ベトナム・ホーチミン市貧乏小旅行記(2014年3月14日~18日)
-ベトナム人(人口:9000万人、1人あたりGDPは2000ドル以下)は若く、活発で、陽気で楽天的か、猥雑でもあるか?街はバイクの海、ホーチミンの肖像が紙幣のほか至るところに、しかし共産党独裁の社会主義社会で等しく貧しく、様々な非効率、教育水準が低い感じ、競争はどうか、閉鎖的で国際的に孤立している可能性、タイ(6600万人、6000ドル)と何が違うのか、80年代に中越戦争を戦った中国との関係はどうなっているか-
(行程)
・ 3月14日(金):午後5時25分成田発(全日空)、10時過ぎ:ホーチミン着(日本時間は15日午前零時、搭乗時間: 6時間半、ホーチミン市に3泊)
・ 3月17日(月):午後11時5分ホーチミン発(機内泊)
・ 3月18日(火):午前7時過ぎ成田着(6時間)
・ HIS上野営業所で注文、航空運賃:9万円、ホテル代(3泊):1.8万円、雑費:1.3万円(約250万ドン)、合計:13万円
・ 通貨の「ベトナムドン」は10万ドンが570円程度、1万ドンが57円、末尾の3桁「000」は殆ど要らない。デノミネーションをやってはどうか。絶えず幾らになるかをいつも考える必要がある。ただし、圧倒的に円高であり、安く押さえることができた
・ 紙幣だけー10万ドン札、5万ドン札、2万ドン札、1万ドン札、5000ドン、2000ドン、1000ドン(約6円)
-すべてに独立の父のホーチミンの肖像がある、コインは無い?
① 1月末に香港3泊旅行したのち、次はシンガポールと考えたが、2012年6月に行っており、ベトナムに久しぶりに行くことにした。ホーチミン(旧サイゴン)には過去2回、首都ハノイには1回行った記憶がかすかにあるが。殆ど覚えていない。自転車の嵐だったか、バイクの海だったか。
② 成田空港では、例によって全身を手持ち検査機で男性係員からなめるように検査された。少し不愉快になった。タイ航空のカウンターでは、タイ人の老若男女の観光客がひしめいていた。円安の進展で日本に来易くなったからであろう。5時40分に離陸し、6時ごろ水平飛行に移り、6時半に食事となり、エコノミーは洋食と和食の選択で、和食を選んだ。
牛肉と豆腐がメインで、量は私にはまあまあだが、大食いにとっては物足りないだろう。それでも、日本の航空会社のエコノミーの食事は、欧米の航空会社に比較するとかなり良いだろう。窓側の2席が使えたが、横になるのが窮屈で寝るのに往生した。
搭乗率は6割程度か。現地時間10時過ぎ(日本は15日午前零時)に、タンソンニュット国際空港に着陸した。この空港は、1960年代のベトナム戦争において米軍機の発着でよく報道されていた。この戦争は、欧米資本主義陣営対ソ連の社会主義陣営の冷戦ではなく、南北に分裂させられたベトナム人の独立戦争にほかならなかった。
それでも1990年代には米国とベトナムは和解している。成田空港の両替所で、5000円:48ドルと3000円:59万ベトナムドンにとりあえず両替した。後に市中の両替所で5000円を両替したら102万ドンだった。やはり、現地が一番効率がいい。計算書はくれず、紙幣をもらって終わり。両替所は街のあちことにある。
③ 10時半ごろ、入国手続き(カウンターは、「オール・パセンジャーズ」となっており、ベトナム人も外国人も同じ扱いとなっている)を終えてロビーに出たら、大勢のベトナム人がひしめいていた。
まだホーチミン空港は広くないようだ。飛行機も着陸後すぐターミナルに着いた。香港空港では、香港人、中国人・台湾人、外国人に分かれていた。この時間では、バスを見つけられそうに無いので、タクシーを捜そうと歩き始めたら、すぐカモが来たと次々と声をかけられた。
若者についてタクシーに乗ったら、すぐ空港を出るときに料金がいると言われたように思い、タクシーから下りてまた戻り、今度は「タクシー・スタンド」の表示のあるスペースで探した。乗ったタクシーは、暗闇の中を走って行き、なかなかホテルに着かないので、不安となり、どこへ行くのかと何回か聞いたが、この方向だというばかりだったが、結局30分後に、ドンコイ通りのボンセン・ホテルに11時ごろ到着した。
20万ドンの請求で30万ドン(1700円程度)を渡した。いろいろあったので。夜遅く空港に着くと、ホテルまでのタクシーが心配となっている。インドネシアの首都ジャカルタに行った時も、夜11時だったか出迎えてホテルに届けてくれる人が見当たらず、結局、声をかけてくれた人に言うままに頼んだら、当初は20ドルのはずが40ドルにしてくれという話になったか?厳寒の東京から厚いジャンパーで来たが、早速スーツケースにしまって、半そでワイシャツと半そでシャツに着替えた。汚れてもすぐ洗濯できる。
④ ホテル比較によると、ボンセン・ホテルは二つ星(1泊6000円)で、隣のシェラトン・ホテルは五つ星で3泊4.8万円(1泊:1.6万円)でえらい違い。まあ、貧乏旅行では二つ星で結構。部屋はまあまあ。
日本のビジネスホテルという感じ。ドンコイ通りは都心部の中心にあり、ホーチミン市の代表的な観光スポットにも比較的近いようだが、今回は観光スポットはどこへも行かず。結局、1日に数回ホテルから1-2時間のタウン・ウオッチング(街歩き)を繰り返した。ボンセン・ホテル・サイゴン「ベトナムのホスピリティ(おもてなし)のスピリット(精神)」毎朝のベッドサイド・チップは1ドル札を置いておいたが、メイドさんにはベトナムドンよりこの方がいいだろう?
⑤ まず、コンビニを見つけて、缶ビールを確保する
・ ホテルに近くで「サークルK」を見つけて、缶ビールと韓国酒「ジンロ」を購入した。ベトナム産ビール「333」は 12500ドン(ホテルの冷蔵庫では35000ドン)、札幌ビール:22000ドン(150円程度)、アサヒ:28000、タイガー(タイビール):17000.
・ 特にジンロ(360CC 、19度)は、68000ドンで400円程度。これは韓国で買うのと同じ、日本では3倍ぐらいとなる。ツーツー呑める。また、韓国酒の「マッコリ(500CC )」65000ドンだった。やっぱりジンロの方がいい。
・ サークルK はあちこちにあった。他に「ファミリーマート」があり、サークルKより整備されていた。ファミリーマートには「お握り」があり、「ハンバーグお握り」を買ってみたが、卵焼きとハンバーグがパンの間に挟まっていたが、うまくなかった。サンドイッチ(野菜やツナ、ハム、卵)もあり、これは日本と同じであり、2組4枚:200円程度で数回これで食事をすませた。ベトナム米は有名。外国のコンビニには、大体「お握り」はない。
・ レストランで海鮮炒めご飯を食べたが、小さい海老などでまあまあだった。15万ドンでやや高かった。ベトナム米は、日本人からすれば 余りうまくないか?炒めてあればごまかせるか。
・ 歩いた限りでは、ユニクロ、無印良品、マクドナルド、ローソン、セブンイレブンなどは見つからなかった。
・ ホテルから15分ほど歩くと、サイゴン川があった。川幅100メートル以上か、右から左にゆったり流れていた。
・ クルマは右側通行。エスカレーターも右側、タクシーのハンドルは左で、その右側にスーツケースを抱えて乗り込んだ
・ 通行人は、半そで、半ズボン、サンダル、ゴム草履など
⑥ やっぱり街路はバイクの海だった
・ 広い通りを大勢のバイクが駆け抜けていく。信号はあったりなかったり。合間にバスや自動車や自転車が走る。人口構成から見て30台以下の男女がバイク乗りの中心だろう。1人乗り、二人乗り、3人乗り、まれに4人乗り(たぶん親二人が小さい子供2人を抱えて)で、皆ヘルメットを被り、すいすいと行ってしまう。
・ 若い女性のバイク乗りも多い。すましてちょこんと乗っている。
・ よく事故にならないのかと思う。交通警官などいない
・ 交差点で信号が青に変わると、数十台のバイクが一斉に走りだす
・ 広い通りを歩行者が横切るのは容易でない。たえず右を見て、左を見て、様子を見て、バイクの嵐の一段落したタイミングで、右手を挙げながら何とか渡る。いわばバイクとクルマと歩行者のアウンの呼吸といった所。おかげで首と反射神経の運動にはなった。
・ バイクのメーカーは確認できなかったが、多分日本製が多いだろう
・ 主要な市内の移動手段はバイクなのだろうか
・ ある広い交差点で5分程度見ていたが、数百台か千台以上のバイクが縦横左右に通っていったようだ
・ 救急車のサイレンは日本と同じだった。警察車のサイレンはフランスと同じ?
・ 所々に、旧フランス領に基づくフランス語の表示が残っていた
・ バスのドアは開けっ放しのものがあった。窓はすべて閉まっていた。以前は、バスは窓もドアも開けっぱなしだったように記憶する。バスは、人が乗ったと同時に走り出す。
⑦ 街頭の物売りが多い
・ 靴磨きの若者―街を歩いていると何度も靴を指して磨こうかと何回も声をかけられる。10代前半の男の子だろう。すべて断ったが。朝8時頃に街で何人かの靴磨きがこれから出動すると言った状況に出くわした
・ 新聞売りのおばさんードンコイ通りは外国人向けのホテルが多いためか、フィナンシャルタイムズなどを路上に広げて売っていた。しかも一部ずつ。フィナンシャルタイムズを買ったら10万ドン(570円)だった。日本では600円。ベトナムでは300円程度であり、その差がおばさんの思いがけない収入になったかもしれない。その後そこを通ると、よく声をかけられた。
・ 宝くじ売りーよく分からず
・ 若い物売りの男性や女性―バッグや財布、眼鏡、ライターなどを首から数十個つけた横長のゴム板をぶら下げて持ち歩いて売って歩く。重いだろうに。
・ 野菜売りー天秤棒を肩に担いだおばさんが左右のかごにサツマイモなど各種の野菜を入れて歩いていた。
・ よくバイク乗りがカモを探しているようで、すぐ声をかけてきた。
・ これらは非効率だろう。
⑧ よく声をかけられた
・ 「お兄さん、元気」とか「お父さん、どこへ行く」、「お父さん、行かないで。何しましょう」、「ハロー、お兄さん、乗らない」、「お父さん、お早う」とか声をかけられたー前に乗るスタイルの人力車、バイク運転手など
・ 日本人だと分かるらしいー私はこれまで中国人や韓国人と間違われたことはない。
・ 時々、日本人の若者グループや高齢者夫婦とすれ違った
・ また、欧米人とベトナム女性のカップルともすれ違ったように思う
・ また、夜の散歩中に女性の写真を示して若い男から勧誘されたようなこともあった。
⑨ ベトナムは若い国
・ テレビなど見ていると、若者向け番組だらけだった。ホテルのケーブルテレビは、合計80チャンネルで、4割ぐらいがベトナム放送で残りが外国放送だったか。CNN、BBCのほかフランス、インド、中国、韓国などのほか、映画、スポーツ、ダンス、音楽などの専門放送チャンネルだった。日本語放送はなし。すべて若者向けのようで高齢者向け番組などなし。
・ ただし、テレビの報道番組はまったく単調の模様―全く議論の中身は分からないが、何十年も前の日本の報道を見るような感じだった。政治の討論会?で発言者をただ写しているだけ。要するに、共産党独裁の社会主義国家の報道とはこういうものか?
・ ホテルで、「ベトナム・ニュース」(唯一の英字新聞?タブロイド版)が無料でもらえたので、拾い読みしたが、国内ニュース中心だった。ベトナムはまだ閉鎖的であり、対外関係まで関心が無いのではないかと思っている次第
・ その記事で、5-17歳の175万人が働いており(その人口の9.6%)、バー、建設、ワークショップだと言うものがあった。また、赤ん坊の人身売買チームを警察が検挙したニュースなど。
・ 政府が民間航空を促進しようとしたが、2社が資金・運営で問題があり、撤退することとなり、外資の導入を検討すると言う記事があった
⑩ ベトナムは暑い
・ 朝8時ごろから気温はぐんぐん上がる。
・ 日中は30度、いやもっと上昇するだろう、真昼には歩きたくない。ただ、汗は余りかかない
・ 「ナンバーワン・カフェ」で、カフェラテ:68000ドン(約400円)でしのぐ。日本と同じ味。最近、日本でも通常のコーヒーよりカフェラテを飲むようになっている。
・ 午後5時ごろから、しのぎやすくなってくる
・ 場所を聞いて、タクシーでホーチミンの鉄道駅に行ってみた。みすぼらしい感じで、待合室には冷房は無く、市井の男女たちがいるだけで、豊かな人はいないようだった。
・ ホーチミン・首都ハノイ間の鉄道距離は1750キロ、2日半、90万-110万ドン(6000-8000円)、1日10便となっている。夜7時にホーチミンを出発し、3日目の朝3時50分にハノイに到着する。多分、裕福な人々は航空便を利用するだろう
・ 日曜の夜に散歩に出て、直径50メートルぐらいの池で噴水のある所に言ったら、噴水は止まっていたが、暗闇の中で若いカップルばかりだった。高齢者などおらず。
⑪ タクシーが便利
・ 市内鉄道は無く、唯一の公共交通機関であるバスは使い方が分からないので、もっぱらタクシーを利用した
・ タクシーはメーター式で2万ドン(120円)から開始し、例えば、空港からホテルまで30分以上乗って、行きは20万ドン(1200円)、帰りは15万ドン(1000円)程度で、それにチップを足した。
・ 市内で、タクシーを頻繁に使ったが、チップ込みでも日本の最低料金の710円など払ったことはない
・ 大目のチップを加えると運転手はさっと降りて、ドアを開けてくれる
・ ホーチミン市の都心部の地図は、日本でエージェントからホテルの周辺図をもらって行ったが、現地の大きな本屋で聞いたら、ホーチミン市の全体の地図は無く、旅行代理店で聞いても無いとの事だった。どうなっているのか?
・ ベトナムの本屋に、「ヒロヒト」という昭和天皇の伝記のベトナム語版(表紙に昭和天皇の古い儀式の写真が掲載されている)が、シンガポールのリークアンユー元首相やマレーシアのマハティール元首相の伝記と並んでいた。本屋は9時には開店していた。
・ ただし、タクシー運転手の教育水準が疑問に思ったことがある。「タックス・プラザ(国営百貨店)」へと言ったが、分からず、英語の簡単な地図でここだと示したが、なかなか分からなかった。多分、タックス・プラザの英語式発音がベトナム人の発音と違ったのだろう。それでも地図の見方が良く分からないようだった。同じ経験をもう一回した
・ ドラエモンの看板があった。KARAOKEも。
⑫ いたるところにある非効率
・ 飲食店などでお釣がすぐもらえないときが何回かあったー暫く待っていた(計算ができないのか)
・ 街路の物売りや、いい若者の靴磨きなど。国家ぐるみでもっと教育に取り組んではどうか
・ 共産党しか政党が無く、長期にわたる社会主義政権の結果なのだろうか。それとも国民性が関係しているのか。今や共産党独裁政権は中国、ベトナム、北朝鮮しかない
・ このままでは、ベトナムの経済的発展について悲観的になってしまう
・ マレーシア、タイ、インドネシアと比較して、ベトナム、ラオス(約700万人)、カンボジャ(約1500万人)は経済的に遅れてしまうかも知れない。最貧国のミャンマーにも抜かれてしまうか?(ミャンマー(約6300万人、1人当たりGDP:900ドル以下)は東南アジアと南アジアを結ぶ戦略的位置づけにある)
・ ベトナムは地理的にも戦略性はないか?
・ ベトナム人は閉鎖的なのかも知れないー国内中心のマインドとなっている?政治的経済的に対外的に活動する段階になっていない。
ベトナム語の影響があるか(ベトナム国内だけしか通用しない?独特のアルファベットとなっている)
・ 国際的に見て、ベトナムは孤立しているのではないかー中国との関係はどうなっているか(1980年代に両国は中越戦争を戦っている)
・ べトナムの国軍は政治においていかなる位置づけにあるか。
・ まず教育レベルの向上に全力を挙げて取り組んではどうかー10年後、20年後に効果が現実のものとなるだろう
・ ベトナムの現状について、やや否定的な感想になっているが、それだけ発展の余地は高いであろう。
⑬ 17日のホテルのチェックアウト(正午)から成田便(午後11時)までどう過ごすか
・ 東南アジアから日本に戻るとき、よくこういう経験をする。タクシーで2時ごろ空港に行ったら、全日空のカウンターは午後9時からということでそれまで時間をどう過ごすか。結局空港へは2回往復した。
・ タクシーを使って幾つか回った後、カフェなどで時間を過ごし、7時過ぎに空港に着いて、また時間をもてあました後、9時にチェックインした。
・ 街には土産物屋が多く、特に手織りのバッグや財布などが多く売られていた。しかもベトナムドンに対する円高のため、極めて安い。(ドルやユーロに対して円安になっているが)雑貨のお土産を幾つか買い物をした。50米ドルの女性用バッグのほか、お土産5品で合計100ドル余で日本的感覚では2-3倍するだろう
・ 帰国して東京の寒さにビックリし、胃がむかむかし1日ほど食欲が無くなったが、何とか回復した
⑭ ホーチミン(1890-1969年)
・ ベトナムの革命家、政治家。植民地時代からべトナム戦争まで、ベトナム革命を指導した。
・ 初代ベトナム民主国家主席、ベトナム共産党中央委員会首席歴任
・ 晩年には、南北のベトナム人から「ホーおじさん」と呼ばれ親しまれた
・ ホーチミンの肖像は紙幣だけでなく、あちこちにあった
(参考)
・ 面積:32.9万平方キロ
・ 人口:9170万人(2013年)
・ 首都:ハノイ
・ 民族:キン族(越人)86%、53の少数民族
・ 言語:ベトナム語
・ 宗教:仏教、キリスト教、カオダイ教
・ 政体:社会主義共和国
・ 政党:共産党が唯一の政党
・ GDP:1700億ドル(2013年)
・ 1人あたりGDP:1896ドル
(歴史)
・ 1884年:フランスの保護国となる
・ 1930年:ベトナム共産党結成
・ 1941年:日本軍が南北仏印進駐
・ 1945年:ベトナム共産党ホーチミン主席が「ベトナム民主共和国独立宣言」
・ 1946年:インドシナ戦争
・ 1973年:パリ平和協定の締結、米軍は撤退
・ 1976年:南北統一、国名:「ベトナム社会主義共和国」
・ 1981年:日本と外交関係樹立
・ 1995年:米国と国交正常化、
・ 1995年:ASEAN(東南アジア諸国連合、1964年発足)に正式参加
・ 2007年:WTO(世界貿易機関)に正式参加
I like hiking very much. I used to go hiking with a Korean hiking club named “AhToSan.” This blog introduces mostly my hiking activities in Korea and Japan, and Sydney in Australia. As of January 2020, I live in Sydney suburb. I go Blue Mountains and bush walk in Sydney area. 私は2003年から2014年まで韓国の大田(テジョン)に住んだ日本人である。11年間、週末は主に「アトサン山岳会」に参加した。14年4月に帰国したが、2020年以降はおもにシドニーで暮らし、時折、日本へ帰国する程度である。したがって最近の記事はSR(Sydney Report)としてブルーマウンテンのトレッキングを中心に書いている。
About pictures/当ブログ内の写真について/당 블로그내의 사진에 대해서
Most of the pictures in this blog are taken by my camera, yet some of them were downloaded from the website of the hiking club. If you click any pictures, they become the original size.
当ブログ内の写真の大部分は筆者のカメラで撮影したものですが、一部、山岳会の共有写真からダウンロードしたものを含みます。すべて、各写真をクリックすれば、元のサイズに拡大します。
당 블로그내 사진의 대부분은 필자의 카메라로 촬영한 것입니다만 일부 산악회 공유 사진으로부터 다운한 것도 포함합니다. 모두 각 사진을 클릭하면, 원래 사이즈에 확대합니다.
当ブログ内の写真の大部分は筆者のカメラで撮影したものですが、一部、山岳会の共有写真からダウンロードしたものを含みます。すべて、各写真をクリックすれば、元のサイズに拡大します。
당 블로그내 사진의 대부분은 필자의 카메라로 촬영한 것입니다만 일부 산악회 공유 사진으로부터 다운한 것도 포함합니다. 모두 각 사진을 클릭하면, 원래 사이즈에 확대합니다.
0 件のコメント:
コメントを投稿