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2011年8月24日水曜日

080320「心臓バイパス手術50日間入院体験記」by 内田登美雄

心臓バイパス手術50日間入院体験記
(「腎友平塚」平成20年3月15日号掲載)

心臓血管の名医、最新鋭の医療機器、
手厚い院内ケアが三拍子揃って
手術成功、現役へ復帰!


共腎会 事務局長 内田登美雄


今年、1月18日平塚共済病院(HKH)に入院して、1月24日心臓冠動脈のバイパス手術を受けました。手術は成功し50日間の入院生活を終え、3月7日退院し、今、日常生活に向かって自宅療養中です。現役に復帰できる喜びを噛み締めています。手術、治療、介護、リハビリに携わっていただいたHKHのみなさまに感謝の気持ちでいっぱいです。

冠動脈バイパス手術に至る過程
私は、2000年12月、HKHで透析導入して以来、今年で維持透析8年目に入りました。実は、透析を導入した当初から、慢性腎不全と動脈硬化(異所石灰化 – 10年以上の歳月を経て動脈の壁が厚くなる症状。その結果、血液の通りが狭くなる「狭窄(狭まったり詰まったりする症状)」が起こる)による狭心症が同時進行していました。加齢とともに動脈硬化は少しずつ進行していきます。

狭心症とは、心臓を覆う冠動脈の一部が狭窄し、透析患者に多い合併症の一種です。私は、しばしば心臓に突き刺さるような胸痛に襲われ、その度に常備しているニトロペン(冠動脈の血管を広げる舌下錠)を服用しては痛みを和らげていました。

この7年間、何度かHKHの循環器科でカテーテル治療(狭窄した冠動脈数ヶ所にステント<筒状の金網>を留置して血管を広げる治療)を受けてきました。しかし、遂に、2007年の12月初め、循環器の主治医である梅澤滋男先生から「もはやカテーテル治療では、これ以上冠動脈の狭窄の治療はできません。残されている解決方法は一つ。冠動脈の血管を繋ぎ合わせるバイパス(外科)手術しかありません」と宣告されました。

12月7日、心臓血管外科の石川智啓先生(私のバイパス手術の執刀医)と面談して、1月24日にバイパス手術を受けることが決まりました。1月21 日の夜、先生は、私たち家族を前に、「手術内容の詳細」について手書きをしながら解説してくれました。リスクが伴う手術の部分については、私たちが納得いくまで懇切に説明してくださいました。先生の丁寧な説明により心配と不安を払拭して、すべてを医師団に任せてバイパス手術を受ける心境に至りました。

手術の日程が決まってから一ヶ月ほどは、私自身も、インターネットを活用して、HKHの「心臓血管外科」ホームページを精読する一方、「心臓(冠動脈)バイパス手術」のウェブサイトを検索し、書籍を読んで予習を続けました。大げさに聞こえるかもしれませんが、「医師に命をあずける」手術ですから「備えあれば憂いなし」の気持ちで手術に臨む準備をしました。

役に立った参考書の一つは、「心臓は語る」(南淵明宏著、PHP新書)でした。南淵医師は、神奈川県大和市にある大和成和病院の心臓外科部長です。この本は、心臓病のことやバイパス手術のことを素人にもわかりやすく解説しています)。

予習の過程で分かったことは、厚生労働省の統計によると、2006年の心臓病死亡者数は 17万3000人で、その中、心筋梗塞や狭心症など「虚血性心疾患」で亡くなる人は7万5000人、さらに心臓病予備軍は166万人いるそうです。

手術前、輸血に備えて「400ccずつ3回に分けて1200ccの自己血を貯血しませんか?」という提案を受けました。これは、輸血による感染症や合併症の可能性を考えると他者血より自己血の方が安全だからです。しかし、HKH透析センターの医師は「短期間に1200 ccもの採血をすれば、透析患者は貧血に陥るのが必至」と心配され、「自己血貯血」に異を唱えられました。

私は、迷った末、HKHの心臓血管外科の高橋政夫部長に問い合わせメールを発信しました。直ちに回答メールが返信されてきました。メールには「透析患者さんには自己血貯血は行っていません。内田さんのバイパス手術は、心臓を拍動させたままオフポンプ(後述)で行うことができると思います。内田さんの場合、ヘモグロビンが10以上ありますから無輸血で行える可能性があります」という励ましのアドバイスが記されていました。

まだ直接面談もしていない高橋医師が、私の「電子カルテ」を調べ、迅速にメールを送ってくれたのです。この朗報に私の不安は払拭されました(実際、手術は、予告通り、「オフポンプ」と「無輸血」で行われました)。

実際の手術
1月24日(木)のバイパス手術は、HKHのA病棟10階の心臓専用手術室で行われました。午前9時から4時間30分あまり要したことを後から知らされました。手術中は全身麻酔で行われましたので、私は、まったく意識も記憶もありませんでした。

手術には、高橋、石川、畠田3人の心臓血管外科医師の他、清水麻酔医師、数名の看護師と臨床工学技師(ME)の方々が立ち会いました。(二人のMEは、日頃、透析センターでお世話になっているスタッフでした)。

バイパス手術は、冠動脈(1~2mmの細い血管)が詰まったり細くなったりしている所の先に新しい血管を繋ぎ縫い合わせる、まさに神業の手術です。手術では胸の真中の胸骨を縦に25cm ほど切開します。HKHでは、ほとんどの患者を対象に「心拍動下で冠動脈バイパス手術(オフポンプ CABG)」が行われるそうです。

この手術では、高橋先生が開発した「ドーナツハートスタビライザー」という最新鋭の器具を使って、心拍動下で(人工心肺を使わずに心臓を動かしたまま)心臓表面の一部のみを固定して安全に吻合(血管の縫い合わせ)が行われます。

この手術の最大の利点は、「手術と合併症の危険性が1%」という高信頼性にあるといわれています。脳梗塞などの合併症を起こす危険が格段に低いということです。私の場合、手術は比較的短時間で行われ輸血も不要でした。HKHでこのバイパス手術を受けた患者さんの中には、男性92歳、女性88歳の高齢患者の方々がいて、手術後、元気に社会復帰されているそうです。

私の手術では、バイパス手術に使う血管(グラフトと言います)として次の2本の血管が使われました --- ① 左内胸動脈(左側の肋骨の内側にある動脈)。この動脈は「神様が与えてくれた最良のバイパス用の血管」だと言われています。② 左脚(内腿)の静脈(大伏在静脈)。この2本のグラフトを使って、狭窄している冠動脈を迂回し、血管の3ヶ所を接合するバイパス手術が行われました。

手術後、石川医師が、貫通した(手術が成功した)バイパスをコンピュータ・ディスプレイ上に立体カラー画像で示しながら解説してくれました。高橋医師は、そのプリント画像の傍らに、使用した2本のグラフトとその縫い合わせ部分を色別に手書きで示してくれました。このバイパス手術のコンピュータのカラー画像と手描きの絵は、私の宝物になりました。


手術後の経過
手術直後の4日間は、集中治療室(ICU)で、昼夜兼行で、看護師の方々が治療、看護、身の回りの世話をしてくれました。その後回復が進むと、個室を経て4人病室へと順次移動しました。ここでも、昼間と夜間、スタッフのみなさんに配慮の行き届いたお世話をしていただきました。

ICU では、2人の看護師に、ありがたいサービスとケアをしていただきました。藤元康成看護師は、私の手が使えない4日間、「私の7年間の透析記録ノート」に「血圧、脈拍、体温」の数値を代筆記録してくれました。目黒あゆみ看護師は、私が連日の便秘で苦しんでいる間、排便ができるよう昼夜を問わず快く介助をしてくれました。

50日入院していた A病棟2階の看護師の方々には、日々、検診、注射、投薬、各種検査や身の回りのケアでお世話になりました。下田美和看護師長(昨年までHKHの透析センター看護師長)以下20数名の看護師さん、室内をいつも清潔に保ってくださったスタッフの方々、減塩の透析食を調理してくださった病院食堂の方々に心からお礼を申し上げます。

HKH医療の4大特徴
手術後、それまで未経験だった4つのすぐれた医療サービスをHKHで実体験することができました。一つ目は「最新鋭の医療機器と設備」、二つ目は「電子カルテと院内情報ネットワークの威力」、三つ目は「きめ細かい医師の回診」、四つ目は「心臓リハビリテーションの役割と意義」です。

手術中に使われたオフポンプ関連の設備や機器が最新鋭の医療機器については前述しましたが、驚異的だったのは、「マルチスライス CT(コンピュータ断層撮影装置)」でした。2年ほど前に導入されたというこのCTは、患者に身体的負担(痛み)を課さずに短時間で、心臓など検査部分を精緻なカラー立体画像で撮影再生できる装置です。

このCTを導入している病院は、まだ少ないと聞きました。このCTのおかげで、従来バイパス手術後に行っていた入院を伴うカテーテル造影検査が不要になりました。

今回、手術の前後で(患者があまり気づかず)大活躍していたのが、「電子カルテと院内情報オンライン・ネットワーク」です。これは、HKH内において「時空を超えて」医師同士、また他のスタッフとの間で、全患者の最新医療(治療や検査や投薬など)の情報や医療歴をリアルタイムで(瞬時に)伝達・交信できる院内コミュニケーション機能です。

この院内通信ネットワーク機能のおかげで、医師は、各患者のレントゲン、CT、エコー(超音波)、心電図や血液検査結果などの情報を、いつでも病院中に設置されているコンピュータ端末から即座に把握し診断を下すことができます。病棟や透析センターの看護師も、常時、患者の「今時点」の体調をコンピュータに入力して、院内ネットワークを介して送信し続けています。

これは、患者にとっても、ありがたいシステムです。常に更新されている自分自身の最新医療情報を把握できる(教えてもらえる)からです。血液検査などは、採血後1.5時間ほどで結果を知ることができます(私は、低下していたヘマトクリットの最新検査値を把握し貧血状態が変化していくプロセスを知ることができました)。

手術を担当してくださった高橋、石川、畠田の3先生は、手術の前後、ほとんど毎日3人揃って回診に来てくれました。退院する日まで、3先生は、患者の状態をチェックしながら冷静で温かい励ましのアドバイスを与え続けてくれました。術後は、循環器の主治医である梅澤先生も毎日回診してくださり、循環器の立場から、胸水、不整脈、貧血、炎症症状、微熱などの術後の問題を診断・治療してくれました。透析センターの田中仁美医師も、手術後の経過を追跡しながら、透析担当医師の立場から適切な医療をしてくれました。

入院中体験したもう一つのHKHのすばらしいシステムは「心臓リハビリテーション」です。2年ほど前に始動したこの院内施設は、心臓手術を終えた患者が一日も早く体力(心肺能力と脚力)を回復し社会(現役)へ復帰するためにサポートするセンターです。従来、手術後の入院患者は病室で起居する生活が中心でした。

このセンターが設置されたのは「足が第二の心臓であること」を認識し「心臓手術後の患者を病室から開放する活動」を支援するためです。そのためには、① 狭心症や心筋梗塞などの手術後に進行する動脈硬化を抑制し心臓病の再発を予防すること、② 脚力を強化(脚の筋肉を回復)することです。

リハビリは、院内の廊下の歩行訓練から始まり、足先に錘(負荷)を着けて脚を上下に運動する訓練、そして、「エルゴバイク」という負荷を懸けた自転車漕ぎへと続きます。二人の専属トレーナー(與座薫さんと比地岡亮介さん)が中心になって患者一人一人に親身に対応してくれました。今も、二人の若きリハビリ医療のペシャリストは、患者の心肺と脚力が一日も早く回復するよう、終日支援活動をしています。

心の支え
入院中の50日間、不安や身体的な辛さは多々ありました。それぞれの試練を乗り越えられたのは、多くの方々の支えがあったからです。一番大きかった支えは、HKH(病院)関係者の献身的な治療と介護です。手術と術後のケアを担当してくださった心臓血管外科の3医師、循環器の梅澤医師、透析センターの田中医師に心から感謝いたします。

バイパス手術を体験された透析患者仲間からの情報とアドバイスは貴重でした。特に私より3ヶ月前にバイパス手術をした透析の先輩の加藤忠義さんと、鎌倉在住で2004年「透析者と家族が元気になる本」を著され、しかも私と同じ「オフポンプ方式」でバイパス手術を体験された堀澤毅雄さんからの体験談は、有益な「傾向と対策」になりました。私の透析の恩師である大塚幸子看護師は、メールを通して適切なアドバイスや温かい励ましの言葉を送ってくれました。

さらにありがたかったのは、手術後、平塚市腎友会の松永康雄事務局長と、共腎会(HKH透析センター患者会)の神尾一郎代表代行が、連日、入れ替わりに病室を訪れて「患者会活動」の最新動向を教えてくれたことでした。

私が指導している英語教室、大学、私塾の受講生、学生、塾生や、英会話グループの仲間や友人からの見舞いや便りも心を癒してくれました。

入院中、嬉しかった出来事
入院中、一番嬉しかったことは、やはり、すばらしい名医とスタッフの方々との一期一会です。

さらに「透析」「循環器」「心臓血管外科」の三拍子揃った病院に通院・入院できたことの幸運!その病院(HKH)が地域の中核病院として平塚市に存在している有難さが身を持って実感できました。

多くの入院患者が「量や質」で不満を言う「病院食」も、私の場合、朝昼晩「透析食」を配膳してもらったおかげで食事(塩分・水分)管理を徹することができました。大体、快眠、快食、快便もでき、中2日でも透析間の体重増が2㎏を越えることはありませんでした。退院後もこの食習慣を続けていくつもりです。

一週間以上も入浴できなかった後のシャワーは快適でした。病棟では「ウォッシュレット」トイレが使えたことで、常時清潔感を保つことができました。暖房の行き届いた病棟・病室で、今年の冬は、寒さ知らずで過ごすことができました。

思いがけなくも50日間の長い入院生活になりましたが、病院内外の多くの方々の献身、善意、友情に支えられて退院できたことを、何よりも嬉しくありがたく思っています。

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手術が終わって5日目(1月29日)の夜、NHKテレビの歌謡番組で、門倉有希が「人形の家」(1960年代弘田三枝子が歌って一世を風靡した歌)を、彼女独特のハスキーな声で切々と歌い上げていました。病室で独りその熱唱を聴きながら、頬から涙が伝って落ちました。歌の最後の台詞が「私はあなたに命をあずけた」だったからです。

その時、私は、バイパス手術を担当してくださった3人の医師 --- 高橋政夫先生、石川智啓先生、畠田和嘉先生 --- 一人一人の顔を想い浮かべていました。3医師は、私が「あずけた命」を、バイパス手術を通して救ってくださったのです。

5 件のコメント:

  1. この記事は、私(George Suzuki)の親友であり、師友であった故内田登美雄さんが2008年3月に書かれた記事です。同氏はたいへん残念ながら、2011年7月20日に永眠されましたが、同氏が「腎友平塚」誌に発表されたこの記事が多くの人々の励ましになることを信じ、遺族の方々のお許しを得て、私のブログに掲載しました。同氏の残されたツイッターとともに掲載し、ネットを通じて多くの方々に読まれますことを願っています。(当ブログ運営者)

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    1. 6/26に主人(65歳)が転院しました。
      6/27カテーテル検査の結果、症状判断で心臓バイパス手術が必要だとの診断を頂きました。

      長年仕事一筋の会社人間でしたが、生まれて初めての入院で深刻な状態にある事が判明しました。

      こちらの詳細な内容の闘病記事に励まされました。
      長期入院になる事も理解出来ました。
      不安が払拭された思いです。
      まさに、この方と同じ症状です。

      術後3年強の余生は充実されていたのでしょうか?
      もう少し長く生き抜いて頂けたらと、とても残念に思います。
      ご冥福をお祈り申し上げます。

      ブログを拝見させて頂けたご縁に深く感謝申し上げます。
      有難うございました。

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    2. コメントありがとうございました。私は今年67歳になり、ご主人と同年代です。内田さんは英語を通じて知り合ってから約30年間のお付き合いをいただき、いつも励ましていただきました。人工透析を受けられるようになってからの大手術でしたが、この文にあるとおり、手術は成功し、励まし続けてくださいました。今も氏を思うたび、氏の分もしっかり生きたいと思いを新たにします。

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  2. 今大学病院に入院しています。明後日、心臓バイパス手術の予定です。9時の消灯後 携帯でこの欄を読ませて頂きました。いろんな不安があるなか、読んでいくうちに、理解出来て少し安心しました。この方が亡くなられたのは大変残念です!ご冥福をお祈りしております。ありがとうございました。

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    1. コメントありがとうございます。心臓バイパス手術が成功したことと思います。どうかこれからも元気に希望を持って生きてくださいますように、祈ります。

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