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2011年12月13日火曜日

110929 北海道旅行(堀伸樹)

【東京駅・札幌駅{片道}9900円】に釣られて行った30年ぶりの北海道旅行

―9月29日~10月4日、東京(バス、フェリー)水戸経由札幌(鉄道)函館(鉄道)
青森(バス)仙台(バス)新宿、宿泊・交通費合計:52000円―

(分かったこと)
・ 北海道は、道路は広く、どこまでも真っ直ぐであり、道路は直角に交差し、しかも人通りは少なく、自動車がまばらに走っている
・ 北海道の人口は横ばいであるが(35年前:540万人、現在:550万人)、札幌人口は増加している(140万人→190万人)ー今や札幌は東京、横浜、大阪、名古屋に次ぐ日本第5位の大都市(50年前の6大都市―東京、大阪、名古屋、京都、横浜、神戸)
・ 北海道の経済構造は以前から札幌中心の一眼レフ的傾向にあり、引続き強まっている
・ 北海道の人々(特に札幌)は、本州と海を隔てて独立しており、故郷に満足している割合では日本で最も高い道府県である
・ 北海道人は、雑居的、おおらか,開放的、楽観的、言葉は殆ど標準語だが、本土の人々と比較して競争に弱いのではないか?女性の方が活発?
・ 都市としての魅力は、明治以来の歴史を持つ函館、小樽、札幌、釧路などが新市街地と旧市街地が共存して面白いが、新市街地だけの旭川、帯広、富良野(倉本聡の『北の国から』)などは魅力に乏しいか?凶悪犯収容刑務所で有名な網走はどうか、稚内や根室(北方領土に近い)はどうか
・ 冷戦終了後(1990年頃)、ソ連(ロシア)に対する北辺の守りの必要が低下したが、日本全体との関連で北海道の安全保障上の役割はどう変わったか
・ 北海道は日本の「外国」か

① 東京駅八重洲口JRバスターミナルで、偶然見つけたパンフレットで行くことにした

② 行程
・ 9月29日(木):東京駅(バス、15時発)-水戸駅(17時過ぎ着)(水戸泊)
・ 9月30日(金):水戸駅発(バス、16時18分)-大洗フェリーターミナル(16時50分着)、大洗発(フェリー、18時30分)
・ 10月1日(土):苫小牧フェリーターミナル着(13時30分、フェリーに19時間乗船)、苫小牧ターミナル発(バス、13時57分)-札幌駅着(15時45分)(札幌泊)
・ 10月2日(日):札幌駅発(特急・北斗、13時16分)―函館着(16時49分)(函館泊)
・ 10月3日(月):函館発(特急/津軽海峡線、10時17分)-青森着(12時6分) 青森発(バス、14時40分)-仙台着(19時30分)、仙台発(バス、23時36分)
・ 10月4日(火):新宿駅着(5時過ぎ)、地下鉄で移動、上野のカプセルホテル(6時間:1300円ぐらい)で休憩し、午後帰宅
・ 交通費―往き:1万円、帰り:26000円(東京駅・札幌駅までパッケージ)
・ ホテル代―水戸:5000円、札幌:7000円、函館:4000円
・ 割増料金でほかに小樽、旭川まである

③ 北海道の札幌には、1975年(昭和50年)2月から1977年1月の2年間、札幌市外電話局(大通り公園沿い)の中にあった「北海道ネットワーク管理センター」に勤務した際に住んだことがある。30台半ば頃だった
・ その後1回だけ札幌に行ったことがある。十数年前に、仕事が一段落した際に、やはりフェリー(東京晴海埠頭から釧路へ、多分1日がかり)で釧路へ行き、鉄道で札幌へ出て空路帰京しただろう)
・ その際に元の職場(市外電話局の7階だったか)に夕方に行ってみたが、誰にも会わずに北海道の通話管理を行う管理室を覗いて帰ってきた。管理室の正面の壁に巨大な北海道の地図が掲示され、主要な電話局の交換機能や接続回線の稼働状況が数値で示され光っている。まだNTTグループ社員であったので身分証明書は持っていた。今回は行かず。
・ 最初、上司に言われたのは、仙台であり、初めての地方勤務としては東京より北350キロぐらいで良いかと思ったが、1週間後に呼ばれたら札幌と聞いて生きていけるかと心配になった。800キロも北とは!
・ 2月1日に着任したが、千歳空港まで結局2年間お世話になったIさん(係長、4つ上、終戦により樺太から帰還)が出迎えてくれ、札幌雪祭りの初日の大通り公園などを案内してもらった。途中で、靴とオーバーを北海道仕様に変えるようアドバイスされた(寒く、道は凍結しており靴のギザが多い)
・ 職場は、技術系(保全局):15名程度、業務系(業務管理局):10名程度のこじんまりしたグループであったが、本社機構であるので、ランクは北海道電気通信局よりワンランク高かった。いわば、エリート集団であった。殆ど道内出身で、本土からは私とあと一人ぐらいであったー民営化前の電電公社時代で、業務系・技術系は組織・人事など悉く分離されていたが(当時,『二本電信電話公社』と揶揄されていた),1985年の民営化後(NTT東日本)ではどうなっているか
・ 特に、異常時の通話の流れ(トラフィック)の管理を東京にある全国管理センターと協力して担当しており(ほかに仙台、名古屋、大阪、広島、福岡に地方管理センターがあった)、自然災害や人為災害、付随してまたは単独で発生する通信設備障害の際の通話ネットワークのコントロールが任務であった
・ 北海道はもともと東北や北陸などからの開拓者の子孫が多い、いわば雑居状況であり、広大な土地とあいまって、人々はおおらかで、開放的ですぐ溶け込むことができたのは幸いであった。言葉も殆ど標準語と同じ
・ 今回は、バス、フェリーの乗り継ぎによる安さに触発されて偶然行く気になったものである(往復航空便だと、7,8万円)

④ まず、フェリー
・ 水戸で一泊後、大洗海岸で乗船したフェリーは「さんふらわー丸」で、7階が展望スペースと甲板、レストラン、6階が居住スペースと小さな売店となっており、この間を歩くしかない。船内はかなり古い感じ。1日1便だけ。午後6時半大洗発で19時間乗船する
・ エコノミー(大部屋にざこ寝)、カジュアル・ベッド(一応自分のスペースを確保、3000円プラス)、スタンダード/ルーム(自分の個人用スペースがあり、鍵をかけられる、6000円プラス)、デラックスルーム(プラス13000円)などとなっている
・ エコノミーは5部屋あり(合計:220人)で私が寝た部屋は75人で最も大きいガ、乗客は20人以下であった。グループの若者や中高年の夫婦やバックパッカーなどだった。30メートル×25メートルぐらいの空間に寝具が引けるように畳んであり、寝るときはまずマット(6センチぐらい)を引き、その上に敷布団を敷いて、シーツを掛けて、毛布をかぶせるというもの。
・ 乗船切符に寝る位置を示す番号が振ってあったようだが、かまわず、部屋の壁際に寝具を広げてスペースを確保した(定員の2割ぐらいの乗客)
・ 午後10時までは照明がついており、寝られなかったが、その後は目さえつぶれば、自分の空間となる?
・ 次回は少なくとも雑魚寝状況でなく自分用のスペースが確保されるカジュアル・ルームとするか
・ 19時間は長く間が持たないー持参の本を読んで飽きると、展望スペースで窓から海を展望した(窓の左の数キロメートル先か、陸地が眺められ、所々で市街地がはるかに遠望された) あるいは自販機で何か飲み物を買う
・ 波は穏やかで、白波は殆どなく、航路はまさに平穏そのものであった
・ レストランは、バイキング方式で昼:1800円、夜:1000円、朝:800円で後は飲み物だけ。朝だけ食べたが、野菜サラダに各種のカレーをかけるだけ。さすがに若者たちはご飯の量でカバーしていた
・ バスは、東京・水戸間:2000円、水戸・大洗間:300円程度、苫小牧フェリーターミナル・札幌間:1300円、したがってフェリー代が6000円か?

⑤ 札幌へ
・ 苫小牧ターミナルからバスで札幌へ向かったが、道路が広く、しかもどこまでも真っ直ぐ走り、しかも札幌の中心部に行くまで歩行者を殆ど見なかった。
・ 翌日、JR札幌駅のJRタワーの展望台(入場料:700円、シニア:600円、360度、札幌の町を方面ごとに100メートルの高さで展望できる)から見ると、碁盤目のように東西南北に広い道路が縦横に真っ直ぐ走っているさまがよく分かった。直角に交差している(パリのエッフェル塔からパリの街を見ると、道路網は放射状になっており、建物群やブロックはタワーの手前では小さく、遠くになればなるほど広くなっていた。ただし、パリの建物は数百年以上の歴史を有するが、札幌の方はせいぜい4,50年ぐらいだろうか。戦争の被害はどうだったのか?) 札幌や北海道では、斜めの道路は原則としてないか?
・ 3日目(10月1日)の午後4時前に札幌へ着いて、華やかな駅ビル構内を歩いた後、駅前通を大通公園前までぶらぶら。有名な時計台はもう一つ左側の道路か。バスの中からチラッと見えたが,以前と変わりない感じであった。大通り公園を渡って、2ブロック先の左側に三越があり、30年前を思い出した。向かいにパルコがあり、道路を挟んだ右手奥に市電のターミナル「西4丁目駅」があった.その角に「旭屋書店」がありよく行ったが、今はCDやDVDを売る『タツタヤ』になったのか?(ニューヨークでも、鉄道の始発駅のセントラル・ステーション近くにあった「旭屋書店」が90年代後半になくなったことがあった。NTTニューヨークはこの近く)
・ うろついて安いホテルを探したのち、「西5南2」ぐらいか?7000円の中級ビジネスホテルに泊まったー札幌は東西南北と数値で場所が大体分かるようになっている。便利だ!札幌駅前通り「西3/西4・北3」(広い通りの右側が西3、左側が西4)?となっている。後で歩いた「すすきの」交差点が「西4南4」だった
・ さすがに寒く、東京が22度(最低:16度)の日に札幌は12度(6度)となり、朝晩はマフラーかセーターが欲しかった(着のみ着のままで来たので)
・ 翌朝、市電(170円)に乗ってみたが、大通り公園より南の中心部をグルット回るルートをごとごと鈍行で走るという感じで、40分ぐらいかかり自転車の方がもっと早いだろう。電車は沿線の古い町並みを歩くように走った
・ 地下鉄(最低運賃:200円)は昔はなかったが、南北線、東西線、東豊線の3つあり、南北線に乗ってみたが、駅内や電車の中は古くなっており、東京の銀座線と同じ?
・ 街の案内表示は、と東京と同様に英語、中国語、ハングル(韓国語)を併記、すれ違った若い女性が中国語を話していた
・ 北海道庁の赤レンガ庁舎とか時計台、北海道神社、藻岩山(520メートル)はまだ主要な観光スポットかー当時、NTT南10条アパート(西8?)から数回、藻岩山に登ったことがあった(30分ぐらいだったかー札幌全市がよく見えた)
・ 「長沼ジンギスカン」や「北大学力増進会」、「ホクレン(農産物の出荷組合)」、「雪印乳業」などのおなじみの看板

⑥ 函館へ
・ 昼頃、札幌駅に行って、旭川に行くか、函館にしようかと迷った後、旭川は動物園を除くと多分札幌みたいで面白くないと考えて、函館に行くことに。天候も期待できないので。
・ 北海道勤務の際各地を回ったが、出張は殆どないので個人旅行中心で、結局、明治以来の歴史がある小樽、函館、釧路が新市街と旧市街とがあり、ぶらぶら歩きも楽しかったと記憶する。新市街だけの帯広、富良野などの街歩きは、人工的で面白くない。旧市街地では、銀座や新宿のように道は狭くごちゃごちゃして、より人間的だったからだろう。
・ 特急・北斗の運賃は幾らかと聞いたら、8590円だというので「高い」のでいったん止めたが、当日の帰りのフェリーの申し込みは終わったというので、結局1時過ぎ発の特急に乗ったー東京・名古屋間(350キロ)の新幹線運賃が約1万円だとすれば、札幌・函館間は300キロぐらいあるので8500円は妥当かもしれないと納得した
・ 札幌を出ると、千歳、苫小牧、長万部(おしゃまんべ)、大沼公園をグルット回り、「五稜郭」(函館山と並ぶ函館最大の観光名所)の数分の後に函館に着いた。3時間半であり、以前は4時間半かかった(「大空」だったかー金曜日の午後に半休を取り、12時半札幌発の大空に乗り、午後5時に函館に着き、青函連絡船で4時間半で青森に着き、駅の中を席取りのために走って午後11時頃の急行に乗り、翌朝6時頃に上野着であった。往復9000円ぐらいだったか)
・ 函館はやはりすこし暖かったが、海がすぐ近くで風が吹いて体感温度は札幌と変わらないか?市街地は函館湾と津軽海峡に挟まれた狭い半島になっている。函館山には、ロープウエイで上れるようになっており、過去2回ぐらい上ったことがある
・ 函館駅前は広場に幾つもホテルが並んでおり,当方は近くの安ビジネスホテル(4000円)に泊まることにした。ホテルの前は函館朝市の正面となっている
・ 午後6時頃、ホテルに隣接した食堂で簡単に飲み食いした。まだ誰も客はおらず、メニューで『三平汁』を頼んだが、『三平(さんぺい)』が出てきたー沢山の小さい白身の魚で聞いたらフグと聞いてギョッとした。普通は多分たらやサケのはずで、後は大根や菜っ葉などに煮付けで、味はさほどいかさない。酎ハイとハイボールを飲んだか。料理のおじさんが話しかけてきたので、北海道はいい所で、人々はおおらかで開放的だが、競争に弱いのではないかと言ったら、余り話さなくなってしまった。余分のことを言い過ぎたのか
・ 翌朝5時過ぎに向かいの朝市に行ってみたが、まだ仕込み中であり,7時頃にまた行って、海鮮どんぶり(1680円)を頼んだ。いくら、うに、ホタテの小ぶりのどんぶりに大きな味噌汁と漬物が出てきた。まあまあか。小さい蟹の足つきの味噌汁はうまかった
・ 函館朝市は、100メートル四方ぐらいのスペースにおいて多数の魚屋と野菜を売る店がそれぞれ商品を並べて競っていた。、毛がに、タラバがに、ホタテ、ほっき、えび、牡蠣、うに、サーモン、マグロ、かつお、いくら、いか、活きイカ、タコ、さんま、こまい、キンキなどなどー海産物料理屋も並んでおり、刺身、すし、焼き物、煮物、定食セットなど。どんぶり物も写真入で20種類ぐらいあったか。高いものは、どんぶりで2000円以上(様々な具が上で溢れている)、セットは3000円以上
・ 駅周辺を歩いた限りでは、函館は寂れているように見える。青森も同じか

⑦ 青森、さらに仙台経由で東京に
・ 函館・青森間でバスを探しても見つからず、JR北海道とJR東日本の共同運航の津軽海峡線しかないようだー特急券込みで4830円で1時間50分(海底トンネル部分は約30分)
・ 東北新幹線接続の新青森駅まで行かず、12時過ぎに手前の青森駅で下車。
・ 青森駅前は、寂れた感じであり、後で仙台行きのバスに乗ったら、繁華街は少し先にあり、ただし、新しい高層ビルなどは見当たらなかった
・ 前回の青森行きは新幹線で青森に着き(4時間強)、9時間街歩きの後、深夜バスで帰京したが(9時間)、今回はバスを乗り継いで、仙台経由で夜行バスで帰京した
・ 青森・仙台間は4時間半で、盛岡インターまで2時間以上かかり、2回サービスエリアで15分休憩で時間通りに仙台駅に到着した
・ 仙台で3時間ほど駅周辺を歩いた後,11時半に夜行バス(左、中央、右の3列で各9席、乗客は10人程度か)に乗り、寝たか寝ないかわからないままに気がついたら翌朝5時頃、渋谷経由(誰も下車せず)で新宿に到着するというアナウンスで目が覚めた
・ 青森・仙台間(4700円、4時間半)、仙台・新宿間(4600円、5時間強)は、JR特急運賃に比べるとお得であった。長距離の深夜バスは安い料金で早朝に目的地に着いているのがいい。さすがに安上がりの深夜バスは若者中心で、ただし高齢者もちらほら(昔の若者!)

⑧ その他の印象
・ 札幌駅のキオスクの新聞売り場で見たら、北海道新聞(通称:道新、朝刊:130円,夕刊:50円)が4、日経新聞:2、朝日・読売・毎日・その他:各1の割合であった(スポーツ紙は除く)、北海道では、道新の人気は高い
・ バスで札幌に移動中、沿線でスーパーマーケットの「イオン」の巨大なショッピングモールをときどき見かけたー100メートル以上あったものがある
・ 札幌のタクシー最低料金は620円(東京の値上げ前の運賃)だが、街が広いので高くつくだろう?
・ 札幌の南北を分ける大通公園は、幅が100メートルぐらいか。道路は両方の端にあり各10数メートルあるだけ。東の端に札幌タワーがあったが上らず。30年前にもあった。公園内で『札幌オータムフェスティバル』が開催されていた(各種の北海道の名産品が飲み食いできる)
・ 北海道は、やっぱり「サッポロビール』、クラシックという発泡酒はうまかったーキリンやアサヒは北海道ではやや影が薄いか?ウイスキーは「サントリー」か
・ 北海道新聞を買ったら、一面を含めて数ページにわたって、「北電(北海道電力)でもやらせ」という記事が踊っていた。要するに、原発の設置・維持に関する数年前の公聴会で原発推進の発言を北電社員やその意を受けたシンパにさせたというものであろう。業界ぐるみの日本的システムでは、どこでも同じ?
・ テレビは、ほぼ東京の民放が大体見られるが、それぞれ道内のニュースも放映されているーNHK札幌は、地方ニュースの時間帯では力を入れているようだ
・ CITI(外資系金融会社)の広告―「人生by CITI、28歳の野心、33歳の決意、40
歳の意欲、53歳の余裕、58歳の挑戦、62歳の出発」(70歳は何?)
・ 北海道では、気候の変化が激しいー以前でも思ったが、東京では1日で「晴れのち曇り」または「曇りのち雨」の2段階であるが、札幌では、「晴れのち曇りのち雨」が1日で起こる。今回もサーット雨が降るかと思うと、すぐ日差しがさしてきた
・ 東京の感覚では、札幌の冬は11月後半から翌3月いっぱい、5月はじめに梅,桜、つつじが一斉に咲く
・ 在札中の2年目の1976年だけ、職場のゴルフ・コンペに参加した。北海道のゴルフ・シーズンは5月ー10月であり、毎月開催していた。ともかくパーの3倍ぐらいたたくので、ボールがどこに飛んだか分からない。何打打ったか忘れて、ごまかしても何もいわれない、悪意はないが。最後の10月のコンペでは、晴れていたらときどき吹雪いて、心臓が重くなった。結局、東京に戻ってからゴルフ道具は処分した。札幌のゴルフ好きは4月頃から暖かい函館に近いゴルフ場(大沼公園など)からシーズンを始める
・ 東北新幹線は2015年に青森から函館に延びるー「夢へ出発-北海道新幹線の実現へ」さらに札幌まで新幹線で結びたい
・ 「がんばろう東北、がんばろう函館」、「はこだてを買いに行こう」
・ 30年前に、北海道で何か自然または人為災害が起きると平常に比較して九州からの問合わせ通話が増加し、逆に九州で何か起こると北海道から九州への心配電話が増えた。要するに、当時は自衛隊員は九州で多く採用され、その多くがソ連に備えて北海道に駐在していたからであろう。現在はどうなっているか。今はむしろ、中国や北朝鮮中心の防衛体制になっているだろう
・ 「日本ハム・ファイターズ」(プロ野球、札幌ドーム)と「コンサドーレ札幌」(プロサッカー、コンサドーレとはドサンコの逆読み)は北海道で極めて人気が高いースポーツは本土との一体感を強めているだろう。札幌ドームは野球(人工芝)やサッカー(自然芝グランドを運び入れる)、各種のイベントにも利用されている

⑨ 北海道対東北
・ たまたま買った北海道新聞が、北海道対東北の記事を掲載していた
・ 北海道ー面積:8.3万平方キロ、人口:551万人、域内総生産:18.4兆円、製造出荷額:5.2兆円、小売販売額:6.2兆円
・ 東北(6県)-6.7万平方キロ、934万人、32.3兆円、14.7兆円、9.7兆円(人口(万人)-青森:137、岩手:133、秋田:109、山形:117、宮城:235、福島:203)
・ 北海道は面積は東北の2割増だが、人口は6割程度、経済的には似たような水準か
・ 県民性の比較―祖父江孝男著「県民性」などから
・ 北海道―旧藩の伝統がない、本州、四国、九州など各地からの士族、農民などの様々な移民による寄り合い所帯、道産子気質―進取的、雑居性、おおらかさ、オープン・マインド(開放的性格)、はつらつとした女性、自然との闘いには強いが人間と人間との競り合いには弱い、官尊民卑と本州依存性(公共事業頼み)
・ 東北―内向的、引っ込み思案、地味、劣等感、保守的、粘り強い、忍耐心が強い、勤勉性、言語コンプレックス(ズーズー弁)
・ 札幌(人口:190万人)対仙台(103万人)?-よく分からず

⑩ 「札幌学」(岩中祥史著、2009年、新潮文庫―著者は1950年名古屋生まれ、ほかに『博多学』、『名古屋の品格』など)
・ 北海道は、日本であって日本でないー道外の者にとって北海道は『外国』のようだ
・ アジアに属する日本の一部であるが、ヨーロッパ大陸のにおいがある
・ 北海道(特に札幌)は、本土の狭く人間関係などの圧迫感やストレスをいっぺんに解消してくれる
・ 北大(北海道大学)には、全国から受験者がいるー広い自由な北海道、札幌にあこがれて
・ 一方、札幌に育った者は東京に出ても、美しい緑や透明な空気、おいしい水に恵まれた札幌に戻りたくなる
・ 札幌人は、しがらみから離れ、合理的で自由奔放
・ 札幌人には何でもありー香典には領収書、結婚式も会費制が当たり前、結婚も離婚も切り出すのはいつも女性、古いものを大切にしない、歴史がないから『伝統』にあこがれる
・ 札幌人は新しい物が大好きー好奇心が旺盛、SINJO(新庄剛志外野手、ファイターズに移籍、ど派手なパフォーマンスで女性フアンを増やした。ファイターズは2006年にリーグおよび日本シリーズも優勝)、名古屋メシ(手羽先)も人気
・ 北海道は歴史が浅く、本土と違い『男性優位』という考え方は殆ど根付いていない
・ 札幌はおいしいものでいっぱいーいつでもどこでもジンギスカン、コーヒーが似合う街、ワインとウイスキーが好きな札幌人、札幌ラーメンは1990年代から若者中心でブームに(道内に4000軒のラーメン屋)
・ 北海道をめぐる歌謡曲―『アカシアの雨がやむとき』(西田佐知子、1960年)『恋の街札幌』(石原裕次郎、1972年)『知りたくないの』「霧の摩周湖」『函館の人』『小樽のひとよ』「星影のワルツ」『知床旅情』『襟裳岬』『中ノ島ブルース』『津軽海峡冬景色』『昭和枯れすすき』「思い出まくら」『昔の名前で出ています』『飛んでイスタンブール』「東京ララバイ」「迷い道」「時間よとまれ」「ワインレッドの心」「氷雨」
・ 札幌は街中がリゾート、雪と戦いつつ雪と楽しむ、イベントは殆ど『官主導』、北の都にはジャズがよく似合う
「アカシアの雨に打たれて、このまま死んでしまいたい、夜が明ける、日が上る、、、、」(札幌にはアカシアが多い)
「時計台の下で逢って私の恋は始まりました、、、忘れはしない恋の町札幌」

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