素が補充された
・ 手術後、足の腫れは殆どなくなった
⑤ 一般病棟へ
・ 手術後6日目に一般病棟に戻り、2週間以上過ごした。食事もかゆからご飯に変わり、それに伴い、点滴も外され、胸の測定装置も外された
・ 手術の2週間後の24日にカテーテル検査を受けて、冠状動脈の状況などが確認され、順調に回復していると言われた。検査は、左足の付け根の動脈に穴を開けて、カテーテルを心臓部分に送って、造影剤で心臓の機能状況を把握する形で行われ、1時間ぐらいかかり、さらに血止め作業のため1時間ぐらいかかった。その後6時間ほど左足は固定された。この検査で最終的に退院が決定された模様。心臓の筋肉などに異常はないとのこと
・ 手術後1週間は、感染や炎症防止のため、抗生物質の点滴投与を朝夕2回受けた
・ 点滴装置が外されてから、トイレなど自由に歩きまわれるようになり、部屋の照明が暗い早朝には,1階のベンチに行って、乱読をするようになった。外出したかったが、許可が必要で結局行わなかった
・ リハビリは、リハビリ療法士さん(30代の男性)により手術後すぐに始まり、退院前日まで続いた。手術後当初は、ベッドの上で足のマッサージや屈伸程度で終わったが、点滴が外れると4階通路の歩行(1周:100メートルを3周)、その後は地下1階のリハビリ室で足腰の屈伸、自転車漕ぎ(10分、1秒:1回転で600回)を合計20分以上行った。リハビリ室では、各種の器具を使って、老若の男女(若者は殆どいない)の患者が療法士の指導を受けて、階段(4段)を上ったり、歩く練習などを行っていた。リハビリは、いずれ社会復帰?できるという希望となり、有難たかった。リハビリで自信ができたにもかかわらず、外に出ると、すぐ疲れ、ゆっくり歩いてようやく帰宅できた。気持ちだけでは、思うようにならず。
・ 自動販売機で、カロリーオフ(ゼロ)の清涼飲料水(レモン水や低カロリーのキリン・メッツ・コーラなど)をよく買って飲んだ
・ 低カロリー食のため、体重は2キロ程度減った(入院時の58キロ台→56キロ台へ)ー退院後も毎日体重を計れと言われた
・ 結局、1ヵ月半の入院生活となった(手術前:22日、手術後:23日)
・ 11月3日午前に退院したが、すぐ疲れて、結局、上野近くのホテルに昼頃に行き泊まってしまった。歩く練習はリハビリでしたが、まだまだ回復していないことが分かった次第
・ 入院費は、9月分(13日)、10月分(31日)、11月分(3日)の合計で、約27万円-保険で幾ら戻ってくるか
・ 退院前日に主治医から注意事項を家族とともに聞いたーゆっくり歩け。自転車は数週間後から乗れ。回復までに3ヶ月ぐらいかかる。あわてるな。風呂はつかるぐらいにしろ。重い物は持つな。階段はできたら避けよ。無理はするな ・ 退院前日に『負荷自転車こぎ』をやり、医師の監視の下で体力検査が行われたー呼吸マスクをつけ、自転車をこぐが、最初の4分間は負荷なしで、その後は負荷が少しずつ課され、強くなっていく。次第に呼吸と足が苦しくなってゆき、10分ほどでドクターストップとなった。脈と呼吸が収まるまで数分を要した。私は1分間で脈拍120回までは運動していいと言う結果となった
・ 手術による傷跡は、首のしたからへその上まで20センチほどあり、痛みとかゆみとなって残っている。いつまで続くか
・ 暫くは、最寄りの駅までの往復(約1.6キロでいつも自転車を利用)はタクシーによる必要がある(我が家には自動車はない。歩くのは面倒)
⑥ その他の感想など
・ 手術は、3年前の左ひざの人工関節置換手術(1ヶ月、慈恵医大柏病院)と今回で2回目(この後、海外旅行の自動検査機で必ず引っかかり、女性係員により検査器により頭から足まで調べられるようになったー多分、金属が左ひざにあるのだろう)
・ この間で世界や日本で起こったことーオスプレイ配備のすったもんだ、尖閣諸島に関する日中間のトラブル、沖縄の駐留米軍問題、米国大統領選挙(投票日:11月6日)、日本の政界の与野党対立と野田民主党内閣のよく分からない対応、衆議院の解散はいつか、石原都知事の辞職と橋下・大阪市長による新党結成の動き、シリア内戦(停戦協定はすぐ破棄へ)、中国のリーダー交代(11月8日から共産党大会)をめぐる不可解な動き、尼崎の複雑な家族状況による10人近い殺人事件、浪速のユーモア作家の藤本義一氏(79歳)の死去
・ みのもんたの『朝ズバ』(TBS、5時半―8時半)、テレ朝(5チャンネル)の一連の報道番組(6時ー10時)、NHKニュースなど、暇つぶしをしてきた。
・ NHKの朝ドラ(8時から15分)の『純と愛』は、ぜんぜん面白くなく、余り見なくなった。最近では一番つまらないのではないか。ストーリーと主演俳優(男女)の両方であるが、多分出演俳優のせいではないだろう。朝ドラはいつもはリタイア後の楽しみであったが。 ・ 入院した9月18日は、60年以上前の柳条湖事件の記念日で中国では「屈辱の日」となって、野田首相による尖閣諸島の国有化の発表(9月11日?)以来、中国各地で反日運動が恐らく政府主導で行われ、ピークに達した頃であった。しかしその、翌日には、反日暴動はぴったり終了した。日中関係は、今や最悪の状態だと言われている。日韓関係も任期少ないイミョンバク大統領の不自然な竹島訪問後ギクシャクしている。最近、汚職や腐敗による嫌疑で大統領の親族の逮捕が続いている。
・ 米国大統領選挙で、オバマ現大統領(民主党)とロムニー共和党候補の戦いはどうなるかーロムニーが当選した場合、対日関係を含む外交戦略はどうなるか
・ 胸の痛みでうかうかすると前屈みになりそうなので、できるだけ背筋を立てるようにしている(椅子に座る時に、しりを深く座り、背中を背もたれにつけるなど)
・ 内科と外科ー手術前は内科中心(循環器)であったが、手術に際し、外科の所管となり、当面は外科医の指導下にあるが、一段落すると内科に戻るらしい。内科と外科の役割分担や相互関係(協調と競争)、医師・看護師の気質の違いなどどうなっているか(外科は、「切った張った」があるので決断力を問われ、さっぱりしている?)
・ 病院は、本館(外来棟)と新館(病棟)に分かれ、後者は13階で3-12階の各フロアは病気別の構成となっている。4階は循環器センターとなっており、内科と外科にまたがっているようだ。その他の階では、呼吸器センター、消化器内科、消化器外科、肝臓内科、脳神経外科などとなっている。各階は同じ構成となっているようで、中央部にナースセンターがあり、付随して作業スペースがあり、幅3メートルの通路を挟んで病室が東西南北に並んでいる(6人部屋、4人部屋、二人部屋、個室などー6人部屋だけ無料か?)各階に、7,80人の患者、10数人の医師、数十人のナースがいるのか(人数はまったくの当てずっぽう)
・ 体調が回復するためには、数ヶ月の期間がかかりそうだー来年初めまでおとなしく謹慎するか?(元気になったら、どこへ行こうか)
-1989年6月に狭心症(冠状動脈1本が詰まる)でカテーテル治療、その後3ヶ月
ごとに通院、今度は冠状動脈3本とも詰まり、心臓バイパス手術で1ヶ月半入院、
手術の成功で寿命が少し長くなったか?、暫くは謹慎が必要に、無理はできずー
① 2012年9月始めに心臓カテーテル検査のために2泊3日で虎ノ門病院に入院し、検査を受けたら、心臓に血液を送る冠状動脈の一部が長い部分で細くなっており、一種の内科的手術である『ステント(カテーテルによって金属製の網で詰まった部分を拡大して維持しようとするもの)』では回復できないので、バイパス手術が必要であると宣告された。結局、9月18日(火)に入院することとなった
② これまでの経緯
・ 1989年(平成元年)3月末に、出張したニューヨークのホテルである朝早く、胸が痛くなって飛び起きた。痛みはすぐ直った。
・ 帰国後、朝、髪のシャンプーで両手を上げて髪を掻いたり、通勤のために駅まで自転車でこぎ始めると胸が痛くなり、止めるとすぐ痛みはなくなったが、だんだんひどくなっていった。
・ 安静心電図では異常はないが、階段上りの負荷心電図では検査時間3分間のところ2分で痛くなり我慢できないようになった
・ 結局、6月4日の北京・天安門事件の直後に虎ノ門病院に入院し、カテーテル検査により、3本の冠状動脈のうち、1本が殆ど詰まっていることが分かり、その数日後に『バルーン(風船)』によって詰まった部分を70%まで拡大し、痛みはなくなって回復した(バルーンの20%程度は、再狭窄する可能性があり、半年後の12月に再入院してカテーテル検査を受けたが、幸いにもその恐れはないとされた。カテーテル検査は、腕(付け根かひじ)の動脈から挿入した細い管のカテーテルで心臓近くまで伸ばし、造影剤などによりビデオを撮るもの)
・ その後は、20年以上にわたって3カ月おきに通院し、血液をさらさらにする薬などの服用で、特に問題なく推移してきた。(2009年6月末に完全リタイアした)
・ 2010年ごろに久しぶりにカテーテル検査を受けたが、様子を見ようという結果となった(検査を行った医師は、検査直後に何かした方がいいように話したが、その後の専門医チームによるカンファレンスにより様子見となった模様。ホッとしたことを思い出す)
・ ところが、最近この数ヶ月で、早足で歩くと胸が少し痛くなることがたまにあり、それを医師に言ったら、またカテーテル検査をすることになり、上記の結果となった次第である。ただし、20年以上前と異なり、胸が全体で痛くなることは全然ない。そのまま過ごしていると、いずれ心筋梗塞や心不全となるのか?
・ カテーテル検査は、合計4回受けたが、最初は腕のひじからだったが、最近は腕も付け根からとなり、カテーテルもかなり細いものとなっているようだ
・ ただし、最近数ヶ月は、両足が朝などパンパンに張れて気になっていた
・ 専門医によるコンファレンスで各種の検査データを下に個々の患者に対する処置が決定されるようだ
③ 入院後の経過(手術まで)
・ 9月17日に出発し、当日は上野に泊まり、翌18日朝に虎ノ門病院に入院した。(新館4階の432-3(6人部屋、部屋代は無料、窓際のベッド)
・ 大体3メートル×4メートルのスペースで天井まであるカーテンによりほぼ個室状態となる。患者同士の会話は殆どないようだ。患者は、医師・ナースとの会話以外は見舞い客と行うか?患者は殆ど高齢者のようだ。小型テレビがあり、1000円カードを挿入すると1000分だけイヤホンで視聴可能となる。(大体2日でテレビ・カード1枚を購入)1989年入院当時は、就寝時にはカーテンを引いたが、日中はカーテンを開けていたので、患者同士で会話があった。当時、10日ほどの入院で同室者は延べ12人ほどで、殆ど60台以上のようで、私は50歳で一番若い部類だった。
・ 担当医師は3人でうち一人は女医さん(研修中で30歳前後?)だったが、その後若い男性医師と交代した。面倒を見てくれるナースは入れ替わり立ち代わりで、合計8人ぐらいか。担当ナース(金木さん)は30台後半?でやや小太り。恐らくチームによるシフト制(日勤、夜勤)で各ナースは3,4日ごとに現れる。夜勤は一人。
・ 手術は、10月10日頃という話であったが、結局10日に実施されることになった。外科の日程いかんであり、確定後、外科の医師が来るようになった。やはり3人ぐらいが担当する模様であり、うち女性医師(小林さん、30台前半?で人懐っこい)が毎日来るようになった。患者の手術に対する不安を解消することも目的の一つか?いつも何か聞きたいことはないかと言われる。1週間ごとか?「部長回診」があり、ぞろぞろやってくる。部長らしい中年の医師が「どうですか」と声をかけて終わり。大学病院では、教授回診か?
・ 入院後は、毎日2つぐらいの検査があり、頭や内臓のMRI,CT、レントゲン、心電図や採血も何回か行った。体温、体重、血圧、血糖値の検査は毎日3回行う。検査が終われば、3回の食事を食べるだけ。(体重は、パジャマ・スタイルで大体58キロ強を維持している。深夜に500ccのボトルの水を飲んだ後測定し58.60キロで、すぐトイレに行った後再び計ったら58.30キロに低下した)
・ 外出・外泊は、担当医師の許可がそのつど必要で、ナースを通じてお願いしなければならず、厄介だ。結局、これまで4回ほど外出し、10月5日(金)に1泊で翌日戻りで入院後始めて自宅に戻った(祝日の8日(月)まで自宅で過ごすことも可能であるが、手術前なので早く戻ることにした)
・ 10月5日(金)午後3時頃に出発したが、最初は足が重たかったが、次第になれてきた。地下鉄・日本橋駅でおり、丸善書店に寄り、上野経由で勝田行き(すべての普通車が座席一杯なため、グリーン車:750円に乗り、天王台駅からは、タクシー(710円)で帰着した。グリーン車は快適だが、乗車券:620円より高い。(グリーン券はスイカで駅の販売機で購入、乗車後、車両の天井でかざすだけで登録されるー始めて経験した。グリーン車の乗車は2回目) ・ 心臓手術は、月水金に行われる模様。手術に関する危険(殆ど可能性はないとのことであるが)に関して4種類ほどのペーパーに署名させられた(本人分が渡される)。
・ 午後9時半に消灯になり、翌朝6時に部屋の照明が付くので、その間は物が読めない。手元まで照らせるランプはあるが、誰もつける人は殆どいないので、読書などは不可能だ。早寝で深夜2-3時などに1階に下りて誰もいない中で本など読んでいたが、ナースに見つけられて、上に上がってくれと言われ、4階の談話スペースで一部照明をつけて読んだりしたが、ここでは時々ベンチで寝ている者がいるときがある。早朝の時間をどう過ごすか、厄介だ。ポケット・ラジオを持ってきたが、面白い番組があればいいが(NHK第一放送の対談番組など)
・ 手術の際の輸血用に、2度(9月20日、27日)、自己血液採血(400cc)を行ったが、回復には1週間程度かかり、採血後の3日程度は貧血で厄介だった。3日目あたりが一番ひどいようだ。体全体で血の気が不足している感じで、外出時もゆっくり歩いた。採血と同時に200ccの食塩水を点滴で補うが、それではとても足りないようだ
・ 土日は検査もなく、体重(1日1回)、体温、血圧、血糖値の測定だけ。もう3回目だ。
・ 食事(私の場合、低カロリー・減塩食)は、ナースなどがベッドまで運んでくれ、食べたら、移動可能な棚に自分で返す。大体、鳥か魚のメインディッシュと野菜の煮付けなどのおかずで、味と量はまあまあ。大食いの人は物足りないか?
・ ドクターとナースの水準は多分高いようだ。1989年当時に、虎ノ門病院は、ドクターのシステム、ナースのシステム、設備や管理システムの3つが良くできているという印象だった。当時、五反田のNTT逓信病院は、設備は一流だろうが、ドクターのシステムはバラバラという印象だった。多分、虎ノ門は一貫してよく管理され、逓信病院は医師の出身大学などが多様で、企業病院中心であり、バラバラに管理されていたのではないかと当時思っていた(こういう見方が成り立つかどうかは、まったく自信なし)
・ ただし、虎ノ門病院は、医師・ナースとも患者に対して、やや上から目線のようだ。外出許可など、お願いする、認めてやるという感じ。優良病院のため、同質的で世界が狭いか?
④ 手術 ・ 結局、心臓に血液を送る冠状動脈3本の全部が詰まっており、カテーテルによる「内科的手術」(内科の医師が行う)では困難なため、心臓バイパス手術(外科)をすることになった ・ 10月10日(火)の手術日には、朝8時に手術室に入室し、9時ごろ手術開始で呼吸マスクをつけられて「ゆっくり深呼吸してください」と言われ、すぐ意識がなくなり、気が付いたら、午後5時ごろ集中治療室(CCU)のベッドに移されていた。手術は、麻酔医師を含めて、5,6人の医師とナースで行われたようだ。8時間の手術はどう行われたのか?人工心肺も使われたらしい
・ CCUは5日間おり、24時間監視体制の下に置かれたが、ナースが歩いたり、夜も照明が残って、やや落ち着かなかった。治療と栄養補給のため点滴が行われ、導尿管で垂れ流し、大便はそのつどナースに頼んでビニール状のものをあてがって行った。手術後数日間は殆ど食べることはなかったので(点滴で栄養を取る)、ガス(おなら)を催すと、何度もガスを連発し、気が引けた。多分、3つのCCUベッドが並んでいたようだが、壁にさえぎられており、よく分からず。 ・ 脈拍、心電図、酸素の血中濃度測定の装置が胸に取り付けられ、無線でナースステーションの作業スペースと結んでおり、寝返りで電極が外れるなど、何かあるとアラームが鳴るのか、ナースがすっ飛んできた。
・ 手術後、胸にいつも痛みとかゆみがあるようになり(痛みはひどくはないが、常時、違和感がある)、退院した今でも残っている。あと何ヶ月か残るようだ。(個人差があるとのこと)
・ 2日後の12日夜に不思議な夢を見た。何かに追っかけられて、必死になって逃げ回り、気が付いたら目が覚めていた。極彩色の世界で、都会の街路だったり、海だったり、宇宙だったりした。心臓手術で体が大変な異常状態だったからか。その後は、このような夢は見ていない。その後で見る夢は、いつものように白黒であった
・ 術後暫くの間(数日)、鼻の両穴につける形で、酸素が補充された
・ 手術後、足の腫れは殆どなくなった
⑤ 一般病棟へ
・ 手術後6日目に一般病棟に戻り、2週間以上過ごした。食事もかゆからご飯に変わり、それに伴い、点滴も外され、胸の測定装置も外された
・ 手術の2週間後の24日にカテーテル検査を受けて、冠状動脈の状況などが確認され、順調に回復していると言われた。検査は、左足の付け根の動脈に穴を開けて、カテーテルを心臓部分に送って、造影剤で心臓の機能状況を把握する形で行われ、1時間ぐらいかかり、さらに血止め作業のため1時間ぐらいかかった。その後6時間ほど左足は固定された。この検査で最終的に退院が決定された模様。心臓の筋肉などに異常はないとのこと
・ 手術後1週間は、感染や炎症防止のため、抗生物質の点滴投与を朝夕2回受けた
・ 点滴装置が外されてから、トイレなど自由に歩きまわれるようになり、部屋の照明が暗い早朝には,1階のベンチに行って、乱読をするようになった。外出したかったが、許可が必要で結局行わなかった
・ リハビリは、リハビリ療法士さん(30代の男性)により手術後すぐに始まり、退院前日まで続いた。手術後当初は、ベッドの上で足のマッサージや屈伸程度で終わったが、点滴が外れると4階通路の歩行(1周:100メートルを3周)、その後は地下1階のリハビリ室で足腰の屈伸、自転車漕ぎ(10分、1秒:1回転で600回)を合計20分以上行った。リハビリ室では、各種の器具を使って、老若の男女(若者は殆どいない)の患者が療法士の指導を受けて、階段(4段)を上ったり、歩く練習などを行っていた。リハビリは、いずれ社会復帰?できるという希望となり、有難たかった。リハビリで自信ができたにもかかわらず、外に出ると、すぐ疲れ、ゆっくり歩いてようやく帰宅できた。気持ちだけでは、思うようにならず。
・ 自動販売機で、カロリーオフ(ゼロ)の清涼飲料水(レモン水や低カロリーのキリン・メッツ・コーラなど)をよく買って飲んだ
・ 低カロリー食のため、体重は2キロ程度減った(入院時の58キロ台→56キロ台へ)ー退院後も毎日体重を計れと言われた
・ 結局、1ヵ月半の入院生活となった(手術前:22日、手術後:23日)
・ 11月3日午前に退院したが、すぐ疲れて、結局、上野近くのホテルに昼頃に行き泊まってしまった。歩く練習はリハビリでしたが、まだまだ回復していないことが分かった次第
・ 入院費は、9月分(13日)、10月分(31日)、11月分(3日)の合計で、約27万円-保険で幾ら戻ってくるか
・ 退院前日に主治医から注意事項を家族とともに聞いたーゆっくり歩け。自転車は数週間後から乗れ。回復までに3ヶ月ぐらいかかる。あわてるな。風呂はつかるぐらいにしろ。重い物は持つな。階段はできたら避けよ。無理はするな ・ 退院前日に『負荷自転車こぎ』をやり、医師の監視の下で体力検査が行われたー呼吸マスクをつけ、自転車をこぐが、最初の4分間は負荷なしで、その後は負荷が少しずつ課され、強くなっていく。次第に呼吸と足が苦しくなってゆき、10分ほどでドクターストップとなった。脈と呼吸が収まるまで数分を要した。私は1分間で脈拍120回までは運動していいと言う結果となった
・ 手術による傷跡は、首のしたからへその上まで20センチほどあり、痛みとかゆみとなって残っている。いつまで続くか
・ 暫くは、最寄りの駅までの往復(約1.6キロでいつも自転車を利用)はタクシーによる必要がある(我が家には自動車はない。歩くのは面倒)
⑥ その他の感想など
・ 手術は、3年前の左ひざの人工関節置換手術(1ヶ月、慈恵医大柏病院)と今回で2回目(この後、海外旅行の自動検査機で必ず引っかかり、女性係員により検査器により頭から足まで調べられるようになったー多分、金属が左ひざにあるのだろう)
・ この間で世界や日本で起こったことーオスプレイ配備のすったもんだ、尖閣諸島に関する日中間のトラブル、沖縄の駐留米軍問題、米国大統領選挙(投票日:11月6日)、日本の政界の与野党対立と野田民主党内閣のよく分からない対応、衆議院の解散はいつか、石原都知事の辞職と橋下・大阪市長による新党結成の動き、シリア内戦(停戦協定はすぐ破棄へ)、中国のリーダー交代(11月8日から共産党大会)をめぐる不可解な動き、尼崎の複雑な家族状況による10人近い殺人事件、浪速のユーモア作家の藤本義一氏(79歳)の死去
・ みのもんたの『朝ズバ』(TBS、5時半―8時半)、テレ朝(5チャンネル)の一連の報道番組(6時ー10時)、NHKニュースなど、暇つぶしをしてきた。
・ NHKの朝ドラ(8時から15分)の『純と愛』は、ぜんぜん面白くなく、余り見なくなった。最近では一番つまらないのではないか。ストーリーと主演俳優(男女)の両方であるが、多分出演俳優のせいではないだろう。朝ドラはいつもはリタイア後の楽しみであったが。 ・ 入院した9月18日は、60年以上前の柳条湖事件の記念日で中国では「屈辱の日」となって、野田首相による尖閣諸島の国有化の発表(9月11日?)以来、中国各地で反日運動が恐らく政府主導で行われ、ピークに達した頃であった。しかしその、翌日には、反日暴動はぴったり終了した。日中関係は、今や最悪の状態だと言われている。日韓関係も任期少ないイミョンバク大統領の不自然な竹島訪問後ギクシャクしている。最近、汚職や腐敗による嫌疑で大統領の親族の逮捕が続いている。
・ 米国大統領選挙で、オバマ現大統領(民主党)とロムニー共和党候補の戦いはどうなるかーロムニーが当選した場合、対日関係を含む外交戦略はどうなるか
・ 胸の痛みでうかうかすると前屈みになりそうなので、できるだけ背筋を立てるようにしている(椅子に座る時に、しりを深く座り、背中を背もたれにつけるなど)
・ 内科と外科ー手術前は内科中心(循環器)であったが、手術に際し、外科の所管となり、当面は外科医の指導下にあるが、一段落すると内科に戻るらしい。内科と外科の役割分担や相互関係(協調と競争)、医師・看護師の気質の違いなどどうなっているか(外科は、「切った張った」があるので決断力を問われ、さっぱりしている?)
・ 病院は、本館(外来棟)と新館(病棟)に分かれ、後者は13階で3-12階の各フロアは病気別の構成となっている。4階は循環器センターとなっており、内科と外科にまたがっているようだ。その他の階では、呼吸器センター、消化器内科、消化器外科、肝臓内科、脳神経外科などとなっている。各階は同じ構成となっているようで、中央部にナースセンターがあり、付随して作業スペースがあり、幅3メートルの通路を挟んで病室が東西南北に並んでいる(6人部屋、4人部屋、二人部屋、個室などー6人部屋だけ無料か?)各階に、7,80人の患者、10数人の医師、数十人のナースがいるのか(人数はまったくの当てずっぽう)
・ 体調が回復するためには、数ヶ月の期間がかかりそうだー来年初めまでおとなしく謹慎するか?(元気になったら、どこへ行こうか)
2012年12月7日金曜日
「人口減少社会を考える」(日経新聞・経済教室、2012.11.7-9)
―人口減少の進展下でいかに経済効率化を促進するシステムに転換するかー
① 日本の人口減少は少子化から生じている
・ 高齢者人口は現在増加しているが、いずれ高齢人口も減少に転ずるだろう
・ 少子化の原因―結婚せずに独身にとどまる人が増えている
・ 結婚せずに子供を持たない未婚者が年を取り、その割合が徐々に増えていく
・ 今までの家族―おおむね30台までに結婚し、夫が安定雇用につき、、定年まで勤め、子供を育て、離婚せずに老後を迎える。妻は専業主婦か共働き。夫方か妻方の親の同居があるかもしれない(このような標準家族が徐々に減少する)
・ 生涯未婚率(90年ごろまでは2-3%)―今の若者(35歳未満)の4人に1人。50歳未満で20%
・ 離婚率―3分の1に達している(11年は結婚約66万組、離婚約24万組)
・ これからは標準家族を形成・維持できる若者は4割程度。夫が正社員で安定した経済基盤を持つ家族は少なくなるだろう
・ 標準家族以外のパターンは多種多様―一人暮らし、ひとり親、離婚して子連れで親元へ戻る、独身主義者で高収入のひとり暮らし(35-44歳で親と同居する未婚者は10年で295万人、同世代の16%
・ 収入が不安定な男性は女性から結婚相手として選ばれにくい。女性はもともと不安定雇用が多いし独立も困難。親も70歳前後で年金暮らし。親の年金で暮らしていることになる(20-30年後に親が死ぬと問題は顕在化する)
・ 将来、子供を持たずに高齢化する人が3-4割に達した時にどのような社会となるか
・ 標準家族から外れても安心して老後を迎えられるシステムをどう構築するか
② 少子化前提に発想転換を
・ 少子化の流れは変えられないー出生率の低下でなく、母体の激減によるため(出産可能な25-39歳の女性人口は今後半世紀で55%も減少する)
・ フランスや英国では、逆に3.7%、1.3%増加する(西欧諸国では子供の数が今後半世紀で1割以上増えるが、日本では半分以下に激減する)
・ 子供の増加を夢見るのでなく、子供が減っても持続可能な財政や社会福祉のモデルを模索する必要がある ・ 後世代が前世代を支えるという西欧モデルは、日本では成り立ちにくいー社会福祉が袋小路にあるのは、政府が年金という西欧流に固執しているためだ
・ 政府が財政支出の増加に対して増税だけで財政収支を改善しようとしているー際限ない増税地獄となり、いずれ財政は破綻するであろう
・ 一人当たり財政支出を国民所得の傾きと同じにすることが、人口減少時代の財政規律である
・ 民間企業も同様であるー外国人労働力の活用では問題は解決されない(労働力の輸入によって維持する日本企業のビジネスモデル自体が国際競争力を失うだろう)
・ 欧米からの技術輸入と安価な労働力による大量生産という、大半の日本企業のモデルは途上国企業との激烈な競争にさらされているー日本企業の利益率は、西欧企業と異なり、低下の一途をたどっている
・ なすべきことは、安価な労働力の確保でなく、自前の技術開発力を基盤とする先進国モデルへの転換だーよく「アジア戦略」と言われるが、競争すべきは途上国企業でなく、欧米企業である
・ その場合、東京の徹底した国際化が不可欠となるー国内市場を多くの外国企業・外国人に開放し、活発な国際競争を展開する(日本企業、日本人同士のぬるま湯の競争では、先進国モデルの基盤は得られない。技術開発力は自国民である必要はない)
・ 外国企業を含めて、日本経済の利益率が向上すれば人口減少社会も明るくなる
・ 時間当たり賃金がドイツの3分の2以下という日本の低賃金の是正が最も急ぐべき課題である
・ 高齢化時代に必須の社会資本は、公共賃貸住宅であろうー年金というフローで高齢者の収入を増やすのでなく、公共住宅というストックで高齢者の生活支出を減らせばよい
・ 人口や国内総生産が減る時代には、発想を変え、仕組みを変えれば、豊かな人口減少社会も十分可能である
③ 高齢化の『重荷』軽減が急務
・ 日本の65歳以上の高齢人口―1997年に14歳以下の年少人口に並び、2014年に2倍、50年に4倍になる
・ 社会保障の給付と負担のあり方、労働市場における雇用・賃金構造変革をめぐり世代間対立が深刻化している
・ 最近は若者の経済的独立が遅くなっているー高齢者が子供世代の安全網の役割を果たしている
・ ライフサイクル不足と余剰(「労働所得マイナス私的消費?」、2009年)-自立できない若年期(不足:27歳頃まで)→経済的に自立できる労働・生産期(余剰:60歳頃まで)→自立できない高齢期(不足)
・ 年金支給開始年齢の引き上げや定年年齢の緩やかな上昇に伴い、高齢期にライフサイクル余剰から不足に転換する年齢は2009年には63歳であり、1989年から5年に1歳づつ上昇してきたー労働所得のピークを51歳から伸ばす必要がある
・ 負担の増大に応じて、中高年の労働生産性を向上させる必要がある
・ 若年世代の人材育成も課題―日本の若年世代の人的資本を十分に活用するために、キャリア形成に役立つよう高等教育を変革・促進し、グローバル経済において競争できるように雇用体系や賃金制度を改革することが必要である
―人口減少の進展下でいかに経済効率化を促進するシステムに転換するかー
① 日本の人口減少は少子化から生じている
・ 高齢者人口は現在増加しているが、いずれ高齢人口も減少に転ずるだろう
・ 少子化の原因―結婚せずに独身にとどまる人が増えている
・ 結婚せずに子供を持たない未婚者が年を取り、その割合が徐々に増えていく
・ 今までの家族―おおむね30台までに結婚し、夫が安定雇用につき、、定年まで勤め、子供を育て、離婚せずに老後を迎える。妻は専業主婦か共働き。夫方か妻方の親の同居があるかもしれない(このような標準家族が徐々に減少する)
・ 生涯未婚率(90年ごろまでは2-3%)―今の若者(35歳未満)の4人に1人。50歳未満で20%
・ 離婚率―3分の1に達している(11年は結婚約66万組、離婚約24万組)
・ これからは標準家族を形成・維持できる若者は4割程度。夫が正社員で安定した経済基盤を持つ家族は少なくなるだろう
・ 標準家族以外のパターンは多種多様―一人暮らし、ひとり親、離婚して子連れで親元へ戻る、独身主義者で高収入のひとり暮らし(35-44歳で親と同居する未婚者は10年で295万人、同世代の16%
・ 収入が不安定な男性は女性から結婚相手として選ばれにくい。女性はもともと不安定雇用が多いし独立も困難。親も70歳前後で年金暮らし。親の年金で暮らしていることになる(20-30年後に親が死ぬと問題は顕在化する)
・ 将来、子供を持たずに高齢化する人が3-4割に達した時にどのような社会となるか
・ 標準家族から外れても安心して老後を迎えられるシステムをどう構築するか
② 少子化前提に発想転換を
・ 少子化の流れは変えられないー出生率の低下でなく、母体の激減によるため(出産可能な25-39歳の女性人口は今後半世紀で55%も減少する)
・ フランスや英国では、逆に3.7%、1.3%増加する(西欧諸国では子供の数が今後半世紀で1割以上増えるが、日本では半分以下に激減する)
・ 子供の増加を夢見るのでなく、子供が減っても持続可能な財政や社会福祉のモデルを模索する必要がある ・ 後世代が前世代を支えるという西欧モデルは、日本では成り立ちにくいー社会福祉が袋小路にあるのは、政府が年金という西欧流に固執しているためだ
・ 政府が財政支出の増加に対して増税だけで財政収支を改善しようとしているー際限ない増税地獄となり、いずれ財政は破綻するであろう
・ 一人当たり財政支出を国民所得の傾きと同じにすることが、人口減少時代の財政規律である
・ 民間企業も同様であるー外国人労働力の活用では問題は解決されない(労働力の輸入によって維持する日本企業のビジネスモデル自体が国際競争力を失うだろう)
・ 欧米からの技術輸入と安価な労働力による大量生産という、大半の日本企業のモデルは途上国企業との激烈な競争にさらされているー日本企業の利益率は、西欧企業と異なり、低下の一途をたどっている
・ なすべきことは、安価な労働力の確保でなく、自前の技術開発力を基盤とする先進国モデルへの転換だーよく「アジア戦略」と言われるが、競争すべきは途上国企業でなく、欧米企業である
・ その場合、東京の徹底した国際化が不可欠となるー国内市場を多くの外国企業・外国人に開放し、活発な国際競争を展開する(日本企業、日本人同士のぬるま湯の競争では、先進国モデルの基盤は得られない。技術開発力は自国民である必要はない)
・ 外国企業を含めて、日本経済の利益率が向上すれば人口減少社会も明るくなる
・ 時間当たり賃金がドイツの3分の2以下という日本の低賃金の是正が最も急ぐべき課題である
・ 高齢化時代に必須の社会資本は、公共賃貸住宅であろうー年金というフローで高齢者の収入を増やすのでなく、公共住宅というストックで高齢者の生活支出を減らせばよい
・ 人口や国内総生産が減る時代には、発想を変え、仕組みを変えれば、豊かな人口減少社会も十分可能である
③ 高齢化の『重荷』軽減が急務
・ 日本の65歳以上の高齢人口―1997年に14歳以下の年少人口に並び、2014年に2倍、50年に4倍になる
・ 社会保障の給付と負担のあり方、労働市場における雇用・賃金構造変革をめぐり世代間対立が深刻化している
・ 最近は若者の経済的独立が遅くなっているー高齢者が子供世代の安全網の役割を果たしている
・ ライフサイクル不足と余剰(「労働所得マイナス私的消費?」、2009年)-自立できない若年期(不足:27歳頃まで)→経済的に自立できる労働・生産期(余剰:60歳頃まで)→自立できない高齢期(不足)
・ 年金支給開始年齢の引き上げや定年年齢の緩やかな上昇に伴い、高齢期にライフサイクル余剰から不足に転換する年齢は2009年には63歳であり、1989年から5年に1歳づつ上昇してきたー労働所得のピークを51歳から伸ばす必要がある
・ 負担の増大に応じて、中高年の労働生産性を向上させる必要がある
・ 若年世代の人材育成も課題―日本の若年世代の人的資本を十分に活用するために、キャリア形成に役立つよう高等教育を変革・促進し、グローバル経済において競争できるように雇用体系や賃金制度を改革することが必要である
2012年11月28日水曜日
「私の履歴書―日経新聞連載に準じて」(堀伸樹)
「私の履歴書―日経新聞連載に準じて」(N.Hori)
―1960年代から2000年代の通信事業の発展を中心として/通信事業は 国内中心の単純な電信電話事業からグローバルな情報流動産業へ発展―
(通信の時代区分)
・ 19世紀―1970年代:アナログ電話の国営・独占による普及時代、郵便・電信・電話(PTT)の統合経営
・ 1980年代:米国・英国・日本の通信の規制緩和・自由化・競争導入(郵便・電気通信の分離、民営化)、1984年AT&T分割
・ 1990年代:通信自由化は世界規模の動きに拡大、デジタル化の完了、携帯電話の爆発的成長、インターネットの出現
・ 2000年代:ブロードバンド時代の到来
・ 2010年代:高速ブロードバンド(固定・携帯)、すべてのヒト・モノ・家畜は超小型コンピューターを装備しインターネットでネットワーク化され計測・管理される時代、バーチャルとリアル世界の融合、インターネット企業(グーグル、ヤフー、アップルなど)やクラウド・コンピューティングは通信にいかなる影響を与えるか。携帯端末はどうなるか(通信+カメラ+インターネット接続+支払い+他の様々な機能)
① 私は、独ソ不可侵条約に基づきナチス・ドイツが9月1日にポーランドに電撃侵攻した世界大戦が始まった1939年(昭和14年)1月に大阪で生まれ、戦争が終了した1945年に兵庫県芦屋市立小学校に入学し、高度成長時代の1962年(昭和37年)に東京大学経済学部を卒業し、日本電信電話公社に入社し、2009年(平成21年)6月末に完全リタイアした(最後の6年間は1年契約の嘱託)。47年余のNTT生活のうち30年以上、通信の国内外の調査に従事できたことは大変幸いであった。調査部門の在職が長く、殆ど東京本社関連の勤務であった。1985年(昭和60年)に通信自由化/NTT民営化が行なわれたため、独占時代が23年、競争時代が24年とほぼ拮抗している。
② この間に、通信事業は基本電話サービスの全国的普及時代から需要の多様化・高度化、独占から競争への移行、インターネットの出現と携帯電話の爆発的増加、2000年代のブロードバンド時代の到来、2010年代のユビキタス・ブロードバンド時代へと発展しつつある。通信は、音声、データ、映像(ビデオ)にまたがる、個人、家庭や企業、政府・自治体、教育・医療機関などの様々な経済・社会主体の活動に不可欠なあらゆる情報伝送を担う事業であり、電力、エネルギー、交通、水道などとともに基礎的インフラを構成している。農業社会から工業社会、情報社会というこれまでの経済の発展段階から、今後、21世紀において高付加価値のサービス社会(民主党の主張「コンクリートからヒト」)という目標を実現するためには、全国規模ないしグローバルに情報流動を担う通信事業や電話会社は極めて重要な位置づけにあると言えよう。
③ 昭和一ケタ世代と異なり、われわれは戦争の記憶は殆どない。終戦直前の8月5日夜だったか、米軍機が阪神地方を襲い、当時阪急の芦屋駅近くに居たが、近くの親戚の家の防空壕に母と一緒に避難したかすかな記憶がある。父は東京に単身赴任していた。(兄弟はない)米軍機が高射砲で地上から狙われるのを避ける目的で電波妨害のため長い白いアルミ箔を落とし、それが電信柱からあちこちで垂れ下がっていた。その様子を逃げる途中で見た。50メートル先まで焼夷弾で焼けたが、借家はとりあえず無事であった。その頃に神戸上空で探照灯で照らされて日米の戦闘機が戦うのを見たように思う。終戦の日の8月15日の記憶はない。戦後1947年だったか、東京に引っ越すことになり、父母と一緒に特急「つばめ」(東京・大阪間:7時間)で上京したが、当時はトンネルで機関車の煙が客車内に漏れてきた。父は1948年8月に結核で亡くなり(40歳)、母が父が勤めた会社の事務員で採用されることとなり、小学校(高学年)・中学・高校・大学卒業 (1962年) まで、埼玉県(浦和市・熊谷市)で過ごした。小学生の高学年の頃はガキ大将で何人かの子分と一緒に夕方暗くなるまで遊びほうけていた。中学1年のときに、肺浸潤(肺結核の前段階)と診断され、1年間休学ののち復帰したため、中学は4年で卒業した。自宅で一人で一日安静を余儀なくされ、すっかり引っ込み思案の暗い性格となってしまった。中学2・3年と高校3年間の合計5年間は体育の授業は見学した。大学入学後初めて体育(ソフトボールを選択)を再開した。(病気後初めて全力疾走した100メートル走は15.8秒であった。平均より2秒以上遅いか?)
④ 中学頃から、国際問題に関心を持つようになり、朝日新聞の森恭三記者(当時ロンドン支局長)に憧れ、その署名記事をよく読んでいた―1950年(小学6年):朝鮮戦争(1953年休戦)、1951年:サンフランシスコ平和会議とGHQによる日本占領の終了、スエズ動乱(エジプトのスエズ運河国有化に対し、英仏が攻めたが失敗)、1953年:日本のTV放送の開始、1955年:日本の高度成長時代(1955―1968年)、1956年:ハンガリー動乱など(森記者は、神戸一中、三高、東大法科、1963年頃に東大・新聞研究所講師となる、私の卒業後)―この頃から、新聞記者となり海外特派員になることが一貫した夢となったが、健康に自信がなく、結局 諦めるしかなかった。ただし,「生涯一記者」、「生涯現役」が目標となって今日に及んでいる(南海の野村克也捕手が引退時に「生涯一捕手」と言ったことが頭にあった。本物の新聞記者(海外特派員)になる代わりに、NTTで通信担当の海外調査員となった次第である。大学3・4年の本郷時代に新聞研究所(現社会情報研究所)に合格し、籍を置いたが、結局一単位も取らず、新研は卒業しなかった(授業が午後3時からであり、記事の書き方の講義など面白くなかったため。当時熊谷からはるばる通学していた-1・2年の教養学科時代は東大三鷹療から駒場に通学) 経済学部では、ゼミは必修であり、国際経済論ゼミ(楊内克巳教授、3・4年生、各10名程度)を2年間取った(2年とも成績は優であったが、多分ゼミナリスト全員がそうだったであろう。出席さえしていれば) ―ヒルファーディング「金融資本論」や刊行されたばかりの楊内(やない)教授著の東大出版会・経済学講座「大戦間経済(第一次大戦と第二次大戦を巡る国際経済の動向)」などを議論した。サブゼミ(学生だけで読みあうもの)でケインズの「一般理論」(塩野谷訳)を読んだがチンプンカンプンであった。むしろ原文でやった方が良かったかもしれない。本郷に進学した1960年(昭和35年)は「60年安保」の年であり、6月15日に皇居前広場のデモで東大社会学科の女子学生が亡くなり、19日(日)に追悼デモがあった。追悼デモは本郷から粛々と皇居前に向けて繰り出したが、全くノンポリの私は途中でずらかった。これに伴いアイゼンハワー大統領は来日を取りやめ、岸信介は内閣総辞職した。その後、所得倍増計画を掲げる池田勇人内閣が成立し、高度成長時代が到来した。
⑤ 就職活動は、1961年の7月始めの期末試験後の就職説明会から始まった。(5日頃から?)民間企業の内定は取れず(就職活動のやり方がよくわからなかった)、熱い8月に拓殖大学で行なわれた上級職国家公務員試験(経済職、4日間)で合格90名中20番となり、9月上旬に厚生省、労働省、運輸省周りを始めた。(法律職や行政職の20番ならともかく、経済職の20番は大したことはない、試験問題は近代経済学中心であり、われわれは殆どマルクス経済学ベースの講義を受けていた)一方、半官半民の3公社(国鉄・電電・専売)に関心があり、国鉄は殆ど法学部卒であり、また煙草屋は気乗りしないことから、電電公社(本社採用―キャリアに相当)を受験した。9月1日に気がついたが、電電の申し込みは8月末となっていた。東京電気通信局秘書課に電話したら、いいよというので申し込み、初旬の日曜日に法政大学(飯田橋)だったかで筆記試験を受け、一日真面目に取り組んだ。(東大、京大、一橋大は8月に既に内定しており、内定者は筆記試験は適当に受けろということになっていたらしい)、その後原宿の総裁公邸で面接試験があり、すぐに合格通知が来たので、電電に入社することに決めた。(官庁周りは中止) 結局、通信事業や電電公社については殆ど何も知らずに入社することに。当時は、安定した大企業や官庁に就職して年功序列制度下で生涯働くのが当然の時代であった。1962年の業務系本社採用は35名程度、技術系は55名程度(建築系、データ通信本部向け数学系、通信研究所用研究開発要員を含む、博士は2名、修士は7名) 業務系は東大法学部:8名、以下:各3名―京大、一ツ橋大、東大経済、早大、慶大、国立金沢大(幹部候補生の本社採用のほかに地方採用があり、全国で約10の地方単位で採用が行なわれていた。本社採用は、民営化後1987年を最後に廃止された)
⑥ 日本の通信事業は、戦前のピークは108万電話加入者であったが、戦災のため戦後その約半分から出発した。民営で一貫して発展した米国を除いて、欧州諸国や日本では、郵便・電信・電話(PTT)の国営独占体制が20世紀初頭から取られてきた。その間に、労働集約的な郵便事業の赤字を資本・技術集約的な電気通信(電信・電話)事業の黒字で補填してきた。そこで、郵便と電気通信を分離して、特に電話事業の発展を促進し、かつ競争を導入する方向で改革が行なわれてきた。わが国では、1947年に郵電分離が行なわれ(逓信省から電気通信省が分離)、1952年(昭和27年)に事業運営部門を日本電信電話公社として独立させた。これにより電気通信事業で得た利益をすべて電気通信投資に充当することが可能となった。(1953年に電電公社から国際通信部門が国際電電として分離されたが(電電公社は国内通信部門として残る)、国際的に見てもこれは極めて例外的である。この事業の内外分離は1996年頃に廃止された)電電公社は旺盛な電話需要(加入・トラヒック)に対応するために、1953年に「第一次電信電話拡充5ヵ年計画」を開始しており、私が入社した1962年頃は、申し込むとすぐ電話を架設する「需給均衡体制」の確立と「全国ダイヤル自動化」の実現が2大目標となっていた。当時は、需要が供給を大幅に上回り、事務用電話は申し込んで1年で架設し、住宅用電話は申し込んで2年で架設するという優先設置基準が適用されていた。事務用のほうが住宅用より利用価値が高いと考えられていた。また、市外通話は、交換取扱者(殆ど女性)による手動交換で接続されていた。需給均衡体制と全国自動化は1970年代後半に達成されたが、同時に基本電話サービスの全国的普及(ユニバーサル・サービス)も実現された。1970年代までこの2大目標中心の経営であった
⑦ 電気通信における規制緩和・自由化・競争導入は、1960年代に米国から始まり、1980年代半ば頃から英国、日本に波及し、その後、1990年代にはその他の先進国や新興国に拡大していった。米国は、19世紀において電信や電話の発祥国であり、技術、サービス、料金、事業運営、顧客ケア、規制緩和などのあらゆる面で世界の電気通信事業をリードしてきたーあえていえば、「1984年AT&T分割」頃まで。独占時代の電話事業は、エンド・ツー・エンド(電話機から電話機まで)で電話会社が一貫してサービスを提供するのが、最も効率的であり、安価であり、信頼性が高いと考えられてきた。ところが、技術革新により、長距離市外分野、市内回線分野、端末(電話機など)、付加価値分野などにサービスを分離してそれぞれ競争に開放した方がユーザーのメリットが促進されるという考え方が主流となってきた。電気通信における独占から競争への移行は、「巨大な象」のような過去の国営独占事業者に対して「蟻」とも言える弱体の競争事業者が参入する形で始まるので、通信自由化は段階的に進められてきた。日本では、1985年(昭和60年)4月に自由化とNTT民営化が着手されたが、当初は地域通信、長距離通信、国際通信、ポケベル、携帯電話、衛星通信などの事業分野ごとに数社の競争事業者の参入を認めて手厚く保護することから始まり、1990年代には事業区分が撤廃され、また有限の資源である電波を利用する場合を除いて、免許数の制限も撤廃された。外資規制も撤廃された(NTTを除く)。競争導入後も巨大なNTTの経営形態については、再三問題となってきたが、1999年7月に持ち株会社の下にグループ運営を図るとともに公正競争のための必要な規制を課す形態が適用されている。自民党政権は、2010年にNTTグループの経営形態に関して見直す計画であったが、2009年8月の総選挙により民主党政権に変わり、現在総務省によりNTT問題の取扱いが検討されていると見られる。一つの焦点は、アクセス回線の光化(高速ブロードバンド)に関して、英国のBT並みにグループ内で分離して自社内外で公正なアクセスを提供するために特別に管理するかどうかであろう。NTT側は、その代わりに、アクセス以外の地域通信(NTT東西)、長距離通信(NTTコミュニケーションズ)、携帯電話(NTTドコモ)、情報処理(NTTデータ)などのグループ経営の規制をできるだけ緩和して欲しいと考えているであろう
⑧ 1962年に電電公社に入社したときの初任給は当初16,100円であったが、春闘によりその5月か6月に4月に遡って17,800円にベースアップが行なわれた。その後も4月に定期昇給で2%ぐらいの月給が増加したのち、春闘によるベースアップでその3倍ぐらいが増えた。春闘によるこの有難いベースアップはいつまで続いたか。高度成長時代は、労働者が一生懸命働くと、企業が拡大し、国の経済が発展するということが明らかな結構な時代であった。今では、中国、インドなどの新興国がこのような状況となっているだろう。国鉄・電電・専売の3公社は、公共企業体等労働関係法により、事業の公共性のため、労働3権は認められず、ストライキは禁止されていた。しかし、全電通は国鉄労働組合、動力者組合と並ぶ日本で最も強力な組合であり、ストライキと幹部の処分を繰り返していた。(NTTの社員数は、30年前頃33万人に達し、その後減少し、2009年に20万人を割っているが、単一企業(組合)としては、依然として日本有数であろう。日本郵政の次か?)入社後3年目の1965年の2月に自宅待機方式で半日ストがあり、全国の電電組合員は参加を求められた。当時、入社後3年弱の訓練期間(現場訓練、本社訓練、学園訓練)を終えて電話局の係長に任命された直後であったが、全電通に加盟して半日ストに参加した。その後処分が行なわれ、現場機関2年間勤務のところ3年間係長に据え置かれた。同期の多くはストに参加して同じような処分を受けた。1985年のNTT民営化により、NTT社員も争議権を認められるようになった。(同じ民営化でも、事業自体が好調であった電電と累積赤字が数十兆円に達し、労使関係で地獄を見ていた国鉄とでは雲泥の差があったといえよう。NTTは現在でも基本的に旧電電と変わらないが、分割民営化されたJR各社は顧客サービス中心に経営は抜本的に改革されている)
⑨ 1968年2月の異動で、新設された(財団法人)電気通信総合研究所(電総研)に出向した.電総研は、郵政省所管で電電公社中心の出向者により、情報社会論などの社会科学的研究・分析を行なうために設立された。主たるスポンサーは電電公社であった。当時、未来論や情報社会論が提起され、自然科学による通信研究所(電電内部の研究機関―米国のAT&Tのベル電話研究所に次ぐ世界有数の通信事業者の研究機関。欧州諸国では通信機器メーカーの研究機関が中心で通信事業者は大した研究機関を持たない)に対して社会科学からアプローチすることを目指すものであった。ただし、電電・郵政・通信機器メーカー・主要銀行などの出向者中心(殆ど学士)のため、専門的な研究能力は殆どなく、発注する電電公社などに対して、二次情報を整理して報告することが主となっていたと考えられる。ただ、米国などの外国調査体制が次第に充実していったといえよう。前述したように、1980年代までは、米国は電気通信産業の発展では圧倒的であった。独占時代では、AT&Tは世界の同業者の中で仰ぎ見るような長兄であり、はるかに下の次兄の地位を英国(現在のBT)、フランス(FT)、ドイツ(DT)やNTT(当時はいずれも政府機関)が競っていたといえようか。電総研は1985年のNTT民営化に伴い、3分の2は1985年6月にNTT子会社として株式会社・情報通信総合研究所(情総研)として分離され(現在はNTT持ち株子会社)、残りは財団法人として郵政省所管として残り、その後他の郵政省関連の研究調査機関と合併したと推定される。電総研とその後情総研に3回出向・勤務したが、最初の出向(1968年・69年)では、公益事業料金・運賃(電力、ガス、国鉄、私鉄、水道、電気通信)について理論と実際について整理し、電気通信料金について提言をまとめたー独占時代であるが、コスト・ベース、顧客の選択と経営効率化を促進するシステムと構造とする。当時、単なる電信電話事業という位置づけから情報化社会における情報流動を担う極めて重要な事業であるという認識が高まって、面白くなってきたと考えられる
⑩ 1969年8月に初めて海外旅行に出かけた。朝日新聞の旅行会社で欧州ツアー(25日間、37万円、19日の年休を利用)に貯金をはたいて参加した。電電本体勤務であったら不可能であったが、ちょうど出向中で幸いであった。スタッフを含めて80名以上の大部隊で、しかも老若の女性が3分の2を占めていた。予定の2倍の希望者となったそうだ。男性は学校の先生など8月に休める人や中小企業など外国を見て来いと派遣されたものなど、大企業関係は殆どいなかった。一般の海外旅行は解禁されて数年経ったくらいであった(海外に持ち出すドルの制限が緩和された)まず、飛行機でドイツのフランクフルトに着き、チャーターしたバス2台で古城で有名なアルトハイデルべルグからスイスを経てイタリアのローマへ。それから北上してフランス南部を横断して、ニース、スペインのマドリード。そこでバスを降り、鉄道でパリへ、次いでロンドンに飛んで帰国というルートであった。見るもの聞くもの、何でも新鮮で毎日が楽しい限りであった。スイスのアルプスのマッタホルン、フィレンツェのウフィッツィ美術館、ピサの斜塔、アルルの高架の水道、バルセロナのサグラ―ダ・ファミリア教会、パリの凱旋門など。後半はバスの長距離の移動で疲れてしまった。午後8時ごろようやくホテルに着いて、80人がレストランでコースの料理を1時間かけて食べ、翌朝は早朝に出発するなど。海外特派員志望のため、海外旅行は長年の夢であった。電電は国内通信のため外国出張は思いもよらなかったので。その経験があったからか、1973年にイタリア・ジェノアで開催された運輸・通信国際会議に初めて出張することができた。全然記憶がないが。ツアーの行く先で必ず土産物屋に連れて行かれたが、女性たちがよくお金を使うことにビックリしたことを覚えている。男たちは金欠で何も買えないのに。
⑪ 日本の通信自由化は、1970年頃から電話とコンピューターとの融合が開始され、特に大企業ユーザーから国際競争力を維持するために公衆通信は電電の独占でもいいが、付加価値通信・高度通信については競争を導入すべきだという議論が起こってきた。政府の第二次臨時調査会は1982年に通信自由化とNTT民営化(NTTの経営形態についても検討が必要)を提言した。これに基づき、政府は1984年12月に電電改革3法(電気通信事業法、NTT法、関連法の改革法)を成立させ、1985年(昭和60年)4月に実施した。以下、今日までの電気通信改革の経緯を整理しておく
・ 1985年4月―通信市場を独占時代から百年ぶりに競争時代に移行した。国営独占事業者のNTTは民営化された ・ 当時の規制―事業区分ごとの免許付与(地域通信、長距離通信、国際通信、ポケベル、携帯電話、衛星通信)、 設備保有(一種事業)と設備非保有(再販売ベースー二種事業)を峻別する、免許数を制限する
・ 1990年頃にはすべての事業区分で競争が出現した
・ 1994年―携帯電話でデジタル免許により2社競争体制から3,4社競争体制に移行し、端末の自由化を実施した。(端末メーカーや流通業者も参入可能となった。米国では、1980年代初めの当初から端末は自由化されていた)これにより携帯電話市場の競争は大きく促進された。
・ NTT以外の外資規制も米国や英国の圧力(日本進出を目論む企業や政府)の下で段階的に撤廃されてきた
・ 1990年代後半に事業区分は廃止されるとともに、有限の資源である無線周波数を利用する場合を除いて、免許数の制限も撤廃された(国内通信と国際通信の区分も撤廃された。NTTも1997年頃に国際進出を認められた)
・ NTTの経営問題については、1999年7月に持ち株会社の下にグループ経営として再編成が実施された(持ち株とNTT東西は、特殊会社として引き続いて規制され、その他の子会社は事業法の主として支配的事業者規制だけが適用されるー特殊会社の規制は役員の任免、事業計画や重要な資産の処分の認可、政府保有義務、外資規制など)
・ 設備保有と非保有の区別は2000年代前半に撤廃された(従来は設備保有事業者は自社設備でしか事業を拡大できなかった。米国では、1980年代初めから設備の保有の有無でなく、市場シェアや料金設定能力に基づく支配的事業者規制が中心となっている)
・ 現在、日本の通信市場はNTTグループ,KDDIグループ(KDDとDDIが合併)、ソフトバンク・グループの3大グループによる寡占体制となっている(携帯電話市場のシェアでは、NTT:5割、KDDI:3割、ソフトバンク:2割となっている。ただし、固定電話市場ではNTTが圧倒的である)
・ NTTの経営形態問題については、自民党政権は2010年に見直す計画であったが、2009年8月に行なわれた総選挙の結果民主党政権となり、総務省で取り扱いについて検討していると見られるー最近問題となっているのは、高速ブロードバンド時代の到来から、アクセス回線の光化であり、英国のBTと同様なグループ内で分離し、内外で公正アクセスを実現するために管理を強化するかどうかであり、さらに光アクセスのユニバーサル・サービスの義務付けをどうするかであろう
⑪ 1975年2月―1977年1月まで、殆ど唯一の地方勤務として北海道の札幌で2年間過ごした。東京から800キロ北ではたして生きていけるかと不安であったが、非常に快適であった。仕事はネットワーク管理で全国的組織の一環として北海道の通信ネットワーク管理を担当する20人強の部隊(技術系と業務系からなり、技術系の方が多い)であった。災害時や通信網の障害に際し、全国組織と一緒に電話トラヒック(通話の流れ)をコントロールすることを目的としていた。北海道は元来、江戸時代以来本州などからの移民によって発展してきた歴史から、雑居的であり、人々はおおらかかつ開放的であり、言葉もほぼ標準語ですぐ溶け込むことができた。北の稚内でオホーツク海を眺め、東の釧路から根室に行って、12月に寒々とした街路をうろついたことが思い出される。北海道特産のジンギスカン、ルイベ、新鮮なカニ、ジャガイモなど堪能した。札幌市内のアパートから近くの藻岩山(500メートルぐらい)に何回か登ったりした。楽しかった。アパート前の雪かきもいい思い出であった。ゴルフの所属する部門のコンペも5月から10月までであった。東京の感覚からすれば、真夏は7月から8月初旬ぐらいまで、冬は11月後半から翌3月までという感じであった。今はどうなっているか。金曜日に午後休暇を取り、午後12時半の特急で札幌を立ち、青函連絡船経由で翌朝6時に上野駅につき自宅に帰り、翌日の日曜日午後に上野発で月曜朝に札幌に着き、そのまま勤務したことが2年間で6回ぐらいあった。往復で約9000円、結構な時代であった。
⑫ 1982年1月8日の米国の新聞(ニューヨーク・タイムズやウオール・ストリート・ジャーナルなど)は、一面でAT&Tと司法省が反トラスト訴訟の決着でAT&T分割で和解したことを大々的に発表した。電話事業はエンド・エンドで電話会社が独占的に提供するのがベストであるという、ユニバーサル・サービスに関するAT&Tの従来の主張を信じてきた世界の同業者にとって、まさに晴天の霹靂であった。AT&Tは、良質な基本電話サービスを全国規模で手頃な料金で提供するために独占を維持すべきであると1900年代からしばしば強調してきた。われわれもこの主張に何の疑問を感じなかった。(AT&Tは分割当時、米国の電話加入数の8割に電話サービスを提供し、特に州際電話及び国際電話サービスを独占していた) 司法省は、AT&T反トラスト訴訟において、AT&Tは独占分野の黒字で競争分野(長距離通信や機器製造など)の赤字を補填することにより、公正競争を阻害しているとして両者を分離することを求めてきた。AT&Tは、規制下の公衆電気通信事業だけでなく、発展を開始したコンピューター事業などに進出するためには、将来性の乏しい独占分野(地域通信)を分離し、急速に発展すると見られる競争分野(長距離通信やコンピュータ)に特化したいと考えた。そこで、両者は、AT&Tから22のベル電話会社(BOC―州内通信)を分割して、以後資本関係を持たないことで合意した。その1ヵ月後の2月はじめに始めて米国に出張し、ニューヨーク、ワシントンで関係機関にニューヨーク事務所の優秀なスタッフとともにヒアリングを行なった。所管のワシントン連邦地方裁判所は利害関係者のコメントを求めて和解内容を一部修正し、8月に「1982年修正同意審決」として分割条件を確定し、1984年1月始めにAT&T分割が実施された。22のBOCは7つの地域持ち株会社に再編成されて発足し、新生AT&Tは100万人(当時の連邦政府に匹敵する)いた従業員の3分の1になって、長距離通信と機器製造(ベル研を含む)という競争分野だけとなり、公衆電気通信という事業分野上の制限は取り払われた。AT&T分割により、地域通信市場(独占的)と長距離通信市場(競争)の構造分離が行なわれた。米国の電気通信市場は、その後BOCの合併が行なわれ(ほぼ地域独占のため合併について独占禁止法上の問題は少ない)、2000年代にAT&Tや米国のいわば第二電電のMCIはBOCに合併され、今や地域・長距離通信は統合され、現在はAT&T、ベライゾン、クエストなどの旧BOCの地域独占体制に戻っている。電話会社とケーブル会社の電気通信・ケーブル市場を巡る競争は弱体であると見られる。電話会社は財務上はるかに強力であるが、ケーブル会社はコンテンツ市場に強く、電話会社は対抗困難であろう。日本におけるNTT問題でしばしば分割が競争事業者から主張されるのは、晴天の霹靂のAT&T分割が実際に行なわれたことに由来している。AT&T分割が米国の電気通信産業の発展にいかなる影響を与えたかは、評価の分かれるところであろう。当時、分割が行われてしまった以上、とやかく言っても始まらないという意見があった。日本で1999年に行なわれたNTTの組織再編成は、日本において地域通信(県内通信)と長距離通信(県間通信)の両方の市場で競争が進展したにも関わらず、AT&T分割をいわば15年遅れで踏襲するものであったという見方がある。ともあれ、1984年AT%T分割は世界の電気通信の独占時代の終わりを象徴する出来事であったー今や携帯電話(NTTドコモ)は固定電話(NTT東西/NTTコム)を大きく抜いている
⑬ 1985年9月20日に米国に出張し、2週間後に帰国したが、行く前に1ドルを245円で買って持っていったが、帰国後残ったドルを売ったら1ドル:215円と手数料を差し引くと10日余りで約10%の円高となっていた。1年後には1ドルは170円ぐらいとなり、2年後には約120円と円の価値は2倍となった。これに伴い、円ベースのGDPはさほど変わらないのに、ドル・ベースでは1人当りGDPを含めて2倍となり、日本は一挙に世界で最も豊かな国に躍り出た。それから日本人のおごりが生じ、バブル時代を迎え、1990年代にバブルの崩壊後、「失われた十年(ロスト・ディケード)」を生じて今日に及んでいるようだ。バブルの頃は、「もう米国の経営から学ぶことはない」というような馬鹿な経営者が現れた。実は、米国出張中の9月22日に5カ国蔵相会合がニューヨークのプラザ・ホテルで開催され、円高誘導が「プラザ合意」として決定された。プラザ・ホテルは、セントラル・パークの南に面する荘重な欧州スタイルの巨大なホテルであり、その後も出張に際して五番街の交差点から時々展望している。最近、中国政府が人民元の切り上げに極めて慎重なのは、プラザ合意の教訓を十分念頭においているからであろう。中国は毎年700万人の新規学卒の雇用を創出しなければならず、さもないと格差の拡大と相まって大きな社会的混乱を生ずる恐れがあり、人民元の切り上げには慎重にならざるを得ないからだ。当時の米国出張の目的は、世界で最も発展している米国の移動体通信の政策、規制、市場動向やプレイヤーの戦略を分析して、日本の動向やNTTの戦略展開の参考に資することであった。米国の通信規制機関の連邦通信委員会(FCC)は、1981年にセルラー電話(現在の携帯電話)に関する規制を決定しており、エリアごとに2社競争体制とし、端末は自由化している。すなわち、移動体通信事業者でなくても技術基準に適合すれば、端末の製造・販売が可能である。これによってサービスや料金の競争が促進される(宮沢喜一・元首相は日本がおかしくなったのはいつからかと聞かれて、プラザ合意あたりではなかったかと答えていた。プラザ合意による急速な円高が日本人を傲慢にしダメにしたのであろうか)
⑭ 1989年(平成元年)は世界的に見て冷戦体制の終焉をもたらした大事件が頻出した年であったー昭和から平成へ、グローバリゼーション時代の幕開け
・ 昭和天皇の崩御―1989年1月7日(土)の朝8時頃だったかJRの盛岡駅の構内をぶらぶらしていた。そのとき、昭和天皇が亡くなったニュースが流れた。天皇は12月末頃から危篤状態で既に新聞社などは織り込み済みであった。私は、前日夜の東京駅発の深夜長距離バスで朝5時頃に盛岡駅に到着し、NTT同期のH氏と近くのホテルで朝食を共にしつつ、四方山の話をして分かれた後であった。その日は、鈍行を乗りついで仙台まで行き、新幹線で帰京した。鈍行を利用しても時間はかかるが、余り運賃は変わらない。平成の時代が始まった
・ 天安門事件―6月4日の朝2時から3時頃に自宅で一杯軽くやりながら、仕事をしつつ、テレビを見ていた。この3点セットはいつもの習慣となっていた。学生時代から早寝早起きであり、眠くなれば夕方の8時や9時には寝て、夜遅く目が覚めれば起きて仕事+TV+一杯という次第であった。テレビでは、北京の天安門広場で学生と軍隊が対峙し、パンパンと銃声が聞こえたのではなかったか。今では殆ど思い出せない。5月頃より学生のデモが活発化し、次第に大胆かつ大規模になっていったように思われる。国家主席が学生と親しく話すニュースが流れた。(学生に甘い主席はすぐに罷免された)ソ連の改革を1985年頃から進めてきたゴルバチョフ総書記が5月に中国を訪問したことも学生たちの開放感を促進したかもしれない。当時の中国の実力者の登章平は共産党独裁を維持し中国社会の崩壊を免れるために我慢の限度に達し、学生デモに対して人民解放軍(国家でなく共産党に属する)による武力を発動した。何百人か数千人規模の犠牲者が出たか定かでない。当時何度も戦車の前で手を広げて止めようとする若者の姿が放映されたが、のちに処刑されたという報道があった。天安門事件は、その後も中国の民主化を阻害した一大事件として、欧米やわが国では位置づけられている。現在でも事件の規模や詳細は明らかでないと見られる(天安門事件は中国では今でも禁句である)
・ 東ドイツの人々がハンガリー経由で西ドイツや欧州諸国に亡命(8月ごろ)―夏休みに東ドイツの家族などが許可を得て同じ社会主義国のハンガリーに自動車などで移動し、ハンガリーの西ドイツ大使館に押し寄せたり、オーストリア国境に集まるようになっていった。ハンガリーは社会主義でありながら、かなり自由化を進めていたと見られる。東ドイツは、高齢のホーネッカー総書記(70歳ぐらい)の下で硬直的な社会主義政策を展開していた。東ベルリンや東ドイツの人々は、禁止されているテレビやラジオの盗聴などで繁栄する西ドイツや西ベルリンの様子を知るようになっていたと見られる。恐らく1960年代頃までは、東ドイツは西ドイツに対して経済的に遅れていなかったであろうが、その後は中央集権的計画経済を基調とする東ドイツに対して自由主義的な市場経済を展開する西ドイツは欲望と競争下で発展し、その差が拡大していったと考えられる。結局、ハンガリーは西ドイツ政府などと協議し、ハンガリーとオーストリア国境を開放し、集まっていた東ドイツの人々はオーストリア経由で西ドイツや他の欧州諸国に亡命していったと推定される。当時、このような状況はTVや新聞で毎日のように報道・放映されていた
・ 11月9日のベルリンの壁の崩壊―その後、東ドイツでも自由を求めてデモが各地で行なわれるようになり、ライプチッヒで十万人規模が集まった一大デモが開催されるまでになったと記憶する。ホーネッカー政権も軍隊を動員しながら、人民に発砲する命令を発するまでに至らなかったと考えられる。ゴルバチョフ・ソ連総書記がもはやソ連は東欧諸国が社会主義圏を離脱しようとしてももはやソ連軍を派遣することはない旨を明らかにしていた。(ソ連は、1956年のハンガリー動乱や1968年の「プラハ(チェコの首都)の春」などの社会主義圏からの離脱の動きについてソ連軍を差し向けて阻止してきた経緯がある)ホーネッカーは総書記を50歳代のエゴン・グレンツに譲り、事態の収拾を任せた。11月9日にベルリンの壁の撤廃を求めて西ベルリンとの境界のブランデンブルグ門に人々が集まり始めた。その動きは日本でもリアルタイムで報道されていた。夜何時頃だったか、東ドイツ政府の混乱(特に壁の守備隊に対する命令の伝達が明確でなかった)から壁の取り壊し作業が始まってしまった。弱体化した政府では対処仕切れなかったと推定される。西ベルリン側でも呼応する動きがあったと見られる。ベルリンの東西を分断する壁は東ドイツから西ドイツに亡命する動きに耐えかねて1961年に東ドイツ政府が一晩で構築し、東西ドイツの境界でも構築された。その1年後の1990年10月始めに東西ドイツは統合され、東ドイツの電気通信事業は西ドイツによって吸収された
・ 東欧諸国の社会主義圏離脱は続き、12月下旬にはルーマニアに波及し、チャウシェスク大統領夫妻が射殺されたールーマニアでは、チャウシェスク政権が比較的堅実な運営を遂げていたと見られてきたが、地方で大規模デモが生じ、結局、軍隊が分裂し、大統領夫妻がヘリコプターで宮殿から逃げようとした時に捕らえられ、反対派の軍によって射殺された。殺された大統領夫妻の写真は日本でも何回も放映された。多分、それにより大統領派の動きを諦めるよう強くけん制したものであろう。
・ 私は、実は6月4日の天安門事件の直後に心臓のカテーテル検査で入院し、その結果、狭心症にかかっていることがわかり(3本の冠状動脈のうち1本が詰まっている)、10日頃に詰まった冠状動脈を「風船(バルーン)」で広げる、一種の内科的手術を受けて退院し、20日頃に復帰した。(現在は、詰まった部分を網状の筒で広げて維持するため、「ステント」と呼ばれている)4月頃から朝通勤の際に胸全体が痛くなり、次第に耐えがたくなっていった。勤務先にたどりついてデスクで座って仕事をする上で問題はなかった。精密検査するまで心臓が胸痛の原因とはわからなかった。何かの筋肉痛かと思っていた(最近、久しぶりにカテーテル検査を受けたが、今のところは再発していないようだ)
・ 歴史的事件をどこでどう知ったかと聞かれて、最もよく挙げられるのは、ケネディ大統領の暗殺事件がある。ケネディは1963年11月23日(米国は前日の22日)の朝7時頃だったか、母と食事中であったが、NHKのニュースで突然告げられてビックリして思わず立ち上がった。NHKはその際、衛星経由の実況放送の試験放送をする予定であったが急遽ケネディ暗殺事件に切り替えたものである。1962年4月に電電入社後、現場訓練を終えて、学園訓練中で休みのため自宅(自由が丘に間借り)に戻っていた。ジョン・F・ケネディ(43歳で当選)は、1960年大統領選挙において、ニクソン共和党副大統領(大統領はアイゼンハワー)と争っていたが、「国が自分に何をしてくれるかを問うのでなく、自分が国に何ができるかを問え」とか「たいまつは新しい世代に引き継がれた」、「恐怖から交渉するのでなく、交渉することを恐れるな(ソ連を念頭に)」,「味方も敵も変わりなく」などと警句を連発し、私はすっかり気に入っていた。初めて候補者どうしでテレビ討論を行い、ケネディの方が評価が高かったが、僅差で大統領に当選した。夫妻でテキサス州のダラスで車で遊説中に近くのビルから射殺されたが、ジャクリーヌ夫人は「オー・ノー」と思わずつぶやいた。その後出張でダラスに行く機会があったが(電話会社の年次全国大会があった)、暗殺された近くに展示館があり、見に行ったが殆ど印象はない。ジョンソン副大統領の暗殺関与説もあったが、犯人は不明である。理想主義的なケネディに対する期待は高かったが、非常に残念であった。弟のロバートが司法長官を勤め、兄暗殺後のジョンソン政権でも司法長官であったが、その後夫妻で来日した際に早稲田大学で講演し、非常に温厚・誠実な態度で極めて好評であった。ロバート・ケネディも1968年大統領選挙に際して暗殺された。残った末弟のエドワードは民主党上院議員となり、大統領選出馬も取りざたされたが、民主党リベラル派の重鎮として2000年大統領選挙ではオバマ現大統領を押し、昨年亡くなった。
・ 2001年9月11日の「セプテンバー・イレブン」の同時多発テロは、夜9時過ぎ(米国東海岸では朝8時過ぎ)に帰宅直後にテレビにスイッチを入れ、偶然2機目がニューヨーク・マンハッタンのワールド・トレード・センター・ビルに衝突するのをリアルタイムで目撃した。もう世界のどこでも日本を含めて安全は保障されないことが広く認識された瞬間であった。自爆した犯人たち(多くはサウジアラビア国籍)がなぜこのような行為に及んだかは解明されたか?起こったのは悪名高いブッシュ共和党政権であるが、準備期間に数年かかっており、これはクリントン民主党政権時代(1993年ー2000年)に該当する
⑮ 私は1980年頃から通信の外国調査に従事してきた。調査対象では、80年代は殆ど唯一競争が進展した米国中心であり、英国もサッチャー政権の下で通信自由化が着手された。90年代は、米国と欧州規模で自由化が進展しつつある欧州が半々であった。2000年代については、むしろ発展を開始したアジアや新興国に関する調査のウエイトが増加している ・ 欧米調査は、日本より規制緩和・自由化が進展するか、同等であり、日本の通信政策に影響を及ぼす可能性があるので、政策・規制が中心となっている
・ 一方、アジアや新興国は、政策や規制ではむしろ日本の方が進展しており、むしろ日本企業やNTTにとってビジネス・チャンスとなる可能性があり、進出するための市場や戦略分析を行なうのが目的である
・ 調査方法(主として英語)―文献・資料調査(総合新聞や専門雑誌などで常時ウオッチング)、市販の調査報告書の購入(数十万円)、コンサルタント会社に調査委託(数百万円)、現地出張調査(1回:1―2週間、100万円以内) ・ クライアントの要望に沿って、これらを適切に組み合わせて調査を行ない、次の調査の受注につなげていく
・ NTTグループは、日本企業の海外ネットワークのサポート(NTTコム、NTTデータ)やNTTドコモの海外展開などで合計1万人近くを海外に展開している(その多くは現地採用であり、出向者は少ないと推定される) ・ NTTは2000年頃に海外企業に投資したが、少数出資にとどまり、テレコム・バブルの崩壊により失敗し、数兆円の資産整理を余儀なくされた。最近NTTグループは焦点を絞った戦略的投資を展開し始めている(NTTの海外収入推定は2010年度:40億ドル、2011年度:80億ドル)
・ 日本の経済と社会は、2020年代に向けて急速に構造変化していくので、それに応じて内外の調査体制を整備する必要があるー日本は世界においていかなる位置づけとなるか(マクロ需要環境)、情報通信市場はいかなる変貌を遂げるか(セミマクロ需要・供給環境及び市場別需要・供給ミクロ環境)、NTTグループは何を期待されるか(NTTグループ戦略) 以上の中で外国調査をどう位置づけるかー持ち株会社、事業会社などの役割分担をどうするか ⑯ 外国出張の思い出
・ 1980年代後半から2000年代半ばまで50回以上の海外出張(出張ごとに1週間から2週間)を欧米中心に行なった。これらのほかに2回のJICA経済専門家派遣(1981年:タイ、3ヶ月、2002年:マレーシア、2週間ごとに4回、合計2ヶ月)を含めると、合計2年間ぐらい外国で過ごしたような勘定となる
・ 外国出張の目的―日本の通信政策(総務省所管)やNTTグループの経営戦略の参考にするために、とりわけ欧米諸国の政策、規制、技術、サービス、料金、市場動向、主要なプレーヤーの事業経営などを具体的に分析する(訪問先―政策官庁、規制機関、通信事業者、コンサルタント、学識経験者など)
・ 出張による訪問回数―10回以上:ニューヨーク、ワシントン、5回以上:ボストン、、ロンドン、ボン(西ドイツの旧首都)、香港、ソウル、テジョン(韓国)、バンコック(タイ)、クアラルンプル(マレーシア)、2回以上:サンフランシスコ、アトランタ、パリ、デュッセルドルフ、シンガポール、1回:北京、ブダペスト(ハンガリー)など
・ 規制機関や政府は比較的オープンで受け入れてくれるが、通信事業者は必ずしも受け入れてくれないーその理由はNTTが潜在的に競争相手となる可能性があったり、ビジネス上時間の無駄と考えるからであろう
・ 日本側は外国の通信事情(政策、規制、市場動向、プレイヤーの戦略など)に強い関心があるが、外国の方は、技術的関心(日本がかなり進んでいる)や競争やビジネス機会がある場合はともかく、日本の一般的動向に対して関心を持たない。相手に対するこちらのインタビューが終わり、日本側の事情について聞かれることを想定して日本に関する英文資料(NTTの戦略を含む)を用意しても、相手側は日本の事情について関心がないことが多い。
・ 例えば、2004年始めに英国の規制機関は電気通信専門の「オフテル(電気通信庁)」から通信・放送統合の規制機関の「オフコム」に移行したが、その後に訪問した際に電気通信特有の事前規制から殆ど一般競争法制に基づく事後規制中心の議論となり、ビックリした。従来の電気通信固有の規制用語の使用が極めて少なくなり、独占や競争、不公正取引など、他の競争産業や市場と同様な規制の論議が電気通信についても適用されるようになったことに気がついた。伝送規制とコンテンツ規制が通信と放送についてほぼ同様に適用されている。これに比べると、日本はまだまだ電気通信固有の規制が色濃く残っているようだ。米国と英国は元来自由市場経済を基調としており、特定の産業を推進したり、斜陽化する産業政策は取らないが、日本やドイツ、フランスは後発資本主義国として米国・英国に追いつくために産業政策を取ってきた歴史的経緯がある
(閑話休題)
・ いつだったか、米国の首都・ワシントンで日曜日の朝8時頃に散歩に出かけてワシントン・モニュメント(初代のワシントン大統領を記念する169メートルのタワーでどこからでも見える)を目指して歩いていったら、同じ方向を歩く手をつないだ男同士や女同士のカップルが次第にドンドン増えてきた。ビックリして途中でホテルに引き返したが、テレビを見たら、ゲイの全国大会がワシントンで開催されたことを知った。テニスの元ワールドチャンピオンのナブラチロワがカップルの女性とひな壇に並んでいた。午後ワシントン自慢の地下鉄に乗ったら、ゲイのカップルで一杯となっていた。ちなみに泊まったのは1972年不正選挙でニクソン大統領失脚の原因となったウオーターゲート・ホテルであった。 ・ 2003年11月であったか、英国スコットランドの古都エジンバラに旧知のエジンバラ大学・フランスマン教授(東大先端研で在日中に日本の通信事情についてインタビューされたことがあった)に英国や欧州の電気通信政策に関してインタビューを行なった。その後に教授はクルマでエジンバラの名所を30分ほどまわってくれたが、国富論のアダム・スミス(1723―1790年、グラスゴー大学教授)の墓と米国で1876年に電話の特許を取得したアレグザンダー・グラハム・ベル(1847―1922年)の生まれた家があった。グラハム・ベルは米国に渡り電話を発明したようだ。エジンバラは、古城を中心とする観光スポットが豊富であった
・ 東西ドイツは1990年10月に統合されたが、その前後に休みの日に西ベルリンに飛んで東ベルリンに市内観光したことがあった。1988年だったか、半日市内観光バスで東ベルリンに行ったが、「チェック・ポイント・チャーリー」という東西の境界エリアで30分かけてバスや乗客の徹底的な検査ののち、市内に移動したが、繁華な西ベルリンと比べて東ベルリンは人通りも少なく、寒々とし、全く空気が違っていた。その後統合後の2003年にベルリンで欧州の電気通信コンファレンスが開催された際に再び東ベルリンを歩いたが、活気に乏しく、印象は大して変わらなかった。現在でも旧東ドイツは西ドイツに比較して失業率が高く、東ドイツの人々はいわば二級市民の位置づけで不満が残っていると報道されている。
・ 1990年5月にシンガポール・香港・北京とアジアに初めて出張した。香港から北京に飛ぶ時に北京空港が黄砂のため閉鎖となり、夜遅く大連に飛んだ。中心部の米系ホテルに宿泊し、翌朝大連空港にバスで移動したが、街中はまさに4,50年前の植民地時代そのままであった。北京は、1989年6月の天安門事件の直後でホテルの窓から見るとあちこちで建設中のビル工事が中止されていた。朝7時ごろにはホテル前の広場は通勤の自転車の海であった。あらゆる方向に走っていた。午後に繁華街の王府井(ワンフーチン)を歩いたが、中国人だらけで怖くなり、慌ててホテルに戻った。また、外国人向けのお土産屋の友誼商店で買ったが、女性の店員の愛想の悪さにビックリした。店員同士のおしゃべりの合間に客の顔も見ないで商品を包んでくれた。20年後の今日の中国の目覚しい発展は思いもよらなかった。
・ 2002年にマレーシア(現在の人口:約2600万人)に国際協力事業団(JICA)により経済専門家として合計2ヶ月派遣された。(国際システム・コンサルティング会社・日本工営が中心でNTTはサポート)農村インタネット・センターの設計のためであり、私は、報告書において、ブロードバンド時代における情報通信政策のあり方に関して厚かましく提言部分(英文)を執筆した。首都クアラルンプルの街を歩くと、マレー系(マレー語、イスラム教、人口の6割を占める)、中国系(中国語、儒教・仏教、25%)、インド系(ヒンズー語、ヒンズー教、9%)が別々のグループで人種が交じり合わないことに驚いた。多民族国家の状況は、同質的な日本(日本人、日本語、仏教中心)から来ると非常に面白かった。ハイヤーの中国人運転手(両方とも下手な英語で会話)は、自宅では中国語を話し(マレーシアの共通語はマレー語)、マレー系は豚肉を食べず、インド系は牛肉を食べないが、自分たちは何でも食うと言っていた。隣のタイでは、中国系は本来のタイ民族とよく同化しており、人種間のトラブルは少ないようだ。
・ 80年代末にフランスの郵便電気通信省(現フランス・テレコム)に新電話サービス開発に関してインタビューした際、朝10頃でまずワイン、ビール、ジュース、コーヒーなどからどれにするか聞かれて驚いたことがある。今はどうなっているか。
⑰ 徒然(つれづれ)なるままに(アトランダムに)
・ 1985年の通信自由化後25年経ったが、NTTグループは日本の通信市場の7割を占めているが(収入ベース)、KDDIやソフトバンクなどの競争事業者がNTTの電話加入者(固定電話:3000万以上、携帯電話:5000万以上)とNTTの全国バックボーン・ネットワークと接続して初めて事業展開が可能となっていることを考慮すると、NTTは日本の通信事業の9割の責任を担っているということができるであろう。
・ したがって、NTTグループは日本のあらゆる情報流動(個人、家庭、企業、政府・自治体などによる音声・データ・映像、インターネット接続を含めて)を全国規模で提供・運営する、日本で最も重要な企業グループの1つである ・ 日本はこれから2020年代以降に向けて、人口減少・高齢化の進展、経済構造の改革、地域社会の再編成、アジア諸国や新興国との共存・共栄・一体化、環境・資源問題への対応などの諸問題に直面しており、NTTグループは日本の殆どの情報流動を担う使命・責任・役割からこれらの諸問題の解決に最大限の貢献を求められている
・ 通信事業は、それ自体省資源・省エネルギーであり、ユーザーとの緊密な協力を通じて、あらゆる産業や経済主体の業務の効率化や環境促進に貢献できる可能性を持っている
・ そのためには、われわれが通信事業を通じて何をできるか、長期的視点に立って、マクロ(日本と世界)・セミマクロ(通信産業レベル)・ミクロ(市場別レベル)の環境分析(需要・供給構造)に基づいて、通信事業の発展(技術、市場、サービス、事業運営、競争など)を考慮しながら、経営戦略を組織的に展開する必要がある
・ 最近、国際競争力のある通信事業者でなければならないということが言われるようになっている。本来ドメスティックな通信サービスにおける国際競争力とは何か。技術、サービス、料金、事業運営の効率性、顧客ケアなどで、外国の同業者(過去の独占電話会社で自由化後も圧倒的な支配的事業者である)に対して勝っているか、または少なくとも負けていないか。NTTグループは、例えばAT&T、ベライゾン、BT、DT、FT、中国テレコム、中国モバイル、韓国テレコム(KT)などと比較してどうか。各国の通信キャリアは自国がそれぞれ直面する諸問題の解決に役立っているか。
・ 私は,以上の基本的考え方のもとで、2009年6月まで通信の外国調査に30年間従事してきたが、大変幸せであった。NTTグループの戦略展開において(特に1985年通信自由化後)少しでもお役に立てれば幸いであったと考えている。これまで長年にわたって頂いたご厚誼、大変有難うございました。厚くお礼申し上げます。
・ 勤務地でも、日比谷、六本木、青山1丁目、五反田、日本橋人形町などと都心部の各地を移動したことも楽しい思い出である。調査のための資料読みや原稿書きに疲れると、よく周辺地域をうろつきまわった。六本木などは90年代に食事と気晴らしで何百回も徘徊したであろう。最近は六本木ヒルズなど一変したようだが。
・ 洋書売り場―八重洲ブックセンター(東京駅八重洲南口)、丸善(日本橋本店、東京駅丸の内北口)、紀伊国屋書店(新宿本店、新宿西口)、神田神保町の内山書店(中国書専門)、アジア書店(中国以外のアジア、国別コーナーあり、内山ビル) なお、紀伊国屋書店はシンガポール、バンコック、クアラルンプル、ニューヨークなどに支店がある
・ 高校生の頃であったか、無限とは何かでふと思いついてゾッとしたことがあった。自分が存在するためにはそれを入れる空間、それも自分より大きな立体的な空間が必要であり、さらにそれを入れるより大きな空間が必要である。それを無限大まで考えていくと、タテ×ヨコ×高さという空間の3次元と時間との4次元で宇宙大の空間が必要になる。どれも無限であるが、そんなことは想像できない。自分や世界、地球はどうして存在しているかがわからなくなってくる。スティーブン・ホーキング(1942年生まれ、「ホーキング、宇宙を語るービッグバンからブラックホールへ」という優れた啓蒙書がある)という英国の著名な神のごとき?物理学者がこのなぞを解くという話であったがどうなったのか。ホーキング博士は眼鏡をかけ、やせて小柄であり、しかも全身の筋肉が麻痺していく難病にかかっており、十数年前に既に目の瞬きでコンピューターを操作していた。何十億年か前に「ビッグバン」が起きて、宇宙が全くの無から生じ、現在拡大中だという説がある。そのためにはそれを入れる空間が必要ではないのか。さらにそれを入れる空間が必要で?さらに?よくわからない。時々これに思い至るとゾッとする
―1960年代から2000年代の通信事業の発展を中心として/通信事業は 国内中心の単純な電信電話事業からグローバルな情報流動産業へ発展―
(通信の時代区分)
・ 19世紀―1970年代:アナログ電話の国営・独占による普及時代、郵便・電信・電話(PTT)の統合経営
・ 1980年代:米国・英国・日本の通信の規制緩和・自由化・競争導入(郵便・電気通信の分離、民営化)、1984年AT&T分割
・ 1990年代:通信自由化は世界規模の動きに拡大、デジタル化の完了、携帯電話の爆発的成長、インターネットの出現
・ 2000年代:ブロードバンド時代の到来
・ 2010年代:高速ブロードバンド(固定・携帯)、すべてのヒト・モノ・家畜は超小型コンピューターを装備しインターネットでネットワーク化され計測・管理される時代、バーチャルとリアル世界の融合、インターネット企業(グーグル、ヤフー、アップルなど)やクラウド・コンピューティングは通信にいかなる影響を与えるか。携帯端末はどうなるか(通信+カメラ+インターネット接続+支払い+他の様々な機能)
① 私は、独ソ不可侵条約に基づきナチス・ドイツが9月1日にポーランドに電撃侵攻した世界大戦が始まった1939年(昭和14年)1月に大阪で生まれ、戦争が終了した1945年に兵庫県芦屋市立小学校に入学し、高度成長時代の1962年(昭和37年)に東京大学経済学部を卒業し、日本電信電話公社に入社し、2009年(平成21年)6月末に完全リタイアした(最後の6年間は1年契約の嘱託)。47年余のNTT生活のうち30年以上、通信の国内外の調査に従事できたことは大変幸いであった。調査部門の在職が長く、殆ど東京本社関連の勤務であった。1985年(昭和60年)に通信自由化/NTT民営化が行なわれたため、独占時代が23年、競争時代が24年とほぼ拮抗している。
② この間に、通信事業は基本電話サービスの全国的普及時代から需要の多様化・高度化、独占から競争への移行、インターネットの出現と携帯電話の爆発的増加、2000年代のブロードバンド時代の到来、2010年代のユビキタス・ブロードバンド時代へと発展しつつある。通信は、音声、データ、映像(ビデオ)にまたがる、個人、家庭や企業、政府・自治体、教育・医療機関などの様々な経済・社会主体の活動に不可欠なあらゆる情報伝送を担う事業であり、電力、エネルギー、交通、水道などとともに基礎的インフラを構成している。農業社会から工業社会、情報社会というこれまでの経済の発展段階から、今後、21世紀において高付加価値のサービス社会(民主党の主張「コンクリートからヒト」)という目標を実現するためには、全国規模ないしグローバルに情報流動を担う通信事業や電話会社は極めて重要な位置づけにあると言えよう。
③ 昭和一ケタ世代と異なり、われわれは戦争の記憶は殆どない。終戦直前の8月5日夜だったか、米軍機が阪神地方を襲い、当時阪急の芦屋駅近くに居たが、近くの親戚の家の防空壕に母と一緒に避難したかすかな記憶がある。父は東京に単身赴任していた。(兄弟はない)米軍機が高射砲で地上から狙われるのを避ける目的で電波妨害のため長い白いアルミ箔を落とし、それが電信柱からあちこちで垂れ下がっていた。その様子を逃げる途中で見た。50メートル先まで焼夷弾で焼けたが、借家はとりあえず無事であった。その頃に神戸上空で探照灯で照らされて日米の戦闘機が戦うのを見たように思う。終戦の日の8月15日の記憶はない。戦後1947年だったか、東京に引っ越すことになり、父母と一緒に特急「つばめ」(東京・大阪間:7時間)で上京したが、当時はトンネルで機関車の煙が客車内に漏れてきた。父は1948年8月に結核で亡くなり(40歳)、母が父が勤めた会社の事務員で採用されることとなり、小学校(高学年)・中学・高校・大学卒業 (1962年) まで、埼玉県(浦和市・熊谷市)で過ごした。小学生の高学年の頃はガキ大将で何人かの子分と一緒に夕方暗くなるまで遊びほうけていた。中学1年のときに、肺浸潤(肺結核の前段階)と診断され、1年間休学ののち復帰したため、中学は4年で卒業した。自宅で一人で一日安静を余儀なくされ、すっかり引っ込み思案の暗い性格となってしまった。中学2・3年と高校3年間の合計5年間は体育の授業は見学した。大学入学後初めて体育(ソフトボールを選択)を再開した。(病気後初めて全力疾走した100メートル走は15.8秒であった。平均より2秒以上遅いか?)
④ 中学頃から、国際問題に関心を持つようになり、朝日新聞の森恭三記者(当時ロンドン支局長)に憧れ、その署名記事をよく読んでいた―1950年(小学6年):朝鮮戦争(1953年休戦)、1951年:サンフランシスコ平和会議とGHQによる日本占領の終了、スエズ動乱(エジプトのスエズ運河国有化に対し、英仏が攻めたが失敗)、1953年:日本のTV放送の開始、1955年:日本の高度成長時代(1955―1968年)、1956年:ハンガリー動乱など(森記者は、神戸一中、三高、東大法科、1963年頃に東大・新聞研究所講師となる、私の卒業後)―この頃から、新聞記者となり海外特派員になることが一貫した夢となったが、健康に自信がなく、結局 諦めるしかなかった。ただし,「生涯一記者」、「生涯現役」が目標となって今日に及んでいる(南海の野村克也捕手が引退時に「生涯一捕手」と言ったことが頭にあった。本物の新聞記者(海外特派員)になる代わりに、NTTで通信担当の海外調査員となった次第である。大学3・4年の本郷時代に新聞研究所(現社会情報研究所)に合格し、籍を置いたが、結局一単位も取らず、新研は卒業しなかった(授業が午後3時からであり、記事の書き方の講義など面白くなかったため。当時熊谷からはるばる通学していた-1・2年の教養学科時代は東大三鷹療から駒場に通学) 経済学部では、ゼミは必修であり、国際経済論ゼミ(楊内克巳教授、3・4年生、各10名程度)を2年間取った(2年とも成績は優であったが、多分ゼミナリスト全員がそうだったであろう。出席さえしていれば) ―ヒルファーディング「金融資本論」や刊行されたばかりの楊内(やない)教授著の東大出版会・経済学講座「大戦間経済(第一次大戦と第二次大戦を巡る国際経済の動向)」などを議論した。サブゼミ(学生だけで読みあうもの)でケインズの「一般理論」(塩野谷訳)を読んだがチンプンカンプンであった。むしろ原文でやった方が良かったかもしれない。本郷に進学した1960年(昭和35年)は「60年安保」の年であり、6月15日に皇居前広場のデモで東大社会学科の女子学生が亡くなり、19日(日)に追悼デモがあった。追悼デモは本郷から粛々と皇居前に向けて繰り出したが、全くノンポリの私は途中でずらかった。これに伴いアイゼンハワー大統領は来日を取りやめ、岸信介は内閣総辞職した。その後、所得倍増計画を掲げる池田勇人内閣が成立し、高度成長時代が到来した。
⑤ 就職活動は、1961年の7月始めの期末試験後の就職説明会から始まった。(5日頃から?)民間企業の内定は取れず(就職活動のやり方がよくわからなかった)、熱い8月に拓殖大学で行なわれた上級職国家公務員試験(経済職、4日間)で合格90名中20番となり、9月上旬に厚生省、労働省、運輸省周りを始めた。(法律職や行政職の20番ならともかく、経済職の20番は大したことはない、試験問題は近代経済学中心であり、われわれは殆どマルクス経済学ベースの講義を受けていた)一方、半官半民の3公社(国鉄・電電・専売)に関心があり、国鉄は殆ど法学部卒であり、また煙草屋は気乗りしないことから、電電公社(本社採用―キャリアに相当)を受験した。9月1日に気がついたが、電電の申し込みは8月末となっていた。東京電気通信局秘書課に電話したら、いいよというので申し込み、初旬の日曜日に法政大学(飯田橋)だったかで筆記試験を受け、一日真面目に取り組んだ。(東大、京大、一橋大は8月に既に内定しており、内定者は筆記試験は適当に受けろということになっていたらしい)、その後原宿の総裁公邸で面接試験があり、すぐに合格通知が来たので、電電に入社することに決めた。(官庁周りは中止) 結局、通信事業や電電公社については殆ど何も知らずに入社することに。当時は、安定した大企業や官庁に就職して年功序列制度下で生涯働くのが当然の時代であった。1962年の業務系本社採用は35名程度、技術系は55名程度(建築系、データ通信本部向け数学系、通信研究所用研究開発要員を含む、博士は2名、修士は7名) 業務系は東大法学部:8名、以下:各3名―京大、一ツ橋大、東大経済、早大、慶大、国立金沢大(幹部候補生の本社採用のほかに地方採用があり、全国で約10の地方単位で採用が行なわれていた。本社採用は、民営化後1987年を最後に廃止された)
⑥ 日本の通信事業は、戦前のピークは108万電話加入者であったが、戦災のため戦後その約半分から出発した。民営で一貫して発展した米国を除いて、欧州諸国や日本では、郵便・電信・電話(PTT)の国営独占体制が20世紀初頭から取られてきた。その間に、労働集約的な郵便事業の赤字を資本・技術集約的な電気通信(電信・電話)事業の黒字で補填してきた。そこで、郵便と電気通信を分離して、特に電話事業の発展を促進し、かつ競争を導入する方向で改革が行なわれてきた。わが国では、1947年に郵電分離が行なわれ(逓信省から電気通信省が分離)、1952年(昭和27年)に事業運営部門を日本電信電話公社として独立させた。これにより電気通信事業で得た利益をすべて電気通信投資に充当することが可能となった。(1953年に電電公社から国際通信部門が国際電電として分離されたが(電電公社は国内通信部門として残る)、国際的に見てもこれは極めて例外的である。この事業の内外分離は1996年頃に廃止された)電電公社は旺盛な電話需要(加入・トラヒック)に対応するために、1953年に「第一次電信電話拡充5ヵ年計画」を開始しており、私が入社した1962年頃は、申し込むとすぐ電話を架設する「需給均衡体制」の確立と「全国ダイヤル自動化」の実現が2大目標となっていた。当時は、需要が供給を大幅に上回り、事務用電話は申し込んで1年で架設し、住宅用電話は申し込んで2年で架設するという優先設置基準が適用されていた。事務用のほうが住宅用より利用価値が高いと考えられていた。また、市外通話は、交換取扱者(殆ど女性)による手動交換で接続されていた。需給均衡体制と全国自動化は1970年代後半に達成されたが、同時に基本電話サービスの全国的普及(ユニバーサル・サービス)も実現された。1970年代までこの2大目標中心の経営であった
⑦ 電気通信における規制緩和・自由化・競争導入は、1960年代に米国から始まり、1980年代半ば頃から英国、日本に波及し、その後、1990年代にはその他の先進国や新興国に拡大していった。米国は、19世紀において電信や電話の発祥国であり、技術、サービス、料金、事業運営、顧客ケア、規制緩和などのあらゆる面で世界の電気通信事業をリードしてきたーあえていえば、「1984年AT&T分割」頃まで。独占時代の電話事業は、エンド・ツー・エンド(電話機から電話機まで)で電話会社が一貫してサービスを提供するのが、最も効率的であり、安価であり、信頼性が高いと考えられてきた。ところが、技術革新により、長距離市外分野、市内回線分野、端末(電話機など)、付加価値分野などにサービスを分離してそれぞれ競争に開放した方がユーザーのメリットが促進されるという考え方が主流となってきた。電気通信における独占から競争への移行は、「巨大な象」のような過去の国営独占事業者に対して「蟻」とも言える弱体の競争事業者が参入する形で始まるので、通信自由化は段階的に進められてきた。日本では、1985年(昭和60年)4月に自由化とNTT民営化が着手されたが、当初は地域通信、長距離通信、国際通信、ポケベル、携帯電話、衛星通信などの事業分野ごとに数社の競争事業者の参入を認めて手厚く保護することから始まり、1990年代には事業区分が撤廃され、また有限の資源である電波を利用する場合を除いて、免許数の制限も撤廃された。外資規制も撤廃された(NTTを除く)。競争導入後も巨大なNTTの経営形態については、再三問題となってきたが、1999年7月に持ち株会社の下にグループ運営を図るとともに公正競争のための必要な規制を課す形態が適用されている。自民党政権は、2010年にNTTグループの経営形態に関して見直す計画であったが、2009年8月の総選挙により民主党政権に変わり、現在総務省によりNTT問題の取扱いが検討されていると見られる。一つの焦点は、アクセス回線の光化(高速ブロードバンド)に関して、英国のBT並みにグループ内で分離して自社内外で公正なアクセスを提供するために特別に管理するかどうかであろう。NTT側は、その代わりに、アクセス以外の地域通信(NTT東西)、長距離通信(NTTコミュニケーションズ)、携帯電話(NTTドコモ)、情報処理(NTTデータ)などのグループ経営の規制をできるだけ緩和して欲しいと考えているであろう
⑧ 1962年に電電公社に入社したときの初任給は当初16,100円であったが、春闘によりその5月か6月に4月に遡って17,800円にベースアップが行なわれた。その後も4月に定期昇給で2%ぐらいの月給が増加したのち、春闘によるベースアップでその3倍ぐらいが増えた。春闘によるこの有難いベースアップはいつまで続いたか。高度成長時代は、労働者が一生懸命働くと、企業が拡大し、国の経済が発展するということが明らかな結構な時代であった。今では、中国、インドなどの新興国がこのような状況となっているだろう。国鉄・電電・専売の3公社は、公共企業体等労働関係法により、事業の公共性のため、労働3権は認められず、ストライキは禁止されていた。しかし、全電通は国鉄労働組合、動力者組合と並ぶ日本で最も強力な組合であり、ストライキと幹部の処分を繰り返していた。(NTTの社員数は、30年前頃33万人に達し、その後減少し、2009年に20万人を割っているが、単一企業(組合)としては、依然として日本有数であろう。日本郵政の次か?)入社後3年目の1965年の2月に自宅待機方式で半日ストがあり、全国の電電組合員は参加を求められた。当時、入社後3年弱の訓練期間(現場訓練、本社訓練、学園訓練)を終えて電話局の係長に任命された直後であったが、全電通に加盟して半日ストに参加した。その後処分が行なわれ、現場機関2年間勤務のところ3年間係長に据え置かれた。同期の多くはストに参加して同じような処分を受けた。1985年のNTT民営化により、NTT社員も争議権を認められるようになった。(同じ民営化でも、事業自体が好調であった電電と累積赤字が数十兆円に達し、労使関係で地獄を見ていた国鉄とでは雲泥の差があったといえよう。NTTは現在でも基本的に旧電電と変わらないが、分割民営化されたJR各社は顧客サービス中心に経営は抜本的に改革されている)
⑨ 1968年2月の異動で、新設された(財団法人)電気通信総合研究所(電総研)に出向した.電総研は、郵政省所管で電電公社中心の出向者により、情報社会論などの社会科学的研究・分析を行なうために設立された。主たるスポンサーは電電公社であった。当時、未来論や情報社会論が提起され、自然科学による通信研究所(電電内部の研究機関―米国のAT&Tのベル電話研究所に次ぐ世界有数の通信事業者の研究機関。欧州諸国では通信機器メーカーの研究機関が中心で通信事業者は大した研究機関を持たない)に対して社会科学からアプローチすることを目指すものであった。ただし、電電・郵政・通信機器メーカー・主要銀行などの出向者中心(殆ど学士)のため、専門的な研究能力は殆どなく、発注する電電公社などに対して、二次情報を整理して報告することが主となっていたと考えられる。ただ、米国などの外国調査体制が次第に充実していったといえよう。前述したように、1980年代までは、米国は電気通信産業の発展では圧倒的であった。独占時代では、AT&Tは世界の同業者の中で仰ぎ見るような長兄であり、はるかに下の次兄の地位を英国(現在のBT)、フランス(FT)、ドイツ(DT)やNTT(当時はいずれも政府機関)が競っていたといえようか。電総研は1985年のNTT民営化に伴い、3分の2は1985年6月にNTT子会社として株式会社・情報通信総合研究所(情総研)として分離され(現在はNTT持ち株子会社)、残りは財団法人として郵政省所管として残り、その後他の郵政省関連の研究調査機関と合併したと推定される。電総研とその後情総研に3回出向・勤務したが、最初の出向(1968年・69年)では、公益事業料金・運賃(電力、ガス、国鉄、私鉄、水道、電気通信)について理論と実際について整理し、電気通信料金について提言をまとめたー独占時代であるが、コスト・ベース、顧客の選択と経営効率化を促進するシステムと構造とする。当時、単なる電信電話事業という位置づけから情報化社会における情報流動を担う極めて重要な事業であるという認識が高まって、面白くなってきたと考えられる
⑩ 1969年8月に初めて海外旅行に出かけた。朝日新聞の旅行会社で欧州ツアー(25日間、37万円、19日の年休を利用)に貯金をはたいて参加した。電電本体勤務であったら不可能であったが、ちょうど出向中で幸いであった。スタッフを含めて80名以上の大部隊で、しかも老若の女性が3分の2を占めていた。予定の2倍の希望者となったそうだ。男性は学校の先生など8月に休める人や中小企業など外国を見て来いと派遣されたものなど、大企業関係は殆どいなかった。一般の海外旅行は解禁されて数年経ったくらいであった(海外に持ち出すドルの制限が緩和された)まず、飛行機でドイツのフランクフルトに着き、チャーターしたバス2台で古城で有名なアルトハイデルべルグからスイスを経てイタリアのローマへ。それから北上してフランス南部を横断して、ニース、スペインのマドリード。そこでバスを降り、鉄道でパリへ、次いでロンドンに飛んで帰国というルートであった。見るもの聞くもの、何でも新鮮で毎日が楽しい限りであった。スイスのアルプスのマッタホルン、フィレンツェのウフィッツィ美術館、ピサの斜塔、アルルの高架の水道、バルセロナのサグラ―ダ・ファミリア教会、パリの凱旋門など。後半はバスの長距離の移動で疲れてしまった。午後8時ごろようやくホテルに着いて、80人がレストランでコースの料理を1時間かけて食べ、翌朝は早朝に出発するなど。海外特派員志望のため、海外旅行は長年の夢であった。電電は国内通信のため外国出張は思いもよらなかったので。その経験があったからか、1973年にイタリア・ジェノアで開催された運輸・通信国際会議に初めて出張することができた。全然記憶がないが。ツアーの行く先で必ず土産物屋に連れて行かれたが、女性たちがよくお金を使うことにビックリしたことを覚えている。男たちは金欠で何も買えないのに。
⑪ 日本の通信自由化は、1970年頃から電話とコンピューターとの融合が開始され、特に大企業ユーザーから国際競争力を維持するために公衆通信は電電の独占でもいいが、付加価値通信・高度通信については競争を導入すべきだという議論が起こってきた。政府の第二次臨時調査会は1982年に通信自由化とNTT民営化(NTTの経営形態についても検討が必要)を提言した。これに基づき、政府は1984年12月に電電改革3法(電気通信事業法、NTT法、関連法の改革法)を成立させ、1985年(昭和60年)4月に実施した。以下、今日までの電気通信改革の経緯を整理しておく
・ 1985年4月―通信市場を独占時代から百年ぶりに競争時代に移行した。国営独占事業者のNTTは民営化された ・ 当時の規制―事業区分ごとの免許付与(地域通信、長距離通信、国際通信、ポケベル、携帯電話、衛星通信)、 設備保有(一種事業)と設備非保有(再販売ベースー二種事業)を峻別する、免許数を制限する
・ 1990年頃にはすべての事業区分で競争が出現した
・ 1994年―携帯電話でデジタル免許により2社競争体制から3,4社競争体制に移行し、端末の自由化を実施した。(端末メーカーや流通業者も参入可能となった。米国では、1980年代初めの当初から端末は自由化されていた)これにより携帯電話市場の競争は大きく促進された。
・ NTT以外の外資規制も米国や英国の圧力(日本進出を目論む企業や政府)の下で段階的に撤廃されてきた
・ 1990年代後半に事業区分は廃止されるとともに、有限の資源である無線周波数を利用する場合を除いて、免許数の制限も撤廃された(国内通信と国際通信の区分も撤廃された。NTTも1997年頃に国際進出を認められた)
・ NTTの経営問題については、1999年7月に持ち株会社の下にグループ経営として再編成が実施された(持ち株とNTT東西は、特殊会社として引き続いて規制され、その他の子会社は事業法の主として支配的事業者規制だけが適用されるー特殊会社の規制は役員の任免、事業計画や重要な資産の処分の認可、政府保有義務、外資規制など)
・ 設備保有と非保有の区別は2000年代前半に撤廃された(従来は設備保有事業者は自社設備でしか事業を拡大できなかった。米国では、1980年代初めから設備の保有の有無でなく、市場シェアや料金設定能力に基づく支配的事業者規制が中心となっている)
・ 現在、日本の通信市場はNTTグループ,KDDIグループ(KDDとDDIが合併)、ソフトバンク・グループの3大グループによる寡占体制となっている(携帯電話市場のシェアでは、NTT:5割、KDDI:3割、ソフトバンク:2割となっている。ただし、固定電話市場ではNTTが圧倒的である)
・ NTTの経営形態問題については、自民党政権は2010年に見直す計画であったが、2009年8月に行なわれた総選挙の結果民主党政権となり、総務省で取り扱いについて検討していると見られるー最近問題となっているのは、高速ブロードバンド時代の到来から、アクセス回線の光化であり、英国のBTと同様なグループ内で分離し、内外で公正アクセスを実現するために管理を強化するかどうかであり、さらに光アクセスのユニバーサル・サービスの義務付けをどうするかであろう
⑪ 1975年2月―1977年1月まで、殆ど唯一の地方勤務として北海道の札幌で2年間過ごした。東京から800キロ北ではたして生きていけるかと不安であったが、非常に快適であった。仕事はネットワーク管理で全国的組織の一環として北海道の通信ネットワーク管理を担当する20人強の部隊(技術系と業務系からなり、技術系の方が多い)であった。災害時や通信網の障害に際し、全国組織と一緒に電話トラヒック(通話の流れ)をコントロールすることを目的としていた。北海道は元来、江戸時代以来本州などからの移民によって発展してきた歴史から、雑居的であり、人々はおおらかかつ開放的であり、言葉もほぼ標準語ですぐ溶け込むことができた。北の稚内でオホーツク海を眺め、東の釧路から根室に行って、12月に寒々とした街路をうろついたことが思い出される。北海道特産のジンギスカン、ルイベ、新鮮なカニ、ジャガイモなど堪能した。札幌市内のアパートから近くの藻岩山(500メートルぐらい)に何回か登ったりした。楽しかった。アパート前の雪かきもいい思い出であった。ゴルフの所属する部門のコンペも5月から10月までであった。東京の感覚からすれば、真夏は7月から8月初旬ぐらいまで、冬は11月後半から翌3月までという感じであった。今はどうなっているか。金曜日に午後休暇を取り、午後12時半の特急で札幌を立ち、青函連絡船経由で翌朝6時に上野駅につき自宅に帰り、翌日の日曜日午後に上野発で月曜朝に札幌に着き、そのまま勤務したことが2年間で6回ぐらいあった。往復で約9000円、結構な時代であった。
⑫ 1982年1月8日の米国の新聞(ニューヨーク・タイムズやウオール・ストリート・ジャーナルなど)は、一面でAT&Tと司法省が反トラスト訴訟の決着でAT&T分割で和解したことを大々的に発表した。電話事業はエンド・エンドで電話会社が独占的に提供するのがベストであるという、ユニバーサル・サービスに関するAT&Tの従来の主張を信じてきた世界の同業者にとって、まさに晴天の霹靂であった。AT&Tは、良質な基本電話サービスを全国規模で手頃な料金で提供するために独占を維持すべきであると1900年代からしばしば強調してきた。われわれもこの主張に何の疑問を感じなかった。(AT&Tは分割当時、米国の電話加入数の8割に電話サービスを提供し、特に州際電話及び国際電話サービスを独占していた) 司法省は、AT&T反トラスト訴訟において、AT&Tは独占分野の黒字で競争分野(長距離通信や機器製造など)の赤字を補填することにより、公正競争を阻害しているとして両者を分離することを求めてきた。AT&Tは、規制下の公衆電気通信事業だけでなく、発展を開始したコンピューター事業などに進出するためには、将来性の乏しい独占分野(地域通信)を分離し、急速に発展すると見られる競争分野(長距離通信やコンピュータ)に特化したいと考えた。そこで、両者は、AT&Tから22のベル電話会社(BOC―州内通信)を分割して、以後資本関係を持たないことで合意した。その1ヵ月後の2月はじめに始めて米国に出張し、ニューヨーク、ワシントンで関係機関にニューヨーク事務所の優秀なスタッフとともにヒアリングを行なった。所管のワシントン連邦地方裁判所は利害関係者のコメントを求めて和解内容を一部修正し、8月に「1982年修正同意審決」として分割条件を確定し、1984年1月始めにAT&T分割が実施された。22のBOCは7つの地域持ち株会社に再編成されて発足し、新生AT&Tは100万人(当時の連邦政府に匹敵する)いた従業員の3分の1になって、長距離通信と機器製造(ベル研を含む)という競争分野だけとなり、公衆電気通信という事業分野上の制限は取り払われた。AT&T分割により、地域通信市場(独占的)と長距離通信市場(競争)の構造分離が行なわれた。米国の電気通信市場は、その後BOCの合併が行なわれ(ほぼ地域独占のため合併について独占禁止法上の問題は少ない)、2000年代にAT&Tや米国のいわば第二電電のMCIはBOCに合併され、今や地域・長距離通信は統合され、現在はAT&T、ベライゾン、クエストなどの旧BOCの地域独占体制に戻っている。電話会社とケーブル会社の電気通信・ケーブル市場を巡る競争は弱体であると見られる。電話会社は財務上はるかに強力であるが、ケーブル会社はコンテンツ市場に強く、電話会社は対抗困難であろう。日本におけるNTT問題でしばしば分割が競争事業者から主張されるのは、晴天の霹靂のAT&T分割が実際に行なわれたことに由来している。AT&T分割が米国の電気通信産業の発展にいかなる影響を与えたかは、評価の分かれるところであろう。当時、分割が行われてしまった以上、とやかく言っても始まらないという意見があった。日本で1999年に行なわれたNTTの組織再編成は、日本において地域通信(県内通信)と長距離通信(県間通信)の両方の市場で競争が進展したにも関わらず、AT&T分割をいわば15年遅れで踏襲するものであったという見方がある。ともあれ、1984年AT%T分割は世界の電気通信の独占時代の終わりを象徴する出来事であったー今や携帯電話(NTTドコモ)は固定電話(NTT東西/NTTコム)を大きく抜いている
⑬ 1985年9月20日に米国に出張し、2週間後に帰国したが、行く前に1ドルを245円で買って持っていったが、帰国後残ったドルを売ったら1ドル:215円と手数料を差し引くと10日余りで約10%の円高となっていた。1年後には1ドルは170円ぐらいとなり、2年後には約120円と円の価値は2倍となった。これに伴い、円ベースのGDPはさほど変わらないのに、ドル・ベースでは1人当りGDPを含めて2倍となり、日本は一挙に世界で最も豊かな国に躍り出た。それから日本人のおごりが生じ、バブル時代を迎え、1990年代にバブルの崩壊後、「失われた十年(ロスト・ディケード)」を生じて今日に及んでいるようだ。バブルの頃は、「もう米国の経営から学ぶことはない」というような馬鹿な経営者が現れた。実は、米国出張中の9月22日に5カ国蔵相会合がニューヨークのプラザ・ホテルで開催され、円高誘導が「プラザ合意」として決定された。プラザ・ホテルは、セントラル・パークの南に面する荘重な欧州スタイルの巨大なホテルであり、その後も出張に際して五番街の交差点から時々展望している。最近、中国政府が人民元の切り上げに極めて慎重なのは、プラザ合意の教訓を十分念頭においているからであろう。中国は毎年700万人の新規学卒の雇用を創出しなければならず、さもないと格差の拡大と相まって大きな社会的混乱を生ずる恐れがあり、人民元の切り上げには慎重にならざるを得ないからだ。当時の米国出張の目的は、世界で最も発展している米国の移動体通信の政策、規制、市場動向やプレイヤーの戦略を分析して、日本の動向やNTTの戦略展開の参考に資することであった。米国の通信規制機関の連邦通信委員会(FCC)は、1981年にセルラー電話(現在の携帯電話)に関する規制を決定しており、エリアごとに2社競争体制とし、端末は自由化している。すなわち、移動体通信事業者でなくても技術基準に適合すれば、端末の製造・販売が可能である。これによってサービスや料金の競争が促進される(宮沢喜一・元首相は日本がおかしくなったのはいつからかと聞かれて、プラザ合意あたりではなかったかと答えていた。プラザ合意による急速な円高が日本人を傲慢にしダメにしたのであろうか)
⑭ 1989年(平成元年)は世界的に見て冷戦体制の終焉をもたらした大事件が頻出した年であったー昭和から平成へ、グローバリゼーション時代の幕開け
・ 昭和天皇の崩御―1989年1月7日(土)の朝8時頃だったかJRの盛岡駅の構内をぶらぶらしていた。そのとき、昭和天皇が亡くなったニュースが流れた。天皇は12月末頃から危篤状態で既に新聞社などは織り込み済みであった。私は、前日夜の東京駅発の深夜長距離バスで朝5時頃に盛岡駅に到着し、NTT同期のH氏と近くのホテルで朝食を共にしつつ、四方山の話をして分かれた後であった。その日は、鈍行を乗りついで仙台まで行き、新幹線で帰京した。鈍行を利用しても時間はかかるが、余り運賃は変わらない。平成の時代が始まった
・ 天安門事件―6月4日の朝2時から3時頃に自宅で一杯軽くやりながら、仕事をしつつ、テレビを見ていた。この3点セットはいつもの習慣となっていた。学生時代から早寝早起きであり、眠くなれば夕方の8時や9時には寝て、夜遅く目が覚めれば起きて仕事+TV+一杯という次第であった。テレビでは、北京の天安門広場で学生と軍隊が対峙し、パンパンと銃声が聞こえたのではなかったか。今では殆ど思い出せない。5月頃より学生のデモが活発化し、次第に大胆かつ大規模になっていったように思われる。国家主席が学生と親しく話すニュースが流れた。(学生に甘い主席はすぐに罷免された)ソ連の改革を1985年頃から進めてきたゴルバチョフ総書記が5月に中国を訪問したことも学生たちの開放感を促進したかもしれない。当時の中国の実力者の登章平は共産党独裁を維持し中国社会の崩壊を免れるために我慢の限度に達し、学生デモに対して人民解放軍(国家でなく共産党に属する)による武力を発動した。何百人か数千人規模の犠牲者が出たか定かでない。当時何度も戦車の前で手を広げて止めようとする若者の姿が放映されたが、のちに処刑されたという報道があった。天安門事件は、その後も中国の民主化を阻害した一大事件として、欧米やわが国では位置づけられている。現在でも事件の規模や詳細は明らかでないと見られる(天安門事件は中国では今でも禁句である)
・ 東ドイツの人々がハンガリー経由で西ドイツや欧州諸国に亡命(8月ごろ)―夏休みに東ドイツの家族などが許可を得て同じ社会主義国のハンガリーに自動車などで移動し、ハンガリーの西ドイツ大使館に押し寄せたり、オーストリア国境に集まるようになっていった。ハンガリーは社会主義でありながら、かなり自由化を進めていたと見られる。東ドイツは、高齢のホーネッカー総書記(70歳ぐらい)の下で硬直的な社会主義政策を展開していた。東ベルリンや東ドイツの人々は、禁止されているテレビやラジオの盗聴などで繁栄する西ドイツや西ベルリンの様子を知るようになっていたと見られる。恐らく1960年代頃までは、東ドイツは西ドイツに対して経済的に遅れていなかったであろうが、その後は中央集権的計画経済を基調とする東ドイツに対して自由主義的な市場経済を展開する西ドイツは欲望と競争下で発展し、その差が拡大していったと考えられる。結局、ハンガリーは西ドイツ政府などと協議し、ハンガリーとオーストリア国境を開放し、集まっていた東ドイツの人々はオーストリア経由で西ドイツや他の欧州諸国に亡命していったと推定される。当時、このような状況はTVや新聞で毎日のように報道・放映されていた
・ 11月9日のベルリンの壁の崩壊―その後、東ドイツでも自由を求めてデモが各地で行なわれるようになり、ライプチッヒで十万人規模が集まった一大デモが開催されるまでになったと記憶する。ホーネッカー政権も軍隊を動員しながら、人民に発砲する命令を発するまでに至らなかったと考えられる。ゴルバチョフ・ソ連総書記がもはやソ連は東欧諸国が社会主義圏を離脱しようとしてももはやソ連軍を派遣することはない旨を明らかにしていた。(ソ連は、1956年のハンガリー動乱や1968年の「プラハ(チェコの首都)の春」などの社会主義圏からの離脱の動きについてソ連軍を差し向けて阻止してきた経緯がある)ホーネッカーは総書記を50歳代のエゴン・グレンツに譲り、事態の収拾を任せた。11月9日にベルリンの壁の撤廃を求めて西ベルリンとの境界のブランデンブルグ門に人々が集まり始めた。その動きは日本でもリアルタイムで報道されていた。夜何時頃だったか、東ドイツ政府の混乱(特に壁の守備隊に対する命令の伝達が明確でなかった)から壁の取り壊し作業が始まってしまった。弱体化した政府では対処仕切れなかったと推定される。西ベルリン側でも呼応する動きがあったと見られる。ベルリンの東西を分断する壁は東ドイツから西ドイツに亡命する動きに耐えかねて1961年に東ドイツ政府が一晩で構築し、東西ドイツの境界でも構築された。その1年後の1990年10月始めに東西ドイツは統合され、東ドイツの電気通信事業は西ドイツによって吸収された
・ 東欧諸国の社会主義圏離脱は続き、12月下旬にはルーマニアに波及し、チャウシェスク大統領夫妻が射殺されたールーマニアでは、チャウシェスク政権が比較的堅実な運営を遂げていたと見られてきたが、地方で大規模デモが生じ、結局、軍隊が分裂し、大統領夫妻がヘリコプターで宮殿から逃げようとした時に捕らえられ、反対派の軍によって射殺された。殺された大統領夫妻の写真は日本でも何回も放映された。多分、それにより大統領派の動きを諦めるよう強くけん制したものであろう。
・ 私は、実は6月4日の天安門事件の直後に心臓のカテーテル検査で入院し、その結果、狭心症にかかっていることがわかり(3本の冠状動脈のうち1本が詰まっている)、10日頃に詰まった冠状動脈を「風船(バルーン)」で広げる、一種の内科的手術を受けて退院し、20日頃に復帰した。(現在は、詰まった部分を網状の筒で広げて維持するため、「ステント」と呼ばれている)4月頃から朝通勤の際に胸全体が痛くなり、次第に耐えがたくなっていった。勤務先にたどりついてデスクで座って仕事をする上で問題はなかった。精密検査するまで心臓が胸痛の原因とはわからなかった。何かの筋肉痛かと思っていた(最近、久しぶりにカテーテル検査を受けたが、今のところは再発していないようだ)
・ 歴史的事件をどこでどう知ったかと聞かれて、最もよく挙げられるのは、ケネディ大統領の暗殺事件がある。ケネディは1963年11月23日(米国は前日の22日)の朝7時頃だったか、母と食事中であったが、NHKのニュースで突然告げられてビックリして思わず立ち上がった。NHKはその際、衛星経由の実況放送の試験放送をする予定であったが急遽ケネディ暗殺事件に切り替えたものである。1962年4月に電電入社後、現場訓練を終えて、学園訓練中で休みのため自宅(自由が丘に間借り)に戻っていた。ジョン・F・ケネディ(43歳で当選)は、1960年大統領選挙において、ニクソン共和党副大統領(大統領はアイゼンハワー)と争っていたが、「国が自分に何をしてくれるかを問うのでなく、自分が国に何ができるかを問え」とか「たいまつは新しい世代に引き継がれた」、「恐怖から交渉するのでなく、交渉することを恐れるな(ソ連を念頭に)」,「味方も敵も変わりなく」などと警句を連発し、私はすっかり気に入っていた。初めて候補者どうしでテレビ討論を行い、ケネディの方が評価が高かったが、僅差で大統領に当選した。夫妻でテキサス州のダラスで車で遊説中に近くのビルから射殺されたが、ジャクリーヌ夫人は「オー・ノー」と思わずつぶやいた。その後出張でダラスに行く機会があったが(電話会社の年次全国大会があった)、暗殺された近くに展示館があり、見に行ったが殆ど印象はない。ジョンソン副大統領の暗殺関与説もあったが、犯人は不明である。理想主義的なケネディに対する期待は高かったが、非常に残念であった。弟のロバートが司法長官を勤め、兄暗殺後のジョンソン政権でも司法長官であったが、その後夫妻で来日した際に早稲田大学で講演し、非常に温厚・誠実な態度で極めて好評であった。ロバート・ケネディも1968年大統領選挙に際して暗殺された。残った末弟のエドワードは民主党上院議員となり、大統領選出馬も取りざたされたが、民主党リベラル派の重鎮として2000年大統領選挙ではオバマ現大統領を押し、昨年亡くなった。
・ 2001年9月11日の「セプテンバー・イレブン」の同時多発テロは、夜9時過ぎ(米国東海岸では朝8時過ぎ)に帰宅直後にテレビにスイッチを入れ、偶然2機目がニューヨーク・マンハッタンのワールド・トレード・センター・ビルに衝突するのをリアルタイムで目撃した。もう世界のどこでも日本を含めて安全は保障されないことが広く認識された瞬間であった。自爆した犯人たち(多くはサウジアラビア国籍)がなぜこのような行為に及んだかは解明されたか?起こったのは悪名高いブッシュ共和党政権であるが、準備期間に数年かかっており、これはクリントン民主党政権時代(1993年ー2000年)に該当する
⑮ 私は1980年頃から通信の外国調査に従事してきた。調査対象では、80年代は殆ど唯一競争が進展した米国中心であり、英国もサッチャー政権の下で通信自由化が着手された。90年代は、米国と欧州規模で自由化が進展しつつある欧州が半々であった。2000年代については、むしろ発展を開始したアジアや新興国に関する調査のウエイトが増加している ・ 欧米調査は、日本より規制緩和・自由化が進展するか、同等であり、日本の通信政策に影響を及ぼす可能性があるので、政策・規制が中心となっている
・ 一方、アジアや新興国は、政策や規制ではむしろ日本の方が進展しており、むしろ日本企業やNTTにとってビジネス・チャンスとなる可能性があり、進出するための市場や戦略分析を行なうのが目的である
・ 調査方法(主として英語)―文献・資料調査(総合新聞や専門雑誌などで常時ウオッチング)、市販の調査報告書の購入(数十万円)、コンサルタント会社に調査委託(数百万円)、現地出張調査(1回:1―2週間、100万円以内) ・ クライアントの要望に沿って、これらを適切に組み合わせて調査を行ない、次の調査の受注につなげていく
・ NTTグループは、日本企業の海外ネットワークのサポート(NTTコム、NTTデータ)やNTTドコモの海外展開などで合計1万人近くを海外に展開している(その多くは現地採用であり、出向者は少ないと推定される) ・ NTTは2000年頃に海外企業に投資したが、少数出資にとどまり、テレコム・バブルの崩壊により失敗し、数兆円の資産整理を余儀なくされた。最近NTTグループは焦点を絞った戦略的投資を展開し始めている(NTTの海外収入推定は2010年度:40億ドル、2011年度:80億ドル)
・ 日本の経済と社会は、2020年代に向けて急速に構造変化していくので、それに応じて内外の調査体制を整備する必要があるー日本は世界においていかなる位置づけとなるか(マクロ需要環境)、情報通信市場はいかなる変貌を遂げるか(セミマクロ需要・供給環境及び市場別需要・供給ミクロ環境)、NTTグループは何を期待されるか(NTTグループ戦略) 以上の中で外国調査をどう位置づけるかー持ち株会社、事業会社などの役割分担をどうするか ⑯ 外国出張の思い出
・ 1980年代後半から2000年代半ばまで50回以上の海外出張(出張ごとに1週間から2週間)を欧米中心に行なった。これらのほかに2回のJICA経済専門家派遣(1981年:タイ、3ヶ月、2002年:マレーシア、2週間ごとに4回、合計2ヶ月)を含めると、合計2年間ぐらい外国で過ごしたような勘定となる
・ 外国出張の目的―日本の通信政策(総務省所管)やNTTグループの経営戦略の参考にするために、とりわけ欧米諸国の政策、規制、技術、サービス、料金、市場動向、主要なプレーヤーの事業経営などを具体的に分析する(訪問先―政策官庁、規制機関、通信事業者、コンサルタント、学識経験者など)
・ 出張による訪問回数―10回以上:ニューヨーク、ワシントン、5回以上:ボストン、、ロンドン、ボン(西ドイツの旧首都)、香港、ソウル、テジョン(韓国)、バンコック(タイ)、クアラルンプル(マレーシア)、2回以上:サンフランシスコ、アトランタ、パリ、デュッセルドルフ、シンガポール、1回:北京、ブダペスト(ハンガリー)など
・ 規制機関や政府は比較的オープンで受け入れてくれるが、通信事業者は必ずしも受け入れてくれないーその理由はNTTが潜在的に競争相手となる可能性があったり、ビジネス上時間の無駄と考えるからであろう
・ 日本側は外国の通信事情(政策、規制、市場動向、プレイヤーの戦略など)に強い関心があるが、外国の方は、技術的関心(日本がかなり進んでいる)や競争やビジネス機会がある場合はともかく、日本の一般的動向に対して関心を持たない。相手に対するこちらのインタビューが終わり、日本側の事情について聞かれることを想定して日本に関する英文資料(NTTの戦略を含む)を用意しても、相手側は日本の事情について関心がないことが多い。
・ 例えば、2004年始めに英国の規制機関は電気通信専門の「オフテル(電気通信庁)」から通信・放送統合の規制機関の「オフコム」に移行したが、その後に訪問した際に電気通信特有の事前規制から殆ど一般競争法制に基づく事後規制中心の議論となり、ビックリした。従来の電気通信固有の規制用語の使用が極めて少なくなり、独占や競争、不公正取引など、他の競争産業や市場と同様な規制の論議が電気通信についても適用されるようになったことに気がついた。伝送規制とコンテンツ規制が通信と放送についてほぼ同様に適用されている。これに比べると、日本はまだまだ電気通信固有の規制が色濃く残っているようだ。米国と英国は元来自由市場経済を基調としており、特定の産業を推進したり、斜陽化する産業政策は取らないが、日本やドイツ、フランスは後発資本主義国として米国・英国に追いつくために産業政策を取ってきた歴史的経緯がある
(閑話休題)
・ いつだったか、米国の首都・ワシントンで日曜日の朝8時頃に散歩に出かけてワシントン・モニュメント(初代のワシントン大統領を記念する169メートルのタワーでどこからでも見える)を目指して歩いていったら、同じ方向を歩く手をつないだ男同士や女同士のカップルが次第にドンドン増えてきた。ビックリして途中でホテルに引き返したが、テレビを見たら、ゲイの全国大会がワシントンで開催されたことを知った。テニスの元ワールドチャンピオンのナブラチロワがカップルの女性とひな壇に並んでいた。午後ワシントン自慢の地下鉄に乗ったら、ゲイのカップルで一杯となっていた。ちなみに泊まったのは1972年不正選挙でニクソン大統領失脚の原因となったウオーターゲート・ホテルであった。 ・ 2003年11月であったか、英国スコットランドの古都エジンバラに旧知のエジンバラ大学・フランスマン教授(東大先端研で在日中に日本の通信事情についてインタビューされたことがあった)に英国や欧州の電気通信政策に関してインタビューを行なった。その後に教授はクルマでエジンバラの名所を30分ほどまわってくれたが、国富論のアダム・スミス(1723―1790年、グラスゴー大学教授)の墓と米国で1876年に電話の特許を取得したアレグザンダー・グラハム・ベル(1847―1922年)の生まれた家があった。グラハム・ベルは米国に渡り電話を発明したようだ。エジンバラは、古城を中心とする観光スポットが豊富であった
・ 東西ドイツは1990年10月に統合されたが、その前後に休みの日に西ベルリンに飛んで東ベルリンに市内観光したことがあった。1988年だったか、半日市内観光バスで東ベルリンに行ったが、「チェック・ポイント・チャーリー」という東西の境界エリアで30分かけてバスや乗客の徹底的な検査ののち、市内に移動したが、繁華な西ベルリンと比べて東ベルリンは人通りも少なく、寒々とし、全く空気が違っていた。その後統合後の2003年にベルリンで欧州の電気通信コンファレンスが開催された際に再び東ベルリンを歩いたが、活気に乏しく、印象は大して変わらなかった。現在でも旧東ドイツは西ドイツに比較して失業率が高く、東ドイツの人々はいわば二級市民の位置づけで不満が残っていると報道されている。
・ 1990年5月にシンガポール・香港・北京とアジアに初めて出張した。香港から北京に飛ぶ時に北京空港が黄砂のため閉鎖となり、夜遅く大連に飛んだ。中心部の米系ホテルに宿泊し、翌朝大連空港にバスで移動したが、街中はまさに4,50年前の植民地時代そのままであった。北京は、1989年6月の天安門事件の直後でホテルの窓から見るとあちこちで建設中のビル工事が中止されていた。朝7時ごろにはホテル前の広場は通勤の自転車の海であった。あらゆる方向に走っていた。午後に繁華街の王府井(ワンフーチン)を歩いたが、中国人だらけで怖くなり、慌ててホテルに戻った。また、外国人向けのお土産屋の友誼商店で買ったが、女性の店員の愛想の悪さにビックリした。店員同士のおしゃべりの合間に客の顔も見ないで商品を包んでくれた。20年後の今日の中国の目覚しい発展は思いもよらなかった。
・ 2002年にマレーシア(現在の人口:約2600万人)に国際協力事業団(JICA)により経済専門家として合計2ヶ月派遣された。(国際システム・コンサルティング会社・日本工営が中心でNTTはサポート)農村インタネット・センターの設計のためであり、私は、報告書において、ブロードバンド時代における情報通信政策のあり方に関して厚かましく提言部分(英文)を執筆した。首都クアラルンプルの街を歩くと、マレー系(マレー語、イスラム教、人口の6割を占める)、中国系(中国語、儒教・仏教、25%)、インド系(ヒンズー語、ヒンズー教、9%)が別々のグループで人種が交じり合わないことに驚いた。多民族国家の状況は、同質的な日本(日本人、日本語、仏教中心)から来ると非常に面白かった。ハイヤーの中国人運転手(両方とも下手な英語で会話)は、自宅では中国語を話し(マレーシアの共通語はマレー語)、マレー系は豚肉を食べず、インド系は牛肉を食べないが、自分たちは何でも食うと言っていた。隣のタイでは、中国系は本来のタイ民族とよく同化しており、人種間のトラブルは少ないようだ。
・ 80年代末にフランスの郵便電気通信省(現フランス・テレコム)に新電話サービス開発に関してインタビューした際、朝10頃でまずワイン、ビール、ジュース、コーヒーなどからどれにするか聞かれて驚いたことがある。今はどうなっているか。
⑰ 徒然(つれづれ)なるままに(アトランダムに)
・ 1985年の通信自由化後25年経ったが、NTTグループは日本の通信市場の7割を占めているが(収入ベース)、KDDIやソフトバンクなどの競争事業者がNTTの電話加入者(固定電話:3000万以上、携帯電話:5000万以上)とNTTの全国バックボーン・ネットワークと接続して初めて事業展開が可能となっていることを考慮すると、NTTは日本の通信事業の9割の責任を担っているということができるであろう。
・ したがって、NTTグループは日本のあらゆる情報流動(個人、家庭、企業、政府・自治体などによる音声・データ・映像、インターネット接続を含めて)を全国規模で提供・運営する、日本で最も重要な企業グループの1つである ・ 日本はこれから2020年代以降に向けて、人口減少・高齢化の進展、経済構造の改革、地域社会の再編成、アジア諸国や新興国との共存・共栄・一体化、環境・資源問題への対応などの諸問題に直面しており、NTTグループは日本の殆どの情報流動を担う使命・責任・役割からこれらの諸問題の解決に最大限の貢献を求められている
・ 通信事業は、それ自体省資源・省エネルギーであり、ユーザーとの緊密な協力を通じて、あらゆる産業や経済主体の業務の効率化や環境促進に貢献できる可能性を持っている
・ そのためには、われわれが通信事業を通じて何をできるか、長期的視点に立って、マクロ(日本と世界)・セミマクロ(通信産業レベル)・ミクロ(市場別レベル)の環境分析(需要・供給構造)に基づいて、通信事業の発展(技術、市場、サービス、事業運営、競争など)を考慮しながら、経営戦略を組織的に展開する必要がある
・ 最近、国際競争力のある通信事業者でなければならないということが言われるようになっている。本来ドメスティックな通信サービスにおける国際競争力とは何か。技術、サービス、料金、事業運営の効率性、顧客ケアなどで、外国の同業者(過去の独占電話会社で自由化後も圧倒的な支配的事業者である)に対して勝っているか、または少なくとも負けていないか。NTTグループは、例えばAT&T、ベライゾン、BT、DT、FT、中国テレコム、中国モバイル、韓国テレコム(KT)などと比較してどうか。各国の通信キャリアは自国がそれぞれ直面する諸問題の解決に役立っているか。
・ 私は,以上の基本的考え方のもとで、2009年6月まで通信の外国調査に30年間従事してきたが、大変幸せであった。NTTグループの戦略展開において(特に1985年通信自由化後)少しでもお役に立てれば幸いであったと考えている。これまで長年にわたって頂いたご厚誼、大変有難うございました。厚くお礼申し上げます。
・ 勤務地でも、日比谷、六本木、青山1丁目、五反田、日本橋人形町などと都心部の各地を移動したことも楽しい思い出である。調査のための資料読みや原稿書きに疲れると、よく周辺地域をうろつきまわった。六本木などは90年代に食事と気晴らしで何百回も徘徊したであろう。最近は六本木ヒルズなど一変したようだが。
・ 洋書売り場―八重洲ブックセンター(東京駅八重洲南口)、丸善(日本橋本店、東京駅丸の内北口)、紀伊国屋書店(新宿本店、新宿西口)、神田神保町の内山書店(中国書専門)、アジア書店(中国以外のアジア、国別コーナーあり、内山ビル) なお、紀伊国屋書店はシンガポール、バンコック、クアラルンプル、ニューヨークなどに支店がある
・ 高校生の頃であったか、無限とは何かでふと思いついてゾッとしたことがあった。自分が存在するためにはそれを入れる空間、それも自分より大きな立体的な空間が必要であり、さらにそれを入れるより大きな空間が必要である。それを無限大まで考えていくと、タテ×ヨコ×高さという空間の3次元と時間との4次元で宇宙大の空間が必要になる。どれも無限であるが、そんなことは想像できない。自分や世界、地球はどうして存在しているかがわからなくなってくる。スティーブン・ホーキング(1942年生まれ、「ホーキング、宇宙を語るービッグバンからブラックホールへ」という優れた啓蒙書がある)という英国の著名な神のごとき?物理学者がこのなぞを解くという話であったがどうなったのか。ホーキング博士は眼鏡をかけ、やせて小柄であり、しかも全身の筋肉が麻痺していく難病にかかっており、十数年前に既に目の瞬きでコンピューターを操作していた。何十億年か前に「ビッグバン」が起きて、宇宙が全くの無から生じ、現在拡大中だという説がある。そのためにはそれを入れる空間が必要ではないのか。さらにそれを入れる空間が必要で?さらに?よくわからない。時々これに思い至るとゾッとする
2012年2月13日月曜日
宮本雄二「これから、中国とどう付き合うか」(日経出版、2011年1月)
宮本雄二「これから、中国とどう付き合うか」(日経出版、2011年1月)
(著者は、1946年生まれ、1969年外務省入省、40年以上の外交官生活の半分を 中国関係で勤務、3回中国に派遣され、2006―10年は特命全権大使を勤めた、 本稿は優れた中国論、日中関係論になっている)
① 中国の急激な変貌
・ 中国は長い歴史においてほぼ一貫して政治大国であり、経済大国であり、文化大国であった
・ 中国は、近世の数百年、欧米諸国に遅れてきたが、今急速にキャッチアップしており、「眠れる獅子」が目覚め、歩き出した
・ 中国の変化は実に早く、外国からの投資と輸出頼みであったのが、国内資本は豊かになり、財政が強化され、経済の基盤が整備可能になり、中国史上初めて巨大な「中国統一市場」が出現した。中国経済は自分でまわり始めた
・ 経済の発展とともに、中国の人々は自由な生活空間を実感している
・ 情報化社会の到来―7億の携帯電話加入者、4億のインターネット人口
・ 一方、格差や腐敗の問題、都市と農村の貧富の格差などが拡大している
・ 制度を改革し、法の支配を強化し、社会のセーフティネットを整備する必要がある
・ また、2010年9月の尖閣諸島問題に明らかなように自己主張を強めている
・ このような中国といかに付き合っていくか
② 結論―世界的視野から日本と中国の国益を考え、世界の平和と繁栄に貢献する日中関係をいかに構築するか
・ 中国と安定した予測可能な協力関係を構築する
・ 必要な国民レベルで関係改善を図る
・ 中国という経済空間を最大限に活用して日本企業を発展させ、産業を強化し、日本の経済成長戦略を推進する
・ 中国と重厚な対話を積み重ね、関係諸国と連携しつつ、アジア、ひいては世界の平和と繁栄の協力の構図をつくる
・ 中国の外への膨張の動きと中国軍の動静を見極め、必要な備えをする
・ 相互理解を深め、「普段着姿」の相手に向き合い、「等身大」で付き合う必要がある
③ 中国とは
・ 広大な国土を持ち(日本の25倍の面積)、漢民族と55の少数民族からなる13億の人口を抱える複雑な大国である―漢民族は90%以上を占める(漢民族とは、生物学的概念でなく、文化的概念である)
・ 広大で多様な国土と社会を持つ空間を紀元前221年に、秦の始皇帝が国家として統一し、文字と度量衡の統一は中国を、欧州のような多民族の集合体でなく、一つの国家としてまとまる手段を提供した。中華の世界は「天下」であり、一人の「天子」が皇帝として統治するメカニズムが出来上がった
・ 中国共産党が指導する社会主義国である―「4つの基本原則」(社会主義、中国共産党の指導、人民民主独裁、マルクスレーニン主義と毛沢東思想)の堅持
・ 中国共産党は中国のあらゆる面を指導する―中国社会における頭脳と神経系統(7500万人の共産党党員がいる―高度に組織化され、規律も厳格である。人材の養成と抜擢の仕組みは進歩しており、選考対象となる幹部クラスにたどり着くのは容易でなく、共産党の上級幹部は極めて優秀である)
・ 1949年の新中国建設以来、自己改革を続けてきた―大躍進運動(1958年~61年)、文化大革命(1966年~76年)、登小平による改革開放政策(1978年~)
・ 政治・経済・軍事大国だが、質の面では未だ開発途上国である。
・ したがって、中国は引き続き長期にわたって経済を発展させ、社会を安定させる必要があり、平和で安定した国際環境が必要である
・ 「中国の発展は世界の平和と発展の貢献する、中国は脅威にならない」
・ 世界的視野から日本と中国の国益を考え、世界の平和と繁栄に貢献する日中関係を構築する
・ 中国自身が自らの将来について明確な自画像を描いていない。屈辱の近代史を清算し、偉大な文明大国としての栄光を取り戻そうとしてきたが、今や世界大国となった
・ 日本は、「日中戦略的互恵関係」において、大国中国の勃興に対し、中国にとって必要な存在であり続けるためにどうすべきか―経済発展を支える科学技術や快適な社会を作り上げる「ソフトパワー」の強化が急務である
・ 中国の衝撃を力として日本再生の契機としたい
・ 日中関係の長年の経験から、日中間の多くの問題が誤解と理解不足から来ていることを感じてきた。等身大の日中関係の構築が必要である
④ 日中が抱える問題
・ 中国が描く自画像―中国は異民族の侵入を受けながら、最後は漢民族が天下を取り戻し、中華文明を作り上げ、高い文化水準を維持してきた。経済も発展し、人口も多かった。現在の中国人は、中国が世界の指導的国家の一つになったと考えている
・ 中国は、日本がアジアのリーダーだと考えたり、認めたことは一度もなく、米国のプリズムを通して日本を見てきた
・ 日本の自画像―日本は明治維新と戦後の復興を通じて、アジアではナンバーワンという意識を持ったが、昔からアジアだけでなく世界でナンバーワンだったと自覚してきた中国との間で、中国が経済的に日本を抜いたことから、国民意識において妥当な関係を早急に回復すべきである
・ 「台湾問題」―台湾の政治的地位と主権帰属に関する政治問題が日中関係にも影響してきた。台湾の取り扱いについて、1972年の日中国交回復に際し、「一つの中国」は認めるが、台湾問題は平和的に解決されるべきだということで合意された。このため、日本は台湾とは外交関係を持たず、民間の関係にとどまっている
・ 「領土をめぐる問題」-尖閣諸島の領有をめぐり、国際法上も合理的であり、日本は有効に実効支配している立場を取るが、中国は1992年に「領海法」において尖閣諸島を中国領として記載した。尖閣諸島の領有については、1990年代から海底資源などを含めて日中間で何度も紛争を生じてきた。日本政府も侵害の都度抗議してきた
・ 日中関係は、幾つかの事件で事態が悪化し、それを外交努力で回復するというパターンの繰り返しとなっているー日中の主張がぶつかり、それぞれの立場を堅持したとしても、個別の案件で二国間の関係の基本を損なうことがあってはならない。対話のチャンネルと事態沈静化のメカニズムを早急に強化する必要がある
・ 「感謝にこだわる日本、お詫びにこだわる中国」―日本側は「中国は日本の援助に感謝しない」中国側は「賠償を放棄してやったのに感謝しろとは何事か」と怒ったことがあった。
・ 長きにわたりつまずいたままの日本と急成長を続ける中国。その余裕から、最近では日本のこれまでの協力(中国のインフラ建設、環境保護、エネルギー開発、科学技術の発展を支援するなど)に感謝する言葉が中国首脳から表明されたが、素直に評価したい。日本の協力が中国の発展を助けるだけでなく、中国が国際社会に参画する一助となったことは重要である
・ 日中の「歴史問題」―それぞれの歴史問題でもあり、日本側の問題は戦前の日本について総括が行なわれず、国民に共有される歴史観が作られてこなかったことである(2006年に読売新聞が「検証 戦争責任」において新聞社としてはじめて行っており、評価したい。)
・ 中国にとっても、日本との歴史問題は「国内問題」でもある、中国人の日本の侵略を体験した世代は日本人を決して許せないと考えている、中国において日本と日本人に対する好感度が良くならないのは主として歴史問題である、被害者の記憶はなかなか消えない、日本国内での議論の未整理が中国に伝わって、日本に対する不信感をさらに増幅している、
・ 日中戦争をどうとらえるか(対中戦争は侵略戦争か)―1987年に外務大臣は「軍国主義による侵略である」と答弁している
・ 日中間の最大の問題は、背景にある国民感情の問題を超えて互いに相手をどう位置づけるかが分らないことであろう
⑤ 新しい日中関係を築く
・ 2001年から2006年までの小泉純一郎首相の靖国神社(A級戦犯を合祀する)訪問は、日中関係を悪化させたが、政治が経済にも影響を与え、この間、日本は大型プロジェクトに参加できなかった―中国では、政治と経済は密接不可分である
・ 日中の歴史問題や日中関係をいかに対応すべきかについて真剣に議論を行う契機となった。この間に日本で靖国問題に関連して出版されたものは量と質において戦後のいかなる時期を上回り、日本社会も真剣に過去の歴史について考えた
・ 朱建栄・東洋学園大学教授は、2005年に「対日新思考」として、二国間の諸問題、特に歴史問題だけを見て対日政策を決めるべきでなく、国際関係全般、対米、対台湾政策と関連して対日外交を決定すべきであると述べている
・ 世界経済に占める中国経済の位置づけが高まり、日本企業にとっても中国経済を無視できなくなっている―中国のGDP(2000年:約10兆元、1.2兆ドル、2006年:21.6兆元、2.7兆ドル、2009年:34兆元、5兆ドル) 2006年時点では、日本の大企業の半分が中国への進出に積極的であったが、2010年には殆どの大企業が中国への進出を既定路線としている
・ 地方レベルの交流も強化されており、合計240の友好姉妹県や姉妹都市の交流が底辺で日中関係を支えている―これは日本だけでなく中国でも対外交流において際立っている
・ 中国にとって「安定」と「発展」と「成長」は最も重要な国策であり、日本問題は中国の安定に直結する問題であり、問題をできるだけ小さくすることが中国社会の安定に資することになる
⑥ 戦略的互恵関係
・ 小泉内閣後、2006年10月に安倍晋三首相の訪中が実現し(氷を割る旅)、「戦略的共通利益に基づく互恵関係」という日中関係のキーワードを日本が提案したー平和共存、世代友好、互恵強力、共同発展を日中双方が達成すべき目標と位置づけ、そのために戦略的互恵関係を構築する
・ 2007年4月の「氷を溶かす旅(温家宝首相)」、2007年12月の「春を迎える旅(福田康夫首相)」、2008年5月の「暖春の旅(胡金濤国家主席)」に続く
・ 「双方は、長期にわたる平和と友好のための協力が日中両国にとって唯一の選択である」、「和すればともに利し、戦えばともに損す」―安全保障上の問題と国民感情の問題を克服するという両国の決意である
・ この画期的な新しい日中関係の構築は、中国側で対日歴史認識の整理ができたことで可能になった―日本で軍国主義の復活はないことが認識された(「日本のお詫びと反省の受諾」+「戦後日本の平和国家としての生き様の承認」+「日本で軍国主義の復活はない」の完結)
・ 新しい日中関係は、国民レベルでの相互理解と相互尊重が実現しなければ、長続きできない
・ 天安門事件(1989年6月)後、中国共産党は青少年に対する愛国主義教育を強化し、新中国の建設(1949年10月)にいたる抗日戦争において共産党が重要な役割を果たしたことを教育するときに、党による統治の正当性を回復しようとし、日本と日本人が悪役を演じることとなった
・ しかし、中国の世代交代と経済発展の結果、歴史よりむしろ格差問題、不正や腐敗の問題、年金や医療・教育などの社会問題の方が中国社会にとってより重要な課題であるあることが明確となっている
・ 胡金濤政権は、成長政策一本やりから格差を是正し、社会の公正やセーフティネットを実現する方向にシフトし、2003年に「科学的発展観」の考え方を導入し、「政治や社会、経済の運営をもっと人間本位に戻そう」としてきた
・ 世界の中で日中関係を考える「日中両国がアジア太平洋地域及び世界に平和、安定、発展に対し大きな影響力を有し、厳粛な責任を負っている」(2008年共同声明)
・ 経済のグローバル化が進み、日中経済の相互依存がさらに深まり、相互に安全保障上無視できなくなれば、多くの共通利益を持つようになる。さらに気候変動や環境などの国境を越える課題が加わる
・ 国民レベルの相互信頼関係をいかに構築するか―相互信頼と相互尊重を首脳レベルだけでなく国民レベルでも
⑦ これからの日中関係に求められるもの
・ 歴史問題をどう位置づけるか―中国で仕事する日本企業と日本人は、中国では日本の歴史問題は決して消えることのない重要なテーマであることを忘れてはならない。これを見誤ると中国人と信頼関係を構築できない
・ しかし、卑屈になったり、弱気になる必要はない。日本が中国を侵略した事実は事実として胸に刻んでおく必要がある
・ 中国に進出する企業や日本人は原理原則や倫理観をしっかり持ち、これは曲げないというものを持つべきである。中国人は背骨を一本持った人や企業を尊敬する。尊敬されると人はついてくる、相手は耳を傾けてくれる―日中の架け橋を努めた松村謙三、高崎達之介、伊藤正義、野中広務など
・ 中国の衝撃を「第三の黒船」にー日本の再生のカギになるか(人口減少・高齢化が進展する日本の生き残る道はスマートなソフトパワーの強化であるー科学技術、産業技術、研究開発に大規模な投資を行うべきである、これらで世界のトップを目指す、日本社会をもっと住みやすい人に優しい社会とする)
・ 日本が中国に提供できるものがある限り、中国人は日本に敬意を払う
・ 「日本の改革は、中国の衝撃によって前進する」
・ 今の日本に若者が自由に発展できる空間を作りたい
⑧ 安全保障の問題への対応
・ 中国の人民解放軍は、毛沢東が作り育てた軍隊であり、共産党の軍隊であり、国家の軍隊かどうかの問題がある―通常、各国の軍隊は、政府の指揮下に入り、シビリアン・コントロールが確保されている(日本でも、内閣総理大臣が最高司令官である)
・ 人民解放軍は、中国共産党の統治の護持が重要な任務となっている
・ ただし、中国共産党は人民解放軍の中にしっかりした党組織を持っており、党は軍隊をしっかり抑えている
・ 軍の近代化が進んだ今日、複雑化、高度化、専門化が進み、党の中央軍事委員会がすべてを仕切る形となっており、それに挑戦できるものはない
・ 中国の多くの国民は、大国はそれにふさわしい軍事力を持つべきであると考えており、現時点で軍備増強を支持している―中国の軍事費は20年連続で二桁増を維持しており、2010年の軍事予算は5321億元(780億ドル)と米国(6000億ドル以上)に次ぐ軍事費の規模となっている
・ 軍事安全保障の世界は、「最悪のシナリオ」を前提として組み立てられるので、日中間でも透明性を高めることが必要である―軍事面でも相互理解が必要である
⑨ 経済関係の位置づけ―ソフトパワーを磨き続ける
・ 中国経済も日本経済もグローバル経済と一体化して発展してきた。相互補完性に勝る日中経済は急速に一体化しており、戦略的共通利益による互恵関係(長期的及び拾い視野に立って)を作るために、日中の経済関係を強化すべきである
・ 中国側は、政治と経済を結び付けないことが必要である―グローバル経済は経済の論理が支配する世界であり、予側不可能で透明性が低い「政治」が入ってくると、中国と世界との経済関係は縮小するであろう
・ 経済を政治から開放することが、日中経済関係の発展にとって極めて重要である
・ 日本人はやってよいと言われたことしかやらないが、中国人はやってはいけないといわれたこと以外は何でもする―利益が出れば、変化はいとわない(中国の経済社会の変化はきわめて早い―中国市場への投資や参入条件はどんどん変る)
・ 日本企業は異業種間の連携で中国市場に挑んではどうか―例えば、地方の病院建設プロジェクトでも環境、省エネ、防災を念頭におく必要がある。全体の青写真を描いて設計するシステムとして対応する
・ 医療、環境、省エネ、防災のいずれも日本企業は優れており、日本企業に対する評価は高い(敏速さにかけるが信頼性は高く、約束は守る、中国側が日本企業と組む気持は強い)
・ 新しい日中協力の構想―中国の現状を踏まえ、中国が資金を出し,日本は技術を出す、技術に知的財産権保護を中央政府によって確保する、先端技術については一定の市場を保証する ・ 日中経済協力は民間中心であるべきだが、政府はオルガナイザー(組織者)及び保証人としての役割が期待される(リスクの分散を図る)
⑩ 国民レベルで相互理解を深める
・ 中国社会は、日本が暫く以前に経験したことを短期間で次々と経験しているー物質文明の攻勢、伝統の動揺、価値観の多様化、社会の激変
・ 2010年に日中協力で行った世論調査―日本についてよい印象を持つ中国人の割合:38%(前年比5%増)、悪い印象を持つ:56%(10%減)、中国に対してよい印象を持つ日本人の割合:27%、悪い印象:72%(余り変らない)
・ 韓国の場合(NHKとKBSが2010年に実施)-日本人が韓国に好感を持つ:62%、韓国人で日本に好感を持つ:28%(2009年に日本から韓国に305万人、韓国から日本に159万人が訪問している)
・ 相互理解、相互信頼、相互尊敬―われわれは永遠に隣国同士であり、平和共存するしかない
・ 日中両国の大多数の人々が相手国との関係を重要であると認識している―日本:82%、中国:93%
・ 日本や日本人を体験した中国人の対日イメージが劇的に変ることも何度も見てきた―日本に対する中国のイメージが大きく変った出来事(2008年4月の四川大地震の際に、派遣された日本の国際緊急援助隊が収容した母娘の遺体に2列に並び黙祷をささげたことは何度もテレビで放映された、2008年の北京オリンピックで入場行進に参加した日本チーム全員が日本と中国の国旗を持って入場した、2007年9月に日本女子サッカーチームが中国でブーイング下でドイツと戦い、負けたにもかかわらず、「謝謝チャイナ」と書かれた横断幕を掲げて感謝の気持を表した)
・ 地方交流、青少年交流、観光交流、知的交流、日中歴史共同研究など
・ 日本が再び活力のある国家社会となることが日中戦略的互恵関係を支える重要な要素である
・ 中国が日本から尊敬される国になるとともに、日本が中国から尊敬される国になるよう努力する必要がある―日中関係は日本自身の問題である
(参考)
1. 中国は世界一(読売2011.1.21)
テレビ販売台数―4244万台(2009)、ビール消費量:421億リットル(2009)
携帯電話加入数―8.5億件(2010年11月)、インターネット人口:45700万人(2010末)、外貨準備高―28473億ドル(2010末、2位の日本は1兆ドル強)
輸出―15779億ドル(2010年)、新車販売―1806万台(2010年)
粗鋼生産量―56784万トン(2009年)
2.世界のGDPに占める割合(2009年:55兆ドル・2030年:107兆ドル)―中国(8.3%・23.9%)、米国(24.9%・17.0%)、日本(8.8%・5.8%)2030年には日米合わせても中国に及ばない(内閣府推定、日経2011.1.19「日本の覚悟」)
(著者は、1946年生まれ、1969年外務省入省、40年以上の外交官生活の半分を 中国関係で勤務、3回中国に派遣され、2006―10年は特命全権大使を勤めた、 本稿は優れた中国論、日中関係論になっている)
① 中国の急激な変貌
・ 中国は長い歴史においてほぼ一貫して政治大国であり、経済大国であり、文化大国であった
・ 中国は、近世の数百年、欧米諸国に遅れてきたが、今急速にキャッチアップしており、「眠れる獅子」が目覚め、歩き出した
・ 中国の変化は実に早く、外国からの投資と輸出頼みであったのが、国内資本は豊かになり、財政が強化され、経済の基盤が整備可能になり、中国史上初めて巨大な「中国統一市場」が出現した。中国経済は自分でまわり始めた
・ 経済の発展とともに、中国の人々は自由な生活空間を実感している
・ 情報化社会の到来―7億の携帯電話加入者、4億のインターネット人口
・ 一方、格差や腐敗の問題、都市と農村の貧富の格差などが拡大している
・ 制度を改革し、法の支配を強化し、社会のセーフティネットを整備する必要がある
・ また、2010年9月の尖閣諸島問題に明らかなように自己主張を強めている
・ このような中国といかに付き合っていくか
② 結論―世界的視野から日本と中国の国益を考え、世界の平和と繁栄に貢献する日中関係をいかに構築するか
・ 中国と安定した予測可能な協力関係を構築する
・ 必要な国民レベルで関係改善を図る
・ 中国という経済空間を最大限に活用して日本企業を発展させ、産業を強化し、日本の経済成長戦略を推進する
・ 中国と重厚な対話を積み重ね、関係諸国と連携しつつ、アジア、ひいては世界の平和と繁栄の協力の構図をつくる
・ 中国の外への膨張の動きと中国軍の動静を見極め、必要な備えをする
・ 相互理解を深め、「普段着姿」の相手に向き合い、「等身大」で付き合う必要がある
③ 中国とは
・ 広大な国土を持ち(日本の25倍の面積)、漢民族と55の少数民族からなる13億の人口を抱える複雑な大国である―漢民族は90%以上を占める(漢民族とは、生物学的概念でなく、文化的概念である)
・ 広大で多様な国土と社会を持つ空間を紀元前221年に、秦の始皇帝が国家として統一し、文字と度量衡の統一は中国を、欧州のような多民族の集合体でなく、一つの国家としてまとまる手段を提供した。中華の世界は「天下」であり、一人の「天子」が皇帝として統治するメカニズムが出来上がった
・ 中国共産党が指導する社会主義国である―「4つの基本原則」(社会主義、中国共産党の指導、人民民主独裁、マルクスレーニン主義と毛沢東思想)の堅持
・ 中国共産党は中国のあらゆる面を指導する―中国社会における頭脳と神経系統(7500万人の共産党党員がいる―高度に組織化され、規律も厳格である。人材の養成と抜擢の仕組みは進歩しており、選考対象となる幹部クラスにたどり着くのは容易でなく、共産党の上級幹部は極めて優秀である)
・ 1949年の新中国建設以来、自己改革を続けてきた―大躍進運動(1958年~61年)、文化大革命(1966年~76年)、登小平による改革開放政策(1978年~)
・ 政治・経済・軍事大国だが、質の面では未だ開発途上国である。
・ したがって、中国は引き続き長期にわたって経済を発展させ、社会を安定させる必要があり、平和で安定した国際環境が必要である
・ 「中国の発展は世界の平和と発展の貢献する、中国は脅威にならない」
・ 世界的視野から日本と中国の国益を考え、世界の平和と繁栄に貢献する日中関係を構築する
・ 中国自身が自らの将来について明確な自画像を描いていない。屈辱の近代史を清算し、偉大な文明大国としての栄光を取り戻そうとしてきたが、今や世界大国となった
・ 日本は、「日中戦略的互恵関係」において、大国中国の勃興に対し、中国にとって必要な存在であり続けるためにどうすべきか―経済発展を支える科学技術や快適な社会を作り上げる「ソフトパワー」の強化が急務である
・ 中国の衝撃を力として日本再生の契機としたい
・ 日中関係の長年の経験から、日中間の多くの問題が誤解と理解不足から来ていることを感じてきた。等身大の日中関係の構築が必要である
④ 日中が抱える問題
・ 中国が描く自画像―中国は異民族の侵入を受けながら、最後は漢民族が天下を取り戻し、中華文明を作り上げ、高い文化水準を維持してきた。経済も発展し、人口も多かった。現在の中国人は、中国が世界の指導的国家の一つになったと考えている
・ 中国は、日本がアジアのリーダーだと考えたり、認めたことは一度もなく、米国のプリズムを通して日本を見てきた
・ 日本の自画像―日本は明治維新と戦後の復興を通じて、アジアではナンバーワンという意識を持ったが、昔からアジアだけでなく世界でナンバーワンだったと自覚してきた中国との間で、中国が経済的に日本を抜いたことから、国民意識において妥当な関係を早急に回復すべきである
・ 「台湾問題」―台湾の政治的地位と主権帰属に関する政治問題が日中関係にも影響してきた。台湾の取り扱いについて、1972年の日中国交回復に際し、「一つの中国」は認めるが、台湾問題は平和的に解決されるべきだということで合意された。このため、日本は台湾とは外交関係を持たず、民間の関係にとどまっている
・ 「領土をめぐる問題」-尖閣諸島の領有をめぐり、国際法上も合理的であり、日本は有効に実効支配している立場を取るが、中国は1992年に「領海法」において尖閣諸島を中国領として記載した。尖閣諸島の領有については、1990年代から海底資源などを含めて日中間で何度も紛争を生じてきた。日本政府も侵害の都度抗議してきた
・ 日中関係は、幾つかの事件で事態が悪化し、それを外交努力で回復するというパターンの繰り返しとなっているー日中の主張がぶつかり、それぞれの立場を堅持したとしても、個別の案件で二国間の関係の基本を損なうことがあってはならない。対話のチャンネルと事態沈静化のメカニズムを早急に強化する必要がある
・ 「感謝にこだわる日本、お詫びにこだわる中国」―日本側は「中国は日本の援助に感謝しない」中国側は「賠償を放棄してやったのに感謝しろとは何事か」と怒ったことがあった。
・ 長きにわたりつまずいたままの日本と急成長を続ける中国。その余裕から、最近では日本のこれまでの協力(中国のインフラ建設、環境保護、エネルギー開発、科学技術の発展を支援するなど)に感謝する言葉が中国首脳から表明されたが、素直に評価したい。日本の協力が中国の発展を助けるだけでなく、中国が国際社会に参画する一助となったことは重要である
・ 日中の「歴史問題」―それぞれの歴史問題でもあり、日本側の問題は戦前の日本について総括が行なわれず、国民に共有される歴史観が作られてこなかったことである(2006年に読売新聞が「検証 戦争責任」において新聞社としてはじめて行っており、評価したい。)
・ 中国にとっても、日本との歴史問題は「国内問題」でもある、中国人の日本の侵略を体験した世代は日本人を決して許せないと考えている、中国において日本と日本人に対する好感度が良くならないのは主として歴史問題である、被害者の記憶はなかなか消えない、日本国内での議論の未整理が中国に伝わって、日本に対する不信感をさらに増幅している、
・ 日中戦争をどうとらえるか(対中戦争は侵略戦争か)―1987年に外務大臣は「軍国主義による侵略である」と答弁している
・ 日中間の最大の問題は、背景にある国民感情の問題を超えて互いに相手をどう位置づけるかが分らないことであろう
⑤ 新しい日中関係を築く
・ 2001年から2006年までの小泉純一郎首相の靖国神社(A級戦犯を合祀する)訪問は、日中関係を悪化させたが、政治が経済にも影響を与え、この間、日本は大型プロジェクトに参加できなかった―中国では、政治と経済は密接不可分である
・ 日中の歴史問題や日中関係をいかに対応すべきかについて真剣に議論を行う契機となった。この間に日本で靖国問題に関連して出版されたものは量と質において戦後のいかなる時期を上回り、日本社会も真剣に過去の歴史について考えた
・ 朱建栄・東洋学園大学教授は、2005年に「対日新思考」として、二国間の諸問題、特に歴史問題だけを見て対日政策を決めるべきでなく、国際関係全般、対米、対台湾政策と関連して対日外交を決定すべきであると述べている
・ 世界経済に占める中国経済の位置づけが高まり、日本企業にとっても中国経済を無視できなくなっている―中国のGDP(2000年:約10兆元、1.2兆ドル、2006年:21.6兆元、2.7兆ドル、2009年:34兆元、5兆ドル) 2006年時点では、日本の大企業の半分が中国への進出に積極的であったが、2010年には殆どの大企業が中国への進出を既定路線としている
・ 地方レベルの交流も強化されており、合計240の友好姉妹県や姉妹都市の交流が底辺で日中関係を支えている―これは日本だけでなく中国でも対外交流において際立っている
・ 中国にとって「安定」と「発展」と「成長」は最も重要な国策であり、日本問題は中国の安定に直結する問題であり、問題をできるだけ小さくすることが中国社会の安定に資することになる
⑥ 戦略的互恵関係
・ 小泉内閣後、2006年10月に安倍晋三首相の訪中が実現し(氷を割る旅)、「戦略的共通利益に基づく互恵関係」という日中関係のキーワードを日本が提案したー平和共存、世代友好、互恵強力、共同発展を日中双方が達成すべき目標と位置づけ、そのために戦略的互恵関係を構築する
・ 2007年4月の「氷を溶かす旅(温家宝首相)」、2007年12月の「春を迎える旅(福田康夫首相)」、2008年5月の「暖春の旅(胡金濤国家主席)」に続く
・ 「双方は、長期にわたる平和と友好のための協力が日中両国にとって唯一の選択である」、「和すればともに利し、戦えばともに損す」―安全保障上の問題と国民感情の問題を克服するという両国の決意である
・ この画期的な新しい日中関係の構築は、中国側で対日歴史認識の整理ができたことで可能になった―日本で軍国主義の復活はないことが認識された(「日本のお詫びと反省の受諾」+「戦後日本の平和国家としての生き様の承認」+「日本で軍国主義の復活はない」の完結)
・ 新しい日中関係は、国民レベルでの相互理解と相互尊重が実現しなければ、長続きできない
・ 天安門事件(1989年6月)後、中国共産党は青少年に対する愛国主義教育を強化し、新中国の建設(1949年10月)にいたる抗日戦争において共産党が重要な役割を果たしたことを教育するときに、党による統治の正当性を回復しようとし、日本と日本人が悪役を演じることとなった
・ しかし、中国の世代交代と経済発展の結果、歴史よりむしろ格差問題、不正や腐敗の問題、年金や医療・教育などの社会問題の方が中国社会にとってより重要な課題であるあることが明確となっている
・ 胡金濤政権は、成長政策一本やりから格差を是正し、社会の公正やセーフティネットを実現する方向にシフトし、2003年に「科学的発展観」の考え方を導入し、「政治や社会、経済の運営をもっと人間本位に戻そう」としてきた
・ 世界の中で日中関係を考える「日中両国がアジア太平洋地域及び世界に平和、安定、発展に対し大きな影響力を有し、厳粛な責任を負っている」(2008年共同声明)
・ 経済のグローバル化が進み、日中経済の相互依存がさらに深まり、相互に安全保障上無視できなくなれば、多くの共通利益を持つようになる。さらに気候変動や環境などの国境を越える課題が加わる
・ 国民レベルの相互信頼関係をいかに構築するか―相互信頼と相互尊重を首脳レベルだけでなく国民レベルでも
⑦ これからの日中関係に求められるもの
・ 歴史問題をどう位置づけるか―中国で仕事する日本企業と日本人は、中国では日本の歴史問題は決して消えることのない重要なテーマであることを忘れてはならない。これを見誤ると中国人と信頼関係を構築できない
・ しかし、卑屈になったり、弱気になる必要はない。日本が中国を侵略した事実は事実として胸に刻んでおく必要がある
・ 中国に進出する企業や日本人は原理原則や倫理観をしっかり持ち、これは曲げないというものを持つべきである。中国人は背骨を一本持った人や企業を尊敬する。尊敬されると人はついてくる、相手は耳を傾けてくれる―日中の架け橋を努めた松村謙三、高崎達之介、伊藤正義、野中広務など
・ 中国の衝撃を「第三の黒船」にー日本の再生のカギになるか(人口減少・高齢化が進展する日本の生き残る道はスマートなソフトパワーの強化であるー科学技術、産業技術、研究開発に大規模な投資を行うべきである、これらで世界のトップを目指す、日本社会をもっと住みやすい人に優しい社会とする)
・ 日本が中国に提供できるものがある限り、中国人は日本に敬意を払う
・ 「日本の改革は、中国の衝撃によって前進する」
・ 今の日本に若者が自由に発展できる空間を作りたい
⑧ 安全保障の問題への対応
・ 中国の人民解放軍は、毛沢東が作り育てた軍隊であり、共産党の軍隊であり、国家の軍隊かどうかの問題がある―通常、各国の軍隊は、政府の指揮下に入り、シビリアン・コントロールが確保されている(日本でも、内閣総理大臣が最高司令官である)
・ 人民解放軍は、中国共産党の統治の護持が重要な任務となっている
・ ただし、中国共産党は人民解放軍の中にしっかりした党組織を持っており、党は軍隊をしっかり抑えている
・ 軍の近代化が進んだ今日、複雑化、高度化、専門化が進み、党の中央軍事委員会がすべてを仕切る形となっており、それに挑戦できるものはない
・ 中国の多くの国民は、大国はそれにふさわしい軍事力を持つべきであると考えており、現時点で軍備増強を支持している―中国の軍事費は20年連続で二桁増を維持しており、2010年の軍事予算は5321億元(780億ドル)と米国(6000億ドル以上)に次ぐ軍事費の規模となっている
・ 軍事安全保障の世界は、「最悪のシナリオ」を前提として組み立てられるので、日中間でも透明性を高めることが必要である―軍事面でも相互理解が必要である
⑨ 経済関係の位置づけ―ソフトパワーを磨き続ける
・ 中国経済も日本経済もグローバル経済と一体化して発展してきた。相互補完性に勝る日中経済は急速に一体化しており、戦略的共通利益による互恵関係(長期的及び拾い視野に立って)を作るために、日中の経済関係を強化すべきである
・ 中国側は、政治と経済を結び付けないことが必要である―グローバル経済は経済の論理が支配する世界であり、予側不可能で透明性が低い「政治」が入ってくると、中国と世界との経済関係は縮小するであろう
・ 経済を政治から開放することが、日中経済関係の発展にとって極めて重要である
・ 日本人はやってよいと言われたことしかやらないが、中国人はやってはいけないといわれたこと以外は何でもする―利益が出れば、変化はいとわない(中国の経済社会の変化はきわめて早い―中国市場への投資や参入条件はどんどん変る)
・ 日本企業は異業種間の連携で中国市場に挑んではどうか―例えば、地方の病院建設プロジェクトでも環境、省エネ、防災を念頭におく必要がある。全体の青写真を描いて設計するシステムとして対応する
・ 医療、環境、省エネ、防災のいずれも日本企業は優れており、日本企業に対する評価は高い(敏速さにかけるが信頼性は高く、約束は守る、中国側が日本企業と組む気持は強い)
・ 新しい日中協力の構想―中国の現状を踏まえ、中国が資金を出し,日本は技術を出す、技術に知的財産権保護を中央政府によって確保する、先端技術については一定の市場を保証する ・ 日中経済協力は民間中心であるべきだが、政府はオルガナイザー(組織者)及び保証人としての役割が期待される(リスクの分散を図る)
⑩ 国民レベルで相互理解を深める
・ 中国社会は、日本が暫く以前に経験したことを短期間で次々と経験しているー物質文明の攻勢、伝統の動揺、価値観の多様化、社会の激変
・ 2010年に日中協力で行った世論調査―日本についてよい印象を持つ中国人の割合:38%(前年比5%増)、悪い印象を持つ:56%(10%減)、中国に対してよい印象を持つ日本人の割合:27%、悪い印象:72%(余り変らない)
・ 韓国の場合(NHKとKBSが2010年に実施)-日本人が韓国に好感を持つ:62%、韓国人で日本に好感を持つ:28%(2009年に日本から韓国に305万人、韓国から日本に159万人が訪問している)
・ 相互理解、相互信頼、相互尊敬―われわれは永遠に隣国同士であり、平和共存するしかない
・ 日中両国の大多数の人々が相手国との関係を重要であると認識している―日本:82%、中国:93%
・ 日本や日本人を体験した中国人の対日イメージが劇的に変ることも何度も見てきた―日本に対する中国のイメージが大きく変った出来事(2008年4月の四川大地震の際に、派遣された日本の国際緊急援助隊が収容した母娘の遺体に2列に並び黙祷をささげたことは何度もテレビで放映された、2008年の北京オリンピックで入場行進に参加した日本チーム全員が日本と中国の国旗を持って入場した、2007年9月に日本女子サッカーチームが中国でブーイング下でドイツと戦い、負けたにもかかわらず、「謝謝チャイナ」と書かれた横断幕を掲げて感謝の気持を表した)
・ 地方交流、青少年交流、観光交流、知的交流、日中歴史共同研究など
・ 日本が再び活力のある国家社会となることが日中戦略的互恵関係を支える重要な要素である
・ 中国が日本から尊敬される国になるとともに、日本が中国から尊敬される国になるよう努力する必要がある―日中関係は日本自身の問題である
(参考)
1. 中国は世界一(読売2011.1.21)
テレビ販売台数―4244万台(2009)、ビール消費量:421億リットル(2009)
携帯電話加入数―8.5億件(2010年11月)、インターネット人口:45700万人(2010末)、外貨準備高―28473億ドル(2010末、2位の日本は1兆ドル強)
輸出―15779億ドル(2010年)、新車販売―1806万台(2010年)
粗鋼生産量―56784万トン(2009年)
2.世界のGDPに占める割合(2009年:55兆ドル・2030年:107兆ドル)―中国(8.3%・23.9%)、米国(24.9%・17.0%)、日本(8.8%・5.8%)2030年には日米合わせても中国に及ばない(内閣府推定、日経2011.1.19「日本の覚悟」)
2012年1月25日水曜日
「世界を見る目を変える50の事実(50 facts that should change the world)」세계를 보는 눈을 바꾸는 50의 사실 (堀伸樹訳)
「世界を見る目を変える50の事実(50 facts that should change the world)」
(ジェシカ・ウイリアムズ著、2007年、著者は米国人女性、
ジャーナリスト、英国公共放送協会(BBC〕番組プロデューサーなど歴任)
―世界の3分の1は戦争中だ、アフリカの3000万人はHIV陽性、150カ国以上が拷問を実施、毎分自動車が2人を殺害など―
① 日本人の女性は平均で84歳生きるが、アフリカのボツワナの女性は39歳しか生きない
・ 先進国で生まれると、人は親の世代より長く生きるが、人間の平均寿命は過去200年間で2倍以上となっている
・ ローマ帝国時代の平均寿命は22歳であったが、1500年後の中世の英国は33歳、19世紀の産業革命後に次第に長くなり、平均寿命は毎年3ヶ月延びて今日に及んでいる
・ 最大の寿命国のグループには日本が含まれ、日本の女性は現在84.6歳であり、しかもまだ伸びている。サイエンス誌の予測では、60年後に日本で生まれた女の子は100歳まで生きるという予測がある
・ 一方、中央および南部アフリカはHIV・AIDSなどの流行などにより、平均寿命は低下している。ボツワナで2002年に生まれた子供は平均して39年しか生きない。ところが2010年にはボツワナ人の平均寿命は27歳となっている
・ AIDSが途上国の平均寿命低下の最大の原因であるがほかにもあり、多くの諸国で幼児死亡率が高い。1歳までの死亡率は、アフリカのシエラレオネでは100人中15.7人に達しているが、アイスランドは2.6人であるークリーンな水、栄養、医療などが重要な要因である(国連の推定では、世界の1億5000万人の子どもたちが栄養不良である
・ 貧困も、平均寿命を著しく低下させる
・ 先進国は、平均寿命の拡大に伴い、年金、医療費の増加の問題を抱え、途上国はAIDSや結核などの取り組み、医療、教育の普及などに取り組む必要がある
② 世界の肥満人口の3分の1は途上国に住んでいる
・ 体重が過大な人口が過少人口を初めて上回ったが、これは世界の豊かな国ばかりでないようだ
・ 世界の3億人以上が肥満人口であるが、恐らく1.15億人が途上国に住んでいる
・ これは貧しい国に住む人々が、西欧の最も危険な食習慣を踏襲しているからであろう
・ 世界保健機構(WHO〕によれば、世界の肥満人口は過去20年間で3倍以上となっているが、途上国ではもっと早い
・ 世界の人口はより都市化し、公的医療が普及し、途上国は先進国から輸入を増やし、新鮮な野菜やエネルギーの高い調理された食事を好むようになり、歩くより自動車に乗るようになり、外で働くよりオフィスで働くようになっている
・ 肥満と過大体重は、重大な慢性病を増加させている―心臓疾患、心筋梗塞、高血圧、脳卒中、がん、糖尿病など
・ 米国では、肥満関連コストは1990年代に1180億ドルに達し、医療費予算の12%となっている。途上国でも、肥満関連の慢性病は増えている
・ 中国では、全人口の5%は肥満であると推定されているが、都市によっては20%に増加している。この多くは中国の「一人っ子政策」による「小皇帝(リトル・エンペラー)」によるものである
・ 日本の9歳の男の子の10%は体重が過大であるが、1070年では3%に過ぎなかった
・ 中南米では、肥満の割合は高く、メキシコの女性の64%は過大であり、男は60%である。メキシコの農村では、ポテトチップの袋はバナナより安い
・ 世界の援助機関は、これまで飢餓解消に焦点を当ててきたが、肥満と関連する慢性病にも取り組むべき時期に来ているーまず、健全な食事に関する科学的な良い情報を肥満地域に提供する必要がある。栄養教育も対策の一つである
③ ロンドンの中心部のオクスフォード街やリージェント街に立てば、8キロ半径でスターバックス・コーヒー店が161店ある
・ 英国では、だれもが毎年1.2キログラムのコーヒーを飲んでいる。2006年で合計:7.3億ポンドー国際平均は年間:4.6キロで英国より多い
・ オクスフォード・サーカス(交差点)から30分歩くと、スターバックス・こーヒー店が86あるー今では、ニューヨークのマンハッタンより多い
・ 現在、スターバックスは世界で13168店を直営またはライセンスで展開しており、目標は4万店である。これはマクドナルドより多い(2006年第4半期現在、世界で毎日8店舗以上を増設している。純収入は23.5億ドルで18%増となっている)
・ 同社は35年前にシアトルで一店舗で開始し、今や小売業で最も成功した例となっている。今では、保守的な国である中東でも展開している(サウジアラビアのリアドに8店舗)
・ 英国では、一杯:1.8ポンド、米国:3ドル(日本:280-300円)、エチオペアの農家は一杯当たりのコーヒー豆で2-3ペンスの収入を得ている
④ 中国には4400万人の女性が足りない
・ 中国では、2000年において、女の赤ん坊100人に対して、男の子は117人であるこの傾向は続いており、中国では将来、約5000万人の男性は配偶者を見つけられない可能性があることが指摘されている
・ これにより、家族、経済、社会サービスに問題を生ずるであろう
・ 男の子に対する執着は中国では強く、検査で胎児の性別が分かると、女の子は堕胎したり、女の子は生まれて数日か数週間で殺されることがある。女の子が幸いにも生き残っても、出生が登録されず、教育、医療や食事が十分得られないこともある
・ インドでも、毎年200万人が性別堕胎が行われていると推定されている
・ 中国やインドでは、性別堕胎は違法であるが、悪徳医師が60-120ドルで違法な超音波検査を行い、男女別をこっそり教えている
・ インドでは、医療は男の子の方が優先されている。また、服装や食事でも優遇される。インドでは、女の子は男の子より困難を強いられている
・ 中国では、有名な「一人っ子政策」により、多くの出産が報告されず、特に農村では、親が男の子を望むため、大家族が一般化している
・ 中国政府は、一人子政策を緩和することを考えているが、妊娠をチェックすることが困難になりつつある
・ 未登録の子供はどうなるか―存在しないので、学校に行けず、国営医療を受けられず、生涯の機会は著しく制約される
・ 東南アジアでも、男の子が優先されることを示すことわざが多い―「娘たちは家族から放出された水であり、結婚後はもう戻れない(男の子に対する関係は一生続くが、女の子は結婚するまで)」「18人の皇女に匹敵する娘たちは、こぶつきの1人の息子に及ばない」
・ 女性は、男の子を産むよう強制される―男の子を生むと地域社会における価値や位置づけが高まるが、女の子を産むと下がる
・ 韓国では、女の子100人に対する男の子の出生比率は、1990年に117人であったが、1999年には110人に減っている
・ 若い世代では、経済的に家族からより独立するようになり、「息子の役割」や「娘の負担」という感覚は薄れつつある
・ 中国では、配偶者を見つけられない多数の男性の問題が広範な社会的変化をもたらす契機となるだろう
⑤ ブラジルでは、「エイボン・レディ」の数が軍隊を超えている
・ ブラジルで化粧品セールスを行うエイボン・レディの数は70万人いるが、軍隊で活動する軍人の数の45.4万人を超えている
・ 全国で都市部からアマゾンのジャングルで働くエイボン・レディは、米国に次ぐブラジル市場を支えている
・ 経済成長に伴う新興国における中間層の拡大は美容産業のブームをもたらしているー世界の美容市場は950億ドル規模に達し、年率7%で成長しており、これは世界経済の平均成長率の2倍となっている
・ 美容産業は何を売るのか―自尊心、自信、進化によるメリットをミックスしたもの
・ 自分を高めたいという欲望は人類誕生にさかのぼり、世界のすべての文化に存在する
・ 魅力のない男は見栄えのいい男より15%稼ぎが少なく、太った女性は5%収入が少ない
・ 37カ国の1万人に対して行った人間心理に関する調査によると、男性は魅力と若さを重視し、女性は野心、ステータス(地位)、資源を評価する
・ AVON社の創立者のダビッド・マコーネルは19世紀末にニューヨーク州でドア・ツー・ドアの訪問セールスを開始し、香水と書籍を売ったが、香水の方が売れ、この事業が始まった(社名の「エイボン」はウィリアム・シェイクスピアにちなんだもの)
・ ブラジルでは、身体的美しさが際立って高く見られる―エイボンの調査では、ブラジルの女性の90%は「ビューティ(美)」は必要であり、贅沢ではないと考えている(世界平均:77%)
・ 2005年現在で、ブラジルの美容産業の規模:185億ドル、34%増、世界第4の美容市場
・ 香水の60%、口紅の80%は、店頭販売でなく訪問販売で売られている―ブラジルでは、ビジネスや政治が人間関係の影響が強い―また、知っている人から買う傾向がある「ブラジルでは、個人的関係が物を言う」「ブラジル経済の少なくとも3分の1が「帳簿外(オフ・ザ・レコード)」だ」
・ 2002年にブラジルは直接販売(インターネットを含む)市場で米国、日本に次いで世界第3番目となった
⑥ 2005年に世界でおこなわれた死刑執行数の94%が中国、イラン、サウジアラビア、米国の4カ国
・ 復讐の欲求は人間の歴史と同様に昔からあり、「目には目を」の聖書の正義システムは何百年以前からある
・ アムネスティによると、中国では、2005年に少なくとも1770人が執行されたが正確な数字は分からないとしている。中国政府はほとんど公表しない。実際の数値はもっと多いと見られる
・ イランの執行数:少なくとも94人、サウジアラビア:86人、米国:60人
・ 中国では死刑は広範に行われており、2001年4月~7月の3ヶ月で少なくとも1781人が執行された(過去3年間の世界の残りの合計より多い)
・ 国営新聞の「チャイナ・ユース・デイリー」によると、中国では、2003年に1万人が処刑された
・ 多くのマイナーな犯罪が中国では重大な犯罪となる場合がある―賄賂、悪事の仲介、ガスを盗む、安全でない食料の販売、経済犯罪 ・ 中国では、多くの死刑囚は街を引き回わされたのち、公衆の面前で行われる
・ 中国政府は、死刑について一貫して擁護しており、人権グループの廃止要求を無責任であると反論している。1997年に致命的注射を 導入した
⑦ スーパーマーケットは政府より自分たちの顧客をよく知っている
・ 近くのスーパーマーケットでいつも買い物をし、カードを示して、ポイントを集めるようになると、店側と顧客の両方がウイン・ウイン状況となる
・ さらに、同じスーパーに週2回行き、ローヤル・カード(ローヤルティ・プログラムによる)で買えば、恩典が増えるーすべての買い物データが把握される
・ 英国最大のローヤルティ・スキームのネクター・カードは1300人のカード保有者がいる。その「スポンサー」も英国の主要企業など多い ・ 英国のローヤルティ・スキームでは、平均して、政府より個人データを集積している
・ 米国最大の小売業のウオルマート・チェーンは、460テラバイト([テラ]は1兆のこと)のデータをコンピューターに蓄積し、これはインターネット全体の情報量の2倍以上である
・ 買い物記録から、支出状況や嗜好が分かり、社会的ソフトウエアを利用して、現在のライフ・ステージ、家計の規模、収入、好みなどが分析される
・ RFID(Radio Frequency Identification、小さい送信機とアンテナにより追跡するシステム)を身に着けて、種々な情報を送信し、計測・管理などの利用する
・ 米国では、食品メーカーや小売業者がアンチテロリズム戦略に利用している
・ 英国では、携帯電話会社が電話番号を登録すると紛失した場合など、RFIDタグにより追跡するサービスを開始している
・ 人権グループは、プライバシー情報の保護が適切に行われているかどうか至急に検証する必要があると指摘している
⑧ 欧州連合のすべての牛は1日当たり2.5ドルの補助を受けているが、これはアフリカの75%の人々の生活費を上回っている
・ 欧州連合(EU、27カ国が加盟)の牛(2100万頭)は「共通農業政策(CAP)」に基づき、1日当たり2.5ドルの補助を受けている
・ 世界銀行によれば、日本の牛は毎日7.5ドルの補助を受けている
・ 2007年におけるCAPに基づく農業支払いは560億ユーロ(760億ドル)に達しており、予算全体の49%に達している
・ 米国でも、政府は手厚い補助を農家に与えており、2003年以来10年間で1800億ドルを支出中である「農家に対するセーフティネット」
・ 欧州諸国は、米国の農業補助に批判的であり、一方、米国は欧州や途上国が市場を開放していないとして対抗している
・ 中国やインド、ブラジルなどの新興国もその役割を果たすべきであるーこれら諸国は先進国に市場開放を求めながら、自国市場では高い関税を課したりしている
⑨ 70カ国以上で同性結婚は禁じられ、9カ国では死刑である
・ サウジアラビアで、2002年1月1日に、3人の男が首をはねられて死刑に処された。裁判は秘密裏に行われており、醜い同性嗜好によると見られる
・ 同性結婚が死刑の国―モーリタニア、スーダン、アフガニスタン、パキスタン、チェチェン共和国、イラン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、イエーメン
・ 1979年のイスラム革命後、4000人以上が同性結婚によって処刑されていると推定されている
・ ゲイやレスビアンに対する野蛮な行為は、伝統的なイスラム思考の基づくものであり、イスラム教の「シャリア法」によって正当化されている
・ イスラム教の教えは、国によって適用の仕方が異なるが、一部の政府は、頻繁には適用
しないとしても、死刑は妥当な措置であると考えている
・ 世界に70カ国以上で、レスビアン(女同士)、ゲイ(男同士)、バイセクシアル(両性)やトランスジェンダー(両方を相手とする)は法律によって差別されている
・ 同性による性交を差別する法律を持つ国は様々であり、共通の宗教によるものでなく、多くは特に弾圧的と考えられている国でもない。一部の政府の場合、異性による結婚や家族などの社会の基準と考えているものに反する行為を嫌ったために行ったものだろう
・ 多くの社会で、ホモセクシュアルは病気として取り扱われ、ゲイやレスビアンは治療を強制されたり、犯罪ではないが、偏見の対象となってきた。裁判所も通常のヘテロセクシアル(異性間のセックス)に対して、同性セックスを別に扱うことがある
・ また、多くの国で次第に精神病院に送るようになっている
・ しかし、性的表現は最も根本的な人権の一つであることを認識する必要があり、保護されるべきであろう
⑩ 世界の5人に1人は1日1ドル以下で生活している
・ 最も悲しい現実であるが、世界の最も豊かな国の収入の1%以下で暮らす人々がいる―貧困に生きる人々は脆弱であり、声も持たない
・ 十分食べられず、だれもが健康や教育などの基本的なサービスも受けられず、幼児の死者が多く、伝染病が拡大する
・ 国連が2000年に合意した「ミレニアム(千年)開発目標(MDG)」には、2015年までに世界の貧困人口を半減させるというのが含まれている。7年経ったが、国連は多くの地域で取り組みが遅いと警告を発している。豊かな国がGDPの0.7%を居室氏、貧しい国は政治改革を行い、それを賢く、説明責任を持って使う必要がある。しかし、豊かな国は約束を十分に果たさず、多くの貧しい国も目標を達成する方向にない
・ 1990年代に1日1ドル以下(購買力平価で調整)で生きる人口は、世界で30%から23%に低下し、中国では過去10年で1億5000万人以上が貧困を脱した。しかし、54カ国で収入が低下し、20カ国はサブサハラ以南のアフリカ諸国であり、17カ国は東欧や中央アジア諸国などである
・ 世界の人口で見ると、豊かな国とマジ図飼育煮の格差は拡大しつつあり、1960年では1人当たりGDP(国内総生産)で18倍であったが、1995年には37倍となっている。今日、最も豊かな世界人口の1%の収入は最も貧しい57%と等しい(57倍)
・ 貧困水準が低下している国でも不均衡があり、だれもが利益を受けているわけではない。中国では、発展戦略は工業中心であり、農業からの移行であり、沿岸地域の発展は農村の貧困をもたらした。メキシコでは、北部の米国国境地域は豊かになったが、南部の農村地域は遅れている。最も豊かな10%の人口は最も貧しい人口10%の35倍稼いでいる
・ まず、われわれは貧困の撲滅は至急に行わなければならないと考えるべきである。国連開発報告では、援助供与国と受入国に「良い慣行(グッド・プラクティス)」の助言をしている。援助国は、被援助国の中央政府より地域社会の決定に分権化すべきである。また,計画やプロジェクトはその国のニーズとアカウンタビリティ(説明責任)と調整される必要がある
・ 受入国は、透明性と良い統治能力(グッド・ガバナンス)を促進する制度改革に取り組まなければならない。開発計画にはより広範な参加が求められなければならない(非政府組織、市民社会、個人など)
(以下、項目だけ―各4ページぐらいの解説あり)
⑪ ロシアで毎年、12000人以上の女性が家庭内暴力で殺されている
⑫ 米国で、2006年に1600万人が何らかのプラスチック手術を受けた
⑬ 地雷が1時間ごとに少なくとも1人を殺すか被害を与えている
⑭ インドには、4400万人の児童労働者がいる
⑮ 先進国の人々は毎年14-15ポンドの付加添加物の食品を取っている
⑯ デビッド・ベッカム(英国人の著名な元サッカー・プレイヤー)はLA(ロサンゼルス)ギャラクシー・サッカー・チームと1分当たり100ドルの契約を結んでいる
⑰ 米国の700万人の女性と100万人の男性は食事の混乱で被害を受けている
⑱ 米国の10代(ティーンエイジャー)の若者の28%は違法の麻薬をトライし、25%はタバコを常用している
⑲ 毎日、100万人が携帯電話の加入者となり、その85%が途上国である
⑳ 1分ごとに自動車は2人の人を殺している
21 北米では1977年以来、堕胎病院で約12万件の暴力行為や堕胎が行われてきた
22 地球温暖化(グローバル・ウオーミング)により、既に毎年15万人が殺されている
23 アフリカのケニアでは、賄賂(わいろ)の支払いが生活費の3分の1を占めている
24 世界の違法麻薬貿易は4000億ドルに達すると推定されるが、これは合法の製薬産業に匹敵する
25 米国人の3分の1は、異星人(エイリアン)が地球に現れると考えている
26 150カ国以上が、拷問を適用している
27 毎日世界人口の5人の1人、約8000万人の人々が飢餓に陥っている
28 米国で生まれた黒人の3分の1が監獄に収容される可能性がある
29 世界の人口の3分の1が戦争状況にある
30 世界の石油埋蔵量量は、2040年までに枯渇する可能性がある
31 世界のタバコ喫煙者の82%は途上国に住んでいる
32 英国人は毎年、30億の衣料品(1人あたり5品)を買っているが、その殆どは捨てられてきた
33 世界の衝突の4分の1は、資源の奪い合意に関連している
34 アフリカの3000万人はHIV陽性
35 毎年10カ国語がなくなっている
36 毎年、武力紛争より多くの人が自殺で亡くなっている
37 毎週、米国で週平均54人の子供が銃を学校に持ってきたとして排除された
38 世界で少なくとも30万人の「良心の囚人」がいる
39 毎年、200万人の女の子や女性が性的被害にあっている
40 世界で30万人の子どもたちが紛争で兵士として戦っている
41 2001年で、英国総選挙で2600万人の投票したが、3200万票以上がポップ・アイドルに投票された
42 英国の10代の6人に1人は、実際のテレビ(リアリティ・テレビジョン)は自分たちを有名にすると考えている
43 米国は2005年に軍事に5540億ドルを支出したが、ごろつき5カ国6カ国の合計の軍事支出の29倍である
44 世界で今日2900万人の奴隷がいる
45 米国人は毎時間250万のプラスチック・ボトルを廃棄している。これは3週ごとにボトルが月に到達する勘定だ
46 平均的な都市の英国人は1日当たり最大300回監視カメラに写っている
47 西ヨーロッパでは、毎年12万人の女性や女の子が人身売買されている
48 ニュージーランドから英国に送られるキューイフルーツはその5倍の重さの温暖化ガスを出している
49 米国は国連に10億ドル以上を支払っていない
50 貧困で暮らす子供は豊かな家庭の子供たちより3倍も精神病にかかる可能性がある
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[参考] 「世界を見る目を変える50の事実」の50の項目の原文およびその韓国語訳は以下の通りである。
50 facts that should change the world
1. The average Japanese woman can expect to live to be 84. The average Batswana will reach just 39.
2. A third of the world’s obese people live in the developing world.
3. The US and Britain have the highest teen pregnancy rates in the developed world.
4. China has 44 million missing women.
5. Brazil has more Avon ladies than members of its armed services.
6. Eighty-one percent of the world’s executions in 2005 took place in just four countries: China, Iran, Saudi Arabia and the USA.
7. British supermarkets know more about their consumers than the British government does.
8. Every cow in the European Union is subsidised by $2.50 a day. That’s more than what 75 per cent of Africans have to live on.
9. In more than 70 countries, same-sex relationships are illegal. In nine countries, the penalty is death.
10. One in five of the world’s people live on less than a $1 a day.
11. More than 12,000 women are killed each year in Russia as a result of domestic violence.
12. In 2006, 16 million Americans had some form of plastic surgery.
13. Landmines kill or maim at least one person every hour.
14. There are 44 million child labourers in India.
15. People in industrialised countries eat between fourteen and fifteen pounds of food additives every year.
16. David Beckham’s deal with the LA Galaxy Football team will earn him $100 every minute.
17. Seven million American women and 1 million American men suffer from eating disorder.
18. Twenty-eight percent of American teenagers have tried illegal drugs and more than a quarter are regular cigarette smokers.
19. One million people become new mobile subscribers everyday. some eighty-five percent of them live in emerging markets. 20. Cars kill two people every minute.
21. Since 1977, there have been nearly 120,000 acts of violence or disruption at abortion clinics in North America.
22. Global warming already kills 150,000 every year.
23. In Kenya, bribery payments make up a third of the average household budget.
24. The world’s trade in illegal drugs is estimated to be worth around $400 billion – about the same as the world’s legal pharmaceutical industry.
25. A third of Americans believe aliens have landed on Earth
26. More than 150 countries use torture.
27. Everyday, one in five of the world’s population – some 800 million people – go hungry.
28. Black men born in the US today stand a one in three chance of going to jail.
29. A third of the world’s population is at war.
30. The world’s oil reserves could be exhausted by 2040.
31. Eighty-two percent of the world’s smokers live in developing countries.
32. Britons buy 3 million items of clothing every year – an average of 50 pieces each. Most of which end up being thrown away.
33. A quarter of the world’s armed conflicts of recent years have involved a struggle for natural resources.
34. Some 30 million people in Africa are HIV-positive.
35. Ten languages die out every year.
36. More people die each year from suicide than in all world’s armed conflicts.
37. Every week, an average of 54 children are expelled from American schools for bringing a gun to class.
38. There are at least 300,000 prisoners of conscience in the world.
39. Two million girls and women are subjected to female genital mutilation each year.
40. There are 300,000 child soldiers fighting conflicts around the world.
41. Nearly 26 million people voted in 2001 British General Election. More than 32 million votes were cast in the first season of Pop Idol.
42. One in six English teenagers believe that reality television will make them famous. 43. In 2005, the US spent $554 billion on its military. This is 29 times the combined military spending of the six “rogue states”.
44. There are 27 million slaves in the world today.
45. Americans discard 2.5 million plastic bottles every hour. That’s enough bottles to reach all the way to the moon every three weeks.
46. The average urban Briton is caught on camera up to 300 times a day.
47. Some 120,000 women and girls are trafficked into Western Europe every year.
48. A kiwi fruit flown from New Zealand to Britain emits five times its own weight in greenhouse gases.
49. The US owes the United Nations more than $1 billion in unpaid dues.
50. Children living in poverty are three times more likely to suffer a mental illness than children from wealthy families.
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「세계를 보는 눈을 바꾸는 50의 사실」
(50 facts that should change the world)」
(Jessica Williams저, 2007년,
저자는 미국인여성, 저널리스트, 영국 공공 방송 협회(BBC〕프로그램 프로듀서등 역임)
1. 일본 여성은 평균으로 84세 살지만, 아프리카의 보츠와나 여성은 39세밖에 살지 않는다.
2. 세계 비만 인구의 3분의 1은 도상국에 살고 있다.
3. 미국과 영국은, 10대의 임신율이 선진국중 가장 높다. .
4. 중국에는 4400만명의 여성이 모자라다.
5. 브라질에서는, 「에이본(Avon)•레이디(lady)」수가 군대를 넘고 있다.
6. 2005년에 세계에서 해진 사형 집행수의 94%가 중국, 이란, 사우디아라비아, 미국의 4개국.
7. 슈퍼마켓은 정부보다 자기들의 고객을 잘 알고 있다.
8. 유럽연합의 모든 소는 1일당 2.5달러의 보조를 받고 있지만, 이것은 아프리카의 75% 사람들 생활비를 상회하고 있다.
9. 70개국이상으로 동성결혼은 금지되어, 9개국에서는 사형이다.
10. 세계의 5명에게 1명은 1일 1달러이하로 생활하고 있다.
11. 러시아에서 매년, 12000명이상의 여성이 가정내 폭력으로 죽음을 당하고 있다.
12. 미국에서, 2006년에 1600만명이 어떠한 플라스틱 수술을 받았다.
13. 지뢰가 1시간마다 적어도 1명을 죽일지 피해를 주고 있다.
14. 인도에는, 4400만명의 아동노동자가 있다.
15. 선진국의 사람들은 매년 14-15파운드의 부가 첨가물 식품을 훔치고 있다.
16. 데이빗•베컴(영국인이 저명한 전축구•player)은 LA(로스앤젤레스)갤럭시•축구•팀과 1분당 100달러의 계약을 맺고 있다.
17. 미국의 700만명의 여성과 100만명의 남성은 식사의 혼란으로 피해를 입고 있다.
18. 미국의 10대 젊은이의 28%는 위법인 마약을 트라이하고, 25%는 담배를 상용하고 있다 .
19. 매일, 100만명이 휴대전화의 가입자가 되고, 그 85%이 도상국이다.
20. 1분마다 자동차가 사람2명을 죽이고 있다.
21. 21 북미에서는 1977년이래, 타태 병원에서 약12만건의 폭력행위나 타태가 행하여져 왔다.
22. 22 지구 온난화(global warming에 의해, 이미 매년 15만명이 죽음을 당하고 있다.
23. 23 아프리카의 케냐에서는, 뇌물의 지불이 생활비의 3분의 1을 차지하고 있다.
24. 24 세계의 위법마약무역은 4000억달러에 달한다고 추정되지만, 이것은 합법의 제약 산업에 필적하다.
25. 미국인의 3분의 1은, 다름성인(에이리언)이 지구에 나타난다고 생각하고 있다
26. 150개국이상이, 고문을 적용하고 있다.
27. 매일 세계인구의 5명의 1명, 약8000만명의 사람들이 기아에 빠져 있다.
28. 미국에서 태어난 흑인의 3분의 1이 감옥에 수용될 가능성이 있다.
29. 세계 인구의 3분의 1이 전쟁 상황에 있다.
30. 세계의 석유매장량량은, 2040년까지 고갈할 가능성이 있다.
31. 세계 담배 흡연자의 82%는 도상국에 살고 있다.
32. 영국인은 매년, 30억개의 의료품 (1명당 5품)을 사고 있지만, 그 대부분은 버림받아 왔다
33. 세계 충돌의 4분의 1은, 자원의 빼앗아 합의에 관련되어 있다
34. 아프리카의 3000만명은 HIV양성
35. 매년 10개의 국어가 없어져 있다
36. 매년, 무력분쟁 보다 많은 사람이 자살로 죽어있다
37. 매주, 미국에서 주평균 54명의 어린이가 총을 학교에 가지고 왔다고 해서 배제되고 있다.
38. 세계에서 적어도 30만명의 「양심의 죄수」가 있다.
39. 매년, 200만명의 여자 아이나 여성이 성적 피해를 입고 있다.
40. 세계에서 30만명의 어린이들이 분쟁으로 병사로서 싸우고 있다.
41. 2001년으로, 영국 총선거로 2600만명의 투표했지만, 3200만표이상이 팝•아이돌에 투표했다.
42. 영국 10대 6명의 1명은, 실제 텔레비전(리아리티•텔레비전)은 자기들을 유명하게 한다고 생각하고 있다.
43. 미국은 2005년에 군사에 5540억달러를 지출했지만, 건달 5개국 내지 6개국 합계의 군사지출의 29배다.
44. 세계에서 오늘 노예가 2900만명 있다.
45. 미국인은 매시간 250만개의 플라스틱•보틀을 폐기하고 있다. 이것은 3주마다 보틀이 달에 도달하는 계산이다.
46. 평균적인 도시의 영국인은 1일당 최대 300회 감시 카메라에 비치고 있다.
47. 서유럽에서는, 매년 12만명의 여성이나 여자 아이가 인신 매매 되고 있다.
48. 뉴질랜드에서 영국에 보내지는 참다래는 그 5배의 무게의 온난화 가스를 내고 있다.
49. 미국은 유엔에 10억달러이상을 지불하지 않고 있다.
50. 빈곤으로 생활하는 어린이는 풍부한 가정 어린이들보다 3배도 정신병에 걸릴 가능성이 있다.
(ジェシカ・ウイリアムズ著、2007年、著者は米国人女性、
ジャーナリスト、英国公共放送協会(BBC〕番組プロデューサーなど歴任)
―世界の3分の1は戦争中だ、アフリカの3000万人はHIV陽性、150カ国以上が拷問を実施、毎分自動車が2人を殺害など―
① 日本人の女性は平均で84歳生きるが、アフリカのボツワナの女性は39歳しか生きない
・ 先進国で生まれると、人は親の世代より長く生きるが、人間の平均寿命は過去200年間で2倍以上となっている
・ ローマ帝国時代の平均寿命は22歳であったが、1500年後の中世の英国は33歳、19世紀の産業革命後に次第に長くなり、平均寿命は毎年3ヶ月延びて今日に及んでいる
・ 最大の寿命国のグループには日本が含まれ、日本の女性は現在84.6歳であり、しかもまだ伸びている。サイエンス誌の予測では、60年後に日本で生まれた女の子は100歳まで生きるという予測がある
・ 一方、中央および南部アフリカはHIV・AIDSなどの流行などにより、平均寿命は低下している。ボツワナで2002年に生まれた子供は平均して39年しか生きない。ところが2010年にはボツワナ人の平均寿命は27歳となっている
・ AIDSが途上国の平均寿命低下の最大の原因であるがほかにもあり、多くの諸国で幼児死亡率が高い。1歳までの死亡率は、アフリカのシエラレオネでは100人中15.7人に達しているが、アイスランドは2.6人であるークリーンな水、栄養、医療などが重要な要因である(国連の推定では、世界の1億5000万人の子どもたちが栄養不良である
・ 貧困も、平均寿命を著しく低下させる
・ 先進国は、平均寿命の拡大に伴い、年金、医療費の増加の問題を抱え、途上国はAIDSや結核などの取り組み、医療、教育の普及などに取り組む必要がある
② 世界の肥満人口の3分の1は途上国に住んでいる
・ 体重が過大な人口が過少人口を初めて上回ったが、これは世界の豊かな国ばかりでないようだ
・ 世界の3億人以上が肥満人口であるが、恐らく1.15億人が途上国に住んでいる
・ これは貧しい国に住む人々が、西欧の最も危険な食習慣を踏襲しているからであろう
・ 世界保健機構(WHO〕によれば、世界の肥満人口は過去20年間で3倍以上となっているが、途上国ではもっと早い
・ 世界の人口はより都市化し、公的医療が普及し、途上国は先進国から輸入を増やし、新鮮な野菜やエネルギーの高い調理された食事を好むようになり、歩くより自動車に乗るようになり、外で働くよりオフィスで働くようになっている
・ 肥満と過大体重は、重大な慢性病を増加させている―心臓疾患、心筋梗塞、高血圧、脳卒中、がん、糖尿病など
・ 米国では、肥満関連コストは1990年代に1180億ドルに達し、医療費予算の12%となっている。途上国でも、肥満関連の慢性病は増えている
・ 中国では、全人口の5%は肥満であると推定されているが、都市によっては20%に増加している。この多くは中国の「一人っ子政策」による「小皇帝(リトル・エンペラー)」によるものである
・ 日本の9歳の男の子の10%は体重が過大であるが、1070年では3%に過ぎなかった
・ 中南米では、肥満の割合は高く、メキシコの女性の64%は過大であり、男は60%である。メキシコの農村では、ポテトチップの袋はバナナより安い
・ 世界の援助機関は、これまで飢餓解消に焦点を当ててきたが、肥満と関連する慢性病にも取り組むべき時期に来ているーまず、健全な食事に関する科学的な良い情報を肥満地域に提供する必要がある。栄養教育も対策の一つである
③ ロンドンの中心部のオクスフォード街やリージェント街に立てば、8キロ半径でスターバックス・コーヒー店が161店ある
・ 英国では、だれもが毎年1.2キログラムのコーヒーを飲んでいる。2006年で合計:7.3億ポンドー国際平均は年間:4.6キロで英国より多い
・ オクスフォード・サーカス(交差点)から30分歩くと、スターバックス・こーヒー店が86あるー今では、ニューヨークのマンハッタンより多い
・ 現在、スターバックスは世界で13168店を直営またはライセンスで展開しており、目標は4万店である。これはマクドナルドより多い(2006年第4半期現在、世界で毎日8店舗以上を増設している。純収入は23.5億ドルで18%増となっている)
・ 同社は35年前にシアトルで一店舗で開始し、今や小売業で最も成功した例となっている。今では、保守的な国である中東でも展開している(サウジアラビアのリアドに8店舗)
・ 英国では、一杯:1.8ポンド、米国:3ドル(日本:280-300円)、エチオペアの農家は一杯当たりのコーヒー豆で2-3ペンスの収入を得ている
④ 中国には4400万人の女性が足りない
・ 中国では、2000年において、女の赤ん坊100人に対して、男の子は117人であるこの傾向は続いており、中国では将来、約5000万人の男性は配偶者を見つけられない可能性があることが指摘されている
・ これにより、家族、経済、社会サービスに問題を生ずるであろう
・ 男の子に対する執着は中国では強く、検査で胎児の性別が分かると、女の子は堕胎したり、女の子は生まれて数日か数週間で殺されることがある。女の子が幸いにも生き残っても、出生が登録されず、教育、医療や食事が十分得られないこともある
・ インドでも、毎年200万人が性別堕胎が行われていると推定されている
・ 中国やインドでは、性別堕胎は違法であるが、悪徳医師が60-120ドルで違法な超音波検査を行い、男女別をこっそり教えている
・ インドでは、医療は男の子の方が優先されている。また、服装や食事でも優遇される。インドでは、女の子は男の子より困難を強いられている
・ 中国では、有名な「一人っ子政策」により、多くの出産が報告されず、特に農村では、親が男の子を望むため、大家族が一般化している
・ 中国政府は、一人子政策を緩和することを考えているが、妊娠をチェックすることが困難になりつつある
・ 未登録の子供はどうなるか―存在しないので、学校に行けず、国営医療を受けられず、生涯の機会は著しく制約される
・ 東南アジアでも、男の子が優先されることを示すことわざが多い―「娘たちは家族から放出された水であり、結婚後はもう戻れない(男の子に対する関係は一生続くが、女の子は結婚するまで)」「18人の皇女に匹敵する娘たちは、こぶつきの1人の息子に及ばない」
・ 女性は、男の子を産むよう強制される―男の子を生むと地域社会における価値や位置づけが高まるが、女の子を産むと下がる
・ 韓国では、女の子100人に対する男の子の出生比率は、1990年に117人であったが、1999年には110人に減っている
・ 若い世代では、経済的に家族からより独立するようになり、「息子の役割」や「娘の負担」という感覚は薄れつつある
・ 中国では、配偶者を見つけられない多数の男性の問題が広範な社会的変化をもたらす契機となるだろう
⑤ ブラジルでは、「エイボン・レディ」の数が軍隊を超えている
・ ブラジルで化粧品セールスを行うエイボン・レディの数は70万人いるが、軍隊で活動する軍人の数の45.4万人を超えている
・ 全国で都市部からアマゾンのジャングルで働くエイボン・レディは、米国に次ぐブラジル市場を支えている
・ 経済成長に伴う新興国における中間層の拡大は美容産業のブームをもたらしているー世界の美容市場は950億ドル規模に達し、年率7%で成長しており、これは世界経済の平均成長率の2倍となっている
・ 美容産業は何を売るのか―自尊心、自信、進化によるメリットをミックスしたもの
・ 自分を高めたいという欲望は人類誕生にさかのぼり、世界のすべての文化に存在する
・ 魅力のない男は見栄えのいい男より15%稼ぎが少なく、太った女性は5%収入が少ない
・ 37カ国の1万人に対して行った人間心理に関する調査によると、男性は魅力と若さを重視し、女性は野心、ステータス(地位)、資源を評価する
・ AVON社の創立者のダビッド・マコーネルは19世紀末にニューヨーク州でドア・ツー・ドアの訪問セールスを開始し、香水と書籍を売ったが、香水の方が売れ、この事業が始まった(社名の「エイボン」はウィリアム・シェイクスピアにちなんだもの)
・ ブラジルでは、身体的美しさが際立って高く見られる―エイボンの調査では、ブラジルの女性の90%は「ビューティ(美)」は必要であり、贅沢ではないと考えている(世界平均:77%)
・ 2005年現在で、ブラジルの美容産業の規模:185億ドル、34%増、世界第4の美容市場
・ 香水の60%、口紅の80%は、店頭販売でなく訪問販売で売られている―ブラジルでは、ビジネスや政治が人間関係の影響が強い―また、知っている人から買う傾向がある「ブラジルでは、個人的関係が物を言う」「ブラジル経済の少なくとも3分の1が「帳簿外(オフ・ザ・レコード)」だ」
・ 2002年にブラジルは直接販売(インターネットを含む)市場で米国、日本に次いで世界第3番目となった
⑥ 2005年に世界でおこなわれた死刑執行数の94%が中国、イラン、サウジアラビア、米国の4カ国
・ 復讐の欲求は人間の歴史と同様に昔からあり、「目には目を」の聖書の正義システムは何百年以前からある
・ アムネスティによると、中国では、2005年に少なくとも1770人が執行されたが正確な数字は分からないとしている。中国政府はほとんど公表しない。実際の数値はもっと多いと見られる
・ イランの執行数:少なくとも94人、サウジアラビア:86人、米国:60人
・ 中国では死刑は広範に行われており、2001年4月~7月の3ヶ月で少なくとも1781人が執行された(過去3年間の世界の残りの合計より多い)
・ 国営新聞の「チャイナ・ユース・デイリー」によると、中国では、2003年に1万人が処刑された
・ 多くのマイナーな犯罪が中国では重大な犯罪となる場合がある―賄賂、悪事の仲介、ガスを盗む、安全でない食料の販売、経済犯罪 ・ 中国では、多くの死刑囚は街を引き回わされたのち、公衆の面前で行われる
・ 中国政府は、死刑について一貫して擁護しており、人権グループの廃止要求を無責任であると反論している。1997年に致命的注射を 導入した
⑦ スーパーマーケットは政府より自分たちの顧客をよく知っている
・ 近くのスーパーマーケットでいつも買い物をし、カードを示して、ポイントを集めるようになると、店側と顧客の両方がウイン・ウイン状況となる
・ さらに、同じスーパーに週2回行き、ローヤル・カード(ローヤルティ・プログラムによる)で買えば、恩典が増えるーすべての買い物データが把握される
・ 英国最大のローヤルティ・スキームのネクター・カードは1300人のカード保有者がいる。その「スポンサー」も英国の主要企業など多い ・ 英国のローヤルティ・スキームでは、平均して、政府より個人データを集積している
・ 米国最大の小売業のウオルマート・チェーンは、460テラバイト([テラ]は1兆のこと)のデータをコンピューターに蓄積し、これはインターネット全体の情報量の2倍以上である
・ 買い物記録から、支出状況や嗜好が分かり、社会的ソフトウエアを利用して、現在のライフ・ステージ、家計の規模、収入、好みなどが分析される
・ RFID(Radio Frequency Identification、小さい送信機とアンテナにより追跡するシステム)を身に着けて、種々な情報を送信し、計測・管理などの利用する
・ 米国では、食品メーカーや小売業者がアンチテロリズム戦略に利用している
・ 英国では、携帯電話会社が電話番号を登録すると紛失した場合など、RFIDタグにより追跡するサービスを開始している
・ 人権グループは、プライバシー情報の保護が適切に行われているかどうか至急に検証する必要があると指摘している
⑧ 欧州連合のすべての牛は1日当たり2.5ドルの補助を受けているが、これはアフリカの75%の人々の生活費を上回っている
・ 欧州連合(EU、27カ国が加盟)の牛(2100万頭)は「共通農業政策(CAP)」に基づき、1日当たり2.5ドルの補助を受けている
・ 世界銀行によれば、日本の牛は毎日7.5ドルの補助を受けている
・ 2007年におけるCAPに基づく農業支払いは560億ユーロ(760億ドル)に達しており、予算全体の49%に達している
・ 米国でも、政府は手厚い補助を農家に与えており、2003年以来10年間で1800億ドルを支出中である「農家に対するセーフティネット」
・ 欧州諸国は、米国の農業補助に批判的であり、一方、米国は欧州や途上国が市場を開放していないとして対抗している
・ 中国やインド、ブラジルなどの新興国もその役割を果たすべきであるーこれら諸国は先進国に市場開放を求めながら、自国市場では高い関税を課したりしている
⑨ 70カ国以上で同性結婚は禁じられ、9カ国では死刑である
・ サウジアラビアで、2002年1月1日に、3人の男が首をはねられて死刑に処された。裁判は秘密裏に行われており、醜い同性嗜好によると見られる
・ 同性結婚が死刑の国―モーリタニア、スーダン、アフガニスタン、パキスタン、チェチェン共和国、イラン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、イエーメン
・ 1979年のイスラム革命後、4000人以上が同性結婚によって処刑されていると推定されている
・ ゲイやレスビアンに対する野蛮な行為は、伝統的なイスラム思考の基づくものであり、イスラム教の「シャリア法」によって正当化されている
・ イスラム教の教えは、国によって適用の仕方が異なるが、一部の政府は、頻繁には適用
しないとしても、死刑は妥当な措置であると考えている
・ 世界に70カ国以上で、レスビアン(女同士)、ゲイ(男同士)、バイセクシアル(両性)やトランスジェンダー(両方を相手とする)は法律によって差別されている
・ 同性による性交を差別する法律を持つ国は様々であり、共通の宗教によるものでなく、多くは特に弾圧的と考えられている国でもない。一部の政府の場合、異性による結婚や家族などの社会の基準と考えているものに反する行為を嫌ったために行ったものだろう
・ 多くの社会で、ホモセクシュアルは病気として取り扱われ、ゲイやレスビアンは治療を強制されたり、犯罪ではないが、偏見の対象となってきた。裁判所も通常のヘテロセクシアル(異性間のセックス)に対して、同性セックスを別に扱うことがある
・ また、多くの国で次第に精神病院に送るようになっている
・ しかし、性的表現は最も根本的な人権の一つであることを認識する必要があり、保護されるべきであろう
⑩ 世界の5人に1人は1日1ドル以下で生活している
・ 最も悲しい現実であるが、世界の最も豊かな国の収入の1%以下で暮らす人々がいる―貧困に生きる人々は脆弱であり、声も持たない
・ 十分食べられず、だれもが健康や教育などの基本的なサービスも受けられず、幼児の死者が多く、伝染病が拡大する
・ 国連が2000年に合意した「ミレニアム(千年)開発目標(MDG)」には、2015年までに世界の貧困人口を半減させるというのが含まれている。7年経ったが、国連は多くの地域で取り組みが遅いと警告を発している。豊かな国がGDPの0.7%を居室氏、貧しい国は政治改革を行い、それを賢く、説明責任を持って使う必要がある。しかし、豊かな国は約束を十分に果たさず、多くの貧しい国も目標を達成する方向にない
・ 1990年代に1日1ドル以下(購買力平価で調整)で生きる人口は、世界で30%から23%に低下し、中国では過去10年で1億5000万人以上が貧困を脱した。しかし、54カ国で収入が低下し、20カ国はサブサハラ以南のアフリカ諸国であり、17カ国は東欧や中央アジア諸国などである
・ 世界の人口で見ると、豊かな国とマジ図飼育煮の格差は拡大しつつあり、1960年では1人当たりGDP(国内総生産)で18倍であったが、1995年には37倍となっている。今日、最も豊かな世界人口の1%の収入は最も貧しい57%と等しい(57倍)
・ 貧困水準が低下している国でも不均衡があり、だれもが利益を受けているわけではない。中国では、発展戦略は工業中心であり、農業からの移行であり、沿岸地域の発展は農村の貧困をもたらした。メキシコでは、北部の米国国境地域は豊かになったが、南部の農村地域は遅れている。最も豊かな10%の人口は最も貧しい人口10%の35倍稼いでいる
・ まず、われわれは貧困の撲滅は至急に行わなければならないと考えるべきである。国連開発報告では、援助供与国と受入国に「良い慣行(グッド・プラクティス)」の助言をしている。援助国は、被援助国の中央政府より地域社会の決定に分権化すべきである。また,計画やプロジェクトはその国のニーズとアカウンタビリティ(説明責任)と調整される必要がある
・ 受入国は、透明性と良い統治能力(グッド・ガバナンス)を促進する制度改革に取り組まなければならない。開発計画にはより広範な参加が求められなければならない(非政府組織、市民社会、個人など)
(以下、項目だけ―各4ページぐらいの解説あり)
⑪ ロシアで毎年、12000人以上の女性が家庭内暴力で殺されている
⑫ 米国で、2006年に1600万人が何らかのプラスチック手術を受けた
⑬ 地雷が1時間ごとに少なくとも1人を殺すか被害を与えている
⑭ インドには、4400万人の児童労働者がいる
⑮ 先進国の人々は毎年14-15ポンドの付加添加物の食品を取っている
⑯ デビッド・ベッカム(英国人の著名な元サッカー・プレイヤー)はLA(ロサンゼルス)ギャラクシー・サッカー・チームと1分当たり100ドルの契約を結んでいる
⑰ 米国の700万人の女性と100万人の男性は食事の混乱で被害を受けている
⑱ 米国の10代(ティーンエイジャー)の若者の28%は違法の麻薬をトライし、25%はタバコを常用している
⑲ 毎日、100万人が携帯電話の加入者となり、その85%が途上国である
⑳ 1分ごとに自動車は2人の人を殺している
21 北米では1977年以来、堕胎病院で約12万件の暴力行為や堕胎が行われてきた
22 地球温暖化(グローバル・ウオーミング)により、既に毎年15万人が殺されている
23 アフリカのケニアでは、賄賂(わいろ)の支払いが生活費の3分の1を占めている
24 世界の違法麻薬貿易は4000億ドルに達すると推定されるが、これは合法の製薬産業に匹敵する
25 米国人の3分の1は、異星人(エイリアン)が地球に現れると考えている
26 150カ国以上が、拷問を適用している
27 毎日世界人口の5人の1人、約8000万人の人々が飢餓に陥っている
28 米国で生まれた黒人の3分の1が監獄に収容される可能性がある
29 世界の人口の3分の1が戦争状況にある
30 世界の石油埋蔵量量は、2040年までに枯渇する可能性がある
31 世界のタバコ喫煙者の82%は途上国に住んでいる
32 英国人は毎年、30億の衣料品(1人あたり5品)を買っているが、その殆どは捨てられてきた
33 世界の衝突の4分の1は、資源の奪い合意に関連している
34 アフリカの3000万人はHIV陽性
35 毎年10カ国語がなくなっている
36 毎年、武力紛争より多くの人が自殺で亡くなっている
37 毎週、米国で週平均54人の子供が銃を学校に持ってきたとして排除された
38 世界で少なくとも30万人の「良心の囚人」がいる
39 毎年、200万人の女の子や女性が性的被害にあっている
40 世界で30万人の子どもたちが紛争で兵士として戦っている
41 2001年で、英国総選挙で2600万人の投票したが、3200万票以上がポップ・アイドルに投票された
42 英国の10代の6人に1人は、実際のテレビ(リアリティ・テレビジョン)は自分たちを有名にすると考えている
43 米国は2005年に軍事に5540億ドルを支出したが、ごろつき5カ国6カ国の合計の軍事支出の29倍である
44 世界で今日2900万人の奴隷がいる
45 米国人は毎時間250万のプラスチック・ボトルを廃棄している。これは3週ごとにボトルが月に到達する勘定だ
46 平均的な都市の英国人は1日当たり最大300回監視カメラに写っている
47 西ヨーロッパでは、毎年12万人の女性や女の子が人身売買されている
48 ニュージーランドから英国に送られるキューイフルーツはその5倍の重さの温暖化ガスを出している
49 米国は国連に10億ドル以上を支払っていない
50 貧困で暮らす子供は豊かな家庭の子供たちより3倍も精神病にかかる可能性がある
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[参考] 「世界を見る目を変える50の事実」の50の項目の原文およびその韓国語訳は以下の通りである。
50 facts that should change the world
1. The average Japanese woman can expect to live to be 84. The average Batswana will reach just 39.
2. A third of the world’s obese people live in the developing world.
3. The US and Britain have the highest teen pregnancy rates in the developed world.
4. China has 44 million missing women.
5. Brazil has more Avon ladies than members of its armed services.
6. Eighty-one percent of the world’s executions in 2005 took place in just four countries: China, Iran, Saudi Arabia and the USA.
7. British supermarkets know more about their consumers than the British government does.
8. Every cow in the European Union is subsidised by $2.50 a day. That’s more than what 75 per cent of Africans have to live on.
9. In more than 70 countries, same-sex relationships are illegal. In nine countries, the penalty is death.
10. One in five of the world’s people live on less than a $1 a day.
11. More than 12,000 women are killed each year in Russia as a result of domestic violence.
12. In 2006, 16 million Americans had some form of plastic surgery.
13. Landmines kill or maim at least one person every hour.
14. There are 44 million child labourers in India.
15. People in industrialised countries eat between fourteen and fifteen pounds of food additives every year.
16. David Beckham’s deal with the LA Galaxy Football team will earn him $100 every minute.
17. Seven million American women and 1 million American men suffer from eating disorder.
18. Twenty-eight percent of American teenagers have tried illegal drugs and more than a quarter are regular cigarette smokers.
19. One million people become new mobile subscribers everyday. some eighty-five percent of them live in emerging markets. 20. Cars kill two people every minute.
21. Since 1977, there have been nearly 120,000 acts of violence or disruption at abortion clinics in North America.
22. Global warming already kills 150,000 every year.
23. In Kenya, bribery payments make up a third of the average household budget.
24. The world’s trade in illegal drugs is estimated to be worth around $400 billion – about the same as the world’s legal pharmaceutical industry.
25. A third of Americans believe aliens have landed on Earth
26. More than 150 countries use torture.
27. Everyday, one in five of the world’s population – some 800 million people – go hungry.
28. Black men born in the US today stand a one in three chance of going to jail.
29. A third of the world’s population is at war.
30. The world’s oil reserves could be exhausted by 2040.
31. Eighty-two percent of the world’s smokers live in developing countries.
32. Britons buy 3 million items of clothing every year – an average of 50 pieces each. Most of which end up being thrown away.
33. A quarter of the world’s armed conflicts of recent years have involved a struggle for natural resources.
34. Some 30 million people in Africa are HIV-positive.
35. Ten languages die out every year.
36. More people die each year from suicide than in all world’s armed conflicts.
37. Every week, an average of 54 children are expelled from American schools for bringing a gun to class.
38. There are at least 300,000 prisoners of conscience in the world.
39. Two million girls and women are subjected to female genital mutilation each year.
40. There are 300,000 child soldiers fighting conflicts around the world.
41. Nearly 26 million people voted in 2001 British General Election. More than 32 million votes were cast in the first season of Pop Idol.
42. One in six English teenagers believe that reality television will make them famous. 43. In 2005, the US spent $554 billion on its military. This is 29 times the combined military spending of the six “rogue states”.
44. There are 27 million slaves in the world today.
45. Americans discard 2.5 million plastic bottles every hour. That’s enough bottles to reach all the way to the moon every three weeks.
46. The average urban Briton is caught on camera up to 300 times a day.
47. Some 120,000 women and girls are trafficked into Western Europe every year.
48. A kiwi fruit flown from New Zealand to Britain emits five times its own weight in greenhouse gases.
49. The US owes the United Nations more than $1 billion in unpaid dues.
50. Children living in poverty are three times more likely to suffer a mental illness than children from wealthy families.
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「세계를 보는 눈을 바꾸는 50의 사실」
(50 facts that should change the world)」
(Jessica Williams저, 2007년,
저자는 미국인여성, 저널리스트, 영국 공공 방송 협회(BBC〕프로그램 프로듀서등 역임)
1. 일본 여성은 평균으로 84세 살지만, 아프리카의 보츠와나 여성은 39세밖에 살지 않는다.
2. 세계 비만 인구의 3분의 1은 도상국에 살고 있다.
3. 미국과 영국은, 10대의 임신율이 선진국중 가장 높다. .
4. 중국에는 4400만명의 여성이 모자라다.
5. 브라질에서는, 「에이본(Avon)•레이디(lady)」수가 군대를 넘고 있다.
6. 2005년에 세계에서 해진 사형 집행수의 94%가 중국, 이란, 사우디아라비아, 미국의 4개국.
7. 슈퍼마켓은 정부보다 자기들의 고객을 잘 알고 있다.
8. 유럽연합의 모든 소는 1일당 2.5달러의 보조를 받고 있지만, 이것은 아프리카의 75% 사람들 생활비를 상회하고 있다.
9. 70개국이상으로 동성결혼은 금지되어, 9개국에서는 사형이다.
10. 세계의 5명에게 1명은 1일 1달러이하로 생활하고 있다.
11. 러시아에서 매년, 12000명이상의 여성이 가정내 폭력으로 죽음을 당하고 있다.
12. 미국에서, 2006년에 1600만명이 어떠한 플라스틱 수술을 받았다.
13. 지뢰가 1시간마다 적어도 1명을 죽일지 피해를 주고 있다.
14. 인도에는, 4400만명의 아동노동자가 있다.
15. 선진국의 사람들은 매년 14-15파운드의 부가 첨가물 식품을 훔치고 있다.
16. 데이빗•베컴(영국인이 저명한 전축구•player)은 LA(로스앤젤레스)갤럭시•축구•팀과 1분당 100달러의 계약을 맺고 있다.
17. 미국의 700만명의 여성과 100만명의 남성은 식사의 혼란으로 피해를 입고 있다.
18. 미국의 10대 젊은이의 28%는 위법인 마약을 트라이하고, 25%는 담배를 상용하고 있다 .
19. 매일, 100만명이 휴대전화의 가입자가 되고, 그 85%이 도상국이다.
20. 1분마다 자동차가 사람2명을 죽이고 있다.
21. 21 북미에서는 1977년이래, 타태 병원에서 약12만건의 폭력행위나 타태가 행하여져 왔다.
22. 22 지구 온난화(global warming에 의해, 이미 매년 15만명이 죽음을 당하고 있다.
23. 23 아프리카의 케냐에서는, 뇌물의 지불이 생활비의 3분의 1을 차지하고 있다.
24. 24 세계의 위법마약무역은 4000억달러에 달한다고 추정되지만, 이것은 합법의 제약 산업에 필적하다.
25. 미국인의 3분의 1은, 다름성인(에이리언)이 지구에 나타난다고 생각하고 있다
26. 150개국이상이, 고문을 적용하고 있다.
27. 매일 세계인구의 5명의 1명, 약8000만명의 사람들이 기아에 빠져 있다.
28. 미국에서 태어난 흑인의 3분의 1이 감옥에 수용될 가능성이 있다.
29. 세계 인구의 3분의 1이 전쟁 상황에 있다.
30. 세계의 석유매장량량은, 2040년까지 고갈할 가능성이 있다.
31. 세계 담배 흡연자의 82%는 도상국에 살고 있다.
32. 영국인은 매년, 30억개의 의료품 (1명당 5품)을 사고 있지만, 그 대부분은 버림받아 왔다
33. 세계 충돌의 4분의 1은, 자원의 빼앗아 합의에 관련되어 있다
34. 아프리카의 3000만명은 HIV양성
35. 매년 10개의 국어가 없어져 있다
36. 매년, 무력분쟁 보다 많은 사람이 자살로 죽어있다
37. 매주, 미국에서 주평균 54명의 어린이가 총을 학교에 가지고 왔다고 해서 배제되고 있다.
38. 세계에서 적어도 30만명의 「양심의 죄수」가 있다.
39. 매년, 200만명의 여자 아이나 여성이 성적 피해를 입고 있다.
40. 세계에서 30만명의 어린이들이 분쟁으로 병사로서 싸우고 있다.
41. 2001년으로, 영국 총선거로 2600만명의 투표했지만, 3200만표이상이 팝•아이돌에 투표했다.
42. 영국 10대 6명의 1명은, 실제 텔레비전(리아리티•텔레비전)은 자기들을 유명하게 한다고 생각하고 있다.
43. 미국은 2005년에 군사에 5540억달러를 지출했지만, 건달 5개국 내지 6개국 합계의 군사지출의 29배다.
44. 세계에서 오늘 노예가 2900만명 있다.
45. 미국인은 매시간 250만개의 플라스틱•보틀을 폐기하고 있다. 이것은 3주마다 보틀이 달에 도달하는 계산이다.
46. 평균적인 도시의 영국인은 1일당 최대 300회 감시 카메라에 비치고 있다.
47. 서유럽에서는, 매년 12만명의 여성이나 여자 아이가 인신 매매 되고 있다.
48. 뉴질랜드에서 영국에 보내지는 참다래는 그 5배의 무게의 온난화 가스를 내고 있다.
49. 미국은 유엔에 10억달러이상을 지불하지 않고 있다.
50. 빈곤으로 생활하는 어린이는 풍부한 가정 어린이들보다 3배도 정신병에 걸릴 가능성이 있다.
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